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ブルガリア旅行5日目。<br />プロヴディフから北東へ約200km、バルカン山脈の東部に位置する第2次ブルガリア帝国(1185-1393年)時代の古都ヴェリコ・タルノヴォへ。<br /><br />ブルガリアの青い空の下、3時間半をかけてたどり着いたその場所に待っていたのは、緑なす3つの丘と清らかなヤントラ川、そして赤い屋根の家々が織りなす美しい街の姿でした。<br /><br /><旅程表><br /> 2012年<br /> 8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア<br /> 8月11日(土) ソフィア<br /> 8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア<br /> 8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ<br />○8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ<br /> 8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス<br /> 8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→<br /> 8月17日(金) →イスタンブール<br /> 8月18日(土) イスタンブール→<br /> 8月19日(日) →ソウル→成田

ブルガリア~イスタンブール紀行(4) 緑豊かなバルカンの美しい古都ヴェリコ・タルノヴォ

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2012/08/14 - 2012/08/14

13位(同エリア173件中)

6

62

エンリケ

エンリケさん

ブルガリア旅行5日目。
プロヴディフから北東へ約200km、バルカン山脈の東部に位置する第2次ブルガリア帝国(1185-1393年)時代の古都ヴェリコ・タルノヴォへ。

ブルガリアの青い空の下、3時間半をかけてたどり着いたその場所に待っていたのは、緑なす3つの丘と清らかなヤントラ川、そして赤い屋根の家々が織りなす美しい街の姿でした。

<旅程表>
 2012年
 8月10日(金) 成田→ソウル→モスクワ→ソフィア
 8月11日(土) ソフィア
 8月12日(日) ソフィア→リラ→ソフィア
 8月13日(月) ソフィア→プロヴディフ
○8月14日(火) プロヴディフ→ヴェリコ・タルノヴォ
 8月15日(水) ヴェリコ・タルノヴォ→ヴァルナ→ブルガス
 8月16日(木) ブルガス→ネセバル→ブルガス→
 8月17日(金) →イスタンブール
 8月18日(土) イスタンブール→
 8月19日(日) →ソウル→成田

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
3.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
航空会社
アシアナ航空 アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 8月14日(火)<br />この日はトラキア平原の中央に位置するプロヴディフから、再び山間部、バルカン山脈の東部に位置する第2次ブルガリア帝国時代の古都ヴェリコ・タルノヴォを目指します。<br /><br />朝7時、起床してホテルの窓から外を見ると、向こうの丘の上に、前日訪れた古代ローマの円形劇場が見えました。<br /><br />何度も迷いながら登ったところですが、直線距離にするとこんな近くにあったんですね・・・。

    8月14日(火)
    この日はトラキア平原の中央に位置するプロヴディフから、再び山間部、バルカン山脈の東部に位置する第2次ブルガリア帝国時代の古都ヴェリコ・タルノヴォを目指します。

    朝7時、起床してホテルの窓から外を見ると、向こうの丘の上に、前日訪れた古代ローマの円形劇場が見えました。

    何度も迷いながら登ったところですが、直線距離にするとこんな近くにあったんですね・・・。

  • ホテルに朝食はついていないので、そのままチェックアウトして中央広場の道路を挟んで東側にあるバス停へ。<br /><br />ヴェリコ・タルノヴォへは市の北部にあるアフトガーラ・セヴェル(北バスターミナル)から長距離バスが出ているものの、ホテルからは4km以上離れており、とても歩いて行ける距離ではないため、バスを活用。<br /><br />バス停の案内によると、アフトガーラ・セヴェル行きの99番のバスは7、8分おきくらいに走っているとのことで、荷物がそれほど重くなければわざわざタクシーを使う必要はないですね。<br /><br />それでもこの朝はなかなかバスが来なくてあせります・・・なんとか待って乗車し、15分ほどでアフトガーラ・セヴェルへ。<br /><br />目印もないような目的地の停留所でしたが、切符(1Lv=50円)を切ってくれた年配の女性の車掌さんが“アフトガーラ・セヴェル!”と降りる場所を案内してくれました。

    ホテルに朝食はついていないので、そのままチェックアウトして中央広場の道路を挟んで東側にあるバス停へ。

    ヴェリコ・タルノヴォへは市の北部にあるアフトガーラ・セヴェル(北バスターミナル)から長距離バスが出ているものの、ホテルからは4km以上離れており、とても歩いて行ける距離ではないため、バスを活用。

    バス停の案内によると、アフトガーラ・セヴェル行きの99番のバスは7、8分おきくらいに走っているとのことで、荷物がそれほど重くなければわざわざタクシーを使う必要はないですね。

    それでもこの朝はなかなかバスが来なくてあせります・・・なんとか待って乗車し、15分ほどでアフトガーラ・セヴェルへ。

    目印もないような目的地の停留所でしたが、切符(1Lv=50円)を切ってくれた年配の女性の車掌さんが“アフトガーラ・セヴェル!”と降りる場所を案内してくれました。

  • 朝のアフトガーラ・セヴェルはそれほど客が多くもなく、ソフィアのツェントラルナ・アフトガーラに比べれば寂しい感じ。<br /><br />優しそうなおばさんから8時30分のヴェリコ・タルノヴォ行きのバスチケットを買って(18Lv=900円)、しばらくバスが来るのを待ちます。<br /><br />そして出発の10分前、やってきたのは20人乗り程度のミニバスで、ほぼ満席となってアフトガーラ・セヴェルを出発。<br /><br />ヴェリコ・タルノヴォは人口7万人程度の小都市なので、大型のバスは必要ないということなのでしょうか。<br /><br />プロヴディフからヴェリコ・タルノヴォ行きのバスに乗るには、早めにアフトガーラに着いてチケットを買っておいた方がよいかもしれません・・・。<br /><br />・・・バスは途中、どこかの街に立ち寄り、乗客を若干入れ替えて北東のヴェリコ・タルノヴォを目指します。<br /><br />出発から3時間後の11時30分、バルカン山脈に入り、窓の外は緑の山々が連なる景色になってきました。

    朝のアフトガーラ・セヴェルはそれほど客が多くもなく、ソフィアのツェントラルナ・アフトガーラに比べれば寂しい感じ。

    優しそうなおばさんから8時30分のヴェリコ・タルノヴォ行きのバスチケットを買って(18Lv=900円)、しばらくバスが来るのを待ちます。

    そして出発の10分前、やってきたのは20人乗り程度のミニバスで、ほぼ満席となってアフトガーラ・セヴェルを出発。

    ヴェリコ・タルノヴォは人口7万人程度の小都市なので、大型のバスは必要ないということなのでしょうか。

    プロヴディフからヴェリコ・タルノヴォ行きのバスに乗るには、早めにアフトガーラに着いてチケットを買っておいた方がよいかもしれません・・・。

    ・・・バスは途中、どこかの街に立ち寄り、乗客を若干入れ替えて北東のヴェリコ・タルノヴォを目指します。

    出発から3時間後の11時30分、バルカン山脈に入り、窓の外は緑の山々が連なる景色になってきました。

  • 12時、バスはほぼ時間どおり、ヴェリコ・タルノヴォのアフトガーラ・ザパット(西バスターミナル)に到着。<br /><br />ここから市の中心部へは3〜4kmほど離れているので、タクシーを利用せざるをえません。<br /><br />いよいよぼったくりが多いと言われているブルガリアのタクシーに初挑戦ですが、ターミナルの一角で待機していた黄色のOKタクシーのおじさんに声をかけると、首を振ってオーケーオーケーとのこと。<br /><br />??と思っていたら、ブルガリアでは首をヨコに振ることが“イエス”で、首をタテに振ることが“ノー”という意味なのだそうです。<br /><br />乗車拒否されたのかと一瞬思いましたが、この仕草に慣れるのには時間がかかりそうです(笑)。

    12時、バスはほぼ時間どおり、ヴェリコ・タルノヴォのアフトガーラ・ザパット(西バスターミナル)に到着。

    ここから市の中心部へは3〜4kmほど離れているので、タクシーを利用せざるをえません。

    いよいよぼったくりが多いと言われているブルガリアのタクシーに初挑戦ですが、ターミナルの一角で待機していた黄色のOKタクシーのおじさんに声をかけると、首を振ってオーケーオーケーとのこと。

