2012/11/03 - 2012/11/03
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montsaintmichelさん
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所用で東京へ行く機会があり、道草気分で新駅舎見物を試みてみました。TVなどでライトアップが紹介されていたので、夕景・夜景に果敢にもチャレンジしてみました。大正ロマンと近代建築の粋が調和した赤煉瓦駅舎は、新しく生まれ変わる東京のランドマークとして、スカイツリーと共に東京を牽引していってくれるものと期待します。
景観の秀逸さが先行する赤煉瓦駅舎ですが、復原にまつわるエピソードやドラマも沢山あるようです。オペラグラス的な目線で、丸の内駅舎の見所を詳らかにしていきたいと思います。随所に復原の秘話や東京駅の歴史などを織り込み、ストーリー性を持たせた紹介をしていきたいと思います。
皆さんが見物される際の参考になれば幸甚です。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線
-
東京駅 構内 丸の内南口付近
改札口へ向かう途中、レトロな煉瓦が目に留まり、歴史情緒を掻き立てられました。これは当時の壁面をそのまま駅の中に保存しているのだそうです。煉瓦は、国内初の機械式煉瓦工場があった深谷 日本煉瓦製造で焼かれ、英国積みされたもの。表面に凸凹があるのは、「漆喰」の乗りを良くするためにわざわざ人の手で傷を付けたそうです。手間を惜しまず仕事をされた当時の職人さんには頭が下がります。現在多く使われている化粧煉瓦とは違い、形にも風合いにも素朴な味わいや温かみが感じられます。
このように駅構内に遺跡を遺してくれたという心遣いには、素直に感謝したいと思います。復元作業で分かった創建当時の技術の高さ、先人の気概・矜持・心意気が今に伝わるのは、技術者へのエールにもなることでしょう。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
駅の出口で迎えてくれるのは、大正時代にタイムスリップしたかと思わせるような華麗な装飾が施されたドームです。これは、改札口手前から見上げた南ドーム。駅舎を写真に撮るというのは「お上りさん」になった気分で、羞恥心をまさぐられる思いです。ただ、同類も多いので励まされます。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
改札を抜け、いよいよ南ドームとご対面。
4階のガラス窓から光彩が差し込み、ドーム全体を柔らかく照らしていました。
オリジナルデザインに復原されているのは3階以上の壁面とドーム天井面で、創建時の意匠を忠実に再現しています。反面、1・2階は、復原部位の重厚と調和を図りながらドーム全体として歴史と未来を融合させた斬新なデザインになっています。3階のアールデコ調の窓、壁や天井の美しいレリーフの数々に匠の技がキラリと光ります。
また、随所に日本的なモチーフが使われています。西洋的な建物の中に和の心意気が入っているというのが、東京駅の特徴だと思います。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
柔らかなパステルカラーを基調とした色使いで、万華鏡を覗いた時のような優しい気持ちになれる空間に仕上がっています。天頂にあるのは、鉄道の起点ということで機関車の動輪を模した装飾なのでしょう。その中央には菊の紋章をデフォルメしたような文様があります。菊の文様の外輪には花飾りレリーフがあしらわれています。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
創建当時のレリーフの一部がリユースされています。黒い部分がオリジナルのレリーフで、強化剤を含浸させ、アーチレリーフに取り付けられています。創建時に嵌め込まれていた位置に戻された関係で、南ドームの一角でしか見られない希少価値の高いものです。
中央上部のレリーフは豊臣秀吉の兜のうち最も有名な「一ノ谷馬藺後立兜(ばりんうしろだてかぶと)」を模したキーストーンで、創建時の意匠だそうです。秀吉といえばこの兜が想像されるぐらい有名なもの。兜鉢の一ノ谷形は、摂津国一の谷の険しい嶮崖を表わしたもので、後立は菖蒲の一種「馬藺」の葉を象ったものだそうです。馬藺の葉を孔雀の羽のように放射状に配して日輪の光に見立てた装飾だそうです。
JR東日本によると「なぜ秀吉の兜なのか?」については謎だそうです。思い当たるふしは多々あります。①近代化を成し遂げた日本の矜持を示す、時代の意志の象徴。②秀吉が天下統一の狼煙として建造した凱旋橋 三条大橋が、江戸と京都を結ぶ大動脈 東海道の終点であることに因む。③東京駅の生い立ちは「天皇家の玄関」の意味合いもあったことより、日光東照宮の神輿舎よろしく、大政奉還による家康の呪いを恐れ、家康の主君である秀吉を祀り、家康の呪いを封じ込めようとした。等々…。勝手に想いを巡らせています。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
ドームの装飾は全般的にはヨーロッパクラシックスタイルの装飾ですが、意匠の一つひとつには日本の伝統が反映されています。8ヵ所のコーナーには、干支の方位によって八支のレリーフがターコイズブルーの円窓の中に浮かび上がっています。東西南北の干支、つまり、卯・酉・午・子は残念ながら省かれています。いずれも、ガラス繊維強化石膏製だそうです。モノクロで決して鮮明ではない当時の資料を基に、色や形などを丁寧に再現するのは気が遠くなるような作業だったことでしょう。中には、オリジナリティーを尊重し過ぎて、何の干支なのか分からないものもあります。
因みに、こちらは来年の干支の巳です。皆さんにご利益がありますように!
