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山上に広がる美しい石垣群が残る竹田城跡。地元では昔から雲海を眺める絶景スポットとして有名でしたが、昨年度はじめて年間観光客数が10万人を突破するなど、最近になってなぜか人気が急上昇中。<br />これまでも何度か行ったことがありますが、最近ホットなこのスポットにゴールデンウイークの最終日に出かけてみることにしました。

兵庫県・朝来和田山★新緑の季節~天空の城・竹田城

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2012/05/06 - 2012/05/06

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ころっつ

ころっつさん

山上に広がる美しい石垣群が残る竹田城跡。地元では昔から雲海を眺める絶景スポットとして有名でしたが、昨年度はじめて年間観光客数が10万人を突破するなど、最近になってなぜか人気が急上昇中。
これまでも何度か行ったことがありますが、最近ホットなこのスポットにゴールデンウイークの最終日に出かけてみることにしました。

交通手段
自家用車

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  • 竹田城は今は朝来市となった旧和田山町の南部、北近畿豊岡自動車道和田山インターから車で5分ほどのところにあります。和田山は山陰道と姫路から山陰に向かう街道が交差する交通の要衝で、朝来市の中心部でもあります。

    竹田城は今は朝来市となった旧和田山町の南部、北近畿豊岡自動車道和田山インターから車で5分ほどのところにあります。和田山は山陰道と姫路から山陰に向かう街道が交差する交通の要衝で、朝来市の中心部でもあります。

  • 竹田城は、室町時代に標高約350mの山上に城郭が整備されました。城下からも石垣群の雄姿を望むことができます。

    竹田城は、室町時代に標高約350mの山上に城郭が整備されました。城下からも石垣群の雄姿を望むことができます。

  • 山頂近くまで車で登れる道路があるのですが…GW最終日のこの日は一方通行規制の上、途中から駐車場待ちの大渋滞。他府県ナンバーの車も多く、こんなに人気があったとは…30分ほど待ちました。

    山頂近くまで車で登れる道路があるのですが…GW最終日のこの日は一方通行規制の上、途中から駐車場待ちの大渋滞。他府県ナンバーの車も多く、こんなに人気があったとは…30分ほど待ちました。

  • かつては、こんな渋滞など考えられなかった竹田城。インターネットなどを通じて、城下に広がる雲海の美しさが多くの人に伝わり、訪問する人が爆発的に増えています。<br />やっと止められた駐車場から復元された城門をくぐって城跡に向かいます。

    かつては、こんな渋滞など考えられなかった竹田城。インターネットなどを通じて、城下に広がる雲海の美しさが多くの人に伝わり、訪問する人が爆発的に増えています。
    やっと止められた駐車場から復元された城門をくぐって城跡に向かいます。

  • 竹田城は国の史跡にも指定されています。<br />室町時代に但馬をおさめていた守護山名氏が播磨国の守護赤松氏に圧迫を受けていたため、家臣に播磨から但馬の入口にあたるこの地に城を築かせたのが竹田城の始まりです。<br />かつては城跡までは狭い登山道しかなかったのですが、そちらは通行止めとなっており、新たに広く、勾配の緩い舗装道が整備されていました。

    竹田城は国の史跡にも指定されています。
    室町時代に但馬をおさめていた守護山名氏が播磨国の守護赤松氏に圧迫を受けていたため、家臣に播磨から但馬の入口にあたるこの地に城を築かせたのが竹田城の始まりです。
    かつては城跡までは狭い登山道しかなかったのですが、そちらは通行止めとなっており、新たに広く、勾配の緩い舗装道が整備されていました。