    ??と思っていたら、ブルガリアでは首をヨコに振ることが“イエス”で、首をタテに振ることが“ノー”という意味なのだそうです。

    乗車拒否されたのかと一瞬思いましたが、この仕草に慣れるのには時間がかかりそうです(笑)。

  • アフトガーラ・ザパットから市の中心部やや東に位置するこの日の宿、ヤントラグランドホテルまでは10分ほどで到着。<br /><br />タクシー代は4Lv(200円)で、ドライバーのおじさんはチップを要求することもなく、観光楽しんでくれと言わんばかりに笑顔で見送ってくれました。<br /><br />ぼったくられないよう警戒していたのですが、あまりのいい人ぶりに拍子抜けです(笑)。<br /><br />しかしアフトガーラ・ザパットでバスを降りた乗客はみなタクシーを使って市の中心部まで移動していて、それなら初めから市の中心部にバス停を作ればいいものを・・・やはりタクシー業者が失業しないよう何か取り決めがあるのでしょうかね。

    アフトガーラ・ザパットから市の中心部やや東に位置するこの日の宿、ヤントラグランドホテルまでは10分ほどで到着。

    タクシー代は4Lv(200円)で、ドライバーのおじさんはチップを要求することもなく、観光楽しんでくれと言わんばかりに笑顔で見送ってくれました。

    ぼったくられないよう警戒していたのですが、あまりのいい人ぶりに拍子抜けです(笑)。

    しかしアフトガーラ・ザパットでバスを降りた乗客はみなタクシーを使って市の中心部まで移動していて、それなら初めから市の中心部にバス停を作ればいいものを・・・やはりタクシー業者が失業しないよう何か取り決めがあるのでしょうかね。

  • そしてホテルにチェックイン。<br /><br />日本からネットで予約した1泊5,000円程度の宿で、この値段でもヴェリコ・タルノヴォでは最高級の部類に属するホテルです。<br /><br />事実、部屋はこのとおりきれいで、朝食も美味しくいただくことができ、今回の旅行の中でもかなりいい方のホテルでした。<br /><br />ただ、部屋は丘やヤントラ川が見える方ではなく、廃れた建物が見える通りの方を向いていたので、窓からの眺めはイマイチでしたが・・・。

    そしてホテルにチェックイン。

    日本からネットで予約した1泊5,000円程度の宿で、この値段でもヴェリコ・タルノヴォでは最高級の部類に属するホテルです。

    事実、部屋はこのとおりきれいで、朝食も美味しくいただくことができ、今回の旅行の中でもかなりいい方のホテルでした。

    ただ、部屋は丘やヤントラ川が見える方ではなく、廃れた建物が見える通りの方を向いていたので、窓からの眺めはイマイチでしたが・・・。

  • 13時、ホテルに荷物を置いてヴェリコ・タルノヴォの街巡りへ。<br /><br />前日のプロヴディフに引き続き、この日もかんかん照りで日射しの下はとても暑く、歩いていると段々と喉が渇いてきます。<br /><br />蒸し暑さはないので日本ほど不快ではありませんが・・・。<br /><br /><br />さて、ホテルの周辺、ヤントラ川沿いの切り立った崖の近くの通りには廃墟のような家々が。<br /><br />市の中心部より東側、観光名所のツァレヴェッツの丘に近いこの辺りの旧市街は、ヤントラグランドホテルなど一部の建物を除けば建物の荒廃が目立ち、まるでゴーストタウンのようです・・・。

    13時、ホテルに荷物を置いてヴェリコ・タルノヴォの街巡りへ。

    前日のプロヴディフに引き続き、この日もかんかん照りで日射しの下はとても暑く、歩いていると段々と喉が渇いてきます。

    蒸し暑さはないので日本ほど不快ではありませんが・・・。


    さて、ホテルの周辺、ヤントラ川沿いの切り立った崖の近くの通りには廃墟のような家々が。

    市の中心部より東側、観光名所のツァレヴェッツの丘に近いこの辺りの旧市街は、ヤントラグランドホテルなど一部の建物を除けば建物の荒廃が目立ち、まるでゴーストタウンのようです・・・。

  • あまり活気の感じられないゴーストタウンのような旧市街を東へ、まずは第2次ブルガリア帝国時代(1185-1393年)の宮殿があったという“ツァレヴェッツの丘”へ向かって歩いていきます。<br /><br />途中、ヤントラ川沿いの崖の方へ降りる小路の階段を発見。<br /><br />下っていくと・・・青い空の下、緑の木々と蛇行する青いヤントラ川、それに沿って建ち並ぶ赤い屋根の家々に囲まれた、ツァレヴェッツの丘の素晴らしい景色が待ち受けていました。

    あまり活気の感じられないゴーストタウンのような旧市街を東へ、まずは第2次ブルガリア帝国時代(1185-1393年)の宮殿があったという“ツァレヴェッツの丘”へ向かって歩いていきます。

    途中、ヤントラ川沿いの崖の方へ降りる小路の階段を発見。

    下っていくと・・・青い空の下、緑の木々と蛇行する青いヤントラ川、それに沿って建ち並ぶ赤い屋根の家々に囲まれた、ツァレヴェッツの丘の素晴らしい景色が待ち受けていました。

  • そして丘の反対側には、これまた緑に囲まれた切り立った崖の上に建つ赤い屋根の家々が。<br /><br />・・・このヴェリコ・タルノヴォ、かつては単に“タルノヴォ”と呼ばれ、紀元前数千年紀からトラキア人の集落があったという古い街ですが、12世紀から14世紀にかけて、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)から独立した第2次ブルガリア帝国の首都として、その最盛期を迎えます。<br /><br />第2次ブルガリア帝国は、一時はビザンツ帝国を圧倒するなどしてバルカン半島の大部分にまで勢力を拡大しますが、1393年、アナトリア(小アジア)から進出してきたイスラム勢力のオスマン帝国についに滅ぼされてしまいます。

    そして丘の反対側には、これまた緑に囲まれた切り立った崖の上に建つ赤い屋根の家々が。

    ・・・このヴェリコ・タルノヴォ、かつては単に“タルノヴォ”と呼ばれ、紀元前数千年紀からトラキア人の集落があったという古い街ですが、12世紀から14世紀にかけて、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)から独立した第2次ブルガリア帝国の首都として、その最盛期を迎えます。

    第2次ブルガリア帝国は、一時はビザンツ帝国を圧倒するなどしてバルカン半島の大部分にまで勢力を拡大しますが、1393年、アナトリア(小アジア)から進出してきたイスラム勢力のオスマン帝国についに滅ぼされてしまいます。

  • その後、500年にも及ぶオスマン帝国の支配を経て、露土戦争後の1878年に自治を認められたブルガリア公国が成立したとき、タルノヴォはその首都となりました。<br /><br />間もなく首都は西方のソフィアに移されますが、タルノヴォには過去に培われてきたブルガリア民族の歴史を記念して、“偉大なる”を意味する“ヴェリコ”が冠され、“ヴェリコ・タルノヴォ”と呼ばれるようになったのです。<br /><br />・・・ツァレヴェッツの丘が間近に見えてきました。<br /><br />入口の前の道路はこのとおり工事中で見栄えはイマイチ・・・。<br /><br />欧州大不況の今のうちに観光開発、ということでしょうか。

    その後、500年にも及ぶオスマン帝国の支配を経て、露土戦争後の1878年に自治を認められたブルガリア公国が成立したとき、タルノヴォはその首都となりました。

    間もなく首都は西方のソフィアに移されますが、タルノヴォには過去に培われてきたブルガリア民族の歴史を記念して、“偉大なる”を意味する“ヴェリコ”が冠され、“ヴェリコ・タルノヴォ”と呼ばれるようになったのです。

    ・・・ツァレヴェッツの丘が間近に見えてきました。

    入口の前の道路はこのとおり工事中で見栄えはイマイチ・・・。

    欧州大不況の今のうちに観光開発、ということでしょうか。

  • 現場で作業していた筋骨隆々な若者に目が止まって思わずパチリ。<br /><br />太陽の光を浴びて輝く赤い背中が美しい・・・やっぱりアジア人と違って欧米人は皆マッチョですね(笑)。<br /><br />しかしソフィアでもこの時期、古代ローマ遺跡の大規模な発掘工事が行われていたし、リラの僧院へ行く途中でも大規模な道路建設工事が行われていて、人口が減り続けている割にはやたら強気の開発が多い感じです。<br /><br />ブルガリアは社会主義から資本主義に移行してまだ20年程度の資本主義初心者のため、不況下におけるケインズ型の公共投資が有効と見られているのでしょうかね。

    現場で作業していた筋骨隆々な若者に目が止まって思わずパチリ。

    太陽の光を浴びて輝く赤い背中が美しい・・・やっぱりアジア人と違って欧米人は皆マッチョですね(笑)。

    しかしソフィアでもこの時期、古代ローマ遺跡の大規模な発掘工事が行われていたし、リラの僧院へ行く途中でも大規模な道路建設工事が行われていて、人口が減り続けている割にはやたら強気の開発が多い感じです。