装飾落下のための安全上の配慮か、あるいは鳩よけなのか、黒いネットが張られているのが不粋です。今思えば、もう少しカメラの絞りを開放に近づけたらネットが目立たなくなっていたのかもしれません。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
剣のレリーフも創設時の姿に甦えらせたものひとつです。剣と東京駅の関係は何なのでしょう?この剣が、伊勢神宮の御神宝「須賀利御太刀(すがりのおんたち)」と仮定すると、天皇家繋がりが明確になります。元々、東京駅は天皇家用駅舎でした。
「須賀利」とは「姿が美しい」という意味。この太刀は、唐様の外装で柄に鈴が付く輪金が取り付けられたもの。そして2尾の金の鮒形が付きます。鮒形は、宮中に出入りする割符、つまりパスポートです。鮒形が飾りに変化する由来や起源は、古代中国やメソポタミア文明にまで遡る壮大なヒストリーがあります。また、太刀の柄には、国鳥 トキの淡紅色の羽根が2枚付けられるそうです。
一般的に三種の神器は「天叢雲剣・八咫鏡・八尺瓊勾玉」とされていますが、「それは俗説」と関西の某神社の宮司は喝破されています。八岐大蛇の尾から出てきた太刀の天叢雲剣(草薙の剣)が、伊勢神宮への奉納を経て最終的に倭建命の遺品で東夷の守りとして熱田神宮に奉納されているのは事実です。(本物は壇ノ浦の海底に沈んでいますが…。)また、伊勢神宮の内裏が何度も火災に会い、天照大神の神体とされる八咫鏡が焼け曲がっているのも事実です。故に、天皇即位式に必要なものは「須賀利御太刀・内侍所の御鏡・八尺瓊勾玉」なのだそうです。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
ドームのレリーフは、どれも細部にわたる美意識を映したものになっています。
これは羽根を広げた鳳凰のレリーフです。 -
東京駅 丸の内南口 南ドーム
復原前は板張りだった屋根が、見事なシルエットドーム形状に変身。威風堂々という形容が物足りないくらいの風格と存在感です。まさに東京メトロポリタンの表玄関、東京という街のランドマークにふさわしい面構えです。
設計者の名に因んだ「辰野式」と呼ばれる褐色の化粧煉瓦に白い花崗岩を帯状に配したデザインと、かっての大英帝国の繁栄時を彷彿とさせるヴィクトリア調のシルエットドームが特徴。
ドーム部や中央屋根には銅板が使用されています。かつては銅板全体に緑青が吹き出し緑色を呈していましたが、復原では無理に緑色に変色させたものを使用せず、10年ほどかけて自然な色合いにしていくそうです。銅板は少し、くすみ始めていますが、これから年月を重ねるにつれてさらに渋みを見せていくはずです。ここにも「復原」工事へのこだわりが見られます。 -
東京駅 南ドーム 時計
時計の直径は約1.5m、白地にローマ数字の文字盤です。
時計の下には、幅3m程の銅製のリボンが飾られています。 -
東京駅 南ウィング 南端角塔
南端(向かって右端)にある角塔の見所は、窓です。1・2階の窓は外壁と同じ面にありますが、3・4階は外壁から奥まった所に造られています。創建当時は、2階以上の窓が奥まった所にあったそうですが、戦災復興工事で3階以上が撤去され、2階の窓は外壁と同面に補修されました。復原では、2階は戦災後の復興工事の形を保存しています。東京駅の歴史を尊重する今般の復原の精神がこの塔の建造に現れている気がします。
日陰でしたので、カメラのホワイトバランスを晴天日陰に設定しています。空の青さが損なわれますが、煉瓦の色が自然になります。晴天設定では全体に青味がかり、見た目と異なる印象です。 -
東京駅 南ウィングから北側を望む
明治時代は「東京駅」という名称ではなく、「中央停車場」という駅名でした。欧州では主要な駅で「都市名+中央駅」という名称が多いのですが、日本では珍しかったそうです。初めに計画立案したのがドイツ人技術者だったからという説もあります。
ドイツ人バルツァーの案は日本人に引き継がれ、日本銀行本館の設計で名声を得、「日本近代建築の父」と呼ばれた辰野金吾に託されます。初めは予算の関係で平屋に近い設計だったそうですが、日露戦争の凱旋パレードが中央停車場前で挙行されることになり、「世界の一等国になった日本の中心の駅が2階建てでは小さい」との鉄道院総裁 後藤新平の一声で潤沢な予算が付き、3階建ての立派な駅舎になったそうです。英国ヴィクトリア朝の建築のエッセンスを取り込んだ、日本における近代建築の原点とも呼べる建物の誕生です。
