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ネパールは、今回も女房とその姉妹3人を引き連れての旅で、かなりの幸運にも恵まれて、実に面白くて楽しかった。<br />航空券の購入は2011年12月中旬で、そのルートは、<br />関空⇒上海⇒昆明⇒カトマンズ⇒昆明⇒関空、<br />成田⇒上海⇒北京⇒昆明⇒カトマンヅ⇒昆明⇒上海虹橋⇒上海浦東⇒成田<br />となっていた。<br />中国東方航空は安いのだが、昆明で一泊が必要なスケジュールになっている。そこで、帰路昆明で2泊として昆明観光も考慮して、昆明の宿の予約を取り、交通方法も調べていたが、魚釣島の問題で、日本人が集団暴行を受けるような事態になり、しかも、2012年6月には昆明空港が市街部から遠くに移設になったこと、それに、空港周辺には宿泊施設が無いことを知ったので、宿の予約は全て破棄し、帰路の観光も諦めた。下手に市街部に宿泊して、タクシーの乗車拒否に会えば、日本に帰れなくなってしまう。そのため、代理店に連絡すると、気持ちよく対応してくれて、帰国便を一日前とし、しかも、帰国ルートも、帰路 カトマンヅ⇒昆明⇒上海浦東⇒成田、と簡単になった。<br />宿の予約は、Agoda と TripAdviserを使って簡単に行えたが、ナガルコットの雲海荘はなぜか返信が遅く、当初は、バクタプールからの日帰りも考えた。が、6月ころに連絡が取れて、一泊することとした。が、現地でもオーナーの民子さんと会うことはできず、彼女が病気でないかと心配している。<br />ここまで計画しても、旅の前には心はブルーになってしまう。旅に慣れるほどこの傾向は強くなったが、ひょっとすると、それは歳のせいかもしれない。<br />今度の旅で心配したのは、服装だ。日本の9月に急に寒くなったことから、余計に心配になり、寒さ対策を強化した。が、実際には秋の服装にセーターで十分で、昼間は秋の服装でも暑すぎた。持参の寒さ対策は全く無用であった。結局、昆明空港の夜が最も寒かった。おかげで、日本に帰ったときにはその寒さで風をひいてしまった。ネパールの気候がいかに過ごしやすいかってことでもある。<br /><br />航空便やその他情報としては下記がある。<br /><br />関空発昆明行は、上海までと、上海〜昆明が同じフライトNOで、行も帰りも、関空⇔昆明の乗客は特別扱い(大阪発の人だけ、往路、復路共に上海空港で一まとめで行動)だが、昆明⇔東京の乗客は、復路では荷物はスルーできるが、国内線⇒国際線の扱いになる。つまり、往路昆明では、関空発の人は国際線用荷物受場、東京発の人は、上海⇒北京⇒昆明の場合、国内線用荷物受場で荷物を受け取ることになる。但し、東京の人も、東京⇒上海⇒昆明の場合は、国際線荷物受場になるだろう。つまり、上海経由で最初の国内空港までは国際便扱いとなるってことだろう。当然だが、国内線荷物受場と国際線荷物受場は仕切りで分離されているので、気をつける必要がある。復路の昆明では、関空へ行く人は、国際線でチェックインして、国内線departureから搭乗だが、同じ飛行機に乗る東京行の人は国内線でチェックインですが、荷物はスルーで東京なので、国内線のSpecialCare(多分国内線カウンターの通常のカウンターの向かい側にある)でチェックインとなる。<br /><br />で、成田発の僕夫婦は、上海では、北京の看板を持つ女性に連れられて入国審査、セキュリティを終えて、上階に上がるともう北京行きフライトのゲートAREAであった。北京空港に着くと、上海で乗込んだ人とは別に東京発の人だけで国際線荷物受場に向かう。北京からは国内線でのチェックインで、汚い国内線DEPARTUREでチェックイン時間を待った。(中国でのtransitに慣れてから考えると、北京で荷物を取ってから、外に出ないで、TransitCounterに戻り、そこで昆明への国内線<br />にチェックインするルートもあったのではないか、と思う。でも、空港を探検するには出る必要はありますけど)<br /><br />東方航空は遅延が常態化しているようで、行も帰りも一時間以上遅れた。<br />昆明では空港内で夜を過ごした。昆明空港3階DEPARTUREでは、なが〜いチェックインカウンターの両端には、それぞれかなりの数の椅子が並んでいる。が、固くて肘掛付きの椅子が多い。入口側(空港に向かって)から見て、左側(国内線カウンターの外側)の椅子は硬い肘掛け椅子で、その辺りは、なぜか風で寒い。<br />4階はレストラン街(departure階からメゾンになってる)で、左側(国内線)と右側(国際線)に分かれていて、大体9〜10時には閉店となる。国際線側の奥の方に柔らかい長椅子があり、ここが過ごし易い。但し飲食禁止だ。<br />空港の係員数名もここで夜を過ごしているが、連中は飲食や喫煙を平気でやる。そういえば、上海⇔昆明機内で、乗務員も乗客も後方乗務員室で喫煙をしてるようで、とてもくさい。