1991/12/11 - 1991/12/13
33位(同エリア156件中)
がおちんさん
1991年の冬、雲南省西双版納の南部を旅しました。克木人(クム人)の村に行くことが主な目的です。
雲南省には25種類の少数民族が定められていますが、克木人は国家から「族」として認められていない群体で、西双版納州のモンラー県を中心に3000人以上が住んでいると言われています。彼らがどのような暮らしをしているのか見たくなり、モンラーに向いました。
また、行きがけに車窓から見えた熱帯雨林地区の村の眺めが素晴しかったので、帰りに寄ってみました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 自転車 ヒッチハイク 徒歩
-
1991年12月12日(木)
克木人の村に行くため、モンハン(ガンランバ)から10時のバスに乗り、モンラー(meng la)に向う。
モンルンの前後にある熱帯雨林の眺めは素晴しい。
川沿いに畑が見える。 -
霧に覆われた森の中に、少数民族の村が点在している。
何族の村だろう?
行ってみたくなるが、交通の便が悪いため、ここでバスを下りるわけにはいかない。 -
森の木々の合間から家が見える。
時間があったら、帰りに寄ってみよう。 -
モンラー県は山が多く、見渡す限り森が広がっている。中国では禿山を見ることが多いので、なんだか新鮮な気持ちになる。
モンハンから5時間半かかってモンラーに到着。漢族の多い街である。道行く人に「克木人」のことを聞くが、誰も知らないので困った。
モンラーは未開放地区のため、目立たないようカメラは出さず、すぐに街から離れた。 -
事前に仕入れた曖昧な情報を頼りに、モンラーから南腊河に沿って歩き始めるが、道中で会う人も「克木人」のことを知らない。
これはおかしいと思ったが、どうやら地元では「サマン族」と呼ばれていることがわかった。 -
モンラーから3時間半歩いて、ようやく克木人の村に到着。
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村の横には小川が流れ、女性が水汲みをしていた。
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村の前で遊んでいた女の子に声をかけ、村長の家に連れて行ってもらうが留守だった。
村の男達は近所の結婚式に行っているのだという。
かわりにYさんという女性の所へ連れて行かれた。 -
克木人は昔、森の中で木の上に家を建てて暮らしていたそうだが、近世はタイ族の奴隷にされていたためか、家のつくりや民族衣装はタイ族化されている。
村には水牛が多い。
克木人は特に水牛を大切にすると言われている。 -
村で世話になったYさんと母親。
Yさんは漢語を話せた。私が少数民族の暮らしに興味を持っていることを伝えると、彼女は歓迎すると言ってくれた。
Yさんによると、克木人はもともとラオスから来たそうだ。モンラーには10か所ぐらいしか村がないが、今もラオスにはたくさんの克木人が住んでいるという。今の若い者にはラオスの克木語がわからなくなってしまった。
付近にはタイ族をはじめ、ヤオ族、ハニ族、ミャオ族、ロロ族(おそらく彝族)のほかに、ボボン族、ブゴ族、カビ族、ポチョン族などが住んでいるという。カビ族とポチョン族は特に人口が少ないようだ。いずれもタイ族と同じ服を着ているとのこと。カビ族は克木と同じサマン族だったが、ケンカして分かれたそうである。前髪を丸めているので見ればわかるそうだ。
非常に興味深い話を聞き、それらの村にも行ってみたくなったが、モンラー県は未開放だし、さすがに国境付近をうろつくのはリスクが高いのであきらめた。 -
軒にかけられた克木人のバッグ。
黒、赤、黄の配色が独特だ。 -
高床式の家には窓が無い。
明り取りは小さく、家の中は昼でも暗い。 -
家ではYさんから簡単な克木語を教えてもらった。発音が難しく、テープレコーダーのマイクを紛失して録音できないのが痛い。
仕方ないのでノートを出し、雷は「ンガルルルッ」、「我 去 景洪」は「オ ジョッ ヂングロン」という感じで筆記していく。
帰宅したおじいさんは、「とうもろこし」という日本語になぜかウケテしまい、何度も「とうもかし」、「とうろもこす」と言って笑った。 -
村の人に迷惑をかけたくないので、日が暮れる前に村を去るつもりでいたが、「こんな時間にバスは無い」と引き止められた。
Yさんと一緒に地区のリーダーに会いに行き、村に泊まる許可をもらった。彼は克木人ではなく苦聡人(クーツォン人)で、非常に友好的な対応をしてくれた。日本人を初めて見たという。
公安がらみにならずにホッとして、再びYさんの家に戻り、食事をすることになった。 -
夕食は豚の生肉、水牛の炒め物、豚のアブラをあぶったもの、ダイコンと葉のスープだった。ご飯はほかほかで、貴州省の西江で食べたのと同じぐらい美味しい。
