2012/06/03 - 2012/06/03
29位(同エリア177件中)
あしもむさん
キエフから日帰りが可能とのことで、北部のチェルニゴフ(チェルニーヒウ)へショートトリップ。教会群が比較的コンパクトにまとまっているので、徒歩で楽しく散策できます。
チェルニギフは1300年もの歴史がある古都で、中心部にも古い教会が比較的集中しています。1648年ウクライナ・コサックの国家が成立し、それ以来ウクライナの政治・経済・文化の中心の一つとして発展していきました。今は州庁所在地のひとつにすぎないぐらいの規模ではありますが、観光地もよく整備されている方だと思います。
キエフに数日間観光に来たけれど、キエフにあるものはほとんど見尽くしてしまって他にやることないなあ…、1日あいたなあ…、という方にオススメの訪問先です。
今回の旅行記は、日本語の資料が少なくて下調べに苦労した教訓を生かして、できるだけ説明を細かく書くようにしてみました。ただし英語のものを電子辞書様のお助けを借りながらせっせと訳したもので、資料によっていろいろ異なったりもしていますので、間違いもたくさんあると思います。拙い旅行記ではありますが、どなたかチェルニゴフにいらっしゃる際の参考になれば、または一緒に歩いている気分を味わっていただければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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キエフ地下鉄赤線の終点駅、リソヴァ駅前からチェルニギフ行きのマルシュルートカが出ています。キエフ中心部から到着したら、地下鉄の車両を出て進行方向と反対側の出口から出ると目の前にマルシュルートカ(ミニバン)がたくさん待機しています。
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正確な時刻表があるのかどうかは不明ですが、このときは満員になったら出発、というシステムのようでした。ちょうど1席だけ空いているマルシュルートカがあったので、それにすべりこんで出発!片道40グリブナ(日本円で400円程度)でした。乗るときに運転手さんにお金を払います。
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2時間ほど走ります。道路は舗装してあるものの、状態が悪いところも多いようで、ガタゴトよく揺れました。
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途中で降りる人がいると、空き状況に応じてバス停に泊まります。
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本当にいい天気!川で高速(?)ボートに乗っている人がいて、とても気持ちがよさそうでした。
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降りる人が多くなってきたので、手元の地図で確認して今でも「赤の広場」と呼ばれているチェルニギフの街の中心でマルシュルートカから降ろしてもらいました。6月の初旬でこんなにいい天気なのに、風が冷たいのですかさずストールを取り出しました。
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ウクライナ国旗が少し肌寒いぐらいの風にはためいていました。
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タラス・シェフチェンコ記念音楽演劇劇場。
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正面上部にはタラス・シェフチェンコと思われる人の彫刻が見られます。
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引き続き「赤の広場」。ほぼ正方形です。手元の地図で通りの名前を確認し、方角をチェックしてから歩き始めます。
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劇場の裏手にまわると、すぐにSt. Pareskevy Pyatnytsi Church(聖パラスケヴァ金曜日教会)が見えてきます。
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プレートはこのとおり。かつてこの街の「赤の広場」に広がっていた市場のパトロンに名前の由来があるそうです。第二次世界大戦の際にほとんどが壊されてしまい、建築当初の状態で残ったのは三分の一。その後再建されました。
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三位一体の日で植物を持って礼拝に訪れた人でごった返していました。内部はコンパクトで、装飾は他の正教会とあまり変わらないかな、という印象でした。
クーポラが一つのこの様式は、12世紀の教会によく見られるものなんだそうです。 -
よく整備された公園でした。旧ソ連らしく、まっすぐな歩道が目立ちます。
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再びSt. Pareskevy Pyatnytsi Church(聖パラスケヴァ金曜日教会)。別のアングルから。
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ボフダン・フメリニツキーの像。キエフではソフィア大聖堂の前で馬に乗っている像が有名でしょうか。
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このような位置関係です。
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正面からボフダン・フメリニツキー(1595年〜1657年)像。ウクライナ・コサックの最高指導者として起こしたフメリニツキーの乱が有名です。
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地図を片手に、古い教会が集中している地区へ向かいます。ここも道はまっすぐ…。
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子どもさんがチョークか何かで書いたのか、アスファルトにカラフルな絵がありました。
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まだそんなに暑くはなかったのですが、犬が暑さで参っているかのようにそこらへんに転がっていました。
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近くにYouth Theaterなるものがあったようです。
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愉快な仲間たち?も近くに発見。手入れされているんだかされていないんだかの周囲の草の長さもいい味出してます。
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ここにも何かモニュメント…?いちいち解説があっても読めないし読まないのですが、せめて何を表したものなのかぐらいあると嬉しいです…。
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池のようなものの向こうに、何やら建物が見えてきました。
