![エベレストをこの目で見たくてナムチェまで行って来ました。<br />*経緯<br /> 今年4月にポカラからのトレッキングでヒマラヤの魅力にとりつかれ、次はエベレスト街道と、タイに帰国後、10月のフライトを予約。<br /> *障害<br /> しかし5月に高血圧関連の疾病で3日間入院。身体のバランスが微妙に狂った感じになり、体力低下、高山病の心配が募ります。10月の予定期間がダサイン大祭と重なることがわかり、TIMSカード取得等で支障が予想されます。ルクラ便予約は現地の日本人経営会社にお願いしましたが、遅い便しかとれない。ルクラ便は遅延のリスクが高い。10月はじめにルクラ便が墜落事故、等々、障害が次々に浮上しましたが、今年行かなければ一生行けないという気持ちで決行しました。<br /> *同行者<br /> 当初は1人で行くつもりでしたが、家族の意向で娘が同行することになりました。監視役です。また簡易血圧計を持参し、異常値が出た場合はすぐに下山することも約束。娘は昨年7月に北アルプスに同行し、体力については問題なしですが、今回は3500メートルに滞在するため高山病の心配がありました。<br /> *写真撮影<br /> 私がニコンd7000(18-105mm)とフジXP20、娘がニコンd3100(35mm)とiフォンで撮影、掲載写真はこの4機で撮ったものが混じっています。夜景も撮るつもりで3脚も持参しましたが、後述するように夜景撮影はできませんでした。<br /> *混沌<br /> ルクラ便は混乱すると覚悟していましたが、実態はもっとひどいものでした。行きのチケットの予約時間は8時半でしたが、朝カウンターに行くと2時半便の乗客リストに掲載されていました。抗議しても、なだめすかしてもだめで、結局この日は12時半の便が3時頃飛んで、お終い。最後まで残った客は翌日2番機(7時半)で、ということになりました。次にルクラからの帰りは9時便でしたが、ロッジのオーナーに全面的に任せ、11時半(5番機)になりました。しかし飛んだのは夕方5時ちょっと前で、最終フライトでした。朝から夕方まで寒い空港ターミナルで待つのは苦痛のほかありません。特にルクラ空港は寒く、風邪を引き、タイ帰国後にこじれて病院に行きました。ルクラ便はオーバーブッキングで、なおかつ個人客は冷遇される傾向にあるようで、どうしても割を食います。ただしガイドが引率するツアー客も乗り遅れる事態になっており、どういう基準で順番を決めているか不透明です。コネ、旅行代理店の力関係、賄賂、何でもありな感じがします。ルクラ行きでは午後遅くになるとヘリを希望する客を募る者たちがいました。1機3000ドル、6人乗りということで、人数合わせのため声をかけてきます。最初は1人290ドルと言われ心が動きましたが、すぐに西洋人で埋まってしまったらしく、次には700ドルと言われました。正直言って不安心理に訴えるところがあり、乗るかどうか迷いました。緊急ヘリ費用は一応1人600ドルずつ持参しましたが、帰りのほうが重要ですので、行きは自重しました。<br /> *コース<br /> ルクラからナムチェまでで急坂はナムチェへの登りだけですが、けっこうアップダウンがあり、石の階段、石がごろごろする道ばかりで、地図でイメージしていたほど楽ではありませんでした。谷沿いの素晴らしい風景を楽しむには余裕ある日程が必要と感じました。<br /> *天気はずっと晴れ時々曇りという感じで、雨はナムチェの午後遅くから夜にかけてが唯一でした。ただ朝は快晴ですが、昼前には山に雲がかかり、午後は高い山は雲の中でした。カトマンズ盆地からのヒマラヤの風景もそんな感じで、午前中はよく見えました。<br /> *まとめ<br /> エベレスト街道は「一生に一度の」という形容詞つきでよく語られます。国内線の問題、人の多さなどマイナス要因もありますが、また今回ナムチェまでしか行けませんでしたが、実際に経験してみて、その形容詞に偽りはないというのが実感です。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/72/28/650x_10722845.jpg?updated_at=1352296602)
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bangkok230さん
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エベレストをこの目で見たくてナムチェまで行って来ました。
*経緯
今年4月にポカラからのトレッキングでヒマラヤの魅力にとりつかれ、次はエベレスト街道と、タイに帰国後、10月のフライトを予約。
*障害
しかし5月に高血圧関連の疾病で3日間入院。身体のバランスが微妙に狂った感じになり、体力低下、高山病の心配が募ります。10月の予定期間がダサイン大祭と重なることがわかり、TIMSカード取得等で支障が予想されます。ルクラ便予約は現地の日本人経営会社にお願いしましたが、遅い便しかとれない。ルクラ便は遅延のリスクが高い。10月はじめにルクラ便が墜落事故、等々、障害が次々に浮上しましたが、今年行かなければ一生行けないという気持ちで決行しました。