空港には朝4時半頃から続々と乗客が詰めかけてくる。中国人は、我先思考のためかなりマナーが悪い。それに、空港従業員でさえ英語は使えない人が多く、中国国内旅行はかなり難行するだろうと想像できる。で、中国への旅行にはちょっと意欲を失ってしまった。<br /><br />1階(表示ではB1Fらしい)の入口から見て左側の端には、ケンタッキーがあり、ここは24時間営業で、本空港での待合せには最適の場所だ。<br />朝には朝食メニューがある、が、上の寒いところと同様に寒い風が流れる。<br /><br />なお、昆明市内へのバスは、夜中の2時ころまで運転していて、1号線と2号線とが稼働中のようだ。が、バスは市内では循環式なので、往路と復路のバス停が異なるので要注意だ。<br />ATMは3階に24時間対応のがある。<br /><br />2012年<br />10月17日、<br />日本発で関空から2人、成田から2人が出発した。大阪Gは、容易に着いたが、成田Gは、先にも書いたが成田⇒上海⇒北京までは、ひとまとめ扱いだが、北京空港では注意していないと、ひとまとめ扱いから離脱しそうになる。北京の国際線荷物受場で荷物を受け取ってからは、北京⇒昆明は完全なる国内便となる。北京空港ではかなりの時間を持て余した。今回の経験からすると、中国東方航空は、かなり時間が遅れるようで、24時前に昆明に着く予定が夜中の1時近くになり、大阪Gも1時間程度遅れ、結局待ち合わせのケンタッキーで2時近くになり全員が揃った。帰路もかなり遅れたことからすると、東方航空は慢性的に遅れることと考えるべきだろう。<br /><br />10月18日<br />チェックインカウンターに2時間前に行ったが、もう、人でいっぱいであった。油断であった。おかげで窓際の席が取れず、ヒマラヤを十分にエンジョイできなかった。が、この経験から帰路のフライトでは充分にヒマラヤの素晴らしい眺めをエンジョイした。<br />カトマンヅの空港は中国の空港に比べればかなり貧相だが、人々が友好的なので、より過ごし易い空港である。出口を出た所にTAXI受付があり、ここから既に値段交渉が始まる。しかし、こちらは4名とおおきな荷物、しかも、ナガルコットへの途中で、BAKTAPURのホテルに荷物を置いて行くとのハンディがある。で、2600RSで合意した。がRSを所持していないのでATMを教えてもらって、先ずは現金の準備だ。ARRIVALを出て右側にDEPARTUREが有るが、その中間にATMがあった。が、故障中であった。外に出ると、「何か助けようか?」と言うのが居て、DEPARTUREのまだ先のビルの向こう側まで連れていってくれた。1ドルをあげると喜んでいた。彼の態度からすると、ネパール人ってほんとに親切で大人しく、押し付けがましくない連中だ。いっぺんに好きになってしまった。<br />車は、この国の殆どがインド製のスズキで、その軽を4人乗れるように改造した車であった。2600RSにしては、相当の距離と悪路を経て目的地に着いたが、途中でBAKTAPURのホテルに荷物を置いた。市の観光チェックポイントで観光料を支払い、一週間有効のハンコも押してもらった。<br />10月19日<br />早朝から起きてヒマラヤを眺めたが、霧が多くランタンの峯がうっすらと見えるだけだった。同宿の女性達は展望台に行ったが、そこでは雲の上に美しいランタンが見えたとのことで、がっかりした。が、気を取り直し、チャングナラヤンへのミニトレッキングに出発した。素晴らしく楽しいミニトレッキングとなった。<br />地球の歩き方の関東マップの裏側に地図があるが、ナガルコットからBAKTAPURへのバス道で、道が北側に向かい、360度方向転換している所が2箇所ある。そのナガルコットに近いほうが警察署で、BAKTAPURに近いところが、地図にはnagarkotphediと書かれている。<br />トレッキングルートは、この突出した場所を東西に結ぶようにあり、ただ、nagarkotphedi(現地ではTelkotテルコット と称している)のちょっとナガルコット側でバス道を歩くところがある。このTelkotにはバス停留所があり、Baktapurからのバスがここと往復している。ここでは食事も出来る。トレッキング道は更に西側に登り道となる。そこを登りきると、このルートで、特に左側の眺望が美しい稜線歩きとなる。道はそのまま西に続き、BAKTAPURとチャングナラヤンを結ぶバス道に達する。バスは頻度高く通り、手を挙げれば止まってくれる。BAKTAPURまで40RSであった。BAKTAPURへのバスは、街の北側のTouristBusPark辺りで下ろされてしまった。そこから街へは道が南に向かって2本に別れているが、街に向かって右側(西側)の道を進んで行くとダルバール広場に至る。<br />ところで、トレッキング道の殆どは村の家々の間を通る道で、時期はちょうど国家的祭日のダサインであり、多くの人々が仕事を休み着飾っていた。