    ブルガリアは社会主義から資本主義に移行してまだ20年程度の資本主義初心者のため、不況下におけるケインズ型の公共投資が有効と見られているのでしょうかね。

  • 13時30分、ツァレヴェッツの丘の入口までやってきました。<br /><br />盾を持ったライオンのモニュメントが門番のように待ち構えています。<br /><br />この脇にあるチケット売り場でチケットを購入し(6Lv=300円)、先に進みます。

    13時30分、ツァレヴェッツの丘の入口までやってきました。

    盾を持ったライオンのモニュメントが門番のように待ち構えています。

    この脇にあるチケット売り場でチケットを購入し(6Lv=300円)、先に進みます。

  • 入口を過ぎ、城門までの一本道を歩きながら振り返るとこんな景色が。<br /><br />ヤントラ川沿いの崖に生い茂る緑の木々と赤い屋根をした家々、そして青い空のコントラストが何とも言えませんね。<br /><br />のどかで美しい風景です。

    入口を過ぎ、城門までの一本道を歩きながら振り返るとこんな景色が。

    ヤントラ川沿いの崖に生い茂る緑の木々と赤い屋根をした家々、そして青い空のコントラストが何とも言えませんね。

    のどかで美しい風景です。

  • 崖の下の風景もこんなふうにフォトジェニックです。<br /><br />いろんな角度から何枚も写真を撮ってしまいます(笑)。

    崖の下の風景もこんなふうにフォトジェニックです。

    いろんな角度から何枚も写真を撮ってしまいます(笑)。

  • ゴツゴツした石の一本道を通って城門へ。<br /><br />・・・この城門、よくみると上の方に“1971”という数字が埋め込まれています。<br /><br />このツァレヴェッツの丘は、第2次ブルガリア帝国時代に皇帝(ツァール)の宮殿や総主教の住まい、教会などが建てられていたのですが、1393年にオスマン帝国の攻撃を受け、3か月の包囲の末に落城。<br /><br />第2次ブルガリア帝国の滅亡とともに、宮殿や城門、城壁は徹底的に破壊されました。<br /><br />現在の城門は、観光用に1971年に再建されたもののようです。<br /><br />しかし、わざわざオリジナルでないことを証明するように年号を入れるなんて、ブルガリアの人々は律義ですね(笑)。

    ゴツゴツした石の一本道を通って城門へ。

    ・・・この城門、よくみると上の方に“1971”という数字が埋め込まれています。

    このツァレヴェッツの丘は、第2次ブルガリア帝国時代に皇帝(ツァール)の宮殿や総主教の住まい、教会などが建てられていたのですが、1393年にオスマン帝国の攻撃を受け、3か月の包囲の末に落城。

    第2次ブルガリア帝国の滅亡とともに、宮殿や城門、城壁は徹底的に破壊されました。

    現在の城門は、観光用に1971年に再建されたもののようです。

    しかし、わざわざオリジナルでないことを証明するように年号を入れるなんて、ブルガリアの人々は律義ですね(笑)。

  • ちなみにこちらは城内の一角にパネルで展示されていた当時の城門の想像図。<br /><br />もはやドラゴンクエストの世界です。<br /><br />すぎやまこういちの音楽が聴こえてきそうですね(笑)。

    ちなみにこちらは城内の一角にパネルで展示されていた当時の城門の想像図。

    もはやドラゴンクエストの世界です。

    すぎやまこういちの音楽が聴こえてきそうですね(笑)。

  • 城門をくぐって城内に入りました。<br /><br />城門付近ではお土産屋や当時の皇帝のコスプレが楽しめる衣装屋がありましたが、観光客はまばらで、いずれも暇そうにしていました。<br /><br />城内のいちばん高いところにあるのがかつてブルガリア総主教座が置かれたキリスト昇天教会。<br /><br />20世紀の社会主義時代に再建されたもので、地元住民の礼拝用のものではなく観光用のものとなっています。<br /><br />その下に見える廃墟のようなものがかつての宮殿跡で、こちらは再建されず破壊されて基礎だけになった無残な姿をさらしています。

    城門をくぐって城内に入りました。

    城門付近ではお土産屋や当時の皇帝のコスプレが楽しめる衣装屋がありましたが、観光客はまばらで、いずれも暇そうにしていました。

    城内のいちばん高いところにあるのがかつてブルガリア総主教座が置かれたキリスト昇天教会。

    20世紀の社会主義時代に再建されたもので、地元住民の礼拝用のものではなく観光用のものとなっています。

    その下に見える廃墟のようなものがかつての宮殿跡で、こちらは再建されず破壊されて基礎だけになった無残な姿をさらしています。

  • 城内に展示されていた当時のツァレヴェッツの丘(右)とトラペジッツァの丘(左)の鳥瞰図。<br /><br />こうしてみると、ヤントラ川が丘を取り囲むようにうねって流れているのが分かると思います。<br /><br />なお、トラペジッツァの丘には、ツァレヴェッツの丘と同様に破壊されてしまいましたが、当時の貴族の邸宅があったと言われています。

    城内に展示されていた当時のツァレヴェッツの丘(右)とトラペジッツァの丘(左)の鳥瞰図。

    こうしてみると、ヤントラ川が丘を取り囲むようにうねって流れているのが分かると思います。

    なお、トラペジッツァの丘には、ツァレヴェッツの丘と同様に破壊されてしまいましたが、当時の貴族の邸宅があったと言われています。

  • ツァレヴェッツの丘から見たトラペジッツァの丘(右側)。<br /><br />ヤントラ川沿いに並ぶ赤い屋根をした家々の上方には、後世の復元なのか城壁の跡が見えますね。

    ツァレヴェッツの丘から見たトラペジッツァの丘(右側)。

    ヤントラ川沿いに並ぶ赤い屋根をした家々の上方には、後世の復元なのか城壁の跡が見えますね。

  • こちらはツァレヴェッツの丘の南側に位置するスヴェタ・ゴラの丘とその下に広がる旧市街。<br /><br />“スヴェタ・ゴラ”とは“聖なる丘”という意味で、第2次ブルガリア帝国時代にはロシアからの留学生も受け入れていたタルノヴォ・スクールがあり、当時の教育、宗教、文化の一大中心地だったようです。<br /><br />・・・ヴェリコ・タルノヴォはこのように、緑なす3つの丘に囲まれ、起伏に富んだ地形に中世からの面影を残しているとても美しい街です。

    こちらはツァレヴェッツの丘の南側に位置するスヴェタ・ゴラの丘とその下に広がる旧市街。

    “スヴェタ・ゴラ”とは“聖なる丘”という意味で、第2次ブルガリア帝国時代にはロシアからの留学生も受け入れていたタルノヴォ・スクールがあり、当時の教育、宗教、文化の一大中心地だったようです。

    ・・・ヴェリコ・タルノヴォはこのように、緑なす3つの丘に囲まれ、起伏に富んだ地形に中世からの面影を残しているとても美しい街です。

  • 城の南の端、最奥部には“ボードワンの塔”と呼ばれる砦があり、そこに昇って城の入口方向をパチリ。<br /><br />“ボードワン”とは、1204年に第4回十字軍がコンスタンティノープル(現イスタンブール)を攻撃してビザンツ皇帝を追い払い、同地にラテン帝国(1204-61年)を打ち立てた際に初代皇帝に選出されたフランドル伯、ボードワン1世のことです。<br /><br />当時の第2次ブルガリア帝国皇帝カロヤンは、ラテン帝国が成立した翌年の1205年に早速ラテン帝国に攻め入り、ボードワン1世を捕虜にしてこの塔に幽閉したことから、“ボードワンの塔”という呼び名がつけられたのだそうです。<br /><br />ちなみにその後ボードワン1世は、幽閉中、戦闘の傷が元で死亡したとも、ブルガリア兵の手により殺害されたとも言われ、成立したばかりのラテン帝国に大きな衝撃を与えることになりました。<br /><br />・・・もともとコンスタンティノープルの財産に目がくらんだ盗っ人十字軍が建てた国だから当然の報いかもしれませんが。

    城の南の端、最奥部には“ボードワンの塔”と呼ばれる砦があり、そこに昇って城の入口方向をパチリ。

    “ボードワン”とは、1204年に第4回十字軍がコンスタンティノープル(現イスタンブール)を攻撃してビザンツ皇帝を追い払い、同地にラテン帝国(1204-61年)を打ち立てた際に初代皇帝に選出されたフランドル伯、ボードワン1世のことです。

    当時の第2次ブルガリア帝国皇帝カロヤンは、ラテン帝国が成立した翌年の1205年に早速ラテン帝国に攻め入り、ボードワン1世を捕虜にしてこの塔に幽閉したことから、“ボードワンの塔”という呼び名がつけられたのだそうです。

