2005/07/31 - 2005/08/02
1779位(同エリア4279件中)
ねいちゃさん
「古いアルバム」シリーズ最後の北海道編となります。
これ以前は、フィルムカメラ時代なので
写真はあるし、スキャンすれば
旅行記を作れないことはないのですが
大層大掛かりとなる作業なので、今回が最後と・・・。
来月(2012年9月)にでもデジイチを購入予定で
そうすれば、ちょっとした写真などを
とりためてまたアップさせてもらいますね。
★日程★
7月31日 京都→伊丹空港→函館空港→函館
8月1日 函館→函館空港→帯広空港→帯広→浦河
8月2日 浦河→札幌空港→伊丹空港→京都
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 日本旅行
PR
-
当初の予定としては、
北海道行きは、一生に一度は乗ってみたい
例の「トワイライト・エクスプレス」でと
思っていたのですが、切符の入手が・・・
8月上旬なんかは、まぁムリですよね〜。
早々にあきらめました。
で、今回の目玉は
この年2005年3月に就航したての
「エアトランセ」に乗るという計画。 -
この航空会社を覚えている人って
少ないんじゃないかな。
2005年就航、2007年撤退。
わずか2年間だけ函館−帯広を結んでいた
定員18名の航空機。
そんな飛行機に乗ったという
貴重な経験をしたわけですが、
この詳細はまた後ほど。 -
写真は「函館競馬場」です。
飛行機で函館着いて
とりあえず路面電車にゆられて
競馬場に到着です。
むっちゃ、ローカル♪
いいですねー、のどかで・・・。
函館競馬場で参戦するために
わざわざ土日に予定を
組み込んだくらいです。 -
馬券ですか?
もちろん「当たり」!
旅先での馬券はなぜか当たるんです。
自宅で毎週買う馬券はほとんど当たらないのにねぇ。
ローランジェネルーから馬単で、
4-5番人気の決着だったから、約2万の勝ち。
旅行中のよい小遣いとなりました。(笑) -
まぁ競馬しにきたワケではないので
早々に退散いたします。
地元の京都・阪神・中京の三競馬場を制覇し
1995年には札幌、今年(2005年)には函館まで
クリアしました。
後の2008年には小倉に行きましたから
全10場中、残るは関東圏だけです。
生きてる間には、行きましょうか。
さて、観光に戻りましょう。
次は「五稜郭」です。 -
五稜郭タワーからの風景。
中途半端なビミョーな高さのタワーです。
何となく輪郭が「お、☆だ」と
わかる程度ですが、「おおおぉー!!」と
感動できるわけでもなく・・・。
で、案内板を注視してみると
来年(2006年)の4月に新タワーができるそうな。
やっぱり、ねぇ。高さがビミョーだとみんな感じて
いたわけですね〜。
何でも旧タワーは、五稜郭築城100年を記念して
建てられたようで、1964年生まれ。
42年間のお務めだったようです。 -
今(2012年)はすでに解体されてしまっていますが、
そう考えるとこれはこれで貴重な体験。
旧タワーの最後の夏を過ごした〜♪
ちなみに新タワーになってからは
まだ函館には行っておりません。
リベンジという程のこともないしなぁ。
でも、新タワーは90mで倍の高さなので
機会があれば上ってみたいです。
写真では、旧タワーながら
それでも綺麗な角度が見えています。
やっぱ五稜郭っちゃ、
これが実感できないと。 -
五稜郭正面南西部の半月堡
計画当初は全ての内角にこの半月堡が
作られる予定だったそうですが、
財政不足等により正面だけとなりました。
五稜郭は、幕府の蝦夷地統治機関である
箱館奉行所の所在地として幕末の1864年に
完成したのですが、3年後の1867年には
大政奉還が行われ、その役割はすぐに
終わることになります。
本当の意味で、五稜郭という建物が
脚光をあびるのは、それ以降始の箱館戦争、
五稜郭の戦いではないでしょうか。 -
新政府軍の管轄下に置かれた五稜郭に
旧幕府脱走軍の榎本武揚らが立てこもり
ここを拠点に七ヶ月に渡って抵抗をしたのが
戊辰戦争の最終戦、箱館戦争です。
この戦いがつとに有名なのは、
榎本武揚による共和国樹立もさることながら
やはり、元新撰組鬼の副長土方歳三が最期を
迎えた戦いであったことだと思います。
私的には、局長近藤勇より、最後まで
