2012/06/05 - 2012/06/06
2962位(同エリア5194件中)
ひま人さん
JR西日本で発売されている「ぐるりんパス」を利用し金沢を訪れた。この周遊券は往復の特急券、乗車券と金沢周遊バス乗車券(乗り放題)、加賀藩の歴史的施設(金沢の16施設)の入場券がセットされています。
全車両が新車に更新された「サンダーバード号」で大阪を発ち約2時間半で金沢に到着しました。観光案内所に立ち寄り「いしかわ観光旅ぱすぽーと」を入手。早速、「城下まち金沢周遊バス」に乗車、石川県観光物産館へ、ここで3つの体験から選べる「砂彫りガラス体験」で四角のガラス棒に氏名を彫り印鑑が出来上がりました。近くの「さくら亭」で昼食後、加賀前田家奥方御殿「成巽閣」を見学し、徒歩で「石川県立伝統産業工芸館」へ、そして加賀本多家の貴重な展示物を誇る「藩老本多蔵品館」を見て、駅近くのホテルにチェックインしました。
2日目、周遊バスで金沢城公園へ、城内の歴史的な城郭を見学後、隣接する日本三名園の「兼六園」へ、園内を散策後、柱坂口の兼六園が一望できる茶屋「見城亭」にて昼食。周遊バスにて長町武家屋敷エリアへ移動、「加賀藩野村家」、「前田土佐守家資料館」、金沢の文豪「室生犀星記念館」を経て帰路に着きました。
加賀藩の豊潤な伝統文化が集積した歴史の足跡をたどった2日間でした。
写真は金沢のシンボル、兼六園「徽軫灯籠」です。人気の写真スポットNO.1!!
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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城下まち金沢周遊バス、懐かしいボンネット型バス。「ぐるりんパス」で何回でも乗り降り自由です。観光に最適です。
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石川県立伝統産業工芸館、石川の風土が育てた36業種すべての伝統的工芸品が展示されており、長い歳月をかけて育まれた伝統の技に触れることが出来ます。
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成巽閣(せいそんかく)正門。
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正門の両袖に続く海鼠塀。
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成巽閣玄関、成巽閣は江戸末期、文久3年(1863年)に前田家13代斎泰が母堂にあたる12代奥方、真龍院(鷹司隆子)のために造営した奥方御殿です。金沢城より「巽」の方角にある事から「巽御殿」と名付けられました。大政奉還、王政復古を経た明治7年(1874年)、斎泰は今日の「成巽閣」と言う名に改めました。
敷地2000坪、建坪500坪、2階建、寄棟造り、柿葺きで階下は公式の対面所として「謁見の間」を中心に御寝所としての「亀の間」、御居間としての「蝶の間」など大名家には相応しい風格と奥方らしい優雅さを備えた書院造りです。重要文化財指定。 -
成巽閣、玄関前庭園。
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成巽閣、つくしの縁、縁側の軒先は”桔木(はねぎ)”によって支えられ、庭を開放的に眺めることが出来ます。桔木は約40?角、長さ10m余りの松材で、これを2m間隔に組み入れた梃子の原理で屋根を支えています。
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成巽閣つくしの縁庭園。平庭造りの庭園で、雄松、五葉松、八汐、楓、紅梅などが配され、その合間を辰巳用水から分流された遺水がゆるやかに流れています。
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成巽閣、万年青の縁庭園、大小の築山が造られ、五葉松、雄松、キャラボクなどの古木を配しています。遺水は深くなり下流には落差によって水温が響くように工夫されています。
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藩老本多蔵品館、加賀「八家」本多家に伝わる藩政初期の武具を中心に、馬具一式や馬験(うまじるし)などの陣立装具を展示した、全国的にも希少な武家博物館です。又、美術工芸品としても価値の高い調度品や、古文書、絵図など、藩政時代の優れた文化や歴史を知ることの出来る、貴重な資料を展示しています。
本多家は百万石の加賀藩で、5万石という最も高い禄高の家柄でした。加賀藩には1万石以上という大名並みの禄高の家臣が何人もいて、その内最も格式のある8つの家は「八家(はっか)」と呼ばれました。家老より上の「年寄」という役につき、自分の家臣を数百人も持っていましたので、「加賀には殿様が9人いる」ともいわれました。 -
金城霊沢(きんじょうれいたく)、昔、芋掘藤五郎(いもほりとうごろう)がこの泉で砂金を洗い「金洗い沢=かなあらいさわ」と呼ばれていた。これが金沢の地名の起こりです。
建物の中に泉が湧いている。 -
前田利家像。前田利家は加賀百万石前田家の祖です。尾張荒子の土豪前田利昌の四男として生まれ、織田信長に従い、大名としての礎を築きました。幼名犬千代、前名又左衛門。武勇の誉れ高く「槍の又左」の異名があります。豊臣秀吉とは犬千代時代からの交わりです。信長時代には、近江長浜、越中府中、能登七尾の城主となりましたが、秀吉と柴田勝家の戦いの後、秀吉と提携し、天正11年(1583年)金沢城に入城しました。
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金沢城の代表格石川門、江戸時代から現存する重要文化財。
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金沢城石川門櫓。
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金沢城石川門石垣、右と左で積み方が違います。右側は「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」の技法となっています。同じ場所で違う積み方をした珍しい例で、明治2年(1765年)の改修時のものと考えられています。