*同行者
当初は1人で行くつもりでしたが、家族の意向で娘が同行することになりました。監視役です。また簡易血圧計を持参し、異常値が出た場合はすぐに下山することも約束。娘は昨年7月に北アルプスに同行し、体力については問題なしですが、今回は3500メートルに滞在するため高山病の心配がありました。
*写真撮影
私がニコンd7000(18-105mm)とフジXP20、娘がニコンd3100(35mm)とiフォンで撮影、掲載写真はこの4機で撮ったものが混じっています。夜景も撮るつもりで3脚も持参しましたが、後述するように夜景撮影はできませんでした。
*混沌
ルクラ便は混乱すると覚悟していましたが、実態はもっとひどいものでした。行きのチケットの予約時間は8時半でしたが、朝カウンターに行くと2時半便の乗客リストに掲載されていました。抗議しても、なだめすかしてもだめで、結局この日は12時半の便が3時頃飛んで、お終い。最後まで残った客は翌日2番機(7時半)で、ということになりました。次にルクラからの帰りは9時便でしたが、ロッジのオーナーに全面的に任せ、11時半(5番機)になりました。しかし飛んだのは夕方5時ちょっと前で、最終フライトでした。朝から夕方まで寒い空港ターミナルで待つのは苦痛のほかありません。特にルクラ空港は寒く、風邪を引き、タイ帰国後にこじれて病院に行きました。ルクラ便はオーバーブッキングで、なおかつ個人客は冷遇される傾向にあるようで、どうしても割を食います。ただしガイドが引率するツアー客も乗り遅れる事態になっており、どういう基準で順番を決めているか不透明です。コネ、旅行代理店の力関係、賄賂、何でもありな感じがします。ルクラ行きでは午後遅くになるとヘリを希望する客を募る者たちがいました。1機3000ドル、6人乗りということで、人数合わせのため声をかけてきます。最初は1人290ドルと言われ心が動きましたが、すぐに西洋人で埋まってしまったらしく、次には700ドルと言われました。正直言って不安心理に訴えるところがあり、乗るかどうか迷いました。緊急ヘリ費用は一応1人600ドルずつ持参しましたが、帰りのほうが重要ですので、行きは自重しました。
*コース
ルクラからナムチェまでで急坂はナムチェへの登りだけですが、けっこうアップダウンがあり、石の階段、石がごろごろする道ばかりで、地図でイメージしていたほど楽ではありませんでした。谷沿いの素晴らしい風景を楽しむには余裕ある日程が必要と感じました。
*天気はずっと晴れ時々曇りという感じで、雨はナムチェの午後遅くから夜にかけてが唯一でした。ただ朝は快晴ですが、昼前には山に雲がかかり、午後は高い山は雲の中でした。カトマンズ盆地からのヒマラヤの風景もそんな感じで、午前中はよく見えました。
*まとめ
エベレスト街道は「一生に一度の」という形容詞つきでよく語られます。国内線の問題、人の多さなどマイナス要因もありますが、また今回ナムチェまでしか行けませんでしたが、実際に経験してみて、その形容詞に偽りはないというのが実感です。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月21日(日)。タイ航空。カトマンズ到着前、ヒマラヤの連なりがはっきりと見えました。乗客はダサイン大祭で帰省するネパール人がほとんど。
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10月22日(月)。早朝、ホテル・ホーリー・ヒマラヤの部屋から東の空港方面を見ると、天気は大丈夫な感じ。ホテルはeメールで事前に予約、込みこみで55ドル。空港迎車サービスつき。ルクラから戻った後も3泊しました。
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トリブバン空港国内線ターミナル。
チケットの予約はアグニ航空の8時半(3番機)。7時にチェックインカウンターに行きましたが、乗客リストを見せられ、あなたは2時半(8番機)と告げられる。抗議してもまったくだめで、午後また来いの繰り返し。途方にくれました。チケットを購入した代理店に相談しようとしましたが、SIMカードの残金がなく電話できず。 -
ボダナート。
時間がもったいないのでボダナート観光に。仏塔周囲の、あるゲストハウスで部屋を借り(500ルピー)、荷物を置いてから観光しました。電話代を補充して代理店に連絡すると、なるべく空港で待って圧力をかければ早い便になる可能性もあるという。 -
ボダナート。
そこで12時に空港に戻ることにしましたが、カウンター付近には職員は誰もいません。そのうちルクラ空港クローズの張り紙が。 -
ボダナート。