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水ははってませんでした。時期によるのか、それとも今は全く使われていないのか、そもそも水をためるためのものではないのか、よくわかりません。
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奥に見えていたのはCollegium(チェルニーヒウ・カレッジ、1702年)でした。ウクライナバロックという建築様式なんだそうです。
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さらに建物に近づいていくと、どなたかの銅像が。
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今回は入りませんでしたが、入口がいくつかあって、それぞれ展示スペースになっているようです。
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すぐ隣にあるのがBoryso-Hilbsky Cathedral(ボルィスとグリーヴの大聖堂、12世紀)。黒いドームが目印です。遠くから見るとうずくまっているように見えなくもありません。
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ここの装飾部分、中でオリジナルを見ることができました。
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入口近くにはこのような看板が出ています。
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中は博物館になっていて、入場料は10グリブナ。写真を撮ってもいいかと聞くと、入り口近くの寄付金の箱に20グリブナ入れたらOKだとのことで、言われるがまま20グリブナ入れてばちばち撮影させていただきました。先に入っていた団体の観光客も写真を撮っていた人は、後から20グリブナを寄付するように言われていたようです。
写真は入り口近くにあったこの地方の地図。 -
修復前の教会の様子。ドームが崩落しているものもあり、驚きました。
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この大聖堂(Boryso-Hilbsky Cathedral)とさらにお隣の救世主の変容の大聖堂(Spaso-Preobrazhensky Cathedral)の模型。
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石棺だと思われます。中の人骨の写真もありました。
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文字…?とても気になったのでひとまず1枚。
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色が薄い部分がオリジナル、濃い部分が修復した部分でしょうか。
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オリジナルの床らしいものが残っていました。
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見上げるとこのような感じです。2階もありますが、中央部は吹き抜けになっています。
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これに関しては諸説あるそうですが、18世紀に作られたイヴァン・マゼッパの命令によって作られたドアだそうです。
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重さは56キロとのこと。細かい装飾に目を奪われます。
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柱の上部に取り付けられていたという装飾のオリジナルも展示されています。
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一部は床が修復されないままにされていて、どのような状態なのか見てすぐわかるようになっています。
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家系図。この教会に関係がある家系のものなのでしょうが、しっかりは見ませんでした。そう言えば、ベラルーシで見た家系図も木の形になっていました。
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女性の顔の絵と衣装の展示方法が独特です。
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これももともとは教会の壁に描かれていたものをはがして保管しているようです。
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こちらも柱の上にあったという彫刻。想像上の動物?でしょうか。あとから公園で同じような形をしたものにたくさんお目にかかることになりました。
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これもそのようです。一つ一つデザインが異なっていてそれが動物だというのに心が惹かれます。
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展示品の一部。絵がかわいらしかったので撮ってみましたが、よく見ると展示品の中にはおどろおどろしいものも…。
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これも絵が気になった展示品。料理やマッサージ…?でしょうか。
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もともとここにあったものなのか、モザイク画の一部も展示してありました。
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団体客がいなくなったので入口から奥を見るように1枚。もう教会としては機能していないので、女性も布をかぶらなくてもOKでした。
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この右側の箱に、写真撮影料20グリブナを入れるように言われました。
そばの階段から2階へも上がれます。やや階段は急ですが、手すりもあります。 -
2階では鐘がお出迎え。他にも宗教関連のものがいろいろありました。
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外に出て再びCollegiumの外観。壮観です。
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Spaso-Preobrazhensky Cathedral(1017年)。ロンプラに「ミサイルのような形」の塔が2つついている、と書いてあったのですぐにわかりました。
内部はこちらも特に特徴のない正教の教会のように思えましたが、熱心な信者が多いのか、細部まで管理が行き届いているようでした。 -
入口に三位一体の日だからなのか、このように植物がつけてありました。