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金沢城河北門(かほくもん)、正門である河北門を復元したもの。石川門、橋爪門と合わせ金沢城三御門と呼ばれています。
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金沢城五十軒長屋(ごじゅけんながや)、菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ二層の多聞櫓。普段は倉庫として用いられるが、非常時には戦闘のための砦となります。石落としを各所に備え、格子窓は鉄砲狭間となります。
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五十間長屋全景、平成13年7月に復元完成。延床面積1894.23平方m、明治以降で建てられた木造城郭建造物としては全国最大規模です。大径木の事前調達や土台石垣の解体、修築を含め平成10年3月から3年4ケ月をかけて造られました。3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を五十軒長屋をつないでいます。
天守閣は慶長7年(1602年)落雷により焼失、以後再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられましたが、宝暦9年(1759年)の火災で、城のほとんどを焼失しました。 -
五十軒長屋に続く「菱櫓」。二の丸で一番高い三層の物見櫓です。尾坂門、河北門、石川門を一望できる。石落としを多く持ち、実戦的で、なおかつ華やかな櫓です。
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五十軒長屋に続く橋爪門続櫓。二の丸大手の橋爪門桝形に付随する三層の物見櫓。三の丸で戦闘が起きたときの指揮所になります。
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五十軒長屋の屋根は鉛瓦葺きになっています。
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名勝、兼六園・徽軫灯籠(ことじとうろ)。冬の雪景色が有名。
兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式の特徴をそまま今に残しています。もともとは金沢城の外郭として城に属した庭であった。
加賀藩5代藩主・前田綱紀が延宝4年(1676年)、この地にあった作事所を城内に移し、蓮池御亭を建て、その周辺を作庭しました。これが本園の始まりです。
この園の命名を依頼された奥州白河藩主・白河薬翁は中国宋の時代の詩人・李格非の書いた文中から六勝を兼備すると言う意味で「兼六園」と命名しました。 -
兼六園・霞ケ池。
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兼六園・根上松(ねあがりのまつ)、13代藩主・前田斎泰(1822〜1866)が移松を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられます。
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兼六園・噴水。霞ケ池(噴水の背後)を水源とし、水面との落差で高さ3.5mまで噴き上がっています。19世紀中頃造られた日本最古の噴水です。
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武家屋敷跡の土塀。明治維新後の武家制度の解体で、あたりの多くは菜園となったが、幸い門、土塀などは従来のままの姿を残していたものの、大正初期の窮乏でさらに土地は分割されて、現在の住宅街に変貌してきました。
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武家屋敷跡野村家。野村家は、天正11年(1583年)加賀百万石の基礎を築いた藩祖・前田利家の金沢城入りに直進として従った野村伝兵衛信貞に遡り、明治3年の廃藩まで家督を11代に渡って守った由緒ある家柄です。代々奉行職などを歴任し、禄高千石から千二百石と累進して、約一千坪の屋敷を拝領しました。
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武家屋敷跡野村家玄関。
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武家屋敷跡野村家、上段の間。金に糸目をつけない総檜づくりの格天井で、紫檀、黒檀材を使った緻密な細工造りで、畳下が銅板張りであることも驚きです。金彫師の手によるものと思われる黒柿材の透かし彫の釘隠し、襖の引手は鉄刀木(たがやさん)の細工彫で出来ています。濡れ縁にせまる曲水を映ゆるギャマン入りの障子戸は往時弘化、嘉永年間としてはまさに目を見張ったことに違いありません。
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武家屋敷跡野村家庭園。多宝塔、西乃屋形ほか六尺に及ぶ大雪見灯籠、さくらみけげ石の大架け橋などが絶妙なバランスで配置され、樹齢400年以上の山桃の木やシイの木などと美しい調和をしています。名石、奇岩を擁した曲水は濡れ縁にせまり、特に「上段の間」からの眺めは格別です。
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武家屋敷跡野村家庭園。
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前田土佐守家資料館。同家に伝来した約6000点の古文書をはじめ、武具・書画などあわせて約9000点の歴史資料を保存・公開する施設です。
前田土佐守家は、加賀藩祖前田利家とその夫人まつの次男前田利政を家祖とし、以後、明治維新を迎えた直信まで10人の当主を数えます。
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