2010/10/07 - 2010/10/17
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魅々さん
2010年10月7日、東急田園都市線「たまプラーザ駅」を中心とする商業施設「たまプラーザ テラス」がグランドオープンしました。
これまでに段階的にオープンしてきましたが、今回ですべてが完成しました。
写真の中央のはっきり写っているのが「たまプラーザ駅」を中心にした「ゲートプラザ」
手前右は東急百貨店を中心とした「ノースプラザ」、
写真中央上はスポーツクラブやペット関連のある「サウスプラザ」です。
「ゲートプラザ」だけで店舗数は約120店あります。
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これらの施設を紹介する前に多摩田園都市開発を振り返ってみます。
多摩田園都市開発は1953年、東急電鉄が発表した「城西南地区開発趣意書」から始まります。開発総面積5,000万?という一大プロジェクトでした。それには一民間企業が単独で進めるのではなく、地元の住民と力をあわせて街づくりを進める「土地区画整理事業」の開発方式が採用されました。
1966年の「溝の口〜長津田」間の開通に始まり、田園都市線の建設と並行して街づくりが進められてきました。
写真は「たまプラーザ テラス」のHPによる1960年代後半のたまプラーザ駅周辺の開発の様子です。 -
写真はたまプラーザの1980年頃の航空写真です。
駅前には大きな空き地があります。
これが後に東急百貨店が出来る空き地です。
その背後には「たまプラーザ団地」があります。これは東急電鉄が通勤の固定客を確保するために真っ先に造った団地です。駅に近い一等地で現在ではゆったりとした緑豊かな団地です。
写真の東急百貨店用地の左側にはイトーヨーカドーがありました。 -
1982年に駅の北側に東急百貨店が出来ました。
写真はそれ以降の写真で、東急百貨店が駅の北側(写真駅の上)に見えます。
イトーヨーカドーと東急百貨店はその後共存して、地域の住民の需要を満たしてきました。
また駅の南側は駅への出入り階段が出来て、空き地だった土地が東急百貨店の駐車場として利用されていました。 -
当時のたまプラーザ駅です。
「たまプラーザ」という駅名は、開業当時東急の社長であった五島昇氏の発案によるものです。
田園都市線の駅名を決定するにあたり、特に語呂がよくて親しみやすく、他に類似のものがないことと、駅の所在地と関連があり、駅勢圏のシンボルとなるものが考慮されたそうです。
「プラーザ」とは、スペイン語で「広場」を意味しますが、ここを多摩田園都市の中心としとて、広場中心の街づくりを念願したものです。
現在、たまプラーザ駅周辺の地名は横浜市青葉区の「美しが丘」、「元石川」、「新石川」、「美しが丘西」などですが、広くこれらの地域を「たまプラーザ」と呼んでいます。
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それでは、写真で「たまプラーザ テラス」を紹介します。
まず、東急百貨店の前から「たまプラーザ駅」の「北口」を見た写真です。
この駅を含めた商業施設が「ゲートプラザ」とよばれています -
駅に向かって右側にあるゲートプラザの第一期開業(2007年10月)部分です。
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駅に向かって左側で、ゲートプラザ内の今回オープンした部分です。
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駅構内の風景です。天井が高く、一部がガラス張りになっています。
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「たまプラーザ駅」の南口です。前は広いバスターミナルがあります。
バスターミナルは「北口」にもありますが、北口ターミナルは地下にあります。 -
南口から、バスターミナルと道路の上を回廊でつながった「サウスプラザ」です。
ここにはスポーツクラブやペット関連があります。 -
次にゲートプラザの内部の写真を掲載します。写真すでにオープンしていた部分です。
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今回オープンした所です。
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最後に、たまプラーザ駅からノースプラザ(東急百貨店)を見てみました。
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