2012/06/21 - 2012/06/22
269位(同エリア611件中)
阿蘇美忍さん
慶長19(1614)年の高田城築城とともに造られた城下町高田。
400年近い歴史の町は、今も城下町の風情を残す町家と、総延長16kmもの雁木の街並みが残ります。
駅の建物も風情が有り、郵便局までも昭和の時代を映し出す建物です。
1971年4月に、高田市と直江津市が合併して「上越市」が、(2004年)に成立。現在の上越市(2005年以降 )は、上越市を始めとする14の市町村の合併により成立したもで。この大規模合併により「佐渡島」を超える面積となった。地域自治区制度を始めて導入した市で、28の地域自治区を持つ町で有る。
上越市は古くから越後国府が設置されていた所とされ、五智国分寺や居多神社など由緒ある社寺が点在する。
親鸞が上陸した地とも言われ、直江津周囲には国府別院など親鸞縁の史跡が多く点在している。
中世は春日山城を居城とした上杉謙信の本拠となり越後を中心に巨大な領域を支配していた。
謙信が死去すると後継ぎ争いの「御館の乱」が起こり、景勝が勝利したものの大きく領土が後退してしまう。
景勝は豊臣秀吉に臣従することで地位を固め、五大老に抜擢され、会津に移封して120万石の大身となります。
代わって堀秀治が30万石で春日山城に入り代が変わった後の慶長12年に直江津の福嶋城に移ります。
後に、松平忠輝が65万石で福嶋城へ入り、すぐさま高田城を築城、慶長19年に高田に移り高田藩が立藩します。元和2年(1616)に忠輝が改易されると酒井家次、松平忠昌、松平光長、稲葉正往、戸田忠真、松平定重などが短期間の内に次々に藩主が変わり要衝の地でありなが左遷場所のような扱いを受けます。
榊原家が15万石で入るとようやく安定し現在の上越市の基礎を築きます。
上越市は城下町と北国街道の宿場町として発展し領内の中心として繁栄しました。
高田藩は戊辰戦争の際、越後諸藩の中では比較的早く新政府側に恭順姿勢を見せた事で長岡や会津攻めの先鋒となり大きく貢献しました。
その後の高田藩は明治4年(1871)に高田県となり、後に柏崎県を経て現在の新潟県に編入されます。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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