カウンターで待っていたガイドと話すと、日本人4人の引率だという。こちらは朝の便が10時半の便、1時半の便となり、朝からずっと待っている状態。その日本人のかたがたとも話す。リタイヤされた山仲間ということで、ほぼ同じ日程でナムチェに行って戻ってくる計画。このグループとは翌日の便で一緒になり、帰りのタイ航空便も一緒でした。 -
ボダナート。
結局アグニ航空は12時半の便が3時頃に出たのが最後で、1時半便組は待合室まで入りましたが、すぐに欠航が決まって戻って来ました。わたしたちもこの便に乗れると言うことでしたが、最後になって西洋人の4人組が割り込んできてだめでした。ガイドが袖の下を使ったようです。航空会社の事務所で談判すると、翌日の2番機のリストに載せたという。保証のため職員のサインを要求しましたが、サインの権限はないと言われ、その代わりコンピュータの翌日の搭乗リストで名前を確認、画面を撮影しておきました。
タメルに戻る際にホテルに電話すると今日は一杯ということで近くのゲストハウスに一泊。20ドル -
10月23日(火)。早朝の国内線ターミナルの待合室。朝空港に行くと、昨日は鉄面皮のようだった女性職員が笑顔で出迎えです。中の待合室にはすでに日本人4人グループもいて、2番機にはどうやら昨日最後まで残っていた客が乗るようです。
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ルクラ便の機内から。娘は左側一番前に座り、わたしは遠慮して右側に。写真は右座席からも望遠で撮れました。離陸後、ランタン・ヒマールからロールワリン・ヒマールにかけてはっきり見えました。途中、山の稜線をぎりぎりに越えるところもあり、絶景とスリルのフライトです。
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ルクラ空港の滑走路。30分ほどでルクラに到着です。クーンブ・ヒマールも見えてきますが、エベレストは確認できませんでした。着陸はかなり上からドスンと落ちるように降ります。機内からは拍手が起きます。滑走路の長さは460メートルということですが、使っているのは300メートルほどで、空母上で離発着するようなイメージでしょうか。
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ルクラ空港から北の方角に聳えるルプラ(クワンデ南峰)5885m。かなり近くに見えます。その左手前にはカルヤルン6511mの白い山頂もちょこっと顔を出しています。ルクラは標高2840mで、すでに乾燥、冷涼な高山の空気です。
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ルクラのメインストリート。すぐにナマステ・ロッジを目指しました。ここで宿泊の予約と飛行機のリコンファーム、ポーターの斡旋を頼みました。オーナーがすぐに現れ、てきぱきと手続きをしてくれます。ポーターは2バッグ15キロ、1日1000ルピーで合意しました。トレッキングのスタートは9時頃でした。パクディンではなくモンジョまで足を伸ばすつもりです。
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村外れの門。ここから下り坂が始まります。トラバース気味に200メートルほど一気に下ります。
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坂を上がってくるゾッキョ。
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チベット風の家。チェプルンの手前だったような。娘は建築学専攻で建物の写真ばかり撮っていました。
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チェプルンのあたりか。このあたり谷間の風景が広がり、緑も多く気持ちいいトレッキング。
ちなみにトレッキングはオランダ語起源ということですが、あの狭い国土とイメージが一致しませんでした。その後、南アフリカに先住していたオランダ人が英国人に追い立てられて内陸に移住した際の苦難の旅に由来するという説を何かで読んで、なるほどと思いました。馬、馬車と人が連なって荒野を旅しているイメージ。 -
クスムカングル6367m。タドコシ付近から見えます。標高差約4000mのこの風景を見るために休憩用のロッジが集まっています。
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ポーター兼ガイドのラクパ・シェルパ君22歳。シェルパ姓を名乗っていますが、シェルパ語でこれはなんと言うのか質問していくと、わからない単語がいっぱいで、周囲に聞いていました。ルクラから2日間の行程で下った村の出身というのでライ族かタマン族かも知れません。シーズンだけルクラに常駐してポーター仕事をし、それ以外はカトマンズで働くそうです。英語は基本的なことについて意思疎通できました。人柄もよく、まじめに働く好青年ですが、酒好きでお金を残すタイプではないかも知れません。チップは給金の5割以上あげました。
