1991/10/31 - 1991/11/12
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sallyさん
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学生時代の素晴らしいところは、時間だけは沢山ある、という事。
”学生の時は借金してでも旅に出なよ、社会人になったら、お金はあるけど時間がないから”と就職したての先輩に言われた。そうかそうかそうかもなーで、授業欠席が気になるという友人を説得し、約気2週間のヨーロッパ旅へ。
しかし、どうしてローマ、フィレンツェ、パリだったのだろう?
今ではやらない、できない3都市周遊、それも移動は鉄道。今考えると”お金がなくて時間があったから”だなぁ、まさしく。
ローマからフィレンツェへの移動途中で、”文字通り”何もない駅で降ろされる。ホテルは現地で決めるというその頃の学生貧乏旅のスタイルで、水しか出ないシャワーに辟易してホテルを変えたり。
思い通りに行かないことだらけだったけど、そういう事が良い思い出になっていたりするから不思議だ。
【写真は、ローマ。コロッセオにいた猫】
10/31 モスクワ乗換え1泊
11/1~11/4 ローマ
11/4 移動日 (ローマからの移動途中、Orte駅で降ろされる)
11/4~11/7 フィレンツェ
11/6 ピサ
11/7 移動日 (寝台列車)
11/8~11/11 パリ
1ドル=131円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
スペイン広場からの眺め、ひたすら歩いたローマの街。
地下鉄は今でも、十字に交わるA線、B線の2本きりなんだろうか。 -
ローマではテルミニ駅を降りた。「地球の歩き方」に載っていたホテルを探して泊まった。
安宿の多いこの駅周辺は治安がいいとは言えない地域だったらしい。今思えば、夕暮れ時に”レッドライト”の下に立っているのは女性だけではなかったし、そもそも、その人たちが"何待ち"なのか雰囲気で知っちゃったなぁ。
朝食はつかないのが”ペンツィオーネ”という宿なんだったか。街角のスタンドで朝食に買って食べた、一見なんでもないサンドイッチにびっくり。入っていたチーズが目が覚めるほど美味しくて、とろりとした食感素晴らしく膝が落ちるほどの驚愕。さすがイタリア。
もう1度食べたい!忘れられない味。 -
部屋のスケッチ
驚いたのは”ビデ”があったんですね。というか、それが「ビデ」というものなのがわかるのは今だからで、当時は何か全然わからなくて、友人がすごく嫌がって、滞在中は上に新聞紙で覆い目に入らないようにしていた。
この部屋の窓から見える景色が、衝撃の中庭(次) -
ペンツィオーネ「デルフィナ」の部屋から見えた中庭。
これを見て、どういう感想を持ったのか。
当時のリアルなテルミニ駅周辺か。我々が抱いてたようなロマンチックなイタリーではなかったのは間違いない。 -
その壮大さに異議なし、のバチカン宮殿。
圧倒された、色大理石の美しさに。
それも、そういう装飾や空間全てが人が作りだしたっていうことに。 -
バチカン宮殿のタペストリ。最後の晩餐ですね。
この椅子はダンテスカチェアか、サヴォナローラチェアか。
足の本数の違いでどちらかなんだけど。 -
バチカン宮殿で。
かつての伊達オトコとその予備軍。
もとい”かつて”じゃないかな、今でも現役か。
どういう組み合わせか知らないが絵になってると思って撮った1枚。
この通りの店に入って食べたラザニアが、非常に美味しかった。
その頃日本のお店で出てきたような、器に入ってちんまり収まってる奴でなく、大きなバッドにパスタとたっぷりのトマトーソースを敷き詰めて焼いたやつをザクザクと大きくカットしてくれてお皿にボンと。
いやぁ、食べ物の記憶はありありと思い出せるものだ。 -
ローマからフィレンツェへの移動は鉄道で。
ユーレイルパスに、乗車開始駅のローマでスタンプを押してもらうのを知らずに乗車。
乗車券点検にきた車掌に何か言われるも、伊語全くわからず。加えて、時差ボケで友人ともども爆睡してしまい数駅をやり過ごす。再び検札にまわってきた車掌に怒られる。小太りした女性でたいへんな剣幕ぶりだった。
『次の駅で降りてそのスタンプ押してもらわないうちは、乗せないよ!』って言ってるらしいとなんとか理解。
で、降ろされたのがこの駅”ORTE”。
次の列車が来るまで2時間待ち。憤懣やるかたなし。
駅前はいきなり下り坂の一本道でなんにもない。
ただ、その風景を今でもよく覚えているのだから不思議なものだ。 -
フィレンツェ。
ウフィッツィ美術館からドゥオモを望む。
とても楽しみにしていた『プリマベラ(