多くの子供たちが凧揚げに興じていた。<br />10月20日<br />とにかくこの国は食事はうまいし、ホテルも食事も安い。楽しい旅だ。ホテルでもらった地図で、街の南側を走るAranikoHighwayのSuryavinayakBusStationに向かった。早朝から、と言うか、早朝の宮参りなのか、街中が着飾った人で溢れている。交差点の道路南側にBusTerminalがあるようだが、南側はカトマンズ方面だ。北側、交差点の少し西側にBasu停留所があり、次々とバスが来る。大声でドゥリッケル?と聞き、そうだと答えるバスは人でいっぱいで乗れるものではない。祭りで帰郷する人でいっぱいなのだ。あきらめて、道路を渡って右角のTAXI乗り場でドゥリッケル?と聞くと1000RSだと答えた。OKって言うと、乗合待ちの乗客は降ろされて僕らが乗れた。<br />ドゥリッケルのBusTerminalで降りたが、道路の状況は地球の歩き方に記載されたのとかなり違っている。グーグルマップ等で調べると、地球の歩き方の地図の、ゲートの辺りにBasuStationがあるようで、カーリー寺院へは、そこから南下する街中道を通り、池と言うか小さな貯水槽の所で左に曲がれば道なりに寺院の山の麓に至る。長い階段を登れば頂上に至る。頂上に展望台があり、ここから、ナガルコットで見られなかったヒマラヤの展望を見ることができた。想定外の展望に大感激となった。階段の途中に黄金の仏陀があったが、どうもきらびやか過ぎるのでこれは見学を省略した。パナウティへのハイキングも有名だが、8時間のハイキングは連れている老嬢達にはちょっと無理だろうと、省略した。次回単独行の時としよう。<br />階段の途中にあったレストランで食事をしたが、まぁまぁの味で、4人で300RS余りであった。<br />帰路はバスで楽しい旅となった。途中の街々は祭りを楽しむ人々でごちゃごちゃのありさまで、不思議なことに、車掌は時たま車内から消える。が、それは、天井上の乗客から集金しているのであった。Baktapurに近づいて、何とも読みにくいSuryavinayakBusStation と言うとちゃんと停めてくれた、と言うか、このLINEではかなり繁華なBusStationで止まるのが当然のStopでもあった。35RSであった。<br />Baktapurの街も人人人って有様で、すごい状況だった。ATMもちゃんとあり金を補充した。<br />今回は2回20,000RSの交換と、手持ちのEURの交換とドルでの直接支払いで済ませることができた。<br />老嬢達を宿に置いて、ATMで金の調達後、街の西側を探索する途中で、単車数台の安全祈願で山羊を生贄にする儀式にであった。かなり激烈な儀式だ。どうやら、ダサインとは生贄の行事が主体の祭りらしい。市内の肉屋でも、肉屋らしからぬ家の屋台でも、方々で山羊や水牛の解体が行われ、それらの首や死体がごく普通に見られる。それが、この国の常態ってことだろう。<br />10月21日<br />本日は午前中を市内観光で過ごした。BAKTAPURはネパールの京都と書かれているが、確かに古い王宮、寺、街並みが美しい。祭り最中で人、人、人だが、それでも気持ちが落ち着く街だ。<br />TAXIをホテルに頼んでいたが、来る時と同様にスズキ改造型であった。運転手は間違うことなくタメルの例の有名なホテルフジの手前のHolyHimarayaHotelに着いた。今回は各ホテルともに過ごし易いホテルばかりであった。<br />ホテルのことをまとめておくと、雲海リゾートは各階で値段が違い、我々は最も安い1階で21ドル/部屋・日。BaktapurのVajraGuestHouseは一泊36ドル/部屋・日で、停電になると部屋と風呂に非常用ソーラー電灯がある。カトマンズのHolyHimarayaHotelは、50ドル/部屋・日で朝食付き、非常用発電機が装備されていた。<br />カトマンズでの食事は、ずっとTamelにある日本食レストランで過ごした。<br />Tamelの基準ポイントは、TrideviMargのタクシー乗り場が良いだろう。TaxiにTamerlのTaxi乗り場と言えば行ってくれる。とにかくTamelって本当に過ごし易い所だ。なんでも買おうと思えば揃っている。しかも安い。それと、インドのように道に牛の糞が積もっていることもなく、相対的に清潔なのが良い。<br />日本食レストランふる里で昼食後、地球の歩き方のカトマンズの旧市街を歩くお薦め散策コースに従って、ダルバール広場に向かった。祭りのせいで、人、人、人の有様であった。<br />ここも素晴らしい建物が並んでいて感心しながら歩いていると、ハヌマン像の所から<br />パレード隊が次々と楽隊に合わせて行進を始めた。それほど規律高い行進ではないが、それが却って、親しみやすい建物や人々と調和して感動させるものであった。<br />JagannnathTempleの階段の高い所から見ていると、ガイド志願の若者が押し付けがましくなく説明してくれて、「隊列は夕刻に戻るだろう。