1914年(大正3年)に、営業スタート。その時に駅名を「東京駅」に代えました。その後、1923年(大正12年)に関東大震災が起きますが、大きな被害はありませんでした。しかし、1945年(昭和20年)、太平洋戦争中の米軍空襲の焼夷弾により、駅の屋根などが焼失します。その2年後の1947年に戦災復興の2階建ての駅舎が完成します。 -
東京駅 南ウィングから北ウィングを望む
林章 著「東京駅はこうして誕生した」には次のように記されています。
東京駅一帯はかつて永楽町といわれ、江戸期には徳川一門の譜代大名の上屋敷が並び、権門を競っていた。だが、明治維新に伴う版籍奉還で、大名たちは国もとに引き揚げ、広大な屋敷群は空き家同然になってしまう。明治5年(1872年)和田倉門の旧会津藩邸から火が出て、明治期東京で最初の大火となるが、空き屋敷に住み着いた浮浪者の失火だとされている。いわゆる「明治5年の大火」で、火は丸の内から銀座、築地一帯まで34ヶ町を焼き尽くした。そしてこの大火は、それまで木造平屋の古い長屋が並んでいた銀座の街が、赤レンガ造りによる不燃建築の「銀座煉瓦街」へと生まれ変わるきっかけになった。西洋の街並みを模して道路の拡張舗装なども政府主導で進められ、欧風化が花開く銀座煉瓦街とは逆に、永楽町から丸の内にかけての一帯は焼け跡のままに放置され、「狐狸の棲み家」となっていたらしい。
その後、一部が陸軍省の所管になったが、対外戦争を意識して施設の移転を考えた政府は、その費用を捻出するためにこの一帯を売ることを決める。そこで白羽の矢が立ったのが、三菱社の2代当主岩崎彌之助。彌之助の子女は、当時の蔵相、松方正義の子息と結婚していた。松方の強い申し出で、岩崎側は結局10万余坪を128万円で購入する。これは、東京市の会計予算のほぼ3倍に当たる法外な値段だったという。 -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関
まさにロイヤルゲート。駅舎中央には、皇室や貴賓専用の入り口と待合室があります。戦前、天皇が東京駅で外国の要人を出迎えることもあったそうです。外国の大使は、着任すると中央口から馬車や車で出て、皇居に挨拶に向かうのが通例だったそうです。
バルコニーのような車寄せもあり、門まで行く事ができます。軽快な印象の入り口ですが、やはり門という一種の結界が我々庶民には近づき難い印象がしました。 -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関 車寄せ
実は天皇の貴賓室もあるそうです。極秘で一切公開されていませんが、第17代東京駅長を務めた木下秀彰 氏は、次のように証言しています。「陛下、国賓、公賓は駅長がお迎えし、貴賓室へのご挨拶、電車までの先導も行います。お仕えする者と駅長しか通れない通路があり、陛下は松の間に、国賓・公賓は竹の間という貴賓室にご案内します。外国からも国王、大統領、主席などいろいろな方をご案内しました」。
また、「都市伝説」もあります。中でも有名なのが「秘密の地下道」。「皇居からまっすぐに東京駅に続く地下道がある」というもの。地下道の存在の真偽は不明だそうですが、丸の内南口の東京中央郵便局と地下通路で繋がっていたのは事実だそうです。鉄道研究家の松本典久 氏曰く、「かつては旅客列車に郵便車と荷物車を連結して運んでいました。そのため郵便や荷物を運びやすいように地下通路でつないでいたんです。今は郵便には使われていませんが、地下道があるのは事実です」。 -
東京駅 赤煉瓦駅舎全景
明治以来、近代化の道を邁進した時代の「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」で始まる司馬遼太郎 著『坂の上の雲』を彷彿とさせるレトロな雰囲気を漂わせ、現代の表玄関として凛とした気品に満ちています。新駅舎は、全長335m、両端に高さ35mの英国ヴィクトリア調のシルエットドームを有します。駅舎自体は、2003年に重要文化財に指定されています。 -
東京駅 丸の内北口 北ドーム
