2011/10/19 - 2011/10/19
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matsumotoさん
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前回は明治神宮をはじめとして神社を中心としたパワースポットめぐりを行いました。
もちろん今回も神社が主になことには変わりはありませんが、『麻布飯倉交差点』や『皇居』など風水的に『気』の集まると言われる場所もパワースポットのひとつとしてみました。
地下鉄を主な交通手段としましたので、車でない方でも巡ることのできるコースとなっています。
パワースポットめぐりをはじめてから3年目になります。
詳細な記事はこちらからもご覧いただけます↓
http://blog.livedoor.jp/pws2010/
【わたしのパワースポット考察】
もちろんそれ以前にもパワースポットと呼ばれる神社を訪れたことはありましたが、「パワースポット」に興味を持ちだしてからはそのパワーが強いと言われる神社を訪れるようになりました。ここ最近の趣味が「御朱印収集」ということもあり、パワースポット神社を訪れる機会が多くなりました。旅の目的も「神社参拝」というのが多いです。
皇居をはじめとして、パワースポットと呼ばれる地には独特の雰囲気があります。わたしが感じるのは敷地内に入った時に下界とシャットアウトされたような空気を感じ取ることができます。俗社会とは隔離された聖地に居るかのような雰囲気を一度知ってしまうと何度も通ってしまいます。そのような地には良い気が集まり、それが人を引き寄せるパワーとなっているのでしょう。
このような状況は脳にとっても非常によい効果をもたらすそうで、βエンドルフィンという脳内麻薬を分泌させる効果があるんですね。私の愛読書に佐藤富雄著の「遊ぶ人」ほど成功するホントの理由があります。その中で佐藤氏はβエンドルフィンを多く分泌させることこそが成功脳を作るにはとても大切だと述べています。
脳に「快」を与えると、脳内の神経回路が「成功モード」になっていく。したがって、「成功脳」が作られる。脳はその人の行動全般を支配しているので、いやでも成功に近づいていく。
脳にベータエンドルフィンを分泌させることによって、自分が気付いていないところで勝手に成功への行動をするようになるのです。私自身もこの効果を昨年あたりから感じるようになりました。
パワースポットとはその地にあるエネルギーのこと
と、理解していました。もちろんそれは違ってはいませんが、エネルギーとは「脳を気持ちよくさせてくれる空間」であることなんでしょうね。
パワースポットとは己の脳を成功脳にしてくれる場所と信じています。
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
イチオシ
■麻布飯倉交差点
ここはかなりレアなスポットになります。
こちらのサイトを見つけて以前から気になっていました。
↓↓↓↓
http://happy-smile-sp.at.webry.info/201002/article_13.html
交差点がパワースポット?
どんな交差点なんだろうとずっと思っていたのですが、今回念願かなってやっと訪れることができました。
ここが麻布飯倉交差点です。手前が霞ヶ関方面で信号の向こうは三田方面で左は東京タワー方面で右は六本木方面ということになります。
前後の道路(国道1号線)は交差点が頂点となっており、左右の道路(外苑東通り、六本木─東京タワー)は交差点が谷底となっているという、地形的にもとても珍しい交差点です。
正と負が交差する場所はパワースポットによく記される陰陽の記号対極図みたいです。
なんだかパワースポットらしい話になってきましたね。
このことを知って実際に訪れてみると「なるほどなぁ」ということに気づきます。
東京タワー方面から下ってくる気の流れと
皇居方面からの上ってくる気の流れとが交差するのが
ここ麻布飯倉交差点なんですね。
スピリチュアルカウンセラー佐野さんは「ここを流れるエネルギーは汚れた状態」だと言います。確かにこの交差点を訪れても結界を敷いたような神聖な雰囲気を感じることはできませんでしたし、心身が洗われるような気分にもなりません。
パワースポットに興味のある方なら一度は訪れてもいいでしょう。 -
■皇居外苑
富士山からの強い気が集まった東京での最強スポットが皇居と言われています。
