2012/04/28 - 2012/04/28
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frau.himmelさん
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黒い森の中にひっそりと佇む街カルフ。
ここはノーベル文学賞受賞者でドイツを代表する作家、ヘルマンヘッセの生誕地なのです。
彼の代表作「車輪の下」は、彼の自伝作と言われており、この美しい田舎町のことや少年時代のヘッセに良く似た主人公が登場します。
恥ずかしながら私は、ヘルマンヘッセのことを詳しくは知りませんでした。
『車輪の下』こそ遥かなる昔に読んだ記憶はありますが、てっきり19世紀頃の人物かと思ったら、没年は1962年、私が○○才のときではありませんか。
その程度の知識しかない私が何故、ヘッセの故郷カルフを訪れる気になったか…。
それはフォートラの皆さんの旅行記に触発されたからです。
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ドナウエッシンゲンからカルフに向かいます。
駅の自販機で出力したカルフまでの時刻表。
RottweilとHorbで2回乗り換え、所用時間2時間22分。
今回の旅で、この時刻表は大変重宝しました。 -
列車は、モミの木が生い茂るシュヴァルツヴァルト(黒い森)の奥へと進んでいきます。
列車の中で賑やかな4,5人のシニアグループの方達と一緒になりました。
私の前の席と、隣のボックス席にわかれてお喋りしています。
前の席の方に、「皆さん、ウアラウブ(休暇)ですか?」って聞きました。
言葉が分からないと思っていたアジアのオバサンから声をかけられてビックリした様子。
それから話が弾みました。 -
ドイツ人だと思った彼らは、オランダ人のご兄弟とその奥様連れでした。
言葉もドイツ語に似ていますが、よく聞くとオランダ語だったようです。
でも私の前の席のおじ様は流暢なドイツ語で私に対応してくれました。
何でも今日はオランダの女王様の誕生日だとかで、土・日・月の3日間は働いていけない日らしい。
お休みでラッキー!じゃなくて、お仕事をしていけない日なんていうのがおかしくて笑ってしまいました。
その休暇を利用して、兄弟揃って、ドイツにいる別の兄弟のところを訪ねるのだそうです。
標高1000メートルの黒い森の斜面に街がへばりついている様に見えます。 -
大勢のリュックを背負ったハイキング客が乗り込んできます。
自然が大好きなドイツ人は、休日にはこぞってシュヴァルツヴァルト(黒い森)にやってきます。 -
車窓からも、ハイキングやサイクリングを楽しんでいる人々の姿が見えました。
-
このワンちゃんも飼い主と一緒にハイキングを楽しんできたのでしょうか。
「写真を撮っていいですか?」って声をかけてカメラを向けると、恥ずかしいのか飼い主の後ろに隠れてしまいました。 -
カルフの駅に着きました。
ホームは建物で言えば4,5階に位置する高台にあります。
このエレベーターを使って街中に降りていきます。 -
ナゴルト川の橋の上から駅を臨みます。
高いでしょう?