入場は無料です。こちらもミサ中なのか、三位一体の日の礼拝を受ける人で大賑わいでした。中に入ってすぐの入り口近くにはベビーカーの駐車場のようなスペースができるほど子どもも多かったです。この日はどこの教会にも聖水らしきものがタンクなどに入れられて、参拝者にふるまわれていました。
内部にはヤロスラフ賢公の弟など、キエフ・ルーシ時代の王族の墓もあった?ようなのですが、確認できないほど混雑していました。
上記二つとも撮影禁止であることを示すものはなかったのですが、あまりに地元の熱心な信者の方でごったがえしているので自粛。 -
三位一体の日で礼拝に訪れた人々の大半は、このベビーカーに差してあるような植物を持って来ていました。
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出入り口の上につけられた炎のような形の装飾が、どこか斬新です。
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こちらは州立美術館のようです。外観だけ見ておくことにします。
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プーシキンの像を発見。
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プーシキンの像も、ウクライナの街にある確率が高いような気がします。
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公園内にはおもむろに昔の街の鳥瞰図のようなものがありました。
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何かの遺構のようなものもありました。もっと近づいてみたかったのですが、近くに怪しげな人が横たわっているようだったので遠望のみ。
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ここまで見てきた三つの建物も古い絵の中におさまっていました。
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振り返ると2つの大聖堂がきれいに見えました。電線さえなければ…。
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公園をぷらぷらと歩きながら、デスナ川のほうへ向かいます。
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柵にはこのような装飾が。Boryso-Hilbsky Cathedralで見た、柱の上につけられていた彫刻を模したものでしょうか。
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デスナ川の方へ向かってたくさんの砲台がありました。
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こちらがその川。小さい船着き場のようなところから、陽気な音楽がずっと流れていました。
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そしてウクライナの街なかにある銅像の横綱。タラス・シェフチェンコの像。ここでも大人気なのか、人だかりができています。
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ちょ、ちょっと…。ここのシェフチェンコさん、やたら大きいです。しかもベンチに座っているという、いかにも「コラボ」を意識した作り。
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やっとのことで人がいなくなったタイミングを見て、シェフチェンコさんのソロを激写。
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ここのシェフチェンコさんは若いころのお姿を再現したものでしょうか。100グリブナの顔によく似ているような気がします。
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少々高台になっていて、チェルニギフの住宅街を見渡せます。高い建物は遠くの教会ぐらいしか見えません。
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あまり朝ごはんを食べずにここまで来てしまったので、ここらで腹ごしらえ。ホットドッグ7.5グリブナでした。水もここで調達できましたが、ちょっと値段は高めでした。
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川側の斜面に近いところには等間隔にいろいろな形の砲台が並べられていました。ちょうど日曜日だったので、記念写真を撮る人々で賑わっていました。ホットドッグをはむはむしていた私も、ウクライナ人の一家からカメラを渡されて、撮影するように頼まれました。せめて飲みこむまで待ってほしかった…。
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砲台の間に、次の目的地St.Catharine's Churchが見えてきました。
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こちらにもどなたかの像が…。必要もないのに写真を撮ってしまう、(そしてアップしてしまう)悲しい性です。
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旧ソ連らしくまっすぐに整備された道の向こうに教会が見えてきます。
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振り返ったらこちら側の道もまっすぐでした。
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St.Catherine's Church(1715年)。他の教会にくらべて明るい感じで、素朴なイコンとそれに飾られた刺繍がほどこされた布がかわいらしかったです。聖職者の方の祝福(?聖水をブラシのようなもので頭につけてもらう)を受けるのに、細長い植物を持った人が長蛇の列をなしていました。そのせいで床は草だらけ…。下を見ると少々残念な気分にはなりましたが、上を見上げるとシャンデリアがきれいなのでこれで癒されました。
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外壁は少々痛んできているようでした。
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ここにも何か記念碑が。外国を歩いているといろいろな銅像や記念碑、よくあるんですが、何を「記念」したものなのかよくわからないことがけっこうあります。
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振り返って再び…。ちょっとナナメになってしまいました。キエフからチェルニゴフへ向かうと、このドームが数キロ先から見えるそうなのですが、しっかり見落としてしまいました。
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この街灯も先ほどの柵と色が統一されていて、雰囲気がいいです。
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看板を作るときに間違ったのでしょうか?それとも新しい道ができたのでしょうか?