    ちなみにその後ボードワン1世は、幽閉中、戦闘の傷が元で死亡したとも、ブルガリア兵の手により殺害されたとも言われ、成立したばかりのラテン帝国に大きな衝撃を与えることになりました。

    ・・・もともとコンスタンティノープルの財産に目がくらんだ盗っ人十字軍が建てた国だから当然の報いかもしれませんが。

  • 塔から降り、城の中の道を歩いていきます。<br /><br />城の奥はこのように木々が生い茂っており、なんだか山道を歩いているような気分。<br /><br />木々が陰になって暑さが和らぎ、歩いているのが気持ちいいですね。<br /><br />・・・少し行くと、左上に何やら建物のようなものが見えてきました。

    塔から降り、城の中の道を歩いていきます。

    城の奥はこのように木々が生い茂っており、なんだか山道を歩いているような気分。

    木々が陰になって暑さが和らぎ、歩いているのが気持ちいいですね。

    ・・・少し行くと、左上に何やら建物のようなものが見えてきました。

  • 近づいて見上げてみると・・・丘の入口からも見えたキリスト昇天教会でした。<br /><br />せっかくなので登って行ってみることにします。

    近づいて見上げてみると・・・丘の入口からも見えたキリスト昇天教会でした。

    せっかくなので登って行ってみることにします。

  • キリスト昇天教会の入口までやってきました。<br /><br />20世紀の社会主義時代に建てられた比較的新しい教会ですが、伝統的な石造り構造のためか、この廃墟系の丘の雰囲気にうまくマッチしていますね。

    キリスト昇天教会の入口までやってきました。

    20世紀の社会主義時代に建てられた比較的新しい教会ですが、伝統的な石造り構造のためか、この廃墟系の丘の雰囲気にうまくマッチしていますね。

  • 中に入ってみると、外からの光があまり行き届かない薄暗い空間の中、天上や壁一面に現代アート風の人物群が。<br /><br />正面にはイコノスタシス(奥の聖域と内陣を分ける仕切り)ではなく聖母子を描いた一片の絵・・・今までのブルガリア正教会の教会では見られなかった様式です。<br /><br />この教会は本来の用途である信者たちの祈りの場ではなく、人を楽しませる観光用の施設なので、当然と言えば当然かもしれませんが。

    中に入ってみると、外からの光があまり行き届かない薄暗い空間の中、天上や壁一面に現代アート風の人物群が。

    正面にはイコノスタシス(奥の聖域と内陣を分ける仕切り)ではなく聖母子を描いた一片の絵・・・今までのブルガリア正教会の教会では見られなかった様式です。

    この教会は本来の用途である信者たちの祈りの場ではなく、人を楽しませる観光用の施設なので、当然と言えば当然かもしれませんが。

  • 天上はこのとおりドームの周りも現代アートの人物群でびっしり。<br /><br />画風や色遣いに異様な迫力を感じます。<br /><br />ブルガリアだけでなく、今まで訪れたどの国の教会でも見たことがなかったような空間ですね。

    天上はこのとおりドームの周りも現代アートの人物群でびっしり。

    画風や色遣いに異様な迫力を感じます。

    ブルガリアだけでなく、今まで訪れたどの国の教会でも見たことがなかったような空間ですね。

  • 受付の後ろの壁にもびっしりと絵が描かれています。<br /><br />・・・この画風、どことなくピカソのゲルニカを思い起こさせますね。<br /><br />ちなみにこの教会、入場のみならば無料ですが、内部を撮影する場合は受付に5Lv(250円)を支払わなければなりません。

    受付の後ろの壁にもびっしりと絵が描かれています。

    ・・・この画風、どことなくピカソのゲルニカを思い起こさせますね。

    ちなみにこの教会、入場のみならば無料ですが、内部を撮影する場合は受付に5Lv(250円)を支払わなければなりません。

  • 入口付近の天上にはこんな痛々しい磔刑図も。<br /><br />壁や天井に描かれているのはこのようなキリスト教の聖書の場面が目立ちましたが、なかにはブルガリア皇帝のキリスト教への改宗やキュリロスとメトディウスによるキリスト教の布教など、中世ブルガリアの歴史をテーマにしたものもあるようです。

    入口付近の天上にはこんな痛々しい磔刑図も。

    壁や天井に描かれているのはこのようなキリスト教の聖書の場面が目立ちましたが、なかにはブルガリア皇帝のキリスト教への改宗やキュリロスとメトディウスによるキリスト教の布教など、中世ブルガリアの歴史をテーマにしたものもあるようです。

  • 入口の周りもこのようにびっしりと人物群が描きこまれています。<br /><br /><br />・・・異様な迫力で意外に見応えがあった教会でした。

    入口の周りもこのようにびっしりと人物群が描きこまれています。


    ・・・異様な迫力で意外に見応えがあった教会でした。

  • 教会の背後へ行ってみると、エレベーターへ通じる階段があって入場料2Lv(100円)と書かれています。<br /><br />どうやら展望台へのエレベーターのようで、階段を昇ってみると暇そうにイスに腰掛けていたおじさんが待ち受けていて、お金を払うとどうぞどうぞという感じでエレベーターを運転してくれました。<br /><br />教会のてっぺんに昇って周囲を眺めてみると・・・やはり高いだけあって緑の丘と赤い屋根の街並みが一段とよく見えますね。

    教会の背後へ行ってみると、エレベーターへ通じる階段があって入場料2Lv(100円)と書かれています。

    どうやら展望台へのエレベーターのようで、階段を昇ってみると暇そうにイスに腰掛けていたおじさんが待ち受けていて、お金を払うとどうぞどうぞという感じでエレベーターを運転してくれました。

    教会のてっぺんに昇って周囲を眺めてみると・・・やはり高いだけあって緑の丘と赤い屋根の街並みが一段とよく見えますね。

  • 展望台は風が吹き付けてきて、涼しくて気持ちいいです。<br /><br />・・・ここで風景の写真を何枚か撮った後、エレベーターのおじさんが(わたしを)撮ってあげるよと言ってきてくれました。<br /><br />本当にブルガリアの人々は親切で優しい方が多いですね。

    展望台は風が吹き付けてきて、涼しくて気持ちいいです。

    ・・・ここで風景の写真を何枚か撮った後、エレベーターのおじさんが(わたしを)撮ってあげるよと言ってきてくれました。

    本当にブルガリアの人々は親切で優しい方が多いですね。

  • さて、城の内部はひととおり見たので丘を降りることにします。<br /><br />時計を見ると15時。<br /><br />のんびり見ても所要時間は1時間半くらいですね。

    さて、城の内部はひととおり見たので丘を降りることにします。

    時計を見ると15時。

    のんびり見ても所要時間は1時間半くらいですね。

  • 続いては丘の西側、ヤントラ川沿いの狭縊の地、アセノフ地区へ。<br /><br />伝統あるブルガリア正教の4つの小さな教会が残っているところです。<br /><br />・・・ここの道を歩いていると、家族連れのブルガリア人観光客のおじさんに“琴欧州は元気か?”と声をかけられました(笑)。<br /><br />そう、大関琴欧州ことカロヤン・ステファノフ・マハリャノフはここヴェリコ・タルノヴォ市出身なんですよね。<br /><br />彼が日本で活躍していることもあって、ブルガリアは親日的な人が多い感じです。<br /><br />ブルガリアで会話のネタに困ったら琴欧州のことを話題にすると皆喜んでくれます(笑)。

    続いては丘の西側、ヤントラ川沿いの狭縊の地、アセノフ地区へ。

    伝統あるブルガリア正教の4つの小さな教会が残っているところです。

    ・・・ここの道を歩いていると、家族連れのブルガリア人観光客のおじさんに“琴欧州は元気か?”と声をかけられました(笑)。

    そう、大関琴欧州ことカロヤン・ステファノフ・マハリャノフはここヴェリコ・タルノヴォ市出身なんですよね。

    彼が日本で活躍していることもあって、ブルガリアは親日的な人が多い感じです。

    ブルガリアで会話のネタに困ったら琴欧州のことを話題にすると皆喜んでくれます(笑)。

  • 4つの教会のうちいちばん最初に入ったのが“聖40人の殉教者教会”(Holy Forty Martyrs Church)。<br /><br />第2次ブルガリア帝国最盛期の皇帝、イヴァン・アセン2世(在位1218-41年)により創建された教会です。<br /><br />1230年、イヴァン・アセン2世がテッサロニキのエピルス専制侯国(第4次十字軍により一時的に滅ぼされたビザンツ帝国の亡命政権のひとつ)の皇帝を捕虜にした日が聖40人の殉教者の受難日だったことから、記念にここにあったビザンツ帝国時代からの教会を建て直してこの名が付けられることになりました。<br /><br />現在の教会は2006年に修復されたもので、手入れの行き届いた庭とともにこのように新しくきれいに見えます。