23日には生贄の儀式が盛大に行われる」と説明してくれた。別れ際にお礼を1ドルあげた。<br />10月22日<br />ホテルの前のTaxiと交渉して、Patanに行くこととした。Taxiの中で思いついてカカニ往復も契約した。ダルバール広場、それにGoldenTempleなど、Patanの街はなかなか素晴らしかった。その後、カカニへの道路は、ほぼカトマンズから北上して、右手に美しい盆地を眺望しながらの旅となる。どう見てもヒマラヤ眺望を期待できない景色の中を、まぁいいや、遠足気分を楽しもうと精一杯にはしゃぎながらの旅であったが、峠に到達すると、ヒマラヤの遠景が一気に見えた。運転手は更に上を目指し、別荘のような建物の近くの眺望の良い場所に連れていった。どう考えても、その別荘の方からの眺めが良さそうなので、運転手に、あそこに行けないか?と聞くと、聞いてみる、と行き、直ぐに我々に来るようにと手招きした。結局、そこは旅館兼レストランであった。そこの芝生の庭から先は急坂で、広い盆地の底までみえる、その向こうの山の、さらに向こうに壁のようにヒマラヤが遠くそびえていた。後から考えると、運転手の作戦にはまったかとも思えるが、それは素晴らしい場所で、このような場所に再び来れることが無い様な最高の場所であった。食事もうまく、実に素晴らしい経験だったので、運転手には感謝こそすれ怒ることなんて全く考えられない。ホテルの前に無事に帰還し、明日、運転手は家に戻りダサインを祝うとのことなので、チップをはずんであげた。<br />どうやら今回の旅では、毎日が喜ばしいハプニングがあり、それも、毎日その喜ばしさが増すようなハプニングが起こるようだ。<br />10月23日<br />ガイド志願の青年から、今日は、大掛かりな生贄の儀式が有ると聞いていたので、ダルバール広場を再訪した。ダルバール広場の方々に水牛や山羊が配置されて生贄の儀式の準備がなされていた。その一箇所の前のTempleの階段上に待機していると、かなりいかつい顔のガイドらしき人物が近寄り、あれこれと話し始めた。自己紹介によると、Mr.ビルバール tel 0977(国)9841379868 E-mail ilam_namsaling@yahoo.co.jp <br />って人で、結局かなり信頼できる人物で、日本語、ひらかな、カタカナも大丈夫な人であった。この国でガイドが欲しいと思う人は是非相談されればよい。で、例の如く、ガイドさせろと言うのではなく、なんとか自然にそうなるようにと持ちかけるのだが、こちらは、それに乗らない。なぜか、時間を気にしていたが、突然、軍隊の儀式に行かないか?と言い出した。結果として判ったが、既にその儀式は始まっていて、早く行かないと終わってしまい、しかも、そこの観覧席は外人とそのガイドしか入れないシステムになっているのだ。で、当方のガイド依頼を諦めて、我々に提言してくれたってことなのだ。そこでは、軍隊の兵が7箇所の円を描いたところに別れて、次々と山羊と水牛を生贄として刀で首をかっきる儀式であった。ガイド氏の説明では、神と悪魔の戦いがあり、負けた悪魔が地底に閉じ込められているが、ダサインの時期に山羊と水牛に乗り移って地上に出ようとするらしい。悪魔が乗り移ると、山羊や羊は体中を震わせるので、実は水や花びらを山羊や水牛に振りかけるので、必ず全身を震わすことになるのだが、悪魔の乗り移りが判り、その瞬間に楽隊は音を高々と擧げて、すごく体格の良い首切りの兵士が刀を振り下ろす。その瞬間にも、空砲が数発放たれるって、凄い儀式であった。1時間ほどもして全ての山羊と水牛の生贄儀式が終わった。ガイド氏に10ドル進呈することで、双方ともに満足できた。<br />なんともはや、毎日、毎日、思いがけないハプニングが続く。素晴らしい旅だ。<br />一旦宿に戻り、一休み後に旧王宮に向かったが、休館だったので、DreamGirdenを散策した。<br />10月24日<br />午前中はボダナートに行き、午後はKirtipurを訪問した。Nepalの街はそれぞれに、何かしら懐かしいものを持っていて居るだけで心が落ち着くのは何故だろうか。<br />10月25日<br />カトマンヅからの帰路航空便は左翼窓際を取り、ここでも、ヒマラヤの素晴らしさを満喫した。後は、遅れまくる東方航空で疲れる帰路であった。しかしながら、その艱難辛苦に耐えることで、ネパールの空港関係者やネパールの人々、それに、その街街の良さをより感じることが出来たし、それに、旅の費用は、全て込で一人10万円以内に抑えることができた。これはやはり、中国東方航空の大きな魅力ではある。<br /><br />日本に帰り、夢の中で起きているより流暢な英語を寝言で喋っていて、昼は石油ストーブで温まりながらネパール旅行の楽しかったことを思い出している。いやいや、楽しかったですわ。次は11月8日から17日まで大阪で、1月末はマレーシャ単独行です。<br />