旧駅舎には長さ4〜7mの松の杭が駅舎の建物の下に1万本打ち込まれていたそうです。駅周辺は地盤が柔らかいので、これで建物を支える基礎としていたのです。これが全長330mもあるにもかかわらず、関東大震災でもどこも沈んでいないことの理由だそうです。現代の技術者をうならせた技術だそうです。
復原された駅舎は、この木杭に替わって352個の特殊な巨大なゴムと158台のオイルダンパーを使った世界最先端の免震構造になっています。時代毎の最善の方法で建物を守っているという点が共通していますね。 -
東京駅 丸の内北口 北ドーム
復原前の庇(ひさし)は鉄骨とトタンを組み合わせた簡素なものでしたが、復原では化粧板を用いた本格的な「屋根」となっています。庇を支えるのは、アールデコ調の美しい装飾金具です。無機質な金属で出来ている筈なのに、暖かみを感じるのは何故でしょうか? -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関
駅舎はほぼ南北方向に縦長に横たわり、午前中はほぼ逆光、午後は早い時間帯から高層ビルの陰になるという、アマチュアカメラマンにとっては最難関の被写体です。実は、周りのビルが高層化しているのには訳があります。東京駅の赤煉瓦駅舎の復原には500億円かかりましたが、その費用を賄うことができたカギが「空中権」の売却です。建物は敷地の面積に応じて建物の大きさの上限が決められています。東京駅は高層ビルにすることができる場所にあり、3階建てに留めればその分容積が余ります。文化財に認められる特例制度を利用し、JR東日本は東京駅の「空中権」を売ることで工事費を調達しました。一方、周りのビルは遠慮なしに高層化することができたのです。 -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関
正面上部には、時計ではなく円窓が嵌め込まれています。
駅舎の屋根には天然スレートという粘板岩を薄く割ったものが葺かれ、丸の内側正面の一部に石巻市雄勝町産が使用されています。一部と言うのは、解体で丁寧に剥がされた13万5千枚の部材を産地の宮城県で再研磨して戻す予定でした。7万1千枚が東京に送り返された後、残りの6万4千枚の発送寸前に東日本大震災に遭遇し、津波でその大部分が流出。業者の方々は諦めず1枚1枚拾い集め、泥を丁寧に洗い落し検査の上、約4万枚が利用できたそうです。東日本大震災の復興のシンボルである『奇跡の瓦』が、東京駅舎の中央部前面や南北ドームの屋根を飾っているというのも感慨深いものがあります。足りない分は、止むを得ずスペイン産を利用したそうです。 -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関
うっかり見落としがちですが、「東京駅」と刻まれた石碑が正面右手に鎮座しています。オープンして1ヶ月経ちますが、石碑の前で記念撮影する人が引きも切らず、この撮影にはかなり時間を費やしました。 -
東京駅 ステーションホテル
駅舎の復原に合わせて進めてきた東京ステーションホテルの改装工事も完了し、10月3日にオープン。普段は出入りできそうもない場所ですので、人並みに流されて「お上りさん」に徹します。
日本の西洋式ホテルの草分け的存在であり、多くの文化墨人にこよなく愛されてきました。川端康成は、南口改札を見下ろす位置にある317号室に1ヶ月滞在し、「女であること」を執筆。同作品が原節子主演で映画化された際にも、ロケに利用されたことは有名です。また、209号室に滞在していた松本清張が、ホームを行き交う電車を眺めるうちに代表作「点と線」のトリックを思いついたエピソードも有名です。
デザインを担当したのは、英国ロンドンの名門 Richmond International。サヴォイ・ホテルの改装や、ヴェルサイユ宮殿のトリアノン・パレス&スパなど、世界各国のラグジュアリーなホテル&リゾートを手がける著名なインテリアデザイン会社です。洗練されたデザイン性と、クラシックエレガンスの融合した華麗さは、東京ステーションホテルの歴史と伝統を見事に現代に甦らせました。「時空の旅人」にストーリーを提供するのがコンセプトだそうです。 -
東京駅 ステーションホテル
3階部分の1泊約81万円の広さ173平方mのロイヤル・スイートを筆頭に、全150室の客室を備えます。金田文典 総支配人曰く、「ロイヤル・スイートには9月時点で既に10数件の予約が入っている」そうです。東京ステーションホテルのブランド力は、今も健在なのだと知らされました。 -