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M.Kotsiubynskyi公園からアントニーの洞窟など、もう一つの見どころが集中している地区までは2キロほどあるとのことで、ロンプラには8番のトロリーバスを利用するのが便利だと書いてありました。この日は時間も十分にあり、天気も良かったので歩いてみることにしました。
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地図を片手に、南側へ向かって歩いてみます。車もほとんど通らず、静かな道が続くので少々不安になってきました、が…
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…緑の屋根の宗教施設らしい塔が見えてきて、バスなんか乗らなくてもあっさりついちゃうじゃん!と思った教会は、地図や資料を見返してみたら違う教会でした。
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Eletsly Monastry(11世紀〜18世紀)ではないかと、後からわかりました。
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窓の古びた感じがどこかジブリっぽかったお宅を失礼して1枚。
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手元の地図を見ると、Chorny Tumulusが近くにあるようなので行ってみます。このこんもりした丘の上にあるようです。というかこの丘自体が古墳であった可能性も高いです。
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この右手の黒い塔がそれです。
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一説によると、ここにチェルニギフの創設者が葬られているのだとか…?10世紀のものだそうですが…。にしては石がきれいすぎる気がするな、と思ったら、このオベリスクは1873年に建てられたものだとのこと。
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さきほどちょっと見えた、Eletsly Monastry(11世紀〜18世紀)にも入ってみることにしました。
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これはおそらくAssumption cathedral(12世紀)。
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集団礼拝の時間は終わっているのか、床に残された草がどこよりもひどかったです。
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教会の裏手に回ってみると…
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…遠くに次の目的地の教会の屋根が見えました。あそこまで歩きます。
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トロリーバスを見かけた道まで戻って、電線をたよりに歩きます。
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このトロリーに乗れば次の目的地まで行けるようです。けっこう頻繁に走っていました。
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道を歩いているとポストらしきものがたくさんありました。でもかなり古いし、フタが開くのかどうかすら怪しいし、本当にポストなんだろうか…?と思って歩いていると、ちょうど道の向こう側に、私が「ポストらしきもの」と思っていたものを覗き込んで手紙を出す人が!やっぱりポストだったんですね…。失礼しました。
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というわけで記録に近くにあったポストを1枚。
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下り坂が終わり、今度はゆるやかな上り坂に入るようです。大きなモニュメントが見えてきました。
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戦争関連?のものでしょうか。大きい銅像に続いて、プレートがいくつか並んでいます。
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そしてその先にはまっすぐなモニュメントが。第二次世界大戦関連のもののようです。
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プレートにはひとつひとつ異なったデザインが施されていました。
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階段を上っていきます。
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チェルニギフの住宅地?本当に高い建物がありません。
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「永遠の火」でしょうか。ヘルメットのかたちのモニュメントもあります。
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このこんもりしたものも、もしかして古墳?