新政府に抵抗し、馬上で銃撃をうけ
壮絶な死を迎えた土方歳三の方が
何となく愚直さというか、そういった
敗者の潔さのようなものを強く感じてしまいます。 -
土方の最期のエピソードとしては、一本木関門で
逃げようとする兵に対して「我この柵にありて、
退く者を斬る」と発し、よく守ったといいます。
ただ馬上にて指揮を執っていたため、格好の的でも
あり、銃弾に腹部を貫かれてそのまま落馬。
兵が近寄った時にはもう絶命していたといいます。
異説には、土方が頑張っていたら投降できないから
味方の兵によって討たれたというのもあるんですが
史実はどうかはわかりませんが、ここは是が非でも
敵の銃弾にってことにしてあげたいですね。
彼の遺骸は、その他の兵と共に埋葬されたのですが
今もその場所は不明とのことです。享年35歳。 -
鬼の副長としてのイメージが強い土方ですが
極めて合理的な考え方を持っていたようで、
動きやすい洋装を好んだ。
これからの戦いは刀ではなく銃だと主張。
外国の懐中時計を常に持っていた。
などなど柔軟な考え方の人みたいです。
かたや壬生狼と呼ばれ、蛇蝎の如く嫌われていた
のも土方の新撰組だし、人って面白いものですね。
写真は保存されている「箱館奉行所門」 -
箱館奉行所跡
これも2005年当時はこんな状態でした。
遺跡の発掘調査の最中のような感じです。
ですが、2006年より復元工事がはじまり
2010年には奉行所が再建されました。
現在復元された奉行所の写真は
こちらにあります。
−函館教育委員会HP−
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/board_of_edu/lifelong_learning/cultural_assets/goryokaku/goryokaku.html -
五稜郭を出て、ホテルに戻ってしばし休憩。
「函館来たのならやっぱ夜景だよね〜」って、
バスに乗ってきてみたら・・・コレ。
霧です。
どうも夏場はこういう天気が多いらしい。
夜景は乾燥した冬がいいんでしょうか。
これだけはちょっと悔しいので
さすがにリベンジしたいもんです。 -
で、早々に下山し(いても「何も見えねぇ」)
街の寿司屋で舌鼓・・・。
京都はある程度食べ物は美味しいのだけれど
お寿司だけはね、海沿いの街には遠く及ばない。
うまいねー、やっぱり・・・。
ほろ酔い気分の中、せめて夜景気分で
港内でライトアップされていた函館市場を
パチリ。当時は三脚なんて持って行かないから
ブレブレですけど、まぁ雰囲気雰囲気。
今夜の宿泊は「北島三郎記念館」併設の
ウィニングホテル。
オーシャンビューの素敵なお部屋です。 -
翌8月1日。朝食を頂いた後、チェックアウト。
荷物だけは預かってもらって、飛行機まで時間が
あったので市内観光へ。
急な日和坂を上って右へ進むと元町公園。
その手前にいくとになんか謂われのありそうな
レンガ造りの建物が見えてきました。
「旧開拓使函館支庁書籍庫」と書いてあります。
解説によると、建造は1880(明治13)年、
後の大火の時にも庫内の書類を守ったそうです。
見えている門は「開かずの扉」で
木の扉の中に鉄の扉があるんだとか、
年に1回しか開けないんだって。ふーん。 -
そのから、外壁がブルーグレーとイエローの
大層綺麗な建物が見えています。
「旧函館区公会堂」、オシャレな建物で
観光客にも人気のスポットだとか。
入ってみましょう。内部も外観に負けないくらい
ハイカラ・・・今時ハイカラなんて言葉使わない
かもしれませんが、ここはそういう言葉が似合う
明治建築の代表例のような所です。
また、ハイカラ衣装館もあってドレスを着て、
記念写真も撮れるそうですよぉ。
私らそういうのアレなんでやってませんけど。(笑) -
坂の上にあるから、ここの
バルコニーからは港が一望。
本格的に市内巡りをするつもりは
なかったので、ガイドブックは持ってこなくて
こんないい場所があるなんて知りませんでした。
函館っていいトコですね。
次はのんびり来たいですぅ〜。 -
港ヶ丘通りというごじゃれた通りを進むと
港まで視界が開ける道が見えてきました。
函館っていえば、こういうイメージ。
映画やTVのロケでも使われているような
どこかで見たことのある風景・・・。
八幡坂通りというのかな?