  • 新緑の季節、陽光に輝く生まれたばかりの木の葉。

    新緑の季節、陽光に輝く生まれたばかりの木の葉。

  • 舗装された遊歩道を10分ほど歩くと、いよいよ城跡に到着します。<br />

    舗装された遊歩道を10分ほど歩くと、いよいよ城跡に到着します。

  • こちらは大手門があった場所。城の入口にあたる虎口は桝形になっています。

    こちらは大手門があった場所。城の入口にあたる虎口は桝形になっています。

  • 大手門を入ってすぐのところにある三の丸から見える竹田のまちなみ。但馬最長の円山川と城山の間の扇状の平地に家が密集しているのがわかります。

    大手門を入ってすぐのところにある三の丸から見える竹田のまちなみ。但馬最長の円山川と城山の間の扇状の平地に家が密集しているのがわかります。

  • JR播但線の竹田駅も眼下に見えます。ちょうど単行の気動車が駅に止まっていました。

    JR播但線の竹田駅も眼下に見えます。ちょうど単行の気動車が駅に止まっていました。

  • 東北側に大手門があり、山の形状を活かした城郭は南北に細長く広がっています。三の丸から本丸方面を望みます。

    東北側に大手門があり、山の形状を活かした城郭は南北に細長く広がっています。三の丸から本丸方面を望みます。

  • 三の丸から二の丸へ。

    三の丸から二の丸へ。

  • 二の丸跡。竹田城には建物は一切残っておらず、関ヶ原の戦い以降は廃城となりましたが、一部は復元されているものの、石垣は当時の面影を強くとどめています。<br />ちなみに城内に立つ標柱は以前は白色だったのですが、雲海を撮影する写真家から目立ち過ぎるとの要望があり、茶色のものに変わったそうです。

    二の丸跡。竹田城には建物は一切残っておらず、関ヶ原の戦い以降は廃城となりましたが、一部は復元されているものの、石垣は当時の面影を強くとどめています。
    ちなみに城内に立つ標柱は以前は白色だったのですが、雲海を撮影する写真家から目立ち過ぎるとの要望があり、茶色のものに変わったそうです。

  • 石を本当にうまく組み合わせて、廃城から400年以上、現在までしっかり姿をとどめる石垣を作ってたその技術に感心します。

    石を本当にうまく組み合わせて、廃城から400年以上、現在までしっかり姿をとどめる石垣を作ってたその技術に感心します。

  • 本丸から見た南千畳。本丸から南側の一段低い位置に曲輪が広がっていたようで、その場所が比較的に広いことから千畳と呼ばれているようです。

    本丸から見た南千畳。本丸から南側の一段低い位置に曲輪が広がっていたようで、その場所が比較的に広いことから千畳と呼ばれているようです。

  • 本丸から一段高い、この城山の山頂部に天守が築かれてたようです。

    本丸から一段高い、この城山の山頂部に天守が築かれてたようです。

  • 天守の石垣は登り口がない形なので、付櫓などを通じて天守に移動していたと推測されます。そのため、現在も木の梯子か最近になって造られた階段を使って、天守石垣に登っていくこととなります。

    天守の石垣は登り口がない形なので、付櫓などを通じて天守に移動していたと推測されます。そのため、現在も木の梯子か最近になって造られた階段を使って、天守石垣に登っていくこととなります。

  • 天守台から望む南千畳。竹田城はその姿から「日本のマチュピチュ」とも呼ばれているそうです。<br />ん?、そういえば2か月前には「東洋のマチュピチュ=別子銅山遺構」にも行きましたが、日本におけるマチュピチュのブランド力はおそるべしです。

    天守台から望む南千畳。竹田城はその姿から「日本のマチュピチュ」とも呼ばれているそうです。
    ん?、そういえば2か月前には「東洋のマチュピチュ=別子銅山遺構」にも行きましたが、日本におけるマチュピチュのブランド力はおそるべしです。

  • 建物がない城でこれほど素晴らしい、想像力をかきたててくれるところは他にはないかもしれません。増える観光客に対応するため、地元朝来市ではこの4月から「竹田城課」なる組織を設置し、本格的に観光施策を展開していくようです。

    建物がない城でこれほど素晴らしい、想像力をかきたててくれるところは他にはないかもしれません。増える観光客に対応するため、地元朝来市ではこの4月から「竹田城課」なる組織を設置し、本格的に観光施策を展開していくようです。