素晴らしいネパール旅行、その人々と街とヒマラヤ絶景

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2012/10/07 - 2012/10/26

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isabon

isabonさん

ネパールは、今回も女房とその姉妹3人を引き連れての旅で、かなりの幸運にも恵まれて、実に面白くて楽しかった。
航空券の購入は2011年12月中旬で、そのルートは、
関空⇒上海⇒昆明⇒カトマンズ⇒昆明⇒関空、
成田⇒上海⇒北京⇒昆明⇒カトマンヅ⇒昆明⇒上海虹橋⇒上海浦東⇒成田
となっていた。
中国東方航空は安いのだが、昆明で一泊が必要なスケジュールになっている。そこで、帰路昆明で2泊として昆明観光も考慮して、昆明の宿の予約を取り、交通方法も調べていたが、魚釣島の問題で、日本人が集団暴行を受けるような事態になり、しかも、2012年6月には昆明空港が市街部から遠くに移設になったこと、それに、空港周辺には宿泊施設が無いことを知ったので、宿の予約は全て破棄し、帰路の観光も諦めた。下手に市街部に宿泊して、タクシーの乗車拒否に会えば、日本に帰れなくなってしまう。そのため、代理店に連絡すると、気持ちよく対応してくれて、帰国便を一日前とし、しかも、帰国ルートも、帰路 カトマンヅ⇒昆明⇒上海浦東⇒成田、と簡単になった。
宿の予約は、Agoda と TripAdviserを使って簡単に行えたが、ナガルコットの雲海荘はなぜか返信が遅く、当初は、バクタプールからの日帰りも考えた。が、6月ころに連絡が取れて、一泊することとした。が、現地でもオーナーの民子さんと会うことはできず、彼女が病気でないかと心配している。
ここまで計画しても、旅の前には心はブルーになってしまう。旅に慣れるほどこの傾向は強くなったが、ひょっとすると、それは歳のせいかもしれない。
今度の旅で心配したのは、服装だ。日本の9月に急に寒くなったことから、余計に心配になり、寒さ対策を強化した。が、実際には秋の服装にセーターで十分で、昼間は秋の服装でも暑すぎた。持参の寒さ対策は全く無用であった。結局、昆明空港の夜が最も寒かった。おかげで、日本に帰ったときにはその寒さで風をひいてしまった。ネパールの気候がいかに過ごしやすいかってことでもある。

航空便やその他情報としては下記がある。

関空発昆明行は、上海までと、上海〜昆明が同じフライトNOで、行も帰りも、関空⇔昆明の乗客は特別扱い(大阪発の人だけ、往路、復路共に上海空港で一まとめで行動)だが、昆明⇔東京の乗客は、復路では荷物はスルーできるが、国内線⇒国際線の扱いになる。つまり、往路昆明では、関空発の人は国際線用荷物受場、東京発の人は、上海⇒北京⇒昆明の場合、国内線用荷物受場で荷物を受け取ることになる。但し、東京の人も、東京⇒上海⇒昆明の場合は、国際線荷物受場になるだろう。つまり、上海経由で最初の国内空港までは国際便扱いとなるってことだろう。当然だが、国内線荷物受場と国際線荷物受場は仕切りで分離されているので、気をつける必要がある。復路の昆明では、関空へ行く人は、国際線でチェックインして、国内線departureから搭乗だが、同じ飛行機に乗る東京行の人は国内線でチェックインですが、荷物はスルーで東京なので、国内線のSpecialCare(多分国内線カウンターの通常のカウンターの向かい側にある)でチェックインとなる。

で、成田発の僕夫婦は、上海では、北京の看板を持つ女性に連れられて入国審査、セキュリティを終えて、上階に上がるともう北京行きフライトのゲートAREAであった。北京空港に着くと、上海で乗込んだ人とは別に東京発の人だけで国際線荷物受場に向かう。北京からは国内線でのチェックインで、汚い国内線DEPARTUREでチェックイン時間を待った。(中国でのtransitに慣れてから考えると、北京で荷物を取ってから、外に出ないで、TransitCounterに戻り、そこで昆明への国内線
にチェックインするルートもあったのではないか、と思う。でも、空港を探検するには出る必要はありますけど)

東方航空は遅延が常態化しているようで、行も帰りも一時間以上遅れた。
昆明では空港内で夜を過ごした。昆明空港3階DEPARTUREでは、なが〜いチェックインカウンターの両端には、それぞれかなりの数の椅子が並んでいる。が、固くて肘掛付きの椅子が多い。入口側(空港に向かって)から見て、左側(国内線カウンターの外側)の椅子は硬い肘掛け椅子で、その辺りは、なぜか風で寒い。
4階はレストラン街(departure階からメゾンになってる)で、左側(国内線)と右側(国際線)に分かれていて、大体9〜10時には閉店となる。国際線側の奥の方に柔らかい長椅子があり、ここが過ごし易い。但し飲食禁止だ。
空港の係員数名もここで夜を過ごしているが、連中は飲食や喫煙を平気でやる。そういえば、上海⇔昆明機内で、乗務員も乗客も後方乗務員室で喫煙をしてるようで、とてもくさい。空港には朝4時半頃から続々と乗客が詰めかけてくる。中国人は、我先思考のためかなりマナーが悪い。それに、空港従業員でさえ英語は使えない人が多く、中国国内旅行はかなり難行するだろうと想像できる。で、中国への旅行にはちょっと意欲を失ってしまった。