とっても絵になります。 -
聖ハリストス正教会
この辺りまでくると、函館屈指の観光スポットに。
この教会の「ハリストス」は「キリスト」のギリシア語。
正教会というのは、ローマカトリック教と異なる
ギリシア正教の教会で、ビザンチン帝国に起源を持つもの。
帝国滅亡後はロシア帝国が後継となります。
ですから、この教会はロシアの教会ってことですね。
1916年大正期に再建されて今日見る姿となって
いるんですが、よく見ると建物のてっぺんに
タマネギがのってますよね、これがロシア建築。
教会はビザンツ様式なので、正教会の王道です。
それにしても、白い壁に緑色の屋根が美しいこと。
函館らしい、とっても優美な教会ですね〜。
特に目的もなく歩いていても、函館では
こんな風景があちこちで見られます。 -
イチオシ
解説によると、昔は大きな鐘が5つもあって
大きな音をならしていた所から、今でも市民の人は
「ガンガン寺」の愛称で呼んでいるとか。
現代の鐘は5代目らしいのですが、環境庁長官は
将来に残したい「日本の音風景100選」に
選んだそうです。なんでしょうね、この音風景って。
はじめて聞きました。
もしお聞きになりたい方は、
毎週土曜日午後5時と日曜日午前のミサなどで
3〜5分間ならされていますよ。
もっとも聞いたことはないんですけど・・・。 -
イチオシ
カトリック元町教会
正教会と道を挟んで建っているのがこの教会。
正教会とカトリック教会が隣接しているのは
日本ならではの光景。ヨーロッパじゃまぁ
ありえないです。
もっとも、この教会の向かいには
真宗大谷派函館別院があるので、ここまで
くると何でもアリかも。
現代の建物は、大正期に再建された3代目。
この時、高さ百尺(33m)の尖塔を持つ鐘楼も
作られました。窓が尖頭アーチになってるので
ゴシック建築でしょう。
ロシア様式・ビザンツ様式そしてゴシック様式と
とっても賑やかな建築様式のオンパレード。
嬉しくなってきますね〜。(私だけ?) -
函館聖ヨハネ教会
様々な様式に喜んでいたら、何とこんな教会も。
下から仰ぎ見れば、教会らしくないのですが
上から見ると、茶色の屋根が正十字型・・・。
この教会はイギリス人による創設が起源。
イギリスということは、イギリス国教会?
なんとプロテスタントの教会もここに
建ってるんですか?なんかスゴーイ!