    4つの教会のうちいちばん最初に入ったのが“聖40人の殉教者教会”(Holy Forty Martyrs Church)。

    第2次ブルガリア帝国最盛期の皇帝、イヴァン・アセン2世(在位1218-41年)により創建された教会です。

    1230年、イヴァン・アセン2世がテッサロニキのエピルス専制侯国(第4次十字軍により一時的に滅ぼされたビザンツ帝国の亡命政権のひとつ)の皇帝を捕虜にした日が聖40人の殉教者の受難日だったことから、記念にここにあったビザンツ帝国時代からの教会を建て直してこの名が付けられることになりました。

    現在の教会は2006年に修復されたもので、手入れの行き届いた庭とともにこのように新しくきれいに見えます。

  • 入場料は5Lv(250円)。撮影する場合にはさらにもう5Lvかかります。<br /><br />修復されたばかりの内部は壁も柱もイコノスタシスも白を基調としていて、このとおり清楚な印象。<br /><br />しかしよく見ると左右の柱の形が微妙に異なっています。<br /><br />これはかつて建築に使われていた歴史的に意義のある柱を修復後も使っているためで、この写真の右側にあるのがイヴァン・アセン2世時代の大理石の柱。<br /><br />この柱には先に説明した1230年のエピルス専制侯国に対する戦勝記念の碑文が残されています。<br /><br />また、修復前のこの教会の柱の中からは、金糸を織り込んだ豪華な衣装に身を包んだ皇帝カロヤン(在位1197-1207年)の遺骨が発見され、現在ではこれらの遺骨を集めて教会の外に皇帝の墓が置かれています。

    入場料は5Lv(250円)。撮影する場合にはさらにもう5Lvかかります。

    修復されたばかりの内部は壁も柱もイコノスタシスも白を基調としていて、このとおり清楚な印象。

    しかしよく見ると左右の柱の形が微妙に異なっています。

    これはかつて建築に使われていた歴史的に意義のある柱を修復後も使っているためで、この写真の右側にあるのがイヴァン・アセン2世時代の大理石の柱。

    この柱には先に説明した1230年のエピルス専制侯国に対する戦勝記念の碑文が残されています。

    また、修復前のこの教会の柱の中からは、金糸を織り込んだ豪華な衣装に身を包んだ皇帝カロヤン(在位1197-1207年)の遺骨が発見され、現在ではこれらの遺骨を集めて教会の外に皇帝の墓が置かれています。

  • 教会内の一角には、かつてこの教会にあったと思われるフレスコ画が、修復後の新たな壁に貼り付けられていました。<br /><br />こういう修復のあり方もあるんですね。

    教会内の一角には、かつてこの教会にあったと思われるフレスコ画が、修復後の新たな壁に貼り付けられていました。

    こういう修復のあり方もあるんですね。

  • こちらは第1次ブルガリア帝国(681-1018年)の隆盛期の皇帝(汗、ハーン)、クルム汗(755-814年)の大理石の柱。<br /><br />左はその子オムルタグ汗(在位814-831年)の柱。<br /><br />これらはかつての第1次ブルガリア帝国時代の都、プレスラフの宮廷にあったものをイヴァン・アセン2世が持ち込んで柱に使ったと言われ、イヴァン・アセン2世自身の碑文も刻まれています。<br /><br />これは、実際には第1次ブルガリア帝国の皇帝と血のつながりのないイヴァン・アセン2世が、現在のブルガリアの国を強くまとめあげるための“第2次ブルガリア帝国は第1次ブルガリア帝国を継承する”というアピールであったと考えられています。

    こちらは第1次ブルガリア帝国(681-1018年)の隆盛期の皇帝(汗、ハーン)、クルム汗(755-814年)の大理石の柱。

    左はその子オムルタグ汗(在位814-831年)の柱。

    これらはかつての第1次ブルガリア帝国時代の都、プレスラフの宮廷にあったものをイヴァン・アセン2世が持ち込んで柱に使ったと言われ、イヴァン・アセン2世自身の碑文も刻まれています。

    これは、実際には第1次ブルガリア帝国の皇帝と血のつながりのないイヴァン・アセン2世が、現在のブルガリアの国を強くまとめあげるための“第2次ブルガリア帝国は第1次ブルガリア帝国を継承する”というアピールであったと考えられています。

  • 16時、続いて2番目の教会、“聖ペテロ・聖パウロ教会”へ。<br /><br />13世紀、皇帝カロヤンの命により建てられた教会で、小さい外観ながらも、14世紀末から19世紀にかけてのオスマン帝国支配時代にはタルノヴォ主教区の主教座聖堂としての役割も果たしていました。<br /><br />さて、近づいてみると教会の周りには足場が組まれ、修復作業中・・・この日は内部見学はできないのかと思い、入口でたたずんでいると、近くにあった受付所らしき建物からおばあさんが出てきて、“あなた、どこから来たの?学生さん?よかったら中を案内してあげるわよ”と言われ、鍵を開けて中に入れさせてもらうことができました。

    16時、続いて2番目の教会、“聖ペテロ・聖パウロ教会”へ。

    13世紀、皇帝カロヤンの命により建てられた教会で、小さい外観ながらも、14世紀末から19世紀にかけてのオスマン帝国支配時代にはタルノヴォ主教区の主教座聖堂としての役割も果たしていました。

    さて、近づいてみると教会の周りには足場が組まれ、修復作業中・・・この日は内部見学はできないのかと思い、入口でたたずんでいると、近くにあった受付所らしき建物からおばあさんが出てきて、“あなた、どこから来たの?学生さん?よかったら中を案内してあげるわよ”と言われ、鍵を開けて中に入れさせてもらうことができました。

  • こんな修復作業中の状態ですが、入場料はきっちり取られます(笑)。<br /><br />入場料6Lvに撮影料5Lvで合計11Lv(550円)。<br /><br />一見、石とレンガ造の素朴な教会ですが、内部には13世紀から17世紀にかけて3期に分けて描かれた貴重な壁画が残されていました。

    こんな修復作業中の状態ですが、入場料はきっちり取られます(笑)。

    入場料6Lvに撮影料5Lvで合計11Lv(550円)。

    一見、石とレンガ造の素朴な教会ですが、内部には13世紀から17世紀にかけて3期に分けて描かれた貴重な壁画が残されていました。

  • 壁画はところどころ欠落していますが、総じて保存状態は良く、薄暗さも手伝って、見ていると何だか厳粛な気持ちになってきます。

    壁画はところどころ欠落していますが、総じて保存状態は良く、薄暗さも手伝って、見ていると何だか厳粛な気持ちになってきます。

  • こちらは側面の壁に残された壁画。<br /><br />保存状態はかなりいいですね。<br /><br />タルノヴォの中世教会はほとんどがオスマン帝国軍に破壊されてしまったため、この聖ペテロ・聖パウロ教会に残る壁画はかなり貴重なものとなっているそうです。

    こちらは側面の壁に残された壁画。

    保存状態はかなりいいですね。

    タルノヴォの中世教会はほとんどがオスマン帝国軍に破壊されてしまったため、この聖ペテロ・聖パウロ教会に残る壁画はかなり貴重なものとなっているそうです。

  • こちらの壁には聖人がズラリ。<br /><br />案内のおばあさんが、これは聖ニコライ、これは聖ディミタルと、主なものを丁寧に説明してくれました。<br /><br />しばらくしてほとんどのものを忘れてしまいましたが(笑)。<br /><br />おばあさん、スミマセン・・・。

    こちらの壁には聖人がズラリ。

    案内のおばあさんが、これは聖ニコライ、これは聖ディミタルと、主なものを丁寧に説明してくれました。

    しばらくしてほとんどのものを忘れてしまいましたが(笑)。

    おばあさん、スミマセン・・・。

  • こちらの柱に描かれているのは聖ペテロと聖パウロ。<br /><br />このくらいはちゃんと覚えています(笑)。<br /><br /><br />・・・聖ペテロ・聖パウロ教会、ヴェリコ・タルノヴォではいちばんといっていいくらい見応えがありました。<br /><br />おばあさんに出会えて中に入れてよかったです。<br /><br />おばあさんは日本には行ったことがないそうで(ほとんどのブルガリア人にとっては当たり前か・・・)、少し日本の話をしましたが、琴欧州の話をするとやっぱり喜んでくれました。<br /><br />最後にお礼を言って別れようとすると、“聖40人の殉教者教会に行ったのなら次は(対岸にある)聖ディミタル教会がいいわよ。18時まで開いているから早めに行ってみなさい”とアドバイスしてくれました。<br /><br />おばあさん、ブラゴダリャ!(ありがとう!)