家の人はしきりに豚の生肉を勧める。「一番美味い」のだという。さすがに病気が心配だけど、好意を無下にすることはできない。以前、大理で豚の生肉を食べてひどい腹痛をおこしたことがあったので恐る恐る口にしたが、克木人の豚の生肉はミンチに香菜や唐辛子、塩で味付けをして叩いたもので、これが非常に美味だった。
豚のアブラ(写真)も香ばしくて美味しく、ご飯のおかずになった。
「克木人料理」は日本人の口に合うと思う。 -
1991年12月13日(金)
夜はねずみが沢山出てきて、キーキーうるさかった。
マグライトの光りを当てると、ダダダと走って逃げていく。
家の人たちは夜明け前から起きていたようで、私が目覚めた時には囲炉裏に火が入っていた。 -
8時頃、克木人の村を出てモンラーに向おうと思ったら、Yさんが一緒に行ってくれるという。断ってもきかないので、自転車を二人乗りして行くことにした。
未舗装の坂道を二人乗りは結構キツイ。10kmの道のりを、汗をかきかき走った。
モンラーに着いてもYさんは、「バスの切符を買うまでは心配」と言って、バス駅まで来てくれた。私が切符を買っている間に、サトウキビとみかんを買ってきて、「バスの中で食べなさい」と言ってくれた。少数民族の村を訪ねて、ここまで親切にされたことはない。
村で世話になったお礼をしたかったが、Yさんは絶対に金を受け取らなかった。せめて何かと思い、日本から持ってきたステンレス製の魔法瓶を受け取ってもらった。
どうもありがとう、Yさん。さようなら。
※近年、観光用につくられた克木人のテーマパークにて、未開人のような格好で踊りやショーが行われていることを知り、複雑な気持ちになった -
モンラーからバスに乗り、モンルンに向う。
昨日チェックしておいた熱帯雨林地区でバスを降り、川沿いに歩くことにする。 -
原始林の中に家らしきものが見えた。
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やはり村だ。
すごい所に住んでいるなー。 -
村の下を流れる川で、村人が何かを捕っているようだ。
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提げているカバンと服装から、アク族と思われた。
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寨門があった。やはりアク族の村だった。
集落には寄らずに先へ進む。 -
道路でハニ族(アイニ)の人とすれ違う。
子供用の小さなカゴもあるんだなー。 -
しばらく歩くと、再び寨門があった。
さっきの村とは形が違う。村の名前が表記されていないので、行ってみることにした。
おそらく、ハニ族の村だろう。 -
山の中に村が現れた。
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やはりハニ族の村だった。
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オシャレな星型の明り取り。
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糸つむぎをしていた、ハニ族のおばさん。
ミニスカートがキュートだ。 -
綺麗なクモ。
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昼寝中のブタさん。
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ハニ族村の川辺では、かまどを作って調理をしているように見えた。
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再び先へ進むと、3つ目の村があった。
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人が集まっているので行ってみると、昔懐かしい「ポン菓子」を作っていた。
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お米を持参してポンしてもらうと、棒状のポン菓子ができあがるのだ。
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できあがったポン菓子をザルに受け取る少女。
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なんか子供たちよりも嬉しそうだったハニ族のおばさん。
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ポン菓子の入ったザルを抱え、裸足で駈けていく。
たまたま立ち寄ったハニ族村の、楽しそうな午後でした。
この日も4時間近く歩いた。途中でトラックをヒッチして、モンハンには夕方帰り着いた。
ハニ族とアク族の新年祭り〜西双版納の旅1991に続く
http://4travel.jp/travelogue/10679660
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