2012/04/16 - 2012/04/16
97位(同エリア147件中)
フラワーさん
せっかくですからダラスにも行ってみたい。1963年11月22日若き大統領、ジョン・F・ケネディが暗殺された町ダラス、ということしか知りません。
調べたところによると、この町は1842年ごろから開拓され1845〜49年に副大統領をつとめた“George Mifflin Dallas”の名に因みます。カリフォルニアに向かう多くの“Forty-niner”がここを通り1855年には、フランス人が理想郷づくりをしましたが、結局失敗に終わりました。1860年の大火で焼失し再建され、南北戦争では南軍の補給基地となりました。
20世紀になって石油の発見によって、アメリカのオイルビジネスの中心地として急成長を遂げ、その後も商業都市として発展し続け、人口は約130万人だそうです。
今日はフォートワースからここダラスに日帰り観光に来ました。観光といっても例によって自分たちの脚を使って、行きたいところをうろつくだけなのですが。
写真はケネディ大統領が撃たれた現場。
正面のビルの6階右端の窓から銃弾が発射され、道路の白いバツ印ところでオープンカーの大統領に、命中したのです。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
朝のストックヤード。今日も青空。
-
7:30起床。
8:00朝食。 -
ホテルのブレックファースト。
パンとフルーツはあまり美味くない。 -
オーストラリアの中年夫婦とシャトルでITC(Intermodal Transportation center)駅へ行きます。
「どうぞお先に」なんて言うから座席3列の一番に前に陣取ったのが失敗。少々太めの彼らを前に、我々が後ろに座るべきでした。
彼らは座るまでと座ってからもいかにも窮屈そう、また老年ドライバーとの会話も我々の頭越しになってしまいました。気が利かなかったな。
短時間だったのが唯一の救いでした。
ダウンタウン、駅の近くの風景です。 -
駅舎内の中央がチケット売り場です。
ダラス行き往復券を2枚買いました。往復で1人10ドルです。 -
ホームに行く途中にこんな昔の車両が飾ってありました。
-
これから乗るのはトリニティ・レールウェイ・エクスプレス(TRE)ですが、ここはグレイハウンド、路線バス、アムトラックが発着するフォートワースの交通の要衝です。
-
TREにはもちろん自転車を載せられます。
ただし固定してねと書いてあります。 -
車体が3色だからこの名前がついているのでしょうか。
それとも席が1階・中二階・2階の3層になっているからでしょうか。
はたまた三位一体かな?
大きなディーゼル機関車がたった2両の客車を引っ張ります。電化されていないのが不思議でした。
50?ほど離れた128万人都市と70万人都市を結ぶ鉄道にしては、ちと寂しいと感じますがここはテキサス、利用者は少ないのでしょう。やはり車社会なのです。 -
2階席に陣取りました。
中は快適です。 -
左には池が見えました。列車の旅もいいですな。
-
しかしこの人のために快適が壊されました。
気にしなければいいのですが、とにかくずーっと、ズーットそしてまたZUTTO
電話しているのでした。それはそれは周りにはばかることもなくすごい勢いで。
「OK、BYEBYE、OK」を何十回もくり返し、何人の相手と電話したでしょうか。こちとら話の内容は知る由もありませんが、あんなに沢山の人との約束を守れるのでしょうか?
横の黒人女性は静かでしたが、それはそれは長い長い相手の変わらない電話でした。こちらはPCみたいなものを使っていましたから仕事中かも。 -
車窓より。
それにしてもさっきからストップ、ノロノロ、ストップの連続です。 -
HURST/BELLなる駅には10:03の予定じゃないの。
今10:30ですよ! もう・・・・・。 -
どこかの駅前。
-
車窓より。
-
何の会社でしょうか。
-
デカイ火星人みたいな、何でしょうかねこれは。
-
さっきのオネエサン静かになりました。
『OKバイバイOKと 喋り続ける 電話魔は
約束全部 守れるの?』 -
違う電車が走っています。
-
お世話になっているアメリカン航空の本社は、ここダラスにありました。
まあこのビルにすべての部門が入っているとは思えませんが、どこかの国の航空会社と比べておとなしい建物でした。 -
イチオシ
どこかの駅頭。
自転車を出した人もいます。 -
ダラスのユニオン ステーションには30分遅れて、11:06にようやく到着しました。ダラスのユニオン ステーションから突き出して見えたリユニオンタワー。
この駅も交通の要衝で、シカゴとサンアントニオ間を走るテキサスイーグル号やアムトラック、ダラス近郊をはしるダートレイルも停車します。 -
公園の日本人。
とにかく歩きましょう。 -
インフォメーションがあるオールド・レッド・コートハウス。
-
コンクリートの壁で空間を囲んだシンプルなJ.F.K.メモリアル。
-
JOHN FITZGERALD KENNEDY。
“若き偉大なる米国大統領”がジジのイメージです。当時19歳。 -