最もつよいパワーをチャージするには皇居内へと入らねばなりませんが、一般参賀などの特別行事でないと入ることはできません。
皇居外苑はいつでも入ることができますのでここで気のパワーをチャージしましょう。
霞ヶ関方面の桜田門から入ります。
桜田門をくぐります。このあたりから結界の中に入ったような静寂な雰囲気を感じ取ることができます。
歩行者は通り抜け自由ですので、皇居マラソンを楽しむ人たちもたくさんいました。
パワーチャージするにはこの桜田門からスタートするのがよいでしょう。
歴史の授業で習った、「桜田門外の変」についての案内を読みつつ場内へと・・・
ここからいよいよ皇居外苑へと入ります。
ここからはすっぽりと異次元に入ったかのような空間となります。外部(俗社会)とはシャットアウトされています。
ビル群の中にあってもとても静かな空間
お濠に沿って歩きます。
この二重橋付近が一番パワーが強いそうです。ここで深呼吸を・・・
皇居外苑は砂利になっているのですが、中央部のみ舗装されています。ここがラッキーゾーンだそうです。
このラッキーゾーンを歩きましょう。
皇居外苑内を散策していると、なんとなくですが特にパワーの強い場所を感じることができます。特に水辺に多く感じますね。
ご自身で行かれて体験してみてください。
イチオシのスポットです。
パワースポットは自然が形成した場所と言うイメージが有りますが、風水を利用して設計、構築した人工的に造られたパワースポットも数多く存在します。
東京の皇居、京都の二条城、沖縄の首里城などがこれにあたります。ここには王すなわち支配者が住んでいました。
支配者にパワーが授かる様にと人工的に造られたのです。
パワーが授かる建造物を造る際に、風水をあてはめて、その場所が相応しいか、木や道を作り込んで邪悪な気を跳ね退け、良い気を取り込む様な設計をしています。
現在利用されている風水は、家族が、もしくは自分自身がよりよく暮らしていく為の知恵と言う比較的小さな規模で使われていますが、実際に風水を使って人工的にでもパワースポットを作り出す事が出来ると言うのは凄い技術だと思います。
風水上では龍が王の化身として考えられています。
龍が通る所に水呑場を作り、龍が住む場所を龍穴として中心に位置させる。
この龍穴をパワースポットと意味付けているのです。
日本ではこの龍穴を守ると言う意味合いで神社やお寺が建てられているとも言われており、それに基づいて神社やお寺が建立されました。
例えば東京にある皇居ですが、ここは日本の王、つまり天皇がいる龍穴に位置します。それを守る為に日光にある日光東照宮や箱根があると言われているのです。
京都では鞍馬山や貴船神社が守っていると言われています。
これらは中心となっている龍穴を守り、パワーを龍穴に集める為にあるのです。
このようにしてパワースポットは出来ているのです。 -
■神田明神
誠実な人に勇気を与える神
江戸の守り神であり、庶民や弱いものの味方をしてくれるような正義感を感じる神社です。不況の時代を生き抜く精神力や世の中を変えようと思って頑張っている人を後押しし、人の側にたった産業を応援するパワーを持ちます。
JR線御茶ノ水駅から北へ向かって徒歩約5分で神田明神へ到着です。標識が頻繁にありましたので迷うことはありませんでした。
まずはこの青銅色の鳥居がお出迎え。立派ですね〜
本当に都心にあり、参道もとおりビル街と化している。
神仏習合のなごりでしょうか、立派な隨神門があり、それをくぐって境内へと・・・
日枝神社では猿でしたが、神田明神では武士?が随神門を守っています。
ここへも来てみるとわかりますが、このようなビルの谷間にあっても結界の中に居るような精悍な雰囲気を感じ取ることができます。
随神門を境内方面から眺めます。ここは都会の雑踏の中にあるパワースポットをありありと感じることができます。
社務所で御朱印をいただきました。
神田明神
神田明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田二丁目に鎮座する神社。正式名称「神田神社」。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神。旧社格は府社(明治3年(1870年)まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社となっている。また旧准勅祭社の東京十社の一社である。
祭神
一ノ宮に大己貴命(だいこく様)
二ノ宮に少彦名命(えびす様)
三ノ宮に平将門神(まさかど様)