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パクディンの橋。パクディンで昼食しました。もうすでにけっこう足に来ています。4月にタメルで購入した革の登山靴は、靴紐を締め直す時に右足右側一番上のD環が吹っ飛び、同じく4月にポカラで買ったトレッキングポールは先っぽのゴムがいつの間にか外れ、石突がツルツル滑ります。一眼レフカメラを含め10キロの荷物も重たくなって来ました。
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トクトクの滝。ここでも休息。滝は山の稜線の天辺から流れ下っており、高さは何百メートルあるかわからないほど。
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トクトクからベンカール向かう途中はタムセルク6623mの好展望が続くはずですが、この日は雲の中。午後には雲が山にかかるようで、午前中も早い時間であれば展望はあるはず。
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参考ですが、こんな風景が見えるはずです。
TIMSカードですが、代理店のほうからはモンジョの国立公園のチェックポイントで取得できるという話でした。こちらもそのつもりでいたところモンジョの手前のチュモアの村にTAAN(トレッキング・エージェント協会)のチェックポイントができていました。掘っ立て小屋のような造りで建てたばかりのようです。気づかず通りすぎましたが、後から追いかけられTIMSカード所有の有無を聞かれました。ここで作成し(個人1人20ドル)、国立公園のチェックポイントで提出しました。場所は昔、ハタゴという日本人経営の宿があった跡(染井吉野が植えられています)のちょっと手前、右側です。 -
モンジョのロッジで。
モンジョのサミットホーム・ロッジには4時頃到着。トイレつきの部屋を要望しましたが、ナムチェから降りてきた日本人客で埋まり、4ベッドのファミリールームを借りる。2000ルピー。このロッジでは薪を燃やし食堂は温かかったものの、部屋は寒く、凍えました。 -
ロッジの部屋。タメルで買ったマイナス10度対応の寝袋は娘が使い、わたしのほうは厚手のインナーシーツを寝巻き代わりに。防寒帽をかぶり寝ました。宿の布団は1枚でしたが、これで大丈夫でした。寝袋初体験の娘は夜中、狭いベッドから落ちたそうですが、寝入っていて気づきませんでした。
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10月24日(水)。早朝、モンジョからは朝日に輝くクンビラ5761mが見えます。東方にはタムセルクの山頂付近もわずかに見えます。
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クンビラのズームアップ。クンビラも金比羅も語源がサンスクリット語で一緒。ごつごつして厳しい感じがします。
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ラージャ(ドバン)・ブリッジ。
モンジョの村からは国立公園チェックポイントから急坂を下って橋、ジョルサレの集落を過ぎるとまた橋、その後川原を歩いていくと前方にこの橋が見えます。この橋を渡るとナムチェへの坂が待っています。 -
トップ・ダラ。エベレスト初見参。
橋を渡るといったん階段で下がってから登り始めます。ジグザグに何度も行き返り高度を稼ぐうち中間点のトップ・ダラの休憩ポイントに到達。ここからの後半はトラバース気味に斜めに登る道で比較的楽になります。 -
ホテル・シェルウィ・カンバ。
12時にナムチェの入り口に。その後、メインストリートを通って、さらに坂道を登るところがつらかったです。空気の薄さを感じます。ポーターの知り合いのロッジで昼食を食べましたが、食欲はなく、ここで初めて持参のミソ汁ぶっかけ飯。シェルウィ・カンバは歩き方に掲載されていたメールアドレスにメールしたところ返事があり、一応予約をしました。撮影ポイントの国立公園本部のあるナムチェの丘(チョルクンの丘とも)に近く、写真撮影に便利ということで選びましたが、ナムチェの一番上のほうに位置し、最後の登りがきつかった。宿の前にはテント場があり、スイス人の一行がテントを張っていました。宿は比較的しっかりした作りで、部屋の機密性、トイレの作りもしっかりしていました。標高はナムチェが3440mですので、3500mぐらいあります。 -
部屋の中です。
夕方2時間ほどベッドで寝たのがまずかったのか、夜には軽い高山病の兆候が出ました。娘はまったく大丈夫でしたが、わたしのほうは軽い頭痛に吐き気がしてきました。夜中にトイレの鏡を見ると明らかに顔がむくんでいます。予定していた星空の撮影をする気は失せました。 -
サガルマータ8848m! 右はローチェ8516m。
10月25日(木)。