東京駅 ステーションホテル
さすがに館内のレストランは、満員御礼ウェイティング状態でした。
1階通路を廻っただけでしたが、「壮麗かつ重厚なクラシックテイスト」が各所に散りばめられていました。まさしく文化の香り溢れる空間でした。 -
東京駅 ステーションホテル
何事によらず、文学、映画、音楽、写真でも、人を惹きつける何かがある時、正直に言えば、その本当の理由は実はよく分かりません。でも、誰もが体験的に知っているのは、魅力を感じる瞬間には理屈は介在してないということです。論理を超えた右脳の直感で、心と身体が共鳴しているのです。もっともらしい理由は、全て後から付け加えられたものです。 -
丸の内 新丸ビル
三脚を携えたカメラマンから駅舎の撮影スポット情報をもらいます。
新丸ビルの7Fに、自由に入れるオープンテラスがあるそうです。ガラス張りでないのがカメラマンの垂涎の的だとか…。左の黒っぽい建物が、その新丸ビル。
行幸通りを挟んで丸ビルが対面し、こちらの5Fにもテラスがあるそうですが、ガラス張りのため写真撮影には向きません。
丸ビルと言うと大阪の丸ビルのように円筒状の建物を思い浮かべてしましますが、四角い何の変哲もないビルです。1〜7Fはショッピング施設、その上はオフィスとなっています。 -
丸の内 新丸ビル
1Fロビーの床のデザインです。3Dアートのような気品に満ちています。 -
丸の内 新丸ビル
6F通路にはキャンドルをイメージしたオブジェがあります。 -
丸の内 新丸ビル
トイレの入り口です。
絵画でも展示しているのかと思いきや、全て鏡でした。 -
丸の内 新丸ビル
アートギャラリーと見紛いそうなトイレの装飾。 -
丸の内 新丸ビル 7Fオープンテラス
とりあえず、場所の下見を兼ねて写真を撮りました。17mm(35mm換算25mm相当)広角では納まりません。パノラマ写真を合成しています。
ここからなら、夕景・夜景共にばっちりです。
意外にも結構広いオープンスペースが取られています。ビルの裏手からは、皇居方面も望めます。一等席ですので駅舎がリニューアル・オープンした頃は、満員御礼で入場制限もされていたのではないでしょうか?もっとも、地元の人しか知らないシークレット・スポットだったのかもしれませんが…。
因みに、右手手前に鎮座する円筒状の設備が、悪名高い換気塔です。横須賀線の地下駅などの換気のための施設ですが、丸ビル側から駅舎を眺めるとこの塔が邪魔で蹴飛ばしたくなると言われています。現在の技術でもっても、どうにもならなかったのでしょうね。 -
丸の内 新丸ビル 7Fオープンテラス
上から俯瞰する駅舎の容姿も乙なものです。
東京駅は煉瓦造ではなく、実質的には鉄骨造だそうです。1911年の鉄骨上棟時の写真から推定し、2m間隔で鉄骨が入っていることが分かったそうです。今で言うSRC構造です。駅舎竣工は1914年ですが、1945年、太平洋戦争で戦災に遭い、破壊され屋根が失われます。重要な駅でもあり、戦災復興として1日でも早く復興を遂げなければならないため、とりあえず4〜5年持てばいいとして、今まであったドームを解体し、多面的な屋根に変えて造られました。それが今般のリニューアルまで使われてきたそうです。
正直な所、今まで何十回と東京駅へ降り立ちましたが、駅舎を観たという記憶がありません。 -
行幸通り 皇居 和田倉門近くからのズームアップ
陽が傾くまで皇居外苑で時間つぶしです。
丸の内方面を振り返って見ると、銀杏並木が黄金色に色づき始めています。
こうしてみると、今でも八重洲側の開発工事が進んでいるようです。せっかくのリニューアルオープンも裏側がごちゃごちゃしているのが残念ですね。看板等の規制はなされないのでしょうか?さすがにライトアップ中は、電光掲示板の灯りはそれほど目立たなかったと思います。
写真を見て気づきましたが、貴賓玄関口の門にも秀吉の馬藺後立兜をデフォルメした模様らしきのもが添えられています。ドーム内の装飾といい、貴賓玄関口門の文様といい、秀吉との繋がりが鮮明です。そして、その門を割って天皇陛下が出入りされるわけです。門を割るというのには、何らかの暗喩があるのでしょうか?これも謎です。 -
皇居外苑 桔梗濠と辰巳(巽)櫓