  • 天守台の反り返る石垣を下から見上げます。

    天守台の反り返る石垣を下から見上げます。

  • 城下から見上げる山頂に城跡が残っており、秋を中心に、円山川から発生する川霧が眼下に広がり、雲海に浮かびあがると美しい姿を見せます。そのため、多くの写真家が集まり、「天空の城」の異名も持っています。雲海に浮かび上がる古城は毎年地元新聞にも掲載される風物詩となっています。

    城下から見上げる山頂に城跡が残っており、秋を中心に、円山川から発生する川霧が眼下に広がり、雲海に浮かびあがると美しい姿を見せます。そのため、多くの写真家が集まり、「天空の城」の異名も持っています。雲海に浮かび上がる古城は毎年地元新聞にも掲載される風物詩となっています。

  • 南千畳から見た天守・本丸の石垣群。どんな天守や櫓が建っていたのでしょう。

    南千畳から見た天守・本丸の石垣群。どんな天守や櫓が建っていたのでしょう。

  • 芸術的な石垣の美しさ!。<br />かつて角川映画「天と地と」の撮影現場としてここが利用されたことがあり、その期間だけは、文化庁の許可を得て、天守や櫓のセットが造られていました。

    芸術的な石垣の美しさ!。
    かつて角川映画「天と地と」の撮影現場としてここが利用されたことがあり、その期間だけは、文化庁の許可を得て、天守や櫓のセットが造られていました。

  • 南千畳から円山川の上流、播磨国の方面を望みます。

    南千畳から円山川の上流、播磨国の方面を望みます。

  • 竹田城から下り、竹田のまちなみを散策します。城自体は江戸時代には廃城となりましたが、竹田の街は山陰と播磨を結ぶ街道、また天領の生野銀山から京都へ抜ける経路上にあることから、宿場町として栄えたそうです。JR竹田駅の西側、城山のすぐ麓には、武家町の面影を残す寺院が立ち並ぶ寺町があります。

    竹田城から下り、竹田のまちなみを散策します。城自体は江戸時代には廃城となりましたが、竹田の街は山陰と播磨を結ぶ街道、また天領の生野銀山から京都へ抜ける経路上にあることから、宿場町として栄えたそうです。JR竹田駅の西側、城山のすぐ麓には、武家町の面影を残す寺院が立ち並ぶ寺町があります。

  • 寺町には、寺の敷地と道の間に堀があり、4、5か所の寺が立ち並んでいます。室町時代には支配者の居館があったとも推定されており、この付近は兵庫県指定の歴史的景観形成地区にもなっています。

    寺町には、寺の敷地と道の間に堀があり、4、5か所の寺が立ち並んでいます。室町時代には支配者の居館があったとも推定されており、この付近は兵庫県指定の歴史的景観形成地区にもなっています。

  • 堀に沿ってつつじの花が咲いています。

    堀に沿ってつつじの花が咲いています。

  • 次はJR線の東側にある今も人々が暮らすまちを訪れました。旧街道沿いには歴史を感じる建物も点在しています。

    次はJR線の東側にある今も人々が暮らすまちを訪れました。旧街道沿いには歴史を感じる建物も点在しています。

  • こちらは「卯建」が残っている建物です。

    こちらは「卯建」が残っている建物です。

  • さきほど城から見たとき、列車が止まっていた竹田駅です。駅には観光協会の事務所も併設されていますが、私が立ち寄った時にはもうすでに営業時間を過ぎ、閉まっていました。

    さきほど城から見たとき、列車が止まっていた竹田駅です。駅には観光協会の事務所も併設されていますが、私が立ち寄った時にはもうすでに営業時間を過ぎ、閉まっていました。