ニューフロンティアを掲げ、国民に希望を与える人気No1の大統領でした。
彼が生きていたらアメリカは日本は、そして世界はどうなっていたかの論争まで巻き起こす存在でした。
それに比べるとね・・・・・。 -
Elm Streetでケネディ大統領の命は奪われました。
1963年当時、教科書倉庫だった建物の6階から、狙撃されたのです。
このデルタ地帯が事件現場です。 -
メモリアルの建つ芝生には可憐な白い花が咲いていました。
-
11:40頃シックスフロアーに着きましたが、12:00オープンということでまた周辺を散策です。
-
高層ビルとリユニオンタワーがシックスフロアーの裏から見えました。
-
オ−ルド・レッド・コートハウスのトイレ。
シンプル・イズ・ザ・ベストとはこのことでしょうか。 -
ガラス張りの高層ビル、とてもきれいに見えました。
ダラスはテキサス州第3の都市で半導体、コンピュータ、通信機器、航空機関連のハイテク産業が発達しています。 -
運命のElm Streetはすぐです。
-
12:15ごろにシックスフロアーに引き返しました。
ところがそこには長蛇の列ができています。
25分並んでやっとチケットを買って入りました。入場料は日本語のオーディオガイド付きでシニア1名12.5ドル。
エントランスの写真、この何秒後でしょうか・・・・・。 -
“The Sixth Floor Museum”に行くエレベータ。
ミュージアムは撮影禁止です。
1960年の選挙からベトナム戦争、公民権運動、アポロ計画、キューバ危機などケネディの激動の時代を、自身の演説や関係者の証言などで生々しく伝えています。
左端の窓の一角は当時のままに復元されていて、入ることは出来ませんでした。
見ごたえは十分でしたが、気持ちがズッシリと重くなる博物館でした。 -
ここは出口です。
『いつまでも アメリカの英雄 ジョン・F・ケネディ』 -
ヒューストン ストリートからエルム ストリートへ入るヘアピンカーブを、大統領の車はスピードを落として左折しました。
ちょうどこの写真の車のように。 -
銃弾の音は3回聞こえたそうですが、道路上の現場は2ヶ所でした。
-
この白い車のあたりです。
遠くの7階建ての建物の6階右端からの銃弾が、大統領の頭に命中しました。
ずいぶん離れています。 -
上から2番目の四角い窓です。
-
リユニオンタワーとオールド・レッド・コートハウス。
-
これからダウンタウンに向かいます。
この電車はダートレイルです。
この先を左折するとダウンタウンに行けます。 -
高層ビルが建ち並びます。
-
落ち着いた環境になりました。
-
古いビルも健在です。
ここはダラス、ウェストエンド歴史地区です。
いい街並みでしっとりした感じでした。 -
“WILD BULL”なるウェスタン ストアがありました。
-
店内にはこんな変わった椅子がありました。
ジジはここでベルトを買いました。 -
看板と骸骨。
-
デッキに沢山のお客がいるレストランを発見。良さそうですね、行きましょう。
元気な後ろのお二人は、大きなプレートに盛り沢山のご注文。やはりアメリカの人は違うねと思いきや、この後ドギーバッグで大切そうにお持ち帰りでした。 -
何だか眠そうなジジ。
後ろの3人さまもここで食べていました。 -
ポテト・チーズ・ベーコンのコマ切れをのせたフランスパン、サラダ、網焼きステーキ(今度は間違いなくミディアムで)、オクラフライとビールでした。
ステーキはワラジみたいに大きいというイメージでしたが、サイズはちょうどよかったです。これは美味しかったです! -
隣のテーブルの女性がアパタイザーサービス券をくれました。嬉しいですねこういうの。
サラダがその獲得物です。
いずれにしても大変満足したランチでした。
『沢山の デッキの客が 次の客呼ぶ』 -
店内にありました。ずいぶん昔のものでしょう。
TEXACOのヴィンテージは日本でも人気のようです。 -
レストランは“HOFF BRAU STEAKS”という、後で知りましたが有名なお店でした。
ドイツかスイスのお店みたいですね。 -
HOTEL LAWRENCEも由緒ありそうです。
-
イチオシ
重なり合うガラスの高層ビルに映り込む高層ビル。
芸術的でした。 -
最後にリユニオンタワーに上ろうと、地下のエレベーターまで行きましたがこの日は閉館でした。
ガッカリして帰りの鉄道の時刻表を見ると、フォートワース行きはあと2分で発車。16:45ユニオンステーション発の列車に大急ぎで飛び乗りました。 -
これが2階から見た中2階の座席です。
-
フォートワース、ITC駅に戻りました。
-
乗った列車の「顔」。
-
駅にある大きな金属製(セラミックかもしれません)レリーフ。
年代別に黒人たちの労働、生活、社会的立場などが描かれていました。 -
これは1876〜1900年です。
アメリカにおけるこの歴史は絶対に消すことのできないのもですが、フォートワースが特別な意味をもつのかどうかは、短期間の日本人旅行者には分かりませんでした。 -
このように並んでいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
65