ギリシア正教・ローマカトリック教それに
新教まで・・・教会銀座じゃないですかぁ。
ただし、プロテスタント系らしく内部見学は不可。
せめて、外観の隠された十字架探しでもしてみません? -
さて、早足で簡単な観光を終えて
これから帯広に向かいます。
搭乗するのはコレ 「エアトランセ」
2005年〜07年のたった2年間だけ就航していた
とってもレアな航空会社。
05年3月に鳴り物入りでオープンし
函館を拠点に、次々と航路の拡張など
様々な話題を提供しましたが
マーケティングの甘さなども相まって
最後は公共交通機関としての矜持すら
失ってしまった感のある航空会社でした。 -
この頃はまだイケイケの頃だったのかもしれませんが
そんな航空機に、乗った京都人って
たぶんあんまりいないんじゃないでしょうか。
写真はエアトランセが使用するビーチクラフト1900D。
滑走路を歩いて?飛行機に乗り込みます。
大丈夫なんかなぁ〜という不安も感じる
余りにも華奢な胴体、初体験です。 -
内部は左右1列ずつで、コクピットまで見渡せます。
座席はバスのようなで、腰掛けるような感じ。
プロペラ回転の駆動音が、大きく聞こえてきます。
ワクワクというより、ドキドキです。
機体をギシギシいわせて、颯爽と大空に飛びます。
何というか、飛んでる感が思い切りでます。
窓の下もよく見えて、快適というより面白い。
函館から帯広まで車なら6時間もかかりますが
これならわずか1時間。ニーズが合う旅行者なら
とっても便利ですが、道民の需要というと
あんまりなさそうです。
でも、一生に一度となった
とっても貴重な体験となりました。 -
帯広到着後はレンタカーを借りて、一気に
日高山脈を越え浦河へ抜けていきます。
面白いことに、山脈の帯広側は牧場があれば
いるのは牛ばかりですが、浦河側に入ると
急に馬に変わるんですよ。
馬が見えてくると、テンションあがるんです。
「おぉ、いよいよ来たなぁ」
浦河での定宿は「うらかわ優駿ビレッジAERU」。
オシャレだし、食事もまぁまぁ。
何より大浴場があるので、お気に入りなんです。
写真は8月2日早朝の散歩風景。 -
AERUは、優駿っていうだけあって
多くの功労馬が繋養されています。
写真はたぶん「ダイユウサク」。
ダイユウサクって「なんとビックリ!」と
定番の台詞が出てくる91年の有馬記念の勝ち馬。
インからするするとぬけて、あの「マックィーン」を
並ぶ間もなくぶった切ったレースは今も忘れられません。
そうして、その時の3着馬が
「ナイスネイチャ」なんです。 -
HPを見ると現在(12年9月)
ダイユウサクの他、ニッポーテイオーや
柴田政人を男にしたダービー馬ウィニングチケット
なんかが繋養されているそうです。
海外もいいけど、北海道
また、行きたいなぁぁぁ。
ここAERUはこの他、乗馬もやっていて
簡単なお手軽乗馬から本格的な里山トラッキングなど
も体験できます。今回はしてませんが
以前来たときは里山やってみました。
山道の乗馬はちと怖いけど面白いっす。 -
浦河に来た目的は、というより
北海道に来た目的といってもいいんですが。
ココ、浦河の渡辺牧場に来ること。
ここの牧場とはずっと以前より
ホントに懇意にしていただいており
今回はもう5度目の訪問となります。
かつて、牧場にお邪魔したおり
引退馬保護活動をなさっておられた奥様から
お教えいただき、私も微力ながら引退馬保護の
HPを立ち上げ、ネット上で協力させてもらいました。
現在HPは役割を終えたので閉鎖していますが
それ以来おつきあいをさせてもらっています。 -
帯広でしこたま「にんじん」を買い込んで
馬たちのお土産にと持ってきました。
そうして、今その「にんじん」に
まとわりついている食いしん坊が・・・
私の人生を変えたといっても過言ではない馬。
「ナイスネイチャ」 -
もうお気づきになった方もおられると
思いますが、私の4トラでのHNは
この馬からいただいております。
競馬をはじめて以来、特に好きな馬って
いなかったのですが、ある夜、夢を見たんです。
天皇賞だったか、宝塚記念だったか
並ぶ間もなくトウカイテイオーを
差しきった夢・・・目覚めた時これは
「神の啓示」だと確信した私は、
しこたま馬券を購入し・・・
大惨敗を喫しました。(笑) -
それからというもの、ネイチャが出走すれば
購入をくりかえすも、馬連や単勝を買えば3着。
複勝を買えば4着、ことごとく外れ続けました。