  • 二階が部分が一階よりも狭く、土壁や虫籠窓を持つ建物も旧街道沿いを中心に残っています。

    二階が部分が一階よりも狭く、土壁や虫籠窓を持つ建物も旧街道沿いを中心に残っています。

  • 美容院もこのように「髪結屋」として看板が掲げられています。

    美容院もこのように「髪結屋」として看板が掲げられています。

  • 旧街道上の古くから残る建物のほとんどは平入です。こうした古い町屋を利用した食事処も最近オープンしたようです。

    旧街道上の古くから残る建物のほとんどは平入です。こうした古い町屋を利用した食事処も最近オープンしたようです。

  • 竹田駅前に駐車場がありましたが、「寺子屋」という名前のようです。今回は夕方になっており、あまり時間がなかったのですが、看板のようなお姉さんがいるのなら、次に来たときにはぜひ立ち寄ってみたいと思いました♪。

    竹田駅前に駐車場がありましたが、「寺子屋」という名前のようです。今回は夕方になっており、あまり時間がなかったのですが、看板のようなお姉さんがいるのなら、次に来たときにはぜひ立ち寄ってみたいと思いました♪。

  • こちらも旧街道沿いにある町屋を改装した食べ物屋さん。お好み焼き屋のようです。

    こちらも旧街道沿いにある町屋を改装した食べ物屋さん。お好み焼き屋のようです。

  • 旧街道沿いにあるひときわ立派な建物は、明治時代に建てられた木村酒造場。現在は廃業しており、地元の新聞によると、朝来市が買い取り、改装した上で、竹田城下の観光交流の拠点施設として来秋にオープンさせるそうです。<br />

    旧街道沿いにあるひときわ立派な建物は、明治時代に建てられた木村酒造場。現在は廃業しており、地元の新聞によると、朝来市が買い取り、改装した上で、竹田城下の観光交流の拠点施設として来秋にオープンさせるそうです。

  • 竹田をあとに姫路方面に国道を下っていくと、国道沿いに「八鹿闘争勝利記念碑」という石碑が建っています。以前ネットで存在を知りで、興味を持ったので立ち寄ってみることにしました。

    竹田をあとに姫路方面に国道を下っていくと、国道沿いに「八鹿闘争勝利記念碑」という石碑が建っています。以前ネットで存在を知りで、興味を持ったので立ち寄ってみることにしました。

  • 石碑には、昭和49年に起こった八鹿高校事件の意義を強調する碑文が刻まれています。八鹿高校事件についての詳細や見解については避けますが、事件から40年近くを経て、こうした石碑が建てられることに人権問題の深さを感じます。

    石碑には、昭和49年に起こった八鹿高校事件の意義を強調する碑文が刻まれています。八鹿高校事件についての詳細や見解については避けますが、事件から40年近くを経て、こうした石碑が建てられることに人権問題の深さを感じます。

  • さらに国道を南下していくと、羽渕という集落に日本の2つしかない鋳鉄橋が残っています。

    さらに国道を南下していくと、羽渕という集落に日本の2つしかない鋳鉄橋が残っています。

  • 羽淵鋳鉄橋は、明治時代に神子畑から生野の間を鉱石運搬用の線路が敷かれ、その途中に架けられた、すべて鉄で造られた橋です。当時の橋は洪水で流出したため、現在の橋は復元されたものです。<br />羽淵鋳鉄橋から西に入っていった神子畑には、明治時代に造られたもうひとつの鋳鉄橋が残っており、国の重要文化財にも指定されています。

    羽淵鋳鉄橋は、明治時代に神子畑から生野の間を鉱石運搬用の線路が敷かれ、その途中に架けられた、すべて鉄で造られた橋です。当時の橋は洪水で流出したため、現在の橋は復元されたものです。
    羽淵鋳鉄橋から西に入っていった神子畑には、明治時代に造られたもうひとつの鋳鉄橋が残っており、国の重要文化財にも指定されています。

  • 神子畑には旧ムーセ邸という洋館もあります。神子畑には明延鉱山の選鉱場があり、かつて鉱山技師として来日しただ外国人のための住居で、内部は資料館として無料で公開されています。<br />

    神子畑には旧ムーセ邸という洋館もあります。神子畑には明延鉱山の選鉱場があり、かつて鉱山技師として来日しただ外国人のための住居で、内部は資料館として無料で公開されています。

