2012/11/30 - 2012/12/01
153位(同エリア226件中)
ひま人さん
自然の中に神を見る。これが万国共通の原初の信仰心ではないでしょうか。陽光に暖かさを感じ、稲妻に恐れを感じ、水に恵みを感じ、星の不思議を感じ、月に優しを感じ、山に抱かれることに安心を感じ・・・と、自然の様々な形状や性格、そして現象などと、人は心(感情)を交感し合い、そこに畏怖する心や安らぎを見出してきました。
大分県国東半島には、「六郷満山文化」が今も息づいています。そして全国の8割に近い磨崖仏が多く確認されています。まず、臼杵の石仏巡りをし、そして臼杵の町歩き(野上八重子記念館、二王座歴の道、稲葉家下屋敷など)をしてホテル入り。2日目は豊後高田市の熊野磨崖仏、真木大堂、富貴寺、鬼会の里(天然寺、天空の無明橋、川中不動尊)、両子寺を見学してJR別府駅から帰路に着きました。
表紙写真は「熊野磨崖仏・不動明王像」です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
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ヤマコ臼杵美術博物館。国宝臼杵石仏発掘資料や県指定有形文化財臼杵藩主稲葉家資料などが展示されています。
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臼杵石仏(古園石仏)。凝灰岩の岩壁に刻まれた60余の磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりしたことは分かっておらず、今なお多くの謎に包まれています。昭和55年から14年間に及ぶ保存修復工事が行われました。平成7年6月、臼杵磨崖仏4群59体が、磨崖仏では全国初、彫刻においても九州初の国宝に指定されました。
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臼杵石仏。4群の磨崖仏は、古園石仏・山王山石仏・ホキ石仏第一群・ホキ石仏第2群に分かれています。
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臼杵石仏。像表面には彩色が施されていますが、年月により劣化しています。
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臼杵石仏。
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臼杵石仏。
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臼杵石仏。
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臼杵石仏。
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臼杵石仏。
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臼杵石仏。
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稲葉家下屋敷。明治4年(1871年)廃藩置県によって臼杵城は廃城となり、270年余の間、代々臼杵を統治してきた稲葉氏は東京に住むこととなりました。最後の藩主稲葉久通の長男が里帰りの時に利用するための屋敷として建てられたのが「稲葉家下屋敷」です。明治35年(1902年)築の建物ですが、書院造りや式台玄関、重厚な門構えなどは上級武家屋敷の造りになっており、廃藩後も旧藩主として大きな力を持っていたことがうかがえます。国登録有形文化財となっており、稲葉家ゆかりの武具や古文書、駕籠などが展示されています。
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稲葉家下屋敷玄関。
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野上弥生子文学記念館。野上弥生子は明治18年(1885年)5月6日、臼杵市内で酒造を営む小手川角三郎とマサの長女として生まれました。14歳の時に上京し明治女学校(明治42年閉校)に入学。卒業後、夏目漱石の門下で同郷の野上豊一郎と結婚しました。99歳で逝去するまで現役作家として「真知子」「若い息子」「迷路」「海神丸」などの骨太なすぐれた文学作品を残しました。昭和42年に文化勲章受章、他にも文化功労章、朝日賞、日本文学大賞などを受賞しています。この記念館は実家である小手川酒造に隣接して開館しています。
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野上弥生子文学記念館。
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二王座歴史の道。阿蘇山火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通した町並みです。とくに、旧真光寺の前は「切り通し」と呼ばれ臼杵を代表する景観の一つで、上級の武家屋敷が立ち並び、田町側から登っていくと、多くの寺が集まっています。そんな二王座は、昔日の名残を今もとどめ、平成5年11月に国の都市景観100選に選ばれました。
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二王座歴史の道。
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熊野磨崖仏への石段。
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熊野磨崖仏へ通じる、鬼が一夜にして積み上げたという伝説が残る乱積石段です。この石段を上ると左手が開け、岩壁に刻まれた2体の巨大な磨崖仏が「熊野磨崖仏」です。
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熊野磨崖仏、大日如来像。全身高さ6.8m。昭和39年国指定重文。
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真木大堂(まきおおどう)伝乗寺。六郷満山の本山本寺のうち、馬城山伝乗寺の堂宇として残された大堂で、伝乗寺は養老年間に任聞菩薩によって開創された六郷満山本山の寺院の中でも七堂伽藍を有する最大規模の中心的寺院で、田染地区に36の寺坊を有していたと伝えられています。しかし、約700年前に火災で焼失し、詳細な資料は残されていません。現在、真木大堂に収められている国の重文に指定された4体9躯の仏像は、伝乗寺の各堂宇に伝えられたものが、各寺坊の衰退に伴ってこの大堂一箇所に集められたものだとされます。
この伝乗寺の隣に大堂があり、仏像が拝観できます。(写真禁止) -
伝乗寺本堂。
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富貴寺(ふきじ)天台宗。六郷満山65か寺の一つで「本山」の西叡山高山寺の末寺とされています。
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富貴寺山門。
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富貴寺大堂。平安後期、浄土思想阿弥陀信仰全盛期の建立で、総素木(榧・かや)造りです。三間四間(柱の間が三つと四つ)の建物で、周囲に廻縁があります。大面取りの方柱に舟肘木をのせ、その上に単層宝形造りの屋根をのせ、行基瓦葺き二重繁垂木になっています。簡素な形、優美な屋根の線、それらがどっしりとした安定感を与えています。内部は板敷きで、四天柱で内陣が区切られ、阿弥陀如来像(国重文)が安置されています。
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富貴堂大堂、(昭和27年国宝指定)
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鬼会の里歴史資料館、鬼会の里一帯の資料を展示しています。
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天然寺と鬼会、六郷満山中山本寺の一つで、天然寺耶馬と呼ばれる祈願秀峰が連なり山の麓にあり、六郷山寺院の僧侶たちが参画する「峯入り」と呼ばれる山岳修練の中で重要な位置を占める寺院です。天然寺はかつては十二坊を有していたといわれますが、茅葺の天然寺講堂では、今でも毎年旧正月7日に、赤鬼と黒鬼が松明を持って暴れまわり、国家安泰・五穀豊穣・万民快楽を祈願する「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」と呼ばれる仏教行事が行われています。
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六郷山寺院の僧侶たちが参画する「峯入り」の時に修験者たちが渡るのが二つの峰に架かる石橋、無明橋です。天然寺の裏山に架かっています。
単一石造りアーチ、橋長5.7m、橋幅1.2m、架設は大正期(1912〜1926年)です。 -
川中不動尊。天然寺前の長岩屋川の大岩に不動明王(高さ3.23m)と2童子が彫られています。水害防除の願いをこめて造られたと言われています。
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川中不動尊。
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両子寺(ふたごじ)仁王門。天台宗。境内の森は「森林浴の森100選」に選定されており、紅葉の名所、子授けの寺としても有名です。
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両子寺護摩堂。国東半島のほぼ中央にそびえる両子山(721m)から放射線状に国東の谷は海岸へと広がり、約28の谷は六つの里に分け、六郷と称しました。その中心の山、国東市安岐町の両子山中腹にあるのがこの寺です。六郷満山の中山本寺で、修業の中心地として栄え、江戸時代には臼杵藩の最高祈願所となって六郷満山総寺院として満山を統括していました。
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両子寺護摩堂。
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両子寺山門に続く石段の両脇には、江戸時代後期の作とされる国東半島最大級(総高245cm、像高230cm)の石造仁王像が立っています。
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両子寺石造仁王像。
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