2012/05/27 - 2012/05/27
227位(同エリア270件中)
ひま人さん
揖斐川町は滋賀県と福井県に隣接する西北部に位置しており、町の西側に伊吹山を配し、中央には揖斐川が流れる景勝の地でもあります。その揖斐川町を訪ね、まず旧谷汲駅(たにぐみえき)へ、ここは谷汲村(現、揖斐川町)にあった名古屋鉄道谷汲線の駅です。2001年9月30日の営業限りで、廃線と共に廃駅となりました。そこから、揖斐川の西側の妙法ケ岳の一角に、「三十三ヶ所巡礼」の33番札所として名高い古刹である谷汲山華厳寺(けごんじ)へ参拝。その西側の谷にある両界山横蔵寺(よこくらじ)へも参拝しました。周辺は新録も鮮やかで心が洗われるような景色に見とれる地であります。
写真は、名鉄谷汲駅に動態保存されている電車(モ755号)です。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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旧谷汲駅、名古屋鉄道谷汲線の終着駅。2001年9月30日廃線で廃駅となりました。駅舎内部の旧待合室は谷汲線資料の展示場所になっています。
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旧谷汲駅ホームに動態保存されている電車(モ514)、70年余活躍したそうです。
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旧谷汲駅ホームの動態保存電車(モ755)
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谷汲山華厳寺石碑。
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谷汲山華厳寺(たにぐみやまけごんじ)総門。
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華厳寺仁王門。
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華厳寺本堂。寺の草創は桓武天皇(737-806年)の延歴17年(798年)で開祖は豊然上人、本願は大口大領です。本尊は十一面観世音菩薩(秘仏)です。西国三十三ケ所観音霊場巡礼は第一番札所の那智の青岸渡寺に始まりますが、ここ華厳寺が第33番の札止め満願霊場となっています。
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華厳寺本堂。門前参道は(華厳寺総門から仁王門までの約800m)では春になると桜のトンエルが出現し、多くの花見客で賑わい、秋になると一変し、紅と黄の美しいコントラストが仁王門を超えて本堂まで続くそうです。
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両界山横蔵寺石碑。
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両界山横蔵寺(よこくらじ)仁王門。二重、三間二間、檜皮葺、楼門。仁王尊は両側の奥に祀られるようになっており、仁王会が行われたと考えられる。二階は鐘楼を兼ねる。江戸時代初期、延宝3年(1675年)に完成しました。
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横蔵寺仁王門の大草鞋。
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横蔵寺本堂、檜皮葺、入母屋造り、江戸時代初期、寛文11年(1671年)完成。天台宗、桓武天皇の勅願寺であり開山は延暦20年(801年)伝教大師です。伝教大師が自作の薬師如来を祀った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言います。
横蔵寺は元亀2年(1571年)、織田信長の兵火で焼失し、現在の本堂、三重塔、山門などの主要伽藍は江戸時代の復興です。 -
横蔵寺三重塔、三重、方三間、檜皮葺、軒の組物は三手先。江戸時代初期、寛文3年(1663年)完成しました。
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横蔵寺観音堂。
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横蔵寺舎利殿。「ミイラのある寺」として知られています。この舎利殿に安置されるいる「舎利仏」すなわちミイラは、妙心法師と言う人物の遺体です。妙心法師は横蔵寺の地元の村の出身で、俗名を古野小市良と言いました。天明元年(1781年)に生まれ、諸国を巡って仏道修行をし、文化14年(1817年)、断食修行の後、今の山梨県都留市の御正体山で即身成仏したという。遺体は何らの加工もなく、自然にミイラ化したとされ、当初は成仏した地の山梨県で保存されていたが、遺族らの要望により、明治23年(1890年)、本人の出身地の横蔵寺に移されました。
ミイラは見学できましたが撮影は禁止です。 -
横蔵寺瑠璃殿、国重文仏像22体が安置されています。
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