  • この日は通常よりも月が大きく見えるスーパームーンの日。大きく明るいお月さまが帰宅した自宅の窓から見えました。

    この日は通常よりも月が大きく見えるスーパームーンの日。大きく明るいお月さまが帰宅した自宅の窓から見えました。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 旅猫さん 2012/06/16 10:20:57
    天空の城
    ころっつさん、こんにちは。

    竹田城跡、いいですねー
    お城好きとしては、この美しい石垣は堪りません。
    一度訪れてみたいのですが、なかなか遠くて。

    雲海が見られるのは、かなり運が良くないとダメなようですね。

    以前、大分にある岡城跡んを訪れましたが、そこも見応えがありましたよ。
    http://4travel.jp/traveler/tabineko_j/album/10307526/

    あとは、津和野城跡かな。
    あそこの紅葉はおすすめです。

    旅猫

    ころっつ

    ころっつさん からの返信 2012/06/25 08:20:54
    RE: 天空の城
    旅猫さま、おはようございます。
    いつもありがとうございます。
    お返事が遅くなり、申し訳ありません。先週は北海道に出かけていました。

    旅猫さんは、城好きなのですね〜。
    竹田城は自宅1時間ほどのところにあるのですが、最近になって人気急上昇↑なスポットなのです。

    旅記見せてもらいましたが、岡城もいいですね。
    実はこの夏には、中九州への旅を企画中ですので、岡城にも立ち寄りたいと思います。

    津和野城にもまたいつか行ってみたいと思います。

  • morino296さん 2012/06/06 23:12:09
    いいですね!
    ころっつさん

    こんばんは。

    天空の城、竹田城、いいですね。
    一度行ってみたいです。

    雲海が見れるのは、いろいろ条件が揃わないと難しいのでしょうね。

    人気急上昇の理由はなんなのでしょうね?
    ころっつさんの旅行記で、また人が増えるのでは。

    morino296

    ころっつ

    ころっつさん からの返信 2012/06/10 21:29:12
    RE: いいですね!
    morino296さん、こんばんは。

    雲海は、それでも秋にはかなり発生するようですよ。
    人気急上昇は、どうもさまざまなブログや口コミということらしいですが、観光客が増えて、マスコミに取り上げられ、また観光客を呼ぶという状況の
    ようですね。

    でも確かにすばらしい景観ですよ。

    私のブログはまったく影響はありませんよ…(笑)
  • 天星さん 2012/05/21 12:40:15
    霧に浮かぶ城
    こんにちは
    ころっつさんの旅行記は
    常に旅の情報満載がお役に立つ旅行記(見習う事が多いです!)
    天守閣からみる風景は、スゴいですね〜
    天空の城は、難航不落の城でしょうね

    大阪城や江戸城は、各藩の石積み専門業者に
    保全、補修のための作業をやるように
    全国の大名に命を下していましたが、
    この城は、地元にいい高度な技術をもった業者が
    いたことはまちがいないですね(スゴッ)

    地震や台風などの災害を受けては、補修しながら
    技術を高め現在に至ったのかなぁ〜
    高度な技術だと思います。
    現在では少々の地震や台風では、壊れにくい
    頑丈なものになってるんでしょうね〜

    霧に浮かぶ城、じっくり、目で実物を
    見てみたいものです!



    ころっつ

    ころっつさん からの返信 2012/05/22 23:52:17
    RE: 霧に浮かぶ城
    天星さん、こんばんは。

    お誉めいただきありがとうございます。そんなことはないのですが、なんだか照れるなあ…。

    天空の城、実は豊臣秀吉に攻められて結構早めに降伏していたりします。
    江戸時代に廃城となっても、荘厳な石垣群が当時の姿をほぼとどめていることから、言われるように高い技術で造られたこと間違いないでしょう。

    私も秋に多く現れるという川霧に浮かぶ幻想的な城の姿を次は見てみたいものです。

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