そのうちに、もう目が離せなくなってしまって
走っても走っても、勝てないその健気さに
いつしか大好きな馬になっていました。 -
今にして思うと、平坦コースの差し馬だったん
ですよね。前がバテないので、差し届かない。
よく言うじゃないですか。記憶に残る馬って。
ネイチャはね、記憶にも記録にも残る馬なんです。
91年から3年連続、有馬記念3着。
この記録はまだ破られていません。
今のように3連複や3連単、ワイドのない頃
3着は複勝以外、何の意味もない着順ですが
馬券にからまないことこそが、この馬の真骨頂。
その上で記憶に強く残る馬なんです。 -
同牧場に繋養されているセントミサイル。
82戦17勝(中央32戦4勝・地方50戦13勝)
うち、クリスタルC(93年4月・中山芝1200)の
重賞勝ち馬。
父セントシーザー・母ケイウンファストという
地味な血統ながら、類い稀なるスピードをもち
若葉Sでビワハヤヒデに大敗したことから
皐月賞に目もくれず、短距離に活路を見だし
果敢に挑戦して見事に勝利しました。
その後は全盛期のスピードが陰をひそめたため
早熟のスプリンターだったと思われますが
今は生まれ牧場に引き取られ、幸せにのんびり
余生を過ごしています。 -
黒鹿毛のセン馬で1990年3月3日生まれ。
この年で15歳(2012年現在は22歳)。
競走馬で長生きなのは30歳くらいですから
いつまでも元気でいて欲しいですね。
もっとも渡辺さんはプログで
泥んこ遊びが大好きなので黒鹿毛なのに、
泥が乾いて芦毛みたいになってると
仰ってるので、とっても元気みたいです。 -
ミサイルは優しくて面倒見のよい馬で
同じ囲いに別の牡馬を入れても
ケンカもせずに、あれこれ世話をやくそうです。
競走馬って「お山の大将」として育成されるので
他馬同士は敵になるんですが、引退して長閑な
環境で育てられると本来の優しさを取り戻して
いくようですねー。 -
とねっこたち。
コーセイの子供だったかなぁ。コユキだったけ?
この頃の仔馬は本当に可愛くて。
これから競走馬になるための試練を
課されていくんですが、母親の側で
長閑に過ごせる僅かな時間。
母と別れるともう二度と戻ってこれない。
それが競走馬の運命、可哀想です。 -
子供が馬運車に乗せられて、
育成牧場に向かう時、母子ともいつまでも
いつまでもいななくそうです。
「おかあさーん、行きたくないよぉぉ」
「子供を連れていかないでー」
人間の娯楽である競馬、そこにはロマンだけでは
語れない悲しさがいっぱい詰まっています。
馬券対象としての馬ではなくて、
命あるものの馬という存在として、
私は見つめていこうと固く決めています。 -
ウラカワミユキと口取り写真
この人間みたいな名前のお馬さんは
ナイスネイチャのお母さん。
この頃はまだまだ元気なんですが
今は30歳も越えて、
食欲も衰えてきたそうです。
夏の暑さもかなり堪えてきたとのこと。
立派な子供達を産んだおかあさんだし
きっと心肺機能も丈夫だとは思いますが
少しでも長く元気でいてほしいです。 -
「抽選馬の星」コーセイ。
抽選馬というのは、いわゆる買い手が
つかなかった馬のことでJRAが育成し、
480万で売りに出された馬。
通常さしたる血統ではなく、それ相応に
走らないことが多いのですが、
新馬戦を8馬身差で大勝利。
3歳牝馬特別という重賞にも勝って
この歳の最優秀3歳牝馬にもなりました。
翌年にはクラシックの王道を歩み
桜花賞ではマックスビューティの2着。
オークスでは不利を受け4着。
その後骨折で長期の休みをとりましたが
復帰後は七夕賞・中山記念をも制しています。
獲得賞金は1億を超え、購入額の20倍にもなりました。
2003年繁殖を引退し、のんびり余生を過ごしていますが
すんごい名馬だったんですねー。 -
さて、ナイスネイチャの放牧地に
戻りましょう。
私ね、この馬だったらもう何時間も
こうして眺めていられる自信があります。
好きなんですよねー。日高のスタリオンに
いた時もホント1日中眺めてました。
昔は引退した優駿巡りをしたものですが
今はね、ナイスネイチャを見てるだけで充分。 -
ナイスネイチャ
41戦7勝(重賞4勝)
獲得賞金 6億2358万5600円
ノーザンダンサー系のナイスダンサーを父として
決して恵まれた血統ではありませんでしたが
ただ類い稀なスピードはありました。
ただ、とっても不器用な子で、競走馬特有の