    こちらの柱に描かれているのは聖ペテロと聖パウロ。

    このくらいはちゃんと覚えています(笑)。


    ・・・聖ペテロ・聖パウロ教会、ヴェリコ・タルノヴォではいちばんといっていいくらい見応えがありました。

    おばあさんに出会えて中に入れてよかったです。

    おばあさんは日本には行ったことがないそうで(ほとんどのブルガリア人にとっては当たり前か・・・)、少し日本の話をしましたが、琴欧州の話をするとやっぱり喜んでくれました。

    最後にお礼を言って別れようとすると、“聖40人の殉教者教会に行ったのなら次は(対岸にある)聖ディミタル教会がいいわよ。18時まで開いているから早めに行ってみなさい”とアドバイスしてくれました。

    おばあさん、ブラゴダリャ!(ありがとう!)

  • さて、おばあさんのアドバイスにしたがい、橋を渡って対岸にある聖ディミタル教会を目指すことにします。<br /><br />ヤントラ川沿いの景色は緑がいっぱいで清々しいですね。<br /><br />ヴェリコ・タルノヴォ、ブルガリアの都市の中では中世の歴史を味わえると同時に、緑いっぱいの自然にも親しむことができ、本当にオススメの街です!<br /><br />もちろん、素朴で親切なブルガリアの人々にも出会えますしね。

    さて、おばあさんのアドバイスにしたがい、橋を渡って対岸にある聖ディミタル教会を目指すことにします。

    ヤントラ川沿いの景色は緑がいっぱいで清々しいですね。

    ヴェリコ・タルノヴォ、ブルガリアの都市の中では中世の歴史を味わえると同時に、緑いっぱいの自然にも親しむことができ、本当にオススメの街です!

    もちろん、素朴で親切なブルガリアの人々にも出会えますしね。

  • 橋を渡ると、こちら側には味のある民家群が。<br /><br />自然と調和した、きれいな街並みです。

    橋を渡ると、こちら側には味のある民家群が。

    自然と調和した、きれいな街並みです。

  • 聖ディミタル教会へやってきました。<br /><br />第2次ブルガリア帝国時代の守護聖人、聖ディミタルの名を冠したビザンティン様式の教会で、現在の建物は1985年に修復された新しいものとなっています。<br /><br />1185年、当時ビザンツ帝国の支配下にあったこの教会で、アセンとペタルの兄弟がビザンツ帝国への戦いを宣誓し、戦いに先立ってブルガリアの独立が宣言されました。<br /><br />また、ここで兄のペタルがブルガリア皇帝として戴冠したとも伝えられており、第2次ブルガリア帝国誕生の歴史が秘められた教会となっています。<br /><br />さて、中に入ろうとすると、門に鍵がかかっていて開きません。<br /><br />先に来ていた欧米系のグループの観光客も中に入れなくて途方に暮れている様子・・・。<br /><br />ガイドブックを見ると、“聖ディミタル教会が閉まっているときは聖ペテロ・聖パウロ教会のスタッフに頼んで鍵を開けてもらう”とありましたが、せっかくいい感じで別れたあのおばあさんに会いに行くのは恥ずかしいのでここは諦めることにします(笑)。

    聖ディミタル教会へやってきました。

    第2次ブルガリア帝国時代の守護聖人、聖ディミタルの名を冠したビザンティン様式の教会で、現在の建物は1985年に修復された新しいものとなっています。

    1185年、当時ビザンツ帝国の支配下にあったこの教会で、アセンとペタルの兄弟がビザンツ帝国への戦いを宣誓し、戦いに先立ってブルガリアの独立が宣言されました。

    また、ここで兄のペタルがブルガリア皇帝として戴冠したとも伝えられており、第2次ブルガリア帝国誕生の歴史が秘められた教会となっています。

    さて、中に入ろうとすると、門に鍵がかかっていて開きません。

    先に来ていた欧米系のグループの観光客も中に入れなくて途方に暮れている様子・・・。

    ガイドブックを見ると、“聖ディミタル教会が閉まっているときは聖ペテロ・聖パウロ教会のスタッフに頼んで鍵を開けてもらう”とありましたが、せっかくいい感じで別れたあのおばあさんに会いに行くのは恥ずかしいのでここは諦めることにします(笑)。

  • 16時40分、同じく対岸にある、アセノフ地区の4つの教会うち最後の教会、聖ゲオルギ教会へ。<br /><br />こちらも開館時間18時までとあるのに鍵がかかっています。<br /><br />そもそもこの地区は観光客が少ないからですかね・・・。<br /><br />ここで少したたずんでいると、なかから草取りをしているらしきおじさんが出てきて、“どこから来たんだ?川の向こうにある聖40人の殉教者教会と聖ペテロ・聖パウロ教会はいいぞ”とすでに見た別の教会を薦めてきます・・・まるでどこかで読んだおとぎ話のようなやり取り(笑)。<br /><br />それでも、この教会を見たいと言うと、どうぞという感じで通してくれました。

    16時40分、同じく対岸にある、アセノフ地区の4つの教会うち最後の教会、聖ゲオルギ教会へ。

    こちらも開館時間18時までとあるのに鍵がかかっています。

    そもそもこの地区は観光客が少ないからですかね・・・。

    ここで少したたずんでいると、なかから草取りをしているらしきおじさんが出てきて、“どこから来たんだ?川の向こうにある聖40人の殉教者教会と聖ペテロ・聖パウロ教会はいいぞ”とすでに見た別の教会を薦めてきます・・・まるでどこかで読んだおとぎ話のようなやり取り(笑)。

    それでも、この教会を見たいと言うと、どうぞという感じで通してくれました。

  • 階段を昇ると、緑に包まれた小さな石造の教会が。<br /><br />この聖ゲオルギ教会、オスマン帝国支配時代の1616年に建てられたもので、内部には素晴らしいフレスコ画があるとのことでしたが、扉には鍵がかかっていて入れず・・・。<br /><br />さすがにあのおじさんはこちらの鍵はもっていないだろうと諦め、これまた外観だけで帰ることにしました。<br /><br />・・・帰り際、おじさんにありがとうを言い別れを告げると、おじさんは手に持っていた一房のぶどうを渡してくれました。<br /><br />ぶどうはとても甘く、暑くて喉が渇いていただけにすごく美味しかったです。<br /><br />・・・ヴェリコ・タルノヴォの人々の優しさが身に染みます。

    階段を昇ると、緑に包まれた小さな石造の教会が。

    この聖ゲオルギ教会、オスマン帝国支配時代の1616年に建てられたもので、内部には素晴らしいフレスコ画があるとのことでしたが、扉には鍵がかかっていて入れず・・・。

    さすがにあのおじさんはこちらの鍵はもっていないだろうと諦め、これまた外観だけで帰ることにしました。

    ・・・帰り際、おじさんにありがとうを言い別れを告げると、おじさんは手に持っていた一房のぶどうを渡してくれました。

    ぶどうはとても甘く、暑くて喉が渇いていただけにすごく美味しかったです。

    ・・・ヴェリコ・タルノヴォの人々の優しさが身に染みます。

  • 時計を見るともう17時。<br /><br />ツァレヴェッツの丘の上の城を眺めながら、そろそろ元来た道を戻ることにします。<br /><br /><br />(先ほどのぶどうの件は、ヴェリコ・タルノヴォの片田舎だから安心して食べられたのであって、ソフィアなどブルガリアの都市部では外国人に睡眠薬を入れた食べ物をプレゼントし、眠っている隙に金品を奪うという手口の強盗も報告されているようですので、これからブルガリアを訪れようとする方は十分気を付けてください。)

    時計を見るともう17時。

    ツァレヴェッツの丘の上の城を眺めながら、そろそろ元来た道を戻ることにします。


    (先ほどのぶどうの件は、ヴェリコ・タルノヴォの片田舎だから安心して食べられたのであって、ソフィアなどブルガリアの都市部では外国人に睡眠薬を入れた食べ物をプレゼントし、眠っている隙に金品を奪うという手口の強盗も報告されているようですので、これからブルガリアを訪れようとする方は十分気を付けてください。)

  • 17時20分、旧市街に戻ってきました。<br /><br />こちらは旧市街の小高い丘の上にある聖母教会。<br /><br />大きくてきれいで立派なのですが、先ほどの味のある古い教会群を見た後では物足りなく感じてしまいますね。