一番高いところがホームになっています。 -
ナゴルト川を渡ってちょっと行ったところに観光案内所はあります。
もちろん土曜日のもう午後も遅い時間ですから開いていませんが。 -
更に進むと、可愛い木組みの家々が並んだ広場が…。
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その中にあって、ここだけは木組みではないラートハウス。
1階は脚付きのドームのような様式になっています。
これには意味があるのです。 -
アーチの上部の飾り
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アーチの足の部分には「1953年6月17日ベルリン」「1990年10月3日」と。
1990年10月3日は東西ドイツドイツ統一の日。
1953年6月17日は東ベルリンで大規模な労働者のストライキがあった日です。東ドイツはソ連軍の力で暴動を制圧しましたが、多数の死傷者を出すことになりました。
またその悲惨な事件を忘れないように、1990年までは西ドイツの祝日でもありました。
6月17日のことについては後日、ベルリン編でご紹介したいと思っています。 -
ラートハウスの横からザルツガッセの方に回り込んでみます。
何やらとても曰くありげな木組みの建物。 -
ここにも。
これはかつてザルツカステンと呼ばれていた塩の倉庫でした。 -
ここにたぶん謂れが書いてあるんでしょうけど…。
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昔は、ザルツガッセから倉庫への道幅が狭く、塩の運搬が困難でした。
そこで、市庁舎の下をくぐって通行できるように、先ほどのアーチ型の脚付きの様式で建設されたんだそうです。 -
ラートハウスの横にはいろんな紋章が…。
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マルクト広場。
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市庁舎のちょうど真向かいにヘルマンヘッセの生家があります。
真ん中の家がそうです。
今は洋品店になっていますが…、 -
家の壁にはヘッセのプレートがはめ込んであります。
ヘッセ家族は1874年から1881年にこの家に住んだそうです。
そして1877年にヘッセが生まれました。
なお、近くのレーダー通りにはヘッセ一家が1889年から1833年に住んだ家も残っています。 -
木組みの可愛い建物が建ち並ぶマルクト広場、
ここカルフは、ドイツ木組みの家街道の街のひとつでもあるのです。 -
先を急ぎましょう。
ヘルマンヘッセ博物館がこの先にあるそうです。
市教会(Evangelisch kirche)1262年造です。 -
途中に面白いモニュメントがありました。
何なんでしょうね? -
その横の案内板がこれですよ。
まるで落書きみたい…。 -
教会の近くの素晴らしい木組みの建物。
ヘッセ博物館はこの近くらしいのに、見つけられません。
散歩途中の地元の方に尋ねました。 -
この方も、「ついていらっしゃい、案内します」って。
皆さん本当に親切です。
この方は地元の方で、われらが街の英雄・ヘルマンヘッセを訪ねて、はるばる日本からやって来た私に興味を示したみたいです。 -
「どうしてヘルマンヘッセに興味を持ったの?」って聞かれました。
ウーン、私の乏しいドイツ語でなんて答えたら良いのか…、
『車輪の下』ってドイツ語の題名はなんていうんだろう…。
結局無難に、「日本ではヘルマンヘッセはとても有名なんです。」って答えました。
そして、昨日はヘッセが働いていたチュービンゲンの本屋さんも見てきたんですよ、とも。
ここがヘッセ博物館の入口です。 -
残念ながら4時で閉館しています。
時間が時間ですし私は諦めていましたが、彼は異国からはるばるやってきた私に博物館を見せられなかったのがとても残念そう。
「明日の朝だったら開いているから、明日またいらっしゃい。」って。 -
「残念ですが、私これからチュービンゲンに帰らなければならないのです。」
そんな話をしていると、博物館の扉が開いて帰り支度をした博物館の関係者が出てきました。 -
おじ様とは顔見知りらしくて、何か二言三言喋っていましたが、その二人、私にごめんなさいねと言う風に会釈をして帰っていきました。
あの後姿の二人がそうです。
おじ様には「どうもありがとう、私またいつかここを訪れますから…」ってお別れをしました。 -