負けん気の強さもなかったみたい。
毎回毎回一生懸命走って
善戦はするんですが・・・勝ちきれない。
彼を追いかけ始めると止められなくなります。
もし見てない時に、勝たれたりしたら
悔やんでも悔やみくれないでしょ。(笑) -
で、いつもきっちり負けちゃいます。
ネイチャのHPをアップしていた頃は
ハズレ馬券のコーナーなんかを作って
スキャンした画像をせっせとのせて、
いかに惜しかったかを蕩々と語っておりました。
何というか自虐趣味の境地に到達するわけです。
でも憎めなかったなぁ・・・。
メジロパーマーと争った93年の阪神大賞典は
まさにネイチャの面目躍如。
逃げ馬のパーマーがバテて、ネイチャが差しきった、
ところがそのパーマーに差しかえされる。
バテた逃げ馬に差されるなんてマネは他の馬には
できませんよ。しかも、あぁ2着かと思ったら
すっとタケノベルベットにまで抜かれて3着。
ネイチャ、やっぱすごいっす! -
93年の有馬記念の3着が3年連続となり
「ブロンズコレクター」の名を不動のものに
したんですけど、私はこの言い方はキライ。
彼の3着は3着になるだけのドラマが
その必然が全てのレースにあるんです。
93年なんかは「トウカイテイオー奇跡の復活」を
ビワハヤヒデが演出。その後方5馬身ほど離れて
頭差くらいで3着に入線するんですが、これは
すごいんですよ、10番人気の低評価だもの。
秋の天皇賞15着、ジャパンカップ7着。
もう終わったと思われたネイチャ。
それが3着、善戦なんてモンじゃなく、大大大健闘。
ネイチャも奇跡をおこしているんですよねー。
これに気づかず「ブロンズ〜」なんて語るのはアホです。 -
どうもすいません。
ついネイチャのことになると、取り乱してしまいました。
このネイチャの現役時代には、まだまだドラマがありまして
厩務員の馬場さんとの名コンビは、今も語り草になってます。
馬場さんにとてもなついていたネイチャは
引き綱を外していても、ずっと馬場さんの後を
ついてきて、「犬の散歩」のようだったとか。
有馬記念6年連続出走は、馬場さんが蹄のわずかな
ひび割れに気づいたことから夢となりました。
「走って走れないことはない、でももし・・・。」
松永善調教師は「お前がそう言うのなら」と出走を
取りやめたそうです。
馬運車にいつもなら平然と乗るネイチャですが
牧場へ帰るその日は、駄々をこね決して乗ろうと
しなかった。きっと分かっていたんでしょうね。
もう二度とここに帰って来ないことを。
引退し種牡馬になった後も、馬場さんはよく
牧場にきては、子供ができたら面倒みてやるとか
馬主になって地方で走らせるなど、仰っていたそうです。
引退後もネイチャの活躍を支えようとした馬場さんですが、
ネイチャが縁で知り合った競馬ファンの結婚式に
参列した後、センターラインをはみ出した対向車と
正面衝突し、鬼籍に入られました。早すぎる死でした。
私の家にはパドックで馬場さんに引かれている
ネイチャの写真が今も飾ってあります。。。
二人はいつも前をむいて胸をはって歩いています。 -
最後にもう一レースだけネイチャを語らせてくださいね。
第24回高松宮杯・・・現在は中京1200mのG1ですが
当時は中京2000mのG2戦。7月2週に開催されていた
このレースは中京一格式の高いレースで、夏競馬での
重要な一戦でもありました。
94年7月10日ダービー馬ウィニングチケットを始めとし
アイルトンシンボリ・スターバレリーナ・マーベラスクラウン
など個性派揃いの骨のあるメンバーとの一戦。
この年はAJCCで7着に敗れるも
大阪杯では2着に健闘。
春の天皇賞・宝塚とビワハヤヒデの分厚い壁に阻まれ4着。
必勝を期して中京までやってきたネイチャ。
5番人気で外枠12番。平坦小回りの外・・・。
ネイチャにとってベストの舞台です。
良馬場を大外より一気に抜け出すと・・・
直線で追いすがるスターバレリーナを
意外にも全く寄せ付けることのないまま、
そのまんま半馬身差で、ゴォォォォォォール! -
イチオシ
私、TVを見てまして、いつもならズルズルと
後退するのにやけに頑張ってるネイチャに目をみはり
直線向いた時には、もう声をあげて大声援。
競馬場では「いけーっ!」とか声を出しても
TV前ではオグリのラストランの時くらいなもの。
でも、無我夢中、心底大声をはりあげてました。
ゴールをした時には天に向かっても何度も何度も
「やったぁー」とガッツポーズ!!