正式には桜田二重櫓と呼びますが、何となく見覚えがあるのでは?皇居前広場の内濠(桔梗濠)から丁度良いアングルで撮影ができるため、映画やTVで江戸城と言えばここがよく映されます。
桔梗濠は、この左手奥の桔梗門から正面奥の大手門までを言います。 -
皇居外苑 桔梗門
皇居前に美しく広がる黒松の緑、その北西端にある桔梗門は、枡形城郭門と白壁の美しさをお濠の水面に映しています。正式には外桜田門に対して内桜田門と呼びます。これは、大田道灌時代の大手正門であったころから、瓦に施された当家の家紋の桔梗に因んでこの名で呼ばれ、今日まで親しまれています。 -
皇居外苑 皇居正門鉄橋
江戸時代の1614年に木造で架けられた時は二重構造の橋となっていました。これが、この橋につけられた「二重橋」の名の由来となっています。現在の橋は、明治宮殿造営(完成・明治21年)に当たり、錬鉄製の橋に架け替えられ、更に昭和の新宮殿造営(竣工・昭和43年)に先立って意匠などを余り変えることなく架け替えられています。
二重橋前のお濠の手前側に沿って設置されたブロンズ製の高欄(人止柵)にはギリシャ建築コリント様式で使われるアカンサス(ハアザミ)の葉から象られています。高欄は、明治21年に完成した明治宮殿へのアプローチとして造られたもので、平成8年に原型のまま改修されました。 -
皇居外苑 皇居正門と皇居正門石橋
正門の手前左右には各一名の皇宮警察本部の警備員が配備され、時々、規則正しい行進挙動で左右の警備員が入れ替わります。日本の顔として、気を引き締めて儀仗勤務にあたられています。 -
皇居外苑 皇居正門と皇居正門石橋
「皇居正門石橋」は、明治20年、明治宮殿が竣工する前年に完成しました。石造りアーチ橋で、花崗岩が使用されています。アーチ部の表面を粗く仕上げ、側壁や脚柱部は切石を使って変化をもたせた西洋風で、特に照明灯や高欄は西洋建築の意匠が採用されています。 -
皇居外苑 正門石橋
橋の上方からは優美な伏見櫓が目に飛び込んできます。皇居正門石橋の西欧的な建築美と日本の近世城郭美が融合し、観光名所となっています。
右奥に見えるのが伏見櫓です。二重櫓の両袖に多聞櫓(防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの建物)を備えています。この形は、ここだけに残されたものだそうです。伏見櫓の名称は、豊臣秀吉が京都伏見に築いた伏見城を取り壊し、その一部を使用したという言い伝えによるものです。多聞櫓は、戦国武将の松永久秀が11559年に築いた大和(奈良)多聞山城の櫓が始まりといわれています。
陽もだいぶ傾いてきたので、急ぎ足で新丸ビルへ戻ります。本日の日没時刻は、16時45分頃なので、その30分前にスタンバイしておくと余裕が持てます。大阪と比べると20分位早いです。改めて距離感に驚かされます。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス
テラスに着くと、すでに数人の三脚部隊が特等席の陣取りをしていました。
三脚が無くても手すりがあり、そこでレンズをホールドできるので手振れはある程度抑制できます。ISO感度をノイズが目立たない3200(機種によって異なります)まで上げ、シャッタースピードを速くすれば手ブレは問題ないでしょう。
いい色合いで赤味がかってきました。立ち並ぶ高層ビルのために日陰となり、直接夕陽を受けないのがもったいない気がします。当方のような、景観を楽しむために立ち寄る者にとって、「空中権」売却と言うのは「凶」でしかありませんね。背に腹は代えられなかったのでしょうが…。 -
新丸ビル 7Fオープンテラスから北ドーム
背後の高層ビルが夕陽を浴びて輝いています。セピア調でノスタルジアを醸す演出効果抜群の景観です。錦繍の余照とはこうした情景を指すのでしょうか。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス
日没と同時にライトアップが開始され、21時に消灯されます。
暮れなずむ薄紫空の色と赤煉瓦の駅舎がハーモニーを奏でるプロローグです。幻想的な雰囲気を醸し出しています。
ライトアップは、「和やかな景色」をコンセプトに、東京国際フォーラム、六本木ヒルズ、JR京都駅で実績を持つ照明デザイナーの面出薫 氏のデザインになります。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 北ドーム
