2012/10/30 - 2012/10/30
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アルデバランさん
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出張の折、ANAの機内誌を何気なく見ていたら、7月号の『ニッポン新風景』(第52回)は「世界が望んだ祈りの場」と題して広島の「世界平和記念聖堂」でした。そのミニチュア風全景写真を見た時、そういえば建物を見に行き写真撮りためてあったと思い出しました。
世界平和記念聖堂と言えば村野藤吾ですが丹下健三の名前も外せません。職場から見える彼の赤プリはつい先日、とうとうその姿を消してしまいました。
ということで時間が少々経っていますが、因縁の「世界平和記念聖堂」そして「広島平和記念資料館」を出張ついでに見に行った報告をいたします。
なお、参考書は丹下・藤森センセーの畢生の大作「丹下健三」(28,000円!)です。この本に戦後最初にして最大、かつ後世まで語り継がれる事となったスキャンダラスなコンペの顛末が詳しく記載されています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
-
広島駅前に市内地図がありました。
紙屋町方面行きの市電に乗って4つ目の銀山町で下りて200mほど
どうやらエリザベト音楽大学を目指せば行けそうです… -
エリザベト音楽大学の近くまで来ました。
えーと… -
ここかな?
いえいえ、ここはイエズス会修院です。 -
その隣にありました!
村野藤吾の「世界平和記念聖堂」 -
ちなみにこれが先ほどのイエズス会修院
-
まず目に付くのは脇に立つ50mはあろうかという塔と壁の仕様
真壁模様です
何やら銅像が… -
近づいてみると
1981年2月に広島を訪れ、世界に向けて平和アピールを行ったパウロ2世、ローマ法王の像でした -
後ろ姿も見せてくださいな
-
世界平和記念聖堂の設計コンペは当時のあらゆる若手、ベテラン建築家が応募したといわれてます(菊竹清訓談)
結局1等なし、2等が井上典一と丹下健三。
驚くべきことに、3等に当時早稲田の学生だった、我らが菊竹清訓氏が前川國男と一緒に名前をつらねてます。天才の片鱗を早くも見せていたのですね。 -
若手の内田祥哉は
「住んでいたアパートの向かいがたまたま丹下健三の家で、夜が更けて疲れ果ててもうやめようと向かいを見ると明かりがついているので、寝るのをやめて頑張った」
と回想してます。 -
カソリックの7つの秘跡
ご当地出身の大先輩圓鍔勝三の彫刻です。
5つしかない?
大丈夫、左右にも1づつああります… -
代表して…
右側サイドの「婚姻の秘跡」
ハート型と結び目マークが印象的です -
「洗礼の秘跡」
ノアの洪水の場面だそうで
左に見えるのが箱舟でしょうか
洪水をかき混ぜてひどくしているかのように見える神の救いの御手と
契約の虹 -
横にまわってみると…
広島の聖母
「平和の元后」
2009.8.6とありますので、つい先だっての建立です -
1等なしの審査結果はともかく、実際の設計はどうなったかと言うと…
すったもんだの挙句、審査員だった村野藤吾が引き受けちゃいました。
プロ野球でもあったよね。
監督が審判に「ピンチヒッター、俺!」 -
でも、その村野藤吾の設計したこの世界平和記念聖堂は物議をかもした経過を感じさせない傑作であることはその後の歴史が証明してます。
設計だけでなく建築も資金難で難航したけど。
ちなみに施工は清水建設… -
本人が自ら乗り出すのは相当なプレッシャーだったはずですが、
「建築の本質を純粋に突きつめるのも結構だが、何ほどかの工夫を手際よくまとめ上げることも芸道の奥義として大切であり、建設素材の使い方における人間の手わざとも大切」と述べ、執念と情熱で見事に素材感の表出をきわめた傑作をものにし、戦前の後期表現派にとって戦後建築史に深い刻印を打ち込むことになりました。 -
さあ、入ってみましょう
その前に…
入り口のドア、天国の門
中央にJHSの文字と冠と手足だけの十字架。
周りに奇妙な動物が4つ… -
十字架の周りの4っつの動物はヨハネ黙示録の福音史家を表しているそうで
代表して、人の顔をしたマタイ -
思わず手を引っ込めてしまいそうな
ユーモラスなノブ -
入るとすぐにフィンガーボウル
じゃないよね… -
さらなるドアを開けると、静寂が待ってます
と先日はそうでしたが、今日は違いました。
音の洪水です -
原因は…
オルガンです
バッハの大フーガの有名な冒頭部分を繰り返し、繰り返し。