の3柱を祀る。
江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ神田明神。
江戸時代には、「江戸総鎮守」として将軍様から江戸庶民にいたるまで江戸のすべてを守護されました。
そして今もなお、東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、それでいて絶え間なく発展と創造を繰り返す、この東京都心をお守りいただいております。
神田明神の氏子町である東京108の町は、江戸と東京の生活や文化が凝縮された町々です。
神田―元祖下町、江戸っ子たちの血を受け継ぐ町々
日本橋―老舗が集まる江戸の衣食住の文化を伝える町々
秋葉原―世界が注目する最先端のITの宝庫、またサブカルチャーの街々
大手・丸の内―日本を代表する大企業がひしめくビジネスマンの街々
旧神田市場(大田市場)・築地魚河岸市場という江戸東京人の食を支える続ける市場
伝統と創造を併せ持つ、これらの町々を常に見守り続ける明神様。
そんな明神様を慕い敬う参拝者で、境内は毎日賑わいを見せております。
〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2 TEL:03-3254-0753
神田明神HPより引用 -
■湯島聖堂
湯島聖堂は、元禄時代に5代将軍徳川綱吉によって建てられた本来は孔子廟。東京都文京区湯島一丁目、JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示があります。
湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。合格祈願の鉛筆が人気で受験生の多くが買い求める姿が多く見られる。
孔子を祀っている大成殿
土・日・祝日は内部を公開している。
孔子という知恵多き方を祀っているだけに神聖な雰囲気のパワースポット。やはりここも結界の中にいるような雰囲気で外部との空気(気配)が遮断されています。
歴史
1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。
大成院の建物は、当初朱塗りにして青緑に彩色されていたと言われているが、その後度々の火災によって焼失した上、幕府の実学重視への転換の影響を受けて再建も思うように出来ないままに荒廃していった。その後寛政異学の禁により聖堂の役目も見直され、1797年(寛政9年)林家の私塾が、林家の手を離れて幕府の官立の昌平坂学問所となる。これは「昌平黌(しょうへいこう)」とも呼ばれる。「昌平」とは、孔子が生まれた村の名前で、そこからとって「孔子の諸説、儒学を教える学校」の名前とし、それがこの地の地名にもなった。これ以降、聖堂とは、湯島聖堂の中でも大成殿のみを指すようになる。また、2年後の1799年(寛政11年)には長年荒廃していた湯島聖堂の大改築が完成し、敷地面積は1万2千坪から1万6千坪余りとなり、大成殿の建物も水戸の孔子廟にならい創建時の2.5倍規模の黒塗りの建物に改められた。この大成殿は明治以降も残っていた。
湯島聖堂にある世界で一番高い孔子像
ここには多くの人材が集まったが、維新政府に引き継がれた後、1871年(明治4年)に閉鎖された。教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の流れを組む開成所、種痘所の流れを組む医学所と併せて、後の東京大学へ連なる系譜上に載せることができるほか、この地に設立された東京師範学校(現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなった。また、敷地としての学問所の跡地は、そのほとんどが現在東京医科歯科大学湯島キャンパスとなっている。
明治以降、湯島聖堂の構内に文部省、国立博物館(現在の東京国立博物館及び国立科学博物館)、東京師範学校(東京教育大学を経た現在の筑波大学)及びその附属学校(現在の筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)及びその附属学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・高等学校)が一時同居していたことがある。
後にそれぞれ、文部省は霞ヶ関に、国立博物館は上野に、東京師範学校は文京区大塚を経て現在茨城県つくば市に、東京師範学校の各附属学校は文京区大塚に、東京女子師範学校及びその附属学校は文京区大塚に(当初は湯島一丁目の聖堂内にあったため、お茶の水女子大学という)移転した。