1階(表示ではB1Fらしい)の入口から見て左側の端には、ケンタッキーがあり、ここは24時間営業で、本空港での待合せには最適の場所だ。
朝には朝食メニューがある、が、上の寒いところと同様に寒い風が流れる。

なお、昆明市内へのバスは、夜中の2時ころまで運転していて、1号線と2号線とが稼働中のようだ。が、バスは市内では循環式なので、往路と復路のバス停が異なるので要注意だ。
ATMは3階に24時間対応のがある。

2012年
10月17日、
日本発で関空から2人、成田から2人が出発した。大阪Gは、容易に着いたが、成田Gは、先にも書いたが成田⇒上海⇒北京までは、ひとまとめ扱いだが、北京空港では注意していないと、ひとまとめ扱いから離脱しそうになる。北京の国際線荷物受場で荷物を受け取ってからは、北京⇒昆明は完全なる国内便となる。北京空港ではかなりの時間を持て余した。今回の経験からすると、中国東方航空は、かなり時間が遅れるようで、24時前に昆明に着く予定が夜中の1時近くになり、大阪Gも1時間程度遅れ、結局待ち合わせのケンタッキーで2時近くになり全員が揃った。帰路もかなり遅れたことからすると、東方航空は慢性的に遅れることと考えるべきだろう。