エリザベト音楽大学の学生が練習してました。
時間を決めて練習しているようでタイムスケジュールが貼ってありました。 -
振り返ると、普段はこんな感じでパイプオルガンが静かに鎮座しているだけですが。
この天井材のためにオルガンが響き渡る効果があるようです。 -
で、こんどは足元を見ると
マンフォールのふたに「信」の字が
という事じゃないよね。 -
もう少し行くと
これだもん
地下中央をダクトが貫いてるんですね -
祭壇の上はドームになっていました
-
-
横壁のステンドグラス
この下の事務室から説明好きな女性が出てきて、教えてくれました。 -
以下はその説明を思いだしながら…
祭壇後ろの壁下部は梅をかたどったステンドグラス
下の二つの出っ張りの色は悪とか善とかを表しているそうですが
何が何やらこんがらがってしまいました。 -
左側には広島で被爆した後、愛宮眞備と名のり日本に帰化しこの記念堂生みの親、フーゴー・ラサール神父のレリーフ
-
フーゴー・ラサール神父の遺骨の一部はここに納められているそうです
-
内陣と外陣の境に聖体拝領台
正面の模様はロウソクです
バイエルン州からの寄付だそうです。 -
天蓋までついた大理石に鳩をあしらった説教壇
なぜか八角形です -
右側側廊には無原罪の御宿りの聖母
-
この蓮の花の照明器具は村野藤吾のデザインというのですが
説明好きの女性は「日本仏教会からの寄付じゃ」と鼻高々… -
照明をつけるともっと雰囲気が出るんでしょうね
-
さらに
「ほれ、横の窓を見んしゃい、松竹梅じゃ」
て、おばちゃんが設計したんじゃなくて村野藤吾でしょ…
なるほど高窓クリアストーリーの一番上に松、その下にかなり苦しいが竹、そして梅 -
北側の側廊
あくまでもシンプルです -
ステンドグラスを代表して「イエスは十字架を担って歩まれる」
-
外陣後方北側、鐘楼の下には小聖堂があります。
行ってみましょう -
聖なる祈りの空間
-
この抽象的な聖母像のためにここは
「聖母祭壇」と呼ばれているそうです -
小聖堂から記念聖堂の外陣方面
-
「来て、礼拝しよう」
-
平和記念聖堂の特徴のひとつ、平面が花弁型の小聖堂とその上に立ち上がる鐘楼。
小聖堂は北側から外に出ることができます。
出てすぐの階段を上がると鐘楼です。 -
鐘楼を見上げます
-
主任司祭様
やっぱダメですか…
入れません「コンクリート劣化のため大変危険です」 -
北側側面
バットレス風の側廊部分の壁
一番左にローズウインドウということは
屋根の上の塔が祭壇のドームですね
このてっぺんに平等院鳳凰堂と同じように鳳凰がいるはずなんですが見えません… -
宗教施設の敷地内の定番
聖母幼稚園 -
丹下健三の応募作品はどのようだったか気になります。
図面の原本は伝わってません。平和記念聖堂生みの親で審査員だった、フーゴー・ラサール神父を上智大学に訪ねてにどうなったか聞いたところ、しまってあると天井を指したそうですが…
その後丹下健三は教会建築では「東京カテドラル」という大傑作を物にしたし、当地広島では復興・平和の象徴とされる「ピースセンター」という記念碑的作品でその名を世界に知らしめました。 -
丹下健三案は下絵は少し残っているようで、翌朝は広場型配置とシェル構造の聖堂、そしてそれ以前、それ以後にも見られない彫塑的で装飾的な表現だったということです。
-
なんといってもこのほっそりした鐘楼の塔は目立ちます
-
鐘楼の壁面の有名な聖堂記
日本語じゃないんで意味が… -
-
北側の隣の建物は広島カトリック会館です
-
さらにその隣はマリア・ホール
オアシス「ご自由にお入りください」の文字を信用して入ってみると
爺婆の天国でした
「どこから来なすった?」
「東京からです」
「コーヒーでも飲んできんしゃい」
「いえいえ、お構いなく…」
恐縮してしまいました
そろそろ引き上げます。 -
エリザベト音楽大学の隙間からも見えます。
-
未練たらしく壁を見て、広島平和記念資料館に向かいます。
-
さてさていよいよ
丹下健三の広島平和記念資料館にやって来ました。 -
水平な全体像と縦のルーバーのコントラスト
そしてピロティ…
実際には前にこのように団体用のバスがずらりと並んでます。 -
平和記念聖堂とともに指定された重要文化財の本館は空中廊下で東館とつながってます。
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平和記念資料館(ピースセンター)の最初のスケッチは丹下健三がピース缶の巻紙に行ったという逸話があります。