1922年には敷地が国の史跡に指定されたが、翌1923年(大正12年)の関東大震災で入徳門と水屋以外の建物が焼失し、現在の大成殿は伊東忠太設計、大林組施工により、1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。これは、寛政年間の旧制をもとに再建したものである。
現在、湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものである。孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔子-顔回、曾子、思子-子思、孟子)が安置されている。
フリー百科事典wikiペディアより引用 -
■湯島天神
湯島天神には今年の年始参りに来たのですが、受験生を抱えていることもあり学業成就のお願いにやってきました。
御茶ノ水から湯島聖堂、神田神社を経由して歩いていきましたが神田神社からは数分の距離。意外と近いのに驚きです。平日の夕方でしたのであまり参拝している人はいませんでした。
学問の聖地で学業成就をお祈りします。
前回は混雑していたのであきらめました御朱印をいただいてきました。
来春には御礼参りに来れるといいなぁと思っています。 -
■水天宮
その名に惹かれ気になっていました。日本橋にあるパワースポット
ここも例にもれず東京のビル群の中に存在します。
水天宮は中央区日本橋蛎殻町のお宮(神社)で、安産・子授け・七五三・初宮・芸能祈願・水難除けなどのご利益で知られています。水天宮というだけあって「水難除け」の神様なんですね。
水天宮の由来(水天宮HPより)
天御中主大神とともに、安徳天皇、建礼門院、二位の尼をご祭神といたしましたのは、おおよそ七百年前もの由縁に遡ります。
平清盛の血をひく安徳天皇は、源氏の厳しい追及によって京から西へ西へと逃れざるを得ませんでした。
ついに壇ノ浦の合戦で源氏の軍船に取り囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれ、母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。
戦の後、建礼門院に仕えていた官女、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢(いせ)がひとり源氏方の追っ手から、九州の千歳川(現在の筑後川)辺り、鷺野ヶ原に遁れて来ました。
局も壇ノ浦で共に入水しようとしたのですが、二位の尼にとどめられ、生きてわれら平家一門の霊を慰めよとの命を受けてのことでした。
こうしてこの地に祠を建て、安徳天皇をはじめ平家一門の霊を祀る日々を送りました。
伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷など行っていましたが、御霊験あらたかにして尊崇する人々が多くなり、尼御前(あまごぜん)と称えられて慕われ社名を尼御前神社と呼ばれるに至りました。
これが今につづく水天宮の起源と伝えられております。
子供の守護神、安産の神様のみならず、古来、農業、漁業、航海者の間で信仰され、さらに病難、火災などの除災招福のご利益をもって聞こえております。
その後、久留米藩第二代藩主有馬忠頼(ただより)公により、現在の久留米市瀬下町に七千坪の敷地が寄進されて社殿が設けられ、水天宮本宮として今につづいております。
そのご分霊が、江戸は赤羽根の久留米藩有馬家屋敷に祀られ、その後、青山から日本橋蠣殻町へと移りました。
ご祭神である、安徳天皇は、御年わずか八歳で海中に沈まれましたが、その若さでの犠牲ゆえに万民を救うという尊いご神慮と称えられて大きな信仰を集めました。
安徳天皇を慈しみ育まれた建礼門院、ともに海中に沈まれた二位の尼もまた尊崇され、水天宮に祀られております。
行ったのが早朝で御朱印はまだいただくことができませんでした。
日本橋には「日本橋七福神」と呼ばれる神社があり、水天宮もそのひとつだとか・・・
日本橋七福神巡りをすると、ひとつひとつの神社にお参りしたことよりもパワーが増大するそうなので、次回は日本橋七福神めぐりを計画しようと思います。御朱印はその時にいただこうと思います。 -
■小野照崎神社
小野照崎神社を訪れるのは2回目になります。