ヘルマン・ヘッセ(1877-1962年)、ドイツの文学者、
作品には「車輪の下」や「デミアン」などがあり、ノーベル文学賞も受賞している。
あらっ、意外と現代の方なんですね。
てっきり19世紀頃の方かと思っていましたら、亡くなった1962年といったら、私が○○才の頃じゃない…。
すみません、私のヘッセ像ってそんなものなんです。(笑) -
ヘッセ博物館の広場には立派な噴水が…。
盾を持った獅子の像、どこかで見たことがあります。 -
思い出しました。
去年バート・ヴィンプフェンで同じような獅子の噴水を見ました。
あれは、帝国自由都市の紋章の盾を持って、自分達が街の鍵を握っているんだぞ、と言う風に口には鍵をくわえていました。
これにもそんな隠れた歴史があるのかな…? -
水を吐き出している怪物にも歴史が潜んでいそうだし…。
カルフの歴史を調べてみたのですが、ウィキペディアには載っていません。 -
再びマルクト広場に戻って、ヘッセの生家の前を通り過ぎます。
-
マルクト通りに入りました。
ずいぶん静かな通りだなと思ったら、あら、あそこに人影が…。 -
と思ったら、モニュメントでした。
ドイツには多いですね、こういうユニークな彫像が…。 -
逆光で表情が見えませんので、おじさん二人の顔をアップしますね。
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ヘッセのレリーフがはめ込まれたヘッセ・ブルンネン(ヘッセの泉)。
ヘルマン・ヘッセ広場 -
ナゴルト川に架かる、カルフで一番古い橋のニコラウス橋とニコラウス礼拝堂。
ヘッセの「車輪の下」にもたびたび登場します。 -
ゴチック様式の小さなニコラウス礼拝堂は1400年に建てられたものだとか。
「車輪の下」自体がヘッセの自伝記とも言われていますね。
私は遥か昔に読んだきりで内容はすっかり忘れていました。 -
礼拝堂の横に感慨深げに佇む一人の老人
ヘルマン・ヘッセの等身大の像です。
逆光で表情がわかりませんね。 -
顔をアップします。
とってもいい表情をしていますね。
ずいぶん長いこと訪れていなかった懐かしいふるさとを感慨深く眺めている…、そんな表情ではないかと思います。
このナゴルト川もニコライ橋もヘッセにとっては懐かしい少年時代の思い出が一杯詰まった風景なのです。 -
ここにヘルマン・ヘッセの言葉があります。
Wenn ich jetzt wieder einmal nach Calw komme...
bleibe ich lang auf der Bruecke stehen.
Das ist mir der liebste Platz in Staedtchen!
Hermann Hesse
もし、私がもう一度カルフへ来たら、
この橋の上に長く立ち止まるだろう。
ここはいとしい町の中で私が一番好きな場所!。
ヘルマン・ヘッセ -
もう一度ヘッセが好きだったニコライ橋からナゴルト川を眺めて…。
-
橋を後にします。
ヘッセが私に手を振っているような気がしました。 -
名残惜しくてもう一度…。
橋の下に降りて、ナゴルト川、ニコラウス礼拝堂、ニコラウス橋を一堂に…。 -
再びマルクト広場に戻って…。
ヘッセの生家、ラートハウス、噴水が見える広場で一休みします。 -
その店の名は「ラーツ・シュテューベ」。
ラーツケラーのようなものです。 -
白ワインを一杯だけいただきます。
ヘッセもここでくつろいだことがあったのかなー? -
目の前の噴水では、吐き出し口から小鳥が2羽、直接水を飲んでいます。
小さな街の静かな夕暮れ時…。 -
ヘッセの街・カルフを堪能いたしました。
そろそろ駅に向かいましょう。
向こうに見える橋はヘッセが愛したニコラウス橋、ヘッセの姿も小さく見えます。 -
駅のホームに上るエレベーター。
これがどうしたことかなかなか動いてくれない…。 -
やっとのことでホームに上り、高い場所にある駅ホームからカルフの街にお別れをします。
-
後ろの崖にへばりつくように造られているホームに列車がやってきました。
よかったー!チュービンゲン行きです。 -
列車の中は若い人が大勢。
みんなで揃ってピクニックにでも行った帰りなのでしょうか。
皆で歌ったり、大きな声でお喋りしたり、それはそれは賑やかなものでした。
どうもアルコールも入っているようです。 -
そんな様子を気づかれないように写したつもりでした。
あらー、見られていたんですね。
ピースポーズありがとうございます。 -