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このぶっとい立ち上がりの壁柱。
遠くから見ると端正ですが、近くで見ると凄い! -
前川國男の神奈川県立音楽堂の柱でもあったコンクリート打放しの木目模様
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100m道路と直交して原爆ドームを望む軸を通した配置です
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平和記念公園やドームの方に行くまでの時間はありません…
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では資料館に入ってみます。
本館は出口しかなくて、入るのは東館からです。 -
東館の内部
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2階に上がって
原爆の凄まじい破壊力を示した写真が展示されてました。 -
後でつなげた空中廊下を渡って本館に移動します。
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本館の展示物を見た後、北側の廊下をぐるっと回って引き返します。
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廊下の途中、ドーム、記念碑の一直線上でズームしてみました
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午後から打合せなので、平和記念公園まで行く時間がありません。
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一方通行の階段をピロティに降ります。
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ピロティの柱は建物と直角に細長いので正面から見ると無骨さが目立たず、すっきりした姿です。
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丹下の頭には桂離宮があったとのことです。
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横に長大すぎて全景が入りません。
-
思いっきり後ろに下がってみました。
-
後日、近くのホテルサンルートに泊まった際、朝食レストランから俯瞰。
当時、最年少コンペ参加者の菊竹清訓は「奥に広がる公園を生かすため本館をゲートにする」という想像だにしなかったプランに大きなショックを受けて自戒のため丸坊主にしたと言います。
そして言ったとか
「今度は勝つ…」
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この旅行記へのコメント (2)
-
- わんぱく大将さん 2013/08/04 14:46:56
- 世界レベル
- アルデバランさん
丹下さん、BCNの本屋さんにもありますよ。 日本の建築家の名前を見つけるとうれしくなりますね。 彼のお弟子さんがまた、世界に羽ばたいて、また、そのひとに続いていくわけですね。
伊東さんも彼に学んだような。。。忘れましたが。 大将
- アルデバランさん からの返信 2013/08/04 20:31:46
- RE: 世界レベル
- 大将様、こんにちは
私も7年ほど前、中国のバスで経験があります。
全く気づかなかったんですが、奇遇にも運ちゃんに言われました。
「1年前のお前を覚えておるよ」と…
伊東豊雄は菊竹清訓事務所ですね。
今年の1月18日に書籍「菊竹清訓巡礼」の出版記念に『菊竹清訓を観る、語る』と題して彼の江戸東京博物館でイベントが開催され、のこのこ出かけてみました。
第3部のパネルディスカッションは事務所OBの遠藤勝勧、仙田満、長谷川逸子、内藤廣が来ましたが、伊東豊雄はビレオレターでした…
印象的だったのは仙田満で、2020年のオリンピック会場の「新国立競技場コンペ」によほど自信があったらしく落選に未練たらたらでした。
始まる前に沢山写真撮りすぎて、トークイベントが始まってすぐ電池切れになってしまい報告できません。
そのオリンピックですが決定まで、ちょうどあと1ヶ月
でも、不利というニュースばかり報道されて、今一つ盛り上がりません…
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