今回は地下鉄入谷駅から小野照崎神社へと向かいました。JR鶯谷からと比べると地下鉄の駅からの方が近いです。
この小野照崎神社も東京の下町の雑踏の中にあって境内は静寂な雰囲気で過ごすことができます。
落ち着いた気持ちで参拝します。
今回は『仕事守』をいただいて来ました。 -
■平河天満宮
平河天満宮は日本一皇居に近い天神様として親しまれています。
地下鉄永田町駅から歩いて行きました。
途中に砂防会館(故田中角栄氏の事務所のビル)があったりするオフィス街です。
国立劇場の裏手になりますね。
半蔵門駅からも歩けます。
見てくださいこの佇まい。ビルの中に埋もれるように存在しています。
本当は神社が先にあったのでしょうが・・・
歴史って凄いですね。
境内に入ると外からの雰囲気とはちがった静寂さを感じることができます。
ここも正にスピリチュアルスポットといえるでしょう。
御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
徳川家康公(とくがわいえやすこう)
ご由緒
江戸平河城主太田道灌公が、菅原道真公の霊夢を見て、文明十年城内に天満宮を建立した。その後、徳川家康公が築城のため本社を平河門外に奉遷し、慶長十二年二代将軍秀忠公に依り、現在の地に奉遷され地名を本社に因み平河町と名付けられた。
所在地 〒102-0093 千代田区平河町1-7-5
TEL 03-3264-3365
FAX 03-3264-0443
最寄り駅 営団半蔵門線「半蔵門駅」 徒歩1分
営団有楽町線「麹町駅」 徒歩5分 -
■虎ノ門 金刀比羅宮
新しい人生の航海を切り開き機運、豊かさを授かる神
虎ノ門 金刀比羅宮
本当に驚きの場所にありました。虎ノ門のオフィス街そのものでビルのエントランスに鳥居がそびえたっています。
その名も虎ノ門琴平タワー 凄すぎます。
ご由緒書きもガラスできちんと保護されています。こんなの初めてみました。
ビルのエントランスが参道になっています。
社務所もこのとおりビルの1階の一部分です。
みなさんパソコンに向かってお仕事をされています。
これが虎ノ門金刀比羅宮の本殿です。
もともとはこの神社だけが存在したのでしょうが、歴史を重ねるうちにその周囲がビル群と化していったんでしょうね。
万治3(1660)年、金刀比羅宮(本社)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧誘し、延宝7(1679)年に現在の虎ノ門に移転。海上守護、招福除災、開運福徳守護の神として東国名社の一つとして知られています。社殿正面の銅鳥居は、四神の霊獣が飾られためずらしいもの。銅鳥居と百度石は港区の指定文化財に登録されている。 -
■金刀比羅宮 東京分社
金刀比羅宮東京分社は水道橋の駅から徒歩5分のところにあります。
虎ノ門金乃比羅宮とはうって変わって学校と住宅地の中に位置しています。
境内は「都会の中のオアシス」といった感じで、周りの雑踏から遮断されています。
讃岐のこんぴらさんのれっきとした分社なのだ。
文政2年、板橋 市左衛門の邸内祠として祀られたのにはじまり、明治13年、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられました。明治23年には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれていました。しかし、昭和20年、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として親しまれています。
御祭神 大物主神・倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
御鎮座地 東京都文京区本郷1ー5ー11
(電話 03−3811−2038)
例祭日 5月19・20日
年間祭典 1月10日:初十日祭
2月3日:節分祭(佐渡ヶ嶽部屋の力士による豆まき)
交通 JR「水道橋」下車〜徒歩5分
都営地下鉄三田線「水道橋」下車〜徒歩3分
御祭神 大物主神・倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
御鎮座地 東京都文京区本郷1ー5ー11
(電話 03−3811−2038)
例祭日 5月19・20日
年間祭典 1月10日:初十日祭
2月3日:節分祭(佐渡ヶ嶽部屋の力士による豆まき)
交通 JR「水道橋」下車〜徒歩5分
都営地下鉄三田線「水道橋」下車〜徒歩3分
-
■高田馬場 諏訪神社