帰りが遅くなって、旧市街に食事に出るのも億劫なので、駅の近くでケバブを買って帰りました。
このフォートラでも、ドイツのケバブは美味しいと評判がいいので、一度食べたいと思っていました。
だけど量が多すぎます。
食べ物を捨てるのは恥ずかしいと教えられた世代なので、残りをホテルのゴミ箱に捨てるのも気がひけます。
何重にもぐるぐる巻いてわからないようにして捨てました。
ごめんなさい。
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この旅行記へのコメント (4)
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- コットングラスさん 2012/08/13 21:18:36
- こんにちは
- frau.himmelさん
肝心の旅行記の内容でなくてごめんなさい。
ケバブ、今まで何度もドイツに行かれているのに初めてだったのですか。
第2次大戦後のドイツの労働力不足にトルコやギリシャからの労働者の流入が多くトルコ文化が広まったのではないでしょうか。
私は初めてドイツへ行った2008年リューデスハイムで食べて以来はまり、2009年ヴュルツブルク、2010年ヴェロニゲローデ、2011年フランスのトゥールーズ、2012年ハイデルベルクと旅行中必ず1回は昼食に食べてきました。
ビールと一緒に食べれば男でも満腹になりますね。
女性の方には確かに量は多いですね。
コットングラス
- frau.himmelさん からの返信 2012/08/14 13:33:02
- RE: こんにちは
- コットングラスさん コメント連投ありがとうございます。
> ケバブ、今まで何度もドイツに行かれているのに初めてだったのですか。
> 第2次大戦後のドイツの労働力不足にトルコやギリシャからの労働者の流入が多くトルコ文化が広まったのではないでしょうか。
そう初めてなんです。
駅で似たようなロールのサンドは食べたことがありましたが、ケバブ屋さんで、直接お肉を削って作ってもらったのは初めてでした。
あれは、旅に出ると不足しがちな野菜も大量に摂れて美味しいし、しかもお値段も手ごろだし、旅行者にとってはこの上ない食事ですね。
私にとっては大きかったのもさることながら、
お店の人にテイクアウトってお願いしたのに、あの上からアルミホイルでカバーをしただけで中身が見える状態で渡されたのには困りました。
人ごみの中をホテルまでどうやってもって帰ろうか? 恥ずかしくてそっちの方が気になりました。
ハンカチをそーっとかぶせて、中身が見えないようにして急いで帰りましたけどね。
美味しいですね、確かに。半分以上は食べましたが、さすがに全部は…。
捨てるときには、ゴメンネって捨てました。(笑)
himmel
-
- norisaさん 2012/08/07 05:54:54
- 青春のヘルマンヘッセ!
- frau.himmelさん
ヘルマンヘッセと言えば、青春時代の思い出ですね。
やはり車輪の下が有名ですが、晩年に書かれた随筆も秀逸ですね。
しかし、彼がシュバルツバルトの街の出身だったことは全く知りませんでした。一時酸性雨で危機に見舞われた森を見たら彼はどんなに嘆いたことでしょうーーー。
時は移り、ヘッセは遠い思い出になり、こちらも年を取ったということでしょう(苦笑)
静かな町の風景をありがとうございました。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2012/08/07 09:46:10
- RE: 青春のヘルマンヘッセ!
- norisaさん おはようございます。
昨夜(て言うか今朝)オリンピックのサッカーを見てから寝たものですからまだ頭がボーっとしておりました。
norisaさんのコメントに目が覚めました。
いつも一番乗りありがとうございます。
とても嬉しいです。
ヘルマンヘッセ、彼は1962年に亡くなっているのですね。もっと古い時代の人かと思っていました。
彼の生存中からシュヴァルツヴァルトの酸性雨の問題は叫ばれていたかも知れませんね。その頃は黒い森地方にはいなかったようですが、きっと故郷の環境問題には心を痛めていたでしょうね。
その後、この地方は環境問題に深く取り組んでおり、世界の模範になっています。
我が近隣の大国も見習って欲しいものですね。
himmel
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