2012/11/21 - 2012/11/21
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キヌちちさん
万寿山中腹にある寿山公園は高雄港全景を眺望できて夜景が美しいので地元ではデートスポットとして人気があるそうです。ここは日本統治時代に高雄神社があったところで、鳥居の横に「大東亜戦争完遂祈願」と記された石塔が残っておりました。
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寿山公園のマップです。
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寿山公園は万寿山公園とも言われている。
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高雄市忠烈祠は中華民国軍で戦士した英霊が祀られており、社殿は中国宮殿風の建築となっている。
ここは日本統治時代に高雄神社があったところで、神社は戦後、中華民国の忠烈祠へと変わり、社殿なども後に取り壊され、新たに中国風宮殿風の社殿が建てられたが、いまも遺棄された灯篭や石碑、狛犬など高雄神社の遺跡を確認することができる。
忠烈祠へ向かう坂道の途中に中華風に改造された鳥居が残っている(高雄観光HPより)。 -
高雄市忠烈祠(旧高雄神社)の石段と狛犬
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鳥居の横に立つ「大東亜戦争完遂祈願」と記された石塔。日本が占領した歴史を思い起こさせてくれました。
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寿山公園からは高雄港の全景が一望できるということですが、訪れた時は降雨混じりの曇天で見通しが悪い状態でした。
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港内に停泊する船が辛うじて確認できます。
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中華風に改造された忠烈祠の鳥居。
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階段途中にお土産売りのおばさんがいました。
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忠烈祠の社殿です。
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忠烈祠の社殿
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忠烈祠の社殿
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忠烈祠
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太平洋戦争中の写真が掲げられていました。
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民国34年(1945年)9月9日、中華民国陸軍何応欽将軍は最高総帥の代理として、南京で岡村大将から降伏文書を受け取った。
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民国34年(1945年)、日本は無条件降伏し、中国は戦争に勝利した。写真は中国軍が日本軍を武装解除する様子。
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民国34年(1945年)、何応欽将軍は中華民国最高総帥蒋中正の代理として南京で降伏調印式に出席した。この日をもって中国国内の日本軍は正式に降伏した。
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民国34年(1945年)、日中戦争勝利後、蒋介石総統は北京を訪れ、1万8千人余りの学生が、紫禁城の大和殿で熱烈歓迎する様子。
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民国34年(1945年)、湘西会戦では、日本軍は4個師団を持って、東南正江空軍基地を占拠しようとしたが、湘西防軍は新化を東に迂回し、日本軍を包囲、日本軍に甚大な被害を与え勝利を手にした。
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名将張自忠将軍は民国27年(1938年)3月、山東省臨沂で日本軍を大敗させた後(台児荘の勝利)、民国29年(1940年)、南瓜店にて、日本軍に包囲され壮烈に散った。日本の板垣征四郎将軍をして『中国の戦神』と言わしめた。岡村寧次大将から降伏文書を受け取った。
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民国26年(1937年)、八一三淞滬会戦において、謝晋元連隊長は8百人の勇士を率いて四行倉庫を死守した。
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民国26年(1937年)8月、日本軍の松井大将率いる四個師団は、淞滬線に猛攻を仕掛け、戦闘は熾烈を極めた。陣地は日本軍に突破され、淞滬で血戦を繰り広げた。10月26日、四行倉庫を守り抜くことを誓い、孤軍堅守した。写真は施彪ら9名の兵士。
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民国26年(1937年)7月7日、日本軍駐屯部隊は演習を名目として、盧溝橋城を攻撃。写真は宋哲元の部隊。
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宋哲元は山東省楽稜の出身。民国22年(1933年)、長城喜峰口での(日本軍との)戦闘に勝利した。その後重要な任務を任された。7月7日事変(蘆溝橋事件での対日抗戦に転じたことと思われる)を経たのち、心労や過労などから病死した。
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貴賓室
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開館時間の案内板。
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