都内有数の古社だそうです。
諏訪の総本社信州からの旅人であれば寄らねばなりません。
JR高田馬場駅から徒歩で約10分。早稲田大学の北側に鎮座しています。
諏訪神社の前にはかなり往来の激しい道路が通っているにもかかわらず、境内は静かで心が安らぎます。信州から訪れた者にとってはふるさとに帰ってきたような気分ですね。
もしかしたら、都内在住の信州人もこの諏訪神社を訪れたりしているのかもしれませんね。
諏訪神社
【御祭神】
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
武御名方命(たけみなかたのみこと)
※諏訪大社の上社・下社共通の神が祀られています。
【御由緒】
平安時代初期小野篁朝臣の祭祀と云う。源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将の信仰厚く、江戸時代には徳川歴代将軍の崇敬を受け、また人皇第108代後水尾天皇より御神体の御奉納を受けた。また明治天皇の行幸があり、聖跡に指定されている。古来より諸病に霊験有りとする地下霊水が手水舎に出ている。
所在地 〒169-0075 新宿区高田馬場1-12-6
TEL 03-3209-3835
FAX 03-3209-4465
最寄り駅 JR山手線・営団東西線・西武新宿線「高田馬場駅」 徒歩10分
10月は神無月ですよね。古来より神無月とは、この月に神々が出雲の国へ集結することから出雲以外の国には神が居なくなることから神無月と呼ばれたそうです。出雲国だけは『神在月』と称されたとか。
驚くことに諏訪地方も10月は『神在月』と呼ばれるそうです。それは・・・
出雲地方のほかに神在月とする地域が一ヶ所あり、諏訪大社の周辺となっている。これは伝承によれば、かつて諏訪大社の祭神であった「諏訪明神」があまりにも大きな体であったため、それに驚いた出雲に集まった神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから神在月とされている。
御朱印をいただいた社務所で、「長野から来ました。」と話していたら、神主様のご主人もその日は諏訪にお出かけだったとか、全国の諏訪神社の神主様の集まりの日だったそうです。偶然ですね。諏訪の神様だけは10月になると諏訪に集まるのですね。 -
イチオシ
■新宿十二社 熊野神社
新宿十二社熊野神社は新宿中央公園の一角にあります。行ってみるとよくわかりますが、「ここが本当に新宿の真ん中なのか!」と思うほど静かで清閑としたところなんですね。
雑踏を避けてこの空間へ立ち入ると、都会の中ですっぽりと「時間の止まった空間」を体感できます。
新宿中央公園にはナイアガラの滝もあったりして癒し効果抜群♪
一歩敷地から外れると雑踏の世界となります。
=現実の世界へと戻ります。
【由緒 】
新宿十二社熊野神社は中野長者という室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に創建されたものと伝えられている。(天文・永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったという異説もあり)鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。付近の地名「十二社」(じゅうにそう)はこれに因んでいる。この地名は現在でも通り(十二社通り)や温泉(新宿十二社温泉)の名などに見られる。
神社境内には大きな滝があり、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつの池があり、江戸時代には付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれていた。江戸時代あたりから付近には茶屋や料亭などが立ち並びやがて花街となっていった。最盛期には茶屋や料亭が約100軒も並んでいたという。この賑わいは戦前まで続いていた。
その後明治時代に入り名が熊野神社となり、その後神社の滝や十二社池は淀橋浄水場の造成や付近の開拓により姿を消し景勝地としての様相は徐々に見られなくなっていった。しかし、熊野神社はその後付近が日本有数の高層ビル街と変貌した現在でも新宿一帯の守り神として人々から信仰を得ている。
祭神:櫛御気野大神・伊邪那美大神
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