高層ビルにも明かりが灯り出しました。
ノスタルジアな風貌の駅舎と高層ビルが異次元空間を演出します。
駅舎は2003年に重要文化財に指定されたため、照明器具は目立たないように建築物と一体化しています。駅舎全体をライトアップすること自体珍しいですが、オフィスビルばかりのこの街に温かな街の風情を感じさせ、街に潤いを与えている気がします。オフィスから眺めることで、息抜きやストレス発散に繋がればいいですね。
照明器具は三菱電機製のLEDを採用し、白色・黄色の組み合わせと、赤色・緑色・青色を組み合わせた2種類があり、季節やイベントに合わせて使い分けています。照明は日没と同時に点灯し、21時の消灯に向けて徐々に照度を落としていくそうです。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 南ドーム
背後の高層ビルの灯りと夕陽の照り返し、パープルが滲んでグラデーションを彩る空とライトアップされた赤煉瓦の駅舎のコラボレーションです。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 丸の内駅舎 貴賓玄関
背面には高層ビル建設用のクレーンが何本も立ち並んでいます。いずれここにも、新しい高層ビル群が立ち並ぶのでしょうね。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 夕景パノラマ
ブルーモーメントと言うか、クライマックスというか、最高の絵図らです。
日没後の限られたこの時間帯は、至福のひと時です。夜景もいいですが、日没からブルーモーメントに至るドラマチックな景観をじっくり堪能なさってください。
ただし、吹曝しのオープンテラスですので、防寒の準備を忘れないでください。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 北ドーム
刻一刻と表情を変える被写体。静の中にも動が垣間見れます。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス
超高級な大人のスペクタクル空間を堪能した気分に浸れました。
東京駅周辺の壮大なプロジェクトのコンセプトは、「通過する駅から集う駅へ」です。新駅舎はその第一幕に過ぎません。八重洲方面の開発なども楽しみにしたいと思います。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス
振り返ると、裏手にはこのような芸術的な夕景が展開されていました。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス
何気に左手のビルの谷間をよく見ると、富士山が夕焼けを背に影絵のように映り込んでいます。東京からも空気が澄んだ日には富士山が望めると聞いたことがありますが、これほど大きく見えるとは驚きです。
そして、左のビルの下には、見覚えのある三角錐のプロフィール。そうです、国会議事堂です。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 夜景全景
夜の帳が降りると、こんな具合にしっとりした大人の表情に変身します。 -
新丸ビル 7Fオープンテラス 北ウィング
スカイツリーと並んで人の記憶に残る場所であり、東京という街のランドマークになり得ます。それだけ日本人の心に強くインパクトを与えている存在が東京駅なのだと思います。名実ともに旅する人に郷愁を偲ばせる駅舎になってほしいと願うのは、当方だけではないと思います。 -
丸の内イルミネーション
丸の内から有楽町まで1.2kmにわたり、約101万球のエコ・イルミが煌めいています。今年は駅舎のリニューアルオープンに合わせて例年よりひと足早くライトアップをスタート。丸の内オリジナルのシャンパンゴールドの輝きで、街を訪れる人々の心を温かく照らし続けています。
今は、街路樹がまだ落葉していないので灯りが疎らで少し物足りなさを感じました。それと交通量が多いので、車のライトが邪魔です。じっくり味わうのは難しいかも…。撮影ポイントは行幸通りに設けられた広場からがお奨め。車止めが、手振れ防止に役立ちます。ここは、撮影スポットと言うよりもデートコースなのでしょうね!