    17時20分、旧市街に戻ってきました。

    こちらは旧市街の小高い丘の上にある聖母教会。

    大きくてきれいで立派なのですが、先ほどの味のある古い教会群を見た後では物足りなく感じてしまいますね。

  • 聖母教会のすぐ近くにある民族復興期博物館。<br /><br />1872年にブルガリア人の名建築家コリュ・フィチェトによって設計された2階建の木造建築で、もともとはオスマン帝国のタルノヴォ総督の屋敷として使われていました。<br /><br />現在はブルガリアの独立運動を中心とする19世紀の社会情勢に関連した資料を展示する博物館となっていますが、すでに17時を過ぎて閉館していたため、中には入れず。<br /><br />・・・近くのベンチでは地元ブルガリア人の母子たちが夕暮れのひとときを楽しんでいました。

    聖母教会のすぐ近くにある民族復興期博物館。

    1872年にブルガリア人の名建築家コリュ・フィチェトによって設計された2階建の木造建築で、もともとはオスマン帝国のタルノヴォ総督の屋敷として使われていました。

    現在はブルガリアの独立運動を中心とする19世紀の社会情勢に関連した資料を展示する博物館となっていますが、すでに17時を過ぎて閉館していたため、中には入れず。

    ・・・近くのベンチでは地元ブルガリア人の母子たちが夕暮れのひとときを楽しんでいました。

  • さて、この日も一日歩きまわってお腹がすいてきたので、そろそろ夕食でも食べようとレストランを探します。<br /><br />しかし、旧市街のメインストリートであるニコラ・ピコロ通りやステファン・スタンボロフ通りは、なんだか廃れた感じで人の気配があまり感じられません・・・。<br /><br />社会主義体制から資本主義体制への移行など、社会の変化とともに皆外国へ移住してしまったのでしょうか。

    さて、この日も一日歩きまわってお腹がすいてきたので、そろそろ夕食でも食べようとレストランを探します。

    しかし、旧市街のメインストリートであるニコラ・ピコロ通りやステファン・スタンボロフ通りは、なんだか廃れた感じで人の気配があまり感じられません・・・。

    社会主義体制から資本主義体制への移行など、社会の変化とともに皆外国へ移住してしまったのでしょうか。

  • こちらの建物は窓ガラスが割れたぼろぼろのままで放置されている様子・・・まるでゴーストタウンのようです。<br /><br />豊かな自然に囲まれた歴史ある美しい都市、ヴェリコ・タルノヴォにはこんな一面もあり、人口が減り続けているブルガリアの国そのものと同様、なかなか発展がうまく行っていないようです。

    こちらの建物は窓ガラスが割れたぼろぼろのままで放置されている様子・・・まるでゴーストタウンのようです。

    豊かな自然に囲まれた歴史ある美しい都市、ヴェリコ・タルノヴォにはこんな一面もあり、人口が減り続けているブルガリアの国そのものと同様、なかなか発展がうまく行っていないようです。

  • 寂しいメインストリートを抜け、ヤントラグランドホテルの脇の階段を昇ったところにある昔ながらの小路“サモヴォドスカタ・チャルシャ”へやってきました。<br /><br />“チャルシャ”とは“市場”という意味で、この通りには古くから営業を続ける金銀細工、陶器、織物、革製品、木彫り、絵画といった、手工芸品を中心とする小さな店が軒を連ねています。<br /><br />ヴェリコ・タルノヴォのほかの通りは、先ほどのゴーストタウンほどではないにせよ味気ないものが多いので、この通りにけっこうな外国人観光客が集まっている感じです。

    寂しいメインストリートを抜け、ヤントラグランドホテルの脇の階段を昇ったところにある昔ながらの小路“サモヴォドスカタ・チャルシャ”へやってきました。

    “チャルシャ”とは“市場”という意味で、この通りには古くから営業を続ける金銀細工、陶器、織物、革製品、木彫り、絵画といった、手工芸品を中心とする小さな店が軒を連ねています。

    ヴェリコ・タルノヴォのほかの通りは、先ほどのゴーストタウンほどではないにせよ味気ないものが多いので、この通りにけっこうな外国人観光客が集まっている感じです。

  • 通りの真ん中には広場もありました。<br /><br />ここの建物も、前日にプロヴディフで見た民族復興様式の建物と同様、2階と3階部分が道路に突き出たかたちをしていますね。

    通りの真ん中には広場もありました。

    ここの建物も、前日にプロヴディフで見た民族復興様式の建物と同様、2階と3階部分が道路に突き出たかたちをしていますね。

  • サモヴォドスカタ・チャルシャには外国人ばかりが入っているレストランしかなかったので、もっと地元の人々が入っているレストランを求めて新市街へ。<br /><br />それでも、相変わらず“地球の歩き方”は役に立たず、なかなかいいお店が見つかりません(笑)。<br /><br />そうこうしているうちに、いつの間にか18時30分に・・・陽もだいぶ傾いてきました。<br /><br />新市街の建物の隙間から崖の下を眺めると、蛇行するヤントラ川に挟まれた中州のような場所に、西日を浴びたヴェリコ・タルノヴォ美術館と皇帝アセンのモニュメントが。<br /><br />このモニュメントは、ヴェリコ・タルノヴォが首都であった第2次ブルガリア帝国の建国800周年にあたる1985年に、国を築いた皇帝アセン(イヴァン・アセン1世)を記念して建てられたものです。<br /><br />モニュメントの中心部分には、鋭い剣が空高くまっすぐに伸び、その周りを、ビザンツ帝国からの独立を勝ち取ったペタルとアセンの兄弟、その弟カロヤン、アセンの子イヴァン・アセン2世の歴代4皇帝が囲んでいます。

    サモヴォドスカタ・チャルシャには外国人ばかりが入っているレストランしかなかったので、もっと地元の人々が入っているレストランを求めて新市街へ。

    それでも、相変わらず“地球の歩き方”は役に立たず、なかなかいいお店が見つかりません(笑)。

    そうこうしているうちに、いつの間にか18時30分に・・・陽もだいぶ傾いてきました。

    新市街の建物の隙間から崖の下を眺めると、蛇行するヤントラ川に挟まれた中州のような場所に、西日を浴びたヴェリコ・タルノヴォ美術館と皇帝アセンのモニュメントが。

    このモニュメントは、ヴェリコ・タルノヴォが首都であった第2次ブルガリア帝国の建国800周年にあたる1985年に、国を築いた皇帝アセン(イヴァン・アセン1世)を記念して建てられたものです。

    モニュメントの中心部分には、鋭い剣が空高くまっすぐに伸び、その周りを、ビザンツ帝国からの独立を勝ち取ったペタルとアセンの兄弟、その弟カロヤン、アセンの子イヴァン・アセン2世の歴代4皇帝が囲んでいます。

  • 新市街をさまよって、だいぶ下の方まで降りてきました。<br /><br />遠くに目をやると、丘の上の旧市街の建物に西日が当たって、美しく輝いているように見えますね。

    新市街をさまよって、だいぶ下の方まで降りてきました。

    遠くに目をやると、丘の上の旧市街の建物に西日が当たって、美しく輝いているように見えますね。

  • 19時30分、さまよった挙句、下の方ではいい感じの店が見つからなかったので、結局、旧市街の近くに戻ってきて、ステファン・スタンボロフ通り沿いの“シュタストリヴェツァ”というレストランに入りました。<br /><br />地元の人もけっこう入っているようで、なかなかよさそうな感じです。<br /><br />青い制服を着たウェイトレスも美人揃いでしたし(笑)。<br /><br />【シュタストリヴェツァのHP】<br />http://www.shtastliveca.com/

    19時30分、さまよった挙句、下の方ではいい感じの店が見つからなかったので、結局、旧市街の近くに戻ってきて、ステファン・スタンボロフ通り沿いの“シュタストリヴェツァ”というレストランに入りました。

    地元の人もけっこう入っているようで、なかなかよさそうな感じです。

    青い制服を着たウェイトレスも美人揃いでしたし(笑)。

    【シュタストリヴェツァのHP】
    http://www.shtastliveca.com/

  • 注文したのは“ワラキア風ミートボール”という一品。<br /><br />厚いピザのような生地の上にキョフテ(ミートボール)がちょこんと置かれています。<br /><br />“ワラキア”というと現在のルーマニアの南部地方ですが、こちらはブルガリアと違ってオスマン帝国の直接の支配は受けていないものの、肉料理など大きな影響を受けているのでしょうかね。<br /><br />肝心の味の方は・・・あまり記憶に残っていないので、飛びぬけて美味しくも、逆に不味くもなかったということなのでしょう(笑)。<br /><br />お代はザゴルカビール(2.3Lv)とあわせて11.2Lv(560円)。<br /><br />味よりも美人のウェイトレスの方が印象に残ったレストランでした(笑)。