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もう少し進むと案内板が。ここでしっかりと文字を読んで行き先と照合しておけば、あとから迷うこともなかったんです…。
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Troyitsko-Illynsky Monastery(Trinity Monastry)らしきものが見えてきました。ここまで3キロぐらいあったようなのですが、気温が低めなのでそんなに距離は感じませんでした。アップダウンは少々ありました。
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18世紀からある鐘楼は58mあるそうです。中にも入れるそうなのですが、あまり高いところは得意ではないので、入りませんでした。
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Trinity Church(17世紀)。信者にとってはとても重要なところのひとつだそうで、巡礼の人が絶えないんだとか。さすがにこの日見た教会の中ではダントツに混雑が激しく、奥には行けないほどでした。内部は薄い青緑がマーブル模様をなしたような壁の色で、薄暗かったです。
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こちらも路面に草がたくさん落ちています。大事なものではないんですか?
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教会の正面から。迫力があります。
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外でも聖職者の祝福(?)を受けるための人の列ができていました。
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教会を少々離れて1枚。
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さらに鐘楼も1枚。
ここの近くに洞窟の教会があるはずなのですが、入口が見つからなかったので人の流れに任せて歩いてみることにしました。 -
なぜかこちらの方向に行く人が多かったので、ついていってみます。すると…
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…たどりついたのはスーパー。これは違うな、と思って引き返しました。
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引き返してもきれいだったので先ほどの教会の写真を再び撮影。
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さっきの案内板のところが怪しいな…、と思って引き返してみると、やっぱりここにそれらしき道がありました。「赤の広場」からだと南側に3キロほど行くと戦争関係(?)のモニュメントを通り過ぎ、緑が多くなってきたら写真のような黒い石と看板があるので、そこから入っていきます。
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しばらく舗装されていない歩道を直進すると、右手に階段が見えてきます。ここを下ります。
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看板が出ていますが、英語表記はありません。
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小さな墓地の間を抜けて、それらしき建物が見えてきました。
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やっとのことで今回のチェルニゴフ訪問のハイライトとして考えていた、洞窟教会に到着したようです。
入場料は10グリブナで、写真撮影はさらに20グリブナです。受付のおばちゃまの屈託のない笑顔に負けて、チェルニギフの写真入りのリーフレットも購入(25グリブナ)。思ったより説明は少なめでしたが、装丁がユニークなのでいい思い出になりました。 -
最初は明るい部屋が続きますが、どんどんレンガや土がむき出しになり、暗くなっていきます。黒いパーカーを着ていたので、白い壁に触れてしまったときについたのか、出たときは服にも手にも白い粉のようなものがついてしまっていました。
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Anthony Pechersky。キエフルーシ時代の聖職者・政治家としてよく知られています。伝説によると彼は983年にLubechで生まれ、ギリシャのAthosの修道院で聖職者となったそうです。キエフのペチェールスカ大修道院の創設者の一人でもあります。Svyatoslav Yaroslavich公爵の招きに応じ、1069年にチェルニゴフに移り、要望に応えてBoldinの丘にチェルニゴフの洞窟修道院を作りました。1073年にキエフにて没。……というのはすべて近くにあった説明の受け売りです。
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近くの案内板によると、聖アントニー・ペチェルスキー教会だと思われます。18〜19世紀の地下建築で、礼拝所と身廊、祭壇の3つの構造となっています。イコンや宗教装飾がほどこされたドアが据え付けられたレンガの壁はイコノスタスとして使われていました。祭壇の中心には"brick dais"があるようです。
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ここはまだ洞窟部分ではないようで、上部はドーム型になっていました。洞窟部分は315mあるそうです。
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洞窟内のところどころに案内板がついていて、ウクライナ語・ロシア語・英語が併記されています。ときどきウクライナ語だけ、というところもありましたが、ほとんど英語もあるので、概略はつかめます。