10月18日
チェックインカウンターに2時間前に行ったが、もう、人でいっぱいであった。油断であった。おかげで窓際の席が取れず、ヒマラヤを十分にエンジョイできなかった。が、この経験から帰路のフライトでは充分にヒマラヤの素晴らしい眺めをエンジョイした。
カトマンヅの空港は中国の空港に比べればかなり貧相だが、人々が友好的なので、より過ごし易い空港である。出口を出た所にTAXI受付があり、ここから既に値段交渉が始まる。しかし、こちらは4名とおおきな荷物、しかも、ナガルコットへの途中で、BAKTAPURのホテルに荷物を置いて行くとのハンディがある。で、2600RSで合意した。がRSを所持していないのでATMを教えてもらって、先ずは現金の準備だ。ARRIVALを出て右側にDEPARTUREが有るが、その中間にATMがあった。が、故障中であった。外に出ると、「何か助けようか?」と言うのが居て、DEPARTUREのまだ先のビルの向こう側まで連れていってくれた。1ドルをあげると喜んでいた。彼の態度からすると、ネパール人ってほんとに親切で大人しく、押し付けがましくない連中だ。いっぺんに好きになってしまった。
車は、この国の殆どがインド製のスズキで、その軽を4人乗れるように改造した車であった。2600RSにしては、相当の距離と悪路を経て目的地に着いたが、途中でBAKTAPURのホテルに荷物を置いた。市の観光チェックポイントで観光料を支払い、一週間有効のハンコも押してもらった。
10月19日
早朝から起きてヒマラヤを眺めたが、霧が多くランタンの峯がうっすらと見えるだけだった。同宿の女性達は展望台に行ったが、そこでは雲の上に美しいランタンが見えたとのことで、がっかりした。が、気を取り直し、チャングナラヤンへのミニトレッキングに出発した。素晴らしく楽しいミニトレッキングとなった。
地球の歩き方の関東マップの裏側に地図があるが、ナガルコットからBAKTAPURへのバス道で、道が北側に向かい、360度方向転換している所が2箇所ある。そのナガルコットに近いほうが警察署で、BAKTAPURに近いところが、地図にはnagarkotphediと書かれている。
トレッキングルートは、この突出した場所を東西に結ぶようにあり、ただ、nagarkotphedi(現地ではTelkotテルコット と称している)のちょっとナガルコット側でバス道を歩くところがある。このTelkotにはバス停留所があり、Baktapurからのバスがここと往復している。ここでは食事も出来る。トレッキング道は更に西側に登り道となる。そこを登りきると、このルートで、特に左側の眺望が美しい稜線歩きとなる。道はそのまま西に続き、BAKTAPURとチャングナラヤンを結ぶバス道に達する。バスは頻度高く通り、手を挙げれば止まってくれる。BAKTAPURまで40RSであった。BAKTAPURへのバスは、街の北側のTouristBusPark辺りで下ろされてしまった。そこから街へは道が南に向かって2本に別れているが、街に向かって右側(西側)の道を進んで行くとダルバール広場に至る。
ところで、トレッキング道の殆どは村の家々の間を通る道で、時期はちょうど国家的祭日のダサインであり、多くの人々が仕事を休み着飾っていた。多くの子供たちが凧揚げに興じていた。
10月20日
とにかくこの国は食事はうまいし、ホテルも食事も安い。楽しい旅だ。ホテルでもらった地図で、街の南側を走るAranikoHighwayのSuryavinayakBusStationに向かった。早朝から、と言うか、早朝の宮参りなのか、街中が着飾った人で溢れている。交差点の道路南側にBusTerminalがあるようだが、南側はカトマンズ方面だ。北側、交差点の少し西側にBasu停留所があり、次々とバスが来る。大声でドゥリッケル?と聞き、そうだと答えるバスは人でいっぱいで乗れるものではない。祭りで帰郷する人でいっぱいなのだ。あきらめて、道路を渡って右角のTAXI乗り場でドゥリッケル?と聞くと1000RSだと答えた。OKって言うと、乗合待ちの乗客は降ろされて僕らが乗れた。
ドゥリッケルのBusTerminalで降りたが、道路の状況は地球の歩き方に記載されたのとかなり違っている。グーグルマップ等で調べると、地球の歩き方の地図の、ゲートの辺りにBasuStationがあるようで、カーリー寺院へは、そこから南下する街中道を通り、池と言うか小さな貯水槽の所で左に曲がれば道なりに寺院の山の麓に至る。長い階段を登れば頂上に至る。頂上に展望台があり、ここから、ナガルコットで見られなかったヒマラヤの展望を見ることができた。想定外の展望に大感激となった。階段の途中に黄金の仏陀があったが、どうもきらびやか過ぎるのでこれは見学を省略した。パナウティへのハイキングも有名だが、8時間のハイキングは連れている老嬢達にはちょっと無理だろうと、省略した。次回単独行の時としよう。
階段の途中にあったレストランで食事をしたが、まぁまぁの味で、4人で300RS余りであった。
帰路はバスで楽しい旅となった。途中の街々は祭りを楽しむ人々でごちゃごちゃのありさまで、不思議なことに、車掌は時たま車内から消える。が、それは、天井上の乗客から集金しているのであった。Baktapurに近づいて、何とも読みにくいSuryavinayakBusStation と言うとちゃんと停めてくれた、と言うか、このLINEではかなり繁華なBusStationで止まるのが当然のStopでもあった。35RSであった。
Baktapurの街も人人人って有様で、すごい状況だった。ATMもちゃんとあり金を補充した。
今回は2回20,000RSの交換と、手持ちのEURの交換とドルでの直接支払いで済ませることができた。
老嬢達を宿に置いて、ATMで金の調達後、街の西側を探索する途中で、単車数台の安全祈願で山羊を生贄にする儀式にであった。かなり激烈な儀式だ。どうやら、ダサインとは生贄の行事が主体の祭りらしい。市内の肉屋でも、肉屋らしからぬ家の屋台でも、方々で山羊や水牛の解体が行われ、それらの首や死体がごく普通に見られる。それが、この国の常態ってことだろう。
10月21日
本日は午前中を市内観光で過ごした。BAKTAPURはネパールの京都と書かれているが、確かに古い王宮、寺、街並みが美しい。祭り最中で人、人、人だが、それでも気持ちが落ち着く街だ。
TAXIをホテルに頼んでいたが、来る時と同様にスズキ改造型であった。運転手は間違うことなくタメルの例の有名なホテルフジの手前のHolyHimarayaHotelに着いた。今回は各ホテルともに過ごし易いホテルばかりであった。