本当に嬉しかったなぁ。2年7ヶ月ぶりの勝利だもの。
でもこれがネイチャが競走馬として勝った
生涯最後のレースとなりました。 -
ナイスネイチャは、現在NPO引退馬協会の馬です。
引退馬の余生を会員が会費を出し合って
馬たちから元気をもらうという組織。
私は前身のフォスターペアレントの会設立当初より
その会員をやらせてもらっています。
会員は引退馬の一口馬主のようなもので、
ネイチャの預託料のほんの一部を毎月支払っています。
でもまぁ一口馬主・・・というより里親さんですね。
少しでも長く一緒に生きていて欲しいという
純粋な気持ちから成り立っているものです。
生産牧場の渡辺さんはその預託先となっています。
浦河 渡辺牧場の馬たち
http://pub.ne.jp/WatanabeUma/
NPO引退馬協会
http://rha.or.jp/ -
ナイスネイチャと別れを告げます。
静内の馬産地の中心地にやってきました、いい景色。
これから千歳まで戻って帰洛いたしましょう。
実はこの日、管制塔の電気系統のエラーがあって
札幌の空港は遅延や欠航が続発していたのですが
この頃の私たちは知るよしもなく・・・。
では、今回の旅行記はこの辺で。
次の旅行記からは、ついにデジイチ・デビュー・・・
となる予定。綺麗な写真とれたらいいなぁぁぁ。
最後まで、お読み下さってありがとうございました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- サウスピーチさん 2012/09/06 10:58:28
- お名前の由来が分かりました〜
- ねいちゃさん、こんにちは♪
北海道もなかなか良さそう・・・な〜んて見てたら、馬・馬・馬。(笑) 随分と熱く語られてましたね〜。
人がその人の好きなものを語る時の、その「熱さ」や「テンションの高さ」は凄く好きです。
その情熱が、こっちの心まで温かくするというか・・・。 すごく楽しい気分になります。
そうですか・・・、ねいちゃさんのお名前って競馬の大好きだった馬からきてるんですね。
どういう意味なんだろう・・・と思っていたので、なぞが解けましたよ。
馬はとても美しい動物だと思うし、写真、どれも綺麗でしたよ!
さて、エアトランセ、全く聞いたことなかったです。
でも、これくらい小型のプロペラ機だと、「飛んでいる感がよく出ます」・・・まあこれは、かなりいい表現ですよね? (^^;
実際にかなり揺れるのではないでしょうか? 昔、ワシントンDCからニューヨークへ飛んだ時、
これよりは多少大きかったですが、同じようにプロペラ機で・・・二度と乗りたくないと思いました。 (^^;
飛行機ってあまりエンジョイできないんですよね・・・。 機内でリラックスできる方法とか何かあります?
おー! 新しいデジイチを購入されるんですね。 いいなぁ〜、今ワクワク中じゃないですか? (笑)
そのカメラでの美しい写真の旅行記、楽しみにしてますよ〜♪ (思いっきりハードル上げときます。笑)
それでは、また!
サウスピーチ :)
- ねいちゃさん からの返信 2012/09/07 10:04:18
- RE: お名前の由来が分かりました〜
- こんにちわぁー。お久しぶりです。
> どういう意味なんだろう・・・と思っていたので、なぞが解けましたよ。
古い競馬ファンの方なら、「ひょっとして?」と
思われた方もいらっしゃいます。
なんで「ネイチャー」じゃなくて「ネイチャ」なのか
以前渡辺さんにお伺いしたのですが、馬主の豊島さんが
「ー」って伸ばすの忘れたとかなんとか・・・。
私的には「ねいちゃ」で良かったですっ、なんかかわいいっ。
ところで、サウスピーチさんの由来は???
> 機内でリラックスできる方法とか何かあります?