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ここがThe lower circleだったのでしょうか。聖アントニーの洞窟の一部で古ルーシ時代に造られたそうです。当初は僧侶の居住スペースだったのが、17世紀に拡張され、18世紀まで聖Illiyaの遺体を安置する場所として使われました。ギャラリーと僧侶の小部屋、埋葬用の壁龕から成っている…、と近くの案内板に書いてありました。
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暗いところに入るとどんどん方向感覚を奪われていきます。一応、地図もあります。
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人骨があり、どきっとさせられます。キエフのペチェールスカ大修道院のご遺体はミイラ化していますが、こちらは温度と湿度の状態がミイラ化には適さなかったとのこと。
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伝説によると、1239年のタタールのチェルニゴフへの襲撃の際に戦って命を落とした僧侶の骨がここに収められているらしいです。これは本などで予習していたので、あっさり理解できました。
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この図は理解できず…。遺体の保存方法でしょうか?この先にこれと同じような形状をしている部屋があったので、どんなものがあるのか、怖くて一人では入れず足踏みしてしまいました。
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一部は赤くライトアップされていて、異様な雰囲気です。ここも一人では進めなかったので、他の見学者が来るのを待ってからのこのこついて行きました。
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特に順路などはないので、手探りで進むしかありません。行き止まりなどもありますが、そんなに深くはないので、適当に歩いていたらもとの白い部屋に戻れました。出入口は一か所だと思います。
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外の空気を吸って、少しだけほっとします。壁には洞窟の地図が書いてあったんですね。ついたときはたどり着けたことの安堵感と気が焦ってここまで見る余裕がありませんでした。
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受付のおばちゃんに「ありがとう!」と言うと、「こちらこそ!さよなら!!」と元気よく手を振りかえされました。こんな単純なことですが、チェルニゴフ、来てよかったな、と思いました。
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木彫りの彫刻が佇んでいました。夜にはあんまりお目にかかりたくない…かな?
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洞窟教会を見て満足してしまい、併設のIllinsky Church(11世紀)の内部を見るのを忘れてしまっていました。
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なんだか自分が目にしたものとはだいぶ違うような…?
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再び墓地を抜けて来た道を戻ります。
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こちらが洞窟教会の入り口でおばちゃんの笑顔に負けて購入したパンフレット。うすっぺらいA4の冊子ですが、装丁に一工夫してあって、これはこれでいい思い出です。
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というわけで車道まで戻ってきました。時期によっては虫が多そうな歩道でした。
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天気に恵まれたので、中心部まではまた歩いて引き返します。
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見た目はガタガタでも現役のトロリーバスが走り抜けていきます。
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ちょっと脇に目をやると、郊外の景色が目に飛び込んできます。どこか懐かしく、日本が恋しくもなります。
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中心部が近くなってきましたが、キエフへのマルシュルートカにどこから乗ればいいのかわかりません(笑)
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キエフ行きのバスにどこから乗ればいいか、ロンプラを見ながらSt.Catherine's Churchの前あたりをぶらぶらしていると、ちょうど目の前にマルシュルートカが止まっていました。前に回りこんで行き先を見てみると、「キエフ」行き。乗っていいものかどうかうろたえていると、近くにいたお兄ちゃんが「乗りこんで待ってればいいよ〜」というようなことを伝えてきたので、乗り込んで出発を待ちました。
集金にまわってきた運転手さんに「キエフまでいくらですか?」と聞くと「35グリブナでいいよ」とのこと。あれ…?行きより安い…。
こちらも満席になったら出発(15時15分)。すぐにハイウェイに入りました。途中で降りる人がいたら、そのつど乗りたい人を拾っていく、という感じで、もとの場所に戻りました。
行きよりも乗降が多かったので、2時間以上かかりました。終点も始点と同じく、地下鉄のLisova駅です。
今回も写真が多い旅行記でしたが、ここまでお読みくださりありがとうございました。
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