朝6時前に宿を出て近くの国立公園本部のある丘に行きます。ちょうどエベレストほかに日が当たり出した頃合で、360度、写真を撮りまくりました。 -
テンギラギタウ6943m。日は西側のクワンデ(コンデリ)のほうから当たりはじめ、眩しいくらいです。
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クワンデ6187m。
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これは雲に隠れたクンビラです。
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クスムカングル6367mからルクラ方面。
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北東の方角になります。右にはタムセルク6623mが近くに迫り、右向こうにアマダブラム6856m、左にはタボチェ6495mが門のように立ち、奥の院の主神を守護しているような位置関係。
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クンビラ5761mが顔を見せました。
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ホテル・シェルウィ・カンバからタムセルク。
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同じくシェルウィ・カンバからクワンデ。ナムチェからはクワンデとタムセルクが迫って見え、主役をはっています。シェルウィ・カンバには民俗資料館、写真展示室が併設されていて、ご主人の地元の自然、文化への愛着を感じさせます。ご主人は写真家で、素晴らしい山の写真を撮り、ポスターとして販売しています。
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前日までは、朝方シャンボチェに登り、エベレストビュー・ホテルまで行ってから引き返し、昼過ぎからナムチェを降り、モンジョまでという行程を予定していました。しかし自分の体調を考え自重し、朝からナムチェに別れを告げることに。少ない滞在時間ですが、無事に下山することを優先しました。
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ナムチェのロッジ街。余裕なく、その様子を探索することもありませんでした。
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トップ・ダラ。今日もエベレストが見えます。
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この日は9時に宿をスタートしたのですが、娘1人がナムチェのメインストリートのほうに下りたため、はぐれ、村のはずれで合流したのが10時。ジョルサレで昼食をとって、モンジョのチェックポイントに来たのが1時半頃。そこからチュモア、ベンカール、トクトクと経由してパクディン着が4時。これで翌日の距離が少なくなり、楽になります。
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10月26日(金)。今日はルクラへの最後の歩きです。
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タドコシから見るクスムカングル。
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沿道のコスモス。
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ルクラには1時頃到着。最後の登りは覚悟していたせいか、割と楽に通過。ルクラにはスターバックスがありました。宿でシャワーした後、早速入店し、訊いたのは、「本物?」。ニセモノでした。ただしコーヒーは本格的ですし、店内はガラス張りで籐家具。なかなかの雰囲気でした。記念に1200ルピーの高いマグカップを購入。
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10月27日(土)。カトマンズに帰る日。天気は最高です。
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飛行場では次々に離発着しています。
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わたしたちは5番機となり、泊まったナマステ・ロッジのご主人には10時半までに飛行場に来るよう言われましたが、その頃から風が強くなったようで、飛行場がクローズ。再開したのは3時過ぎで、自分たちが乗ったフライトは何と薄暗くなってきた5時ちょっと前でした。寒い飛行場内で長時間待ったせいか、カトマンズに到着した頃には熱が。