最初のエジプト旅行の時は、12hのフライトが
退屈で退屈で仕方なかったのですが
イスラム圏ではない飛行機だと「酒」を頼めるので
くっと飲んで寝る・・・これっすね〜。
帰国便だと、ダブルのコーラ割りで爆睡です。(笑)
> おー! 新しいデジイチを購入されるんですね。
今週か来週あたりに買いにいきます。
まずは、京都の紅葉を狙うつもり、旅行記というより風景集かな。
慣れない機械なので、よく撮れるかどうかわかりませんが
是非期待に応えられるように、勉強しますね。
・・・これで私の旅行記も冗漫なおしゃべりで、
みなさんを煩わせることもないでしょう。(笑)
ではでは〜。
- サウスピーチさん からの返信 2012/09/07 23:38:29
- RE: RE: お名前の由来が分かりました〜
- ねいちゃさん、こんばんわ!
> なんで「ネイチャー」じゃなくて「ネイチャ」なのか
そうそう、これこれ!(笑) 私もそう思ってました。 そっかー、単に忘れただけなのかぁ・・・。(笑)
意外と単純なものだったんですね! (^^;
うん。 私も「ネイチャ」の方がかわいいと思うし、ねいちゃさんはそれをひらがなにして更にかわいくしましたね♪
> ところで、サウスピーチさんの由来は???
私のも超単純で、今住んでるジョージア州アトランタ関連です。
ご存知かもしれませんが、アメリカの各州にはそれぞれの土地を表すニックネームが付いています。
例えば、フロリダだったらSunshine State、ハワイはAloha State、ケンタッキーはBluegrass State、
ミシシッピーはMagnolia(花) Stateなどなど。
で、ジョージア州は、Peach Stateなんです。 桃(ピーチ)がよく採れるんで。
で、ジョージア州はアメリカ南部(South)に位置するんで、この2つをくっつけて(South Peach)にしました。
ところが! 名前を登録した後、何人もの方に、サウスビーチ(South Beach)さんと呼ばれ、
サイト上では「P」の“ぴ”も「B」の“び”も非常に判りずらいというか、ほとんど同じにしか見えず、
普通ぱっと見たら、やっぱり誰もが“Beach”の方だと思ってしまうことに気付きましたが、時既に遅し!(笑)
最初は、「違うんですよ〜。」とやんわり訂正させて頂いていたのですが、最近は、
「もう別にどっちでもいいやっ!」と思って何も言わなくなっちゃいました。 (←性格よく出てるでしょ? 笑)
そうですか・・・機内ではお酒をね・・・。
私はお酒がダメと言うよりも、アルコールの味が好きじゃないお子ちゃまなので(笑)
普段は全く飲まないんです。(←人生の楽しみの半分は損している気はしていますが。)
でも、確かにちょっと飲んだだけで眠くはなるので、次回のフライトではワインを少々くらい試してみようかな。
それでは、また!
サウスピーチ :)
- ねいちゃさん からの返信 2012/09/08 05:26:43
- RE: RE: RE: お名前の由来が分かりました〜
- お答えしたくて、さらにレス重ねまーす。
> 「もう別にどっちでもいいやっ!」と思って何も言わなくなっちゃいました。 (←性格よく出てるでしょ? 笑)
私の場合は「ねいちゃん」さん
ってのが多いですねー。「お姉ちゃん」・・・つながりのようです。
このままだと、ネットオカマになっちゃうので
さすがに、「ねいちゃ」と追記するのですが
私も、まぁー「もう別にどっちでもいいやっ!」ってなります。(笑)
「ひらがな」だと余計に「ねいちゃん」の方がしっくりきますから。
渡辺さんも牝馬の子供だったら「ナイスネイチャン」でいこうかと
冗談で仰ってましたし・・・実現してませんけど。
確かにPC上では、「び」も「ぴ」も見にくいですよねー。
私は単純に九州ご出身なので「サウス」かと
思ってました。「ピーチ」はお名前の一部か
昔飼っていたペットとか・・・じゃないのかなぁーって。
そうですか、州の別名ねぇー、しらんかったです。
勉強になりましたよぉ、ありがと。
ねいちゃ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
49