    注文したのは“ワラキア風ミートボール”という一品。

    厚いピザのような生地の上にキョフテ(ミートボール)がちょこんと置かれています。

    “ワラキア”というと現在のルーマニアの南部地方ですが、こちらはブルガリアと違ってオスマン帝国の直接の支配は受けていないものの、肉料理など大きな影響を受けているのでしょうかね。

    肝心の味の方は・・・あまり記憶に残っていないので、飛びぬけて美味しくも、逆に不味くもなかったということなのでしょう(笑)。

    お代はザゴルカビール(2.3Lv)とあわせて11.2Lv(560円)。

    味よりも美人のウェイトレスの方が印象に残ったレストランでした(笑)。

  • 夕食後、ホテルに戻ってテレビを見ていたら、いつの間にか眠ってしまったようで、気付いたらもう23時。<br /><br />せっかく来たのだから夜のヴェリコ・タルノヴォの風景でも見ようとあわてて街へ繰り出します。<br /><br />しかし、ゴーストタウンのような旧市街は街灯も少なく、人通りもなくてさらにコワい感じ・・・。<br /><br />・・・今から思えばこんな時間によく歩きにいったものです。<br /><br />(特に女性の方はマネしないでください。)

    夕食後、ホテルに戻ってテレビを見ていたら、いつの間にか眠ってしまったようで、気付いたらもう23時。

    せっかく来たのだから夜のヴェリコ・タルノヴォの風景でも見ようとあわてて街へ繰り出します。

    しかし、ゴーストタウンのような旧市街は街灯も少なく、人通りもなくてさらにコワい感じ・・・。

    ・・・今から思えばこんな時間によく歩きにいったものです。

    (特に女性の方はマネしないでください。)

  • 旧市街のメインストリートからツァレヴェッツの丘を眺めると・・・案の定、ライトアップがされていました。<br /><br />先が崖になっている道路脇の壁にカメラを固定してパチリ。<br /><br />暗い中、周りに注意を配りながらの作業でしたが、なんとかブレずに記念となる写真が残せてよかったです。<br /><br />ちなみに、夏の間は不定期ですがこの丘全体をライトアップする音と光のショーが行われているようで、この日行われたかどうかは寝過してしまったため結局分からずじまいでした。

    旧市街のメインストリートからツァレヴェッツの丘を眺めると・・・案の定、ライトアップがされていました。

    先が崖になっている道路脇の壁にカメラを固定してパチリ。

    暗い中、周りに注意を配りながらの作業でしたが、なんとかブレずに記念となる写真が残せてよかったです。

    ちなみに、夏の間は不定期ですがこの丘全体をライトアップする音と光のショーが行われているようで、この日行われたかどうかは寝過してしまったため結局分からずじまいでした。

  • (おまけ)<br /><br />ブルガリアでよく飲んだのが、ヨーグルトならぬこのグリーンティー。<br /><br />日本の緑茶のように緑色をしており、ストロベリー風味でしたがさっぱりしていて暑い夏の気候によく合いました。<br /><br />NESTEAだから全世界ブランドだとは思いますが、今までヨーロッパのほかの国では見かけなかったような・・・フレーバーティーの文化のあるブルガリア限定なのでしょうか?<br /><br />緑のお茶もどこの産地なのか気になりますが、またヨーロッパを旅してどこかの国で見かけたら飲んでみたいですね。<br /><br />・・・さて、ヴェリコ・タルノヴォ、繰り返しになりますが、そのブルガリア人の心に根ざした独特な歴史と豊かな自然が魅力的な、ブルガリアでいちばんと言ってもいいくらい、本当にいい街でした!<br /><br />翌日はブルガリア第三の都市、ヴァルナを経由して黒海沿岸の街ブルガスへ。<br /><br />いよいよブルガリアの旅も残り少なくなってきました。<br /><br />初めて見る黒海は一体どんな色をしているのでしょうか?<br /><br />マニアックさは一層深まってきますが(笑)、引き続きブルガリアの旅の魅力を伝えていきたいと思いますので、よろしかったら是非またご覧ください!<br /><br />(ブルガリア6日目=ヴァルナ観光へ続く。)

    (おまけ)

    ブルガリアでよく飲んだのが、ヨーグルトならぬこのグリーンティー。

    日本の緑茶のように緑色をしており、ストロベリー風味でしたがさっぱりしていて暑い夏の気候によく合いました。

    NESTEAだから全世界ブランドだとは思いますが、今までヨーロッパのほかの国では見かけなかったような・・・フレーバーティーの文化のあるブルガリア限定なのでしょうか?

    緑のお茶もどこの産地なのか気になりますが、またヨーロッパを旅してどこかの国で見かけたら飲んでみたいですね。

    ・・・さて、ヴェリコ・タルノヴォ、繰り返しになりますが、そのブルガリア人の心に根ざした独特な歴史と豊かな自然が魅力的な、ブルガリアでいちばんと言ってもいいくらい、本当にいい街でした!

    翌日はブルガリア第三の都市、ヴァルナを経由して黒海沿岸の街ブルガスへ。

    いよいよブルガリアの旅も残り少なくなってきました。

    初めて見る黒海は一体どんな色をしているのでしょうか?

    マニアックさは一層深まってきますが(笑)、引き続きブルガリアの旅の魅力を伝えていきたいと思いますので、よろしかったら是非またご覧ください!

    (ブルガリア6日目=ヴァルナ観光へ続く。)

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この旅行記へのコメント (6)

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  • ちゃちゃさん 2012/10/21 15:12:38
    美しい街並みですね。
    エンリケさん

    はじめまして!
    コメントありがとうございました。

    恥ずかしながら、ブルガリアといえば、ヨーグルトしか思い浮かびませんでしたが、美しい街並みで見所が沢山ある素敵な国なのですね!
    教会や壁画が素晴らしいですね!実物を見て見たいです。
    私は、最近、海外旅行になかなか行く事ができないので、楽しませていただきました♪

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2012/11/05 02:06:20
    ご訪問ありがとうございます。
    ちゃちゃさん

    こんばんは。ブルガリア旅行記にご訪問ありがとうございます。

    ブルガリアは個々の建築物や街並みだけを見れば、イタリアやフランス、スペイン、チェコなどの他のヨーロッパの国々にかなわないのですが、そこに住んでいる素朴で親切な人々と重ね合わせてみることで、ブルガリア独特の雰囲気ある街の姿が浮かび上がり、街全体が魅力的なものに見えてくるのだと思います。

    最近は世界遺産に代表される美しい建物や風景よりも、そこで暮らしている素朴な人々の姿にひかれますね。
  • liberty-libertyさん 2012/10/19 22:59:09
    ファンタジーです〜(*^o^*)
    エンリケさん、こんにちは!

    まさにですね!
    ホント、あのお城はドラクエの世界ですよ!
    ファミコンで一番最初のドラクエしかやったことないけど(^o^;)
    そんな私でもそう思います!

    それに周囲の緑多き風景も
    昔、童話を読んでもらってイメージした
    西洋の風景がそのまま残っているかのようです。

    毎回
    エンリケさんと地元の人達との会話にも癒されています。
    次回も楽しみにしていますね〜(^o^)/

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2012/11/04 19:12:23
    いつもご訪問ありがとうございます!
    liberty-libertyさん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!
    お返事が遅れてしまいすみません。

    ブルガリアは本当に素朴で親切な人が多く、そういった方々とのやりとりも思い出に残りました。

    やっぱり英語でコミュニケーションをとれるって、すごく大事なことですね!

    これからはもっと英会話を上達させて、海外の人々との会話を楽しんでいきたいですね。
  • ガブリエラさん 2012/10/15 22:29:14
    本当!ドラクエですね〜ヽ(^o^)丿
    エンリケさん☆

    こんばんは♪

    お城大好きの私、なんだかこのお城懐かしい感じがする・・・と思ったら、コメントを見せていただいて納得ヽ(^o^)丿
    そうですね!
    本当にドラクエのお城ですね(*^_^*)
    てっぺんの感じが、素敵です!
    オルジナルじゃないことを、きちんと自己申告するプレート、まじめな国民性がでてますね(^O^)

    教会も、本当にすてきですね♪
    ブルガリア、見どころ満載です〜ヽ(^o^)丿

    次も、楽しみにまってますね!

    ガブ(^_^)v

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2012/10/20 17:25:11
    いつもご訪問ありがとうございます!
    ガブリエラさん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます!

    世界を旅していると、このヴェリコ・タルノヴォの城のように、本当にドラクエっぽい景色に出会えるのがおもしろいところですね!

    世界の国々はそれだけ景観を大事にしているということ・・・我が国も見習って行きたいものです!

    ブルガリアの旅もあと2日間ですが、ぜひまた遊びにきてください!

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