ホテルのことをまとめておくと、雲海リゾートは各階で値段が違い、我々は最も安い1階で21ドル/部屋・日。BaktapurのVajraGuestHouseは一泊36ドル/部屋・日で、停電になると部屋と風呂に非常用ソーラー電灯がある。カトマンズのHolyHimarayaHotelは、50ドル/部屋・日で朝食付き、非常用発電機が装備されていた。
カトマンズでの食事は、ずっとTamelにある日本食レストランで過ごした。
Tamelの基準ポイントは、TrideviMargのタクシー乗り場が良いだろう。TaxiにTamerlのTaxi乗り場と言えば行ってくれる。とにかくTamelって本当に過ごし易い所だ。なんでも買おうと思えば揃っている。しかも安い。それと、インドのように道に牛の糞が積もっていることもなく、相対的に清潔なのが良い。
日本食レストランふる里で昼食後、地球の歩き方のカトマンズの旧市街を歩くお薦め散策コースに従って、ダルバール広場に向かった。祭りのせいで、人、人、人の有様であった。
ここも素晴らしい建物が並んでいて感心しながら歩いていると、ハヌマン像の所から
パレード隊が次々と楽隊に合わせて行進を始めた。それほど規律高い行進ではないが、それが却って、親しみやすい建物や人々と調和して感動させるものであった。
JagannnathTempleの階段の高い所から見ていると、ガイド志願の若者が押し付けがましくなく説明してくれて、「隊列は夕刻に戻るだろう。23日には生贄の儀式が盛大に行われる」と説明してくれた。別れ際にお礼を1ドルあげた。
10月22日
ホテルの前のTaxiと交渉して、Patanに行くこととした。Taxiの中で思いついてカカニ往復も契約した。ダルバール広場、それにGoldenTempleなど、Patanの街はなかなか素晴らしかった。その後、カカニへの道路は、ほぼカトマンズから北上して、右手に美しい盆地を眺望しながらの旅となる。どう見てもヒマラヤ眺望を期待できない景色の中を、まぁいいや、遠足気分を楽しもうと精一杯にはしゃぎながらの旅であったが、峠に到達すると、ヒマラヤの遠景が一気に見えた。運転手は更に上を目指し、別荘のような建物の近くの眺望の良い場所に連れていった。どう考えても、その別荘の方からの眺めが良さそうなので、運転手に、あそこに行けないか?と聞くと、聞いてみる、と行き、直ぐに我々に来るようにと手招きした。結局、そこは旅館兼レストランであった。そこの芝生の庭から先は急坂で、広い盆地の底までみえる、その向こうの山の、さらに向こうに壁のようにヒマラヤが遠くそびえていた。後から考えると、運転手の作戦にはまったかとも思えるが、それは素晴らしい場所で、このような場所に再び来れることが無い様な最高の場所であった。食事もうまく、実に素晴らしい経験だったので、運転手には感謝こそすれ怒ることなんて全く考えられない。ホテルの前に無事に帰還し、明日、運転手は家に戻りダサインを祝うとのことなので、チップをはずんであげた。
どうやら今回の旅では、毎日が喜ばしいハプニングがあり、それも、毎日その喜ばしさが増すようなハプニングが起こるようだ。
10月23日
ガイド志願の青年から、今日は、大掛かりな生贄の儀式が有ると聞いていたので、ダルバール広場を再訪した。ダルバール広場の方々に水牛や山羊が配置されて生贄の儀式の準備がなされていた。その一箇所の前のTempleの階段上に待機していると、かなりいかつい顔のガイドらしき人物が近寄り、あれこれと話し始めた。自己紹介によると、Mr.ビルバール tel 0977(国)9841379868 E-mail ilam_namsaling@yahoo.co.jp 
って人で、結局かなり信頼できる人物で、日本語、ひらかな、カタカナも大丈夫な人であった。この国でガイドが欲しいと思う人は是非相談されればよい。で、例の如く、ガイドさせろと言うのではなく、なんとか自然にそうなるようにと持ちかけるのだが、こちらは、それに乗らない。なぜか、時間を気にしていたが、突然、軍隊の儀式に行かないか?と言い出した。結果として判ったが、既にその儀式は始まっていて、早く行かないと終わってしまい、しかも、そこの観覧席は外人とそのガイドしか入れないシステムになっているのだ。で、当方のガイド依頼を諦めて、我々に提言してくれたってことなのだ。そこでは、軍隊の兵が7箇所の円を描いたところに別れて、次々と山羊と水牛を生贄として刀で首をかっきる儀式であった。ガイド氏の説明では、神と悪魔の戦いがあり、負けた悪魔が地底に閉じ込められているが、ダサインの時期に山羊と水牛に乗り移って地上に出ようとするらしい。悪魔が乗り移ると、山羊や羊は体中を震わせるので、実は水や花びらを山羊や水牛に振りかけるので、必ず全身を震わすことになるのだが、悪魔の乗り移りが判り、その瞬間に楽隊は音を高々と擧げて、すごく体格の良い首切りの兵士が刀を振り下ろす。その瞬間にも、空砲が数発放たれるって、凄い儀式であった。1時間ほどもして全ての山羊と水牛の生贄儀式が終わった。ガイド氏に10ドル進呈することで、双方ともに満足できた。
なんともはや、毎日、毎日、思いがけないハプニングが続く。素晴らしい旅だ。
一旦宿に戻り、一休み後に旧王宮に向かったが、休館だったので、DreamGirdenを散策した。
10月24日
午前中はボダナートに行き、午後はKirtipurを訪問した。Nepalの街はそれぞれに、何かしら懐かしいものを持っていて居るだけで心が落ち着くのは何故だろうか。
10月25日
カトマンヅからの帰路航空便は左翼窓際を取り、ここでも、ヒマラヤの素晴らしさを満喫した。後は、遅れまくる東方航空で疲れる帰路であった。しかしながら、その艱難辛苦に耐えることで、ネパールの空港関係者やネパールの人々、それに、その街街の良さをより感じることが出来たし、それに、旅の費用は、全て込で一人10万円以内に抑えることができた。これはやはり、中国東方航空の大きな魅力ではある。

日本に帰り、夢の中で起きているより流暢な英語を寝言で喋っていて、昼は石油ストーブで温まりながらネパール旅行の楽しかったことを思い出している。いやいや、楽しかったですわ。次は11月8日から17日まで大阪で、1月末はマレーシャ単独行です。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
その他
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩
航空会社
中国東方航空
旅行の手配内容
個別手配

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