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10月28日(日)。風邪で体調が悪かったにもかかわらず、ネパール初体験の娘のためにバクタプル観光に付き合う。ホテル前のタクシーと交渉して往復2000ルピーで合意。このタクシー運転手、稀な安全運転で、人柄もよさそうなので翌日、翌々日と3日間お願いした。バクタプルでは4月に来た時に買わずに後悔した仏絵の店を再訪、今度は迷わず店主自ら描いた大ぶりの釈迦像と小さな曼荼羅絵を購入した以外は、観光客向けのレストランに座って娘を待っていただけ。
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タチュパル広場のこの店から
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下を歩く地元の人たちを撮影。
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たしかダットラヤ寺院の横の建物だったような。何とか王という説明を読んだ気がするが、あやふやです。
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ニャタポラ寺院。
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10月29日(月)。この日はカトマンズの西南に位置するキルティプルとパタンを回ってもらいます。キルティプルの町は小高い丘の上に民家が密集しており、不思議な景観を呈しています。
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キルティプル。東から西の方角です。
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キルティプルの町並み。キルティプルはサンスクリット語由来で、タイ語読みにすればキアットプラ。ガイドブックには車の進入禁止とありましたが、タクシーは坂道を登ってバグ・バイラブ寺院の前まで行きました。ここが2つの丘からなるキルティプルの鞍部で、西北の丘にはウマ・マヘシュワール寺院、南東の丘にはチランチョビハールの仏塔が建っています。
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「歩き方」に乗っていたネワ・ラハナの食堂でネワール料理を体験。
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食堂をやっているお兄さん。「歩き方」を見て、キルティプルの歩き方をレクチャー。
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キルティプルの街角。坂の町。
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ウマ・マヘシュワール寺院遠景。
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境内からはカトマンズとその向こうのヒマラヤが遠望できる。
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次にパタンにやって来ました。
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クベシュワール寺院。
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クベシュワール寺院。
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クベシュワール寺院。
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10月30日(火)。帰国です。
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この日も機上からヒマラヤが見えました。
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今回の旅行の目標は、第1にエベレストビュー・ホテルのテラスでコーヒーでも飲みながら景色を楽しみ、できればスケッチ画も描いてみたい、第2に近くのクンデ・ピークまで登り、ヒラリー卿のご家族を祭ってあるチョルテンを拝んでくる、というものでしたが、いずれも実現できませんでした。これもルクラ入りの飛行機が1日ずれ込んだため、ナムチェ1泊になってしまったことが大きかった。無理すればビューホテルまで行けたかもしれませんが、その後の行程が苦しくなること、自分の体調をかんがみれば判断は間違っていなかったと思います。
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