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松本街道は北陸道の脇街道で、新潟の糸魚川から長野の松本に至る山岳国道で有る。<br />別名信州街道・千国街道・大糸街道とも言われていて、長野側では糸魚川街道とも呼ばれていた。<br />姫川渓谷を走る全長約120kmの峻険な山越えの国道で、日本海側からは塩や海産物が信州長野方面へ運ばれた。<br />又、信州側からは、大豆・煙草・生薬・綿・麻等が、昔は牛やボッカの背で運ばれたと言う。<br />この関係で、この街道は別名「塩の道」とも呼ばれていた。<br />塩を含め、街道周辺の人々の生活物資の輸送路として重要な役割を果たしていたと言う。<br />有名な逸話で、越後の戦国大名であった「上杉謙信」は街道沿いに番所の設置と信州問屋制度を設けていた。<br />そして、この街道を管理して塩の自由交易を保障していた。<br />有名な話で、「敵に塩を送る」と言う話の塩留めに苦しむ武田信玄に塩を送った俗説も生まれた。

遊び人、松本街道を走る!①

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2012/09/27 - 2012/09/27

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阿蘇美忍

阿蘇美忍さん

松本街道は北陸道の脇街道で、新潟の糸魚川から長野の松本に至る山岳国道で有る。
別名信州街道・千国街道・大糸街道とも言われていて、長野側では糸魚川街道とも呼ばれていた。
姫川渓谷を走る全長約120kmの峻険な山越えの国道で、日本海側からは塩や海産物が信州長野方面へ運ばれた。
又、信州側からは、大豆・煙草・生薬・綿・麻等が、昔は牛やボッカの背で運ばれたと言う。
この関係で、この街道は別名「塩の道」とも呼ばれていた。
塩を含め、街道周辺の人々の生活物資の輸送路として重要な役割を果たしていたと言う。
有名な逸話で、越後の戦国大名であった「上杉謙信」は街道沿いに番所の設置と信州問屋制度を設けていた。
そして、この街道を管理して塩の自由交易を保障していた。
有名な話で、「敵に塩を送る」と言う話の塩留めに苦しむ武田信玄に塩を送った俗説も生まれた。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
  • 関川沿いの街道を走ると最初の見所は、ヒスイ峡と高浪の池です。

    関川沿いの街道を走ると最初の見所は、ヒスイ峡と高浪の池です。

  • 高浪の池では、巨大魚の目撃が相次いでいます。

    高浪の池では、巨大魚の目撃が相次いでいます。

  • ヒスイ峡を過ぎるとこの様な、半トンネルの道が長く続きます。

    ヒスイ峡を過ぎるとこの様な、半トンネルの道が長く続きます。

  • イチオシ

  • イチオシ

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