画像編集メニューのクロススクリーンを使って、少しだけ華やかさを演出してみました。 -
東京駅 南ドーム
今度は地上から迫ります。手持ち撮影ですので、手振れをご容赦ください。 -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関
昼間とは違った顔をしています。 -
東京駅 丸の内駅舎 貴賓玄関
建築物を見れば、建てられた当時の社会情勢や工業技術力まで想定することができます。建築物は時代を映した鏡と言えます。さらに、過ぎし時代をありのまま語ってくれる「証人」でもあることを忘れてはならないと思います。 -
東京駅 南ウィング
駅舎全体をライトアップすることは大変なことですので、頭が下がる思いです。また、LEDを採用したのはメンテナンスフリーで正解だと思います。
ところで、米国では電球が頻繁に壊れ、品質が良くても同じだそうです。原因は、電圧変動です。こうした環境で使うならば、寿命は短くてよく、安いのを常備するのが生活の知恵です。ところが、日本の製品は、米国においても品質に拘ったものを販売しているそうです。
同様に、日本の電力会社は安心・安全に電力供給してきたことを強調します。「停電で電力供給が停まる時間は、日本:7分/年、米国:2時間/年となっています」と…。 でも、電力料金は、家庭用が米国:9円/kW、日本:25円/kWと2.5倍。産業用も2倍以上の差があり、これは安定的供給に費やすコストの差です。どちらが良いのかは個人の価値観で異なるでしょうが、低料金の電力の方が社会全体から要望されているのかも知れません。例えば、病院のような命に係る施設では、すでに自家発電で万が一に備えています。しかも、電力会社のこうした努力は、東日本大震災に伴う原子力発電所の事故や稼働の停止によって、水泡に帰すことになったのですから…。 -
東京駅 南ドーム
昼間の彩光を浴びたドームとは違った雰囲気に変身していました。夕焼けやブルーモーメントの時間帯には、4階の小窓から空の色彩がドーム内部へ滲んでいたのでしょうね。
ドーム内部の復原で最も苦労したのは、往時の色彩の再現だったそうです。竣工図や写真はすべてモノクロ。色を表現した資料を探し、他の建築からの類推も含めて、丁寧に色を探る作業を続けたそうです。窓から潤沢に降り注ぐ陽射しを受けて軽やかに踊るような色調は、重厚な建築物と対比してみると一層味わい深さが感じられます。 -
東京駅 南ドーム
ドーム内部に設置された照明だけだとこんな具合です。インパクトになる漆喰の白色が薄れてしまいました。 -
東京駅 南ドーム
ドーム下の八角コーナーには、左を向く八羽の勇猛な鷲のレリーフが復原されています。和のイメージを意識した幅2.1mの大鷲は、稲穂をつかみ、両翼を広げ、細部にわたって躍動感に満ち溢れています。多くの旅客人が通過していくドームの最上部にあるため、安全性を考慮して部分欠落することのないFRP樹脂で作られているそうです。
照明のせいで黄色を帯びていますが、本来は純白です。昼間撮ったものはピントが甘かったので、こちらをアップしました。 -
東京駅 南ドーム
上部の歴史的空間と下部の現代的空間を繋ぐ役目を果たしているのが、オリジナルのデザインにヒントを得た柱頭。そこから延びる飾り梁と共にアルキャストと言う現代材料で造られ、2012年の刻印が刻まれているそうです。 -
東京駅 南ドーム
名残は尽きませんが、新幹線の発車時刻が迫っています。後ろ髪を引かれる思いで帰路に着きます。まだ見ていない所が沢山ありますが、次回の楽しみにとっておきたいと思います。こうして東京駅の歴史や復原の秘話、意味を知って駅舎を見渡すと、感慨深いものが込み上げてきます。
日本の技術者の矜持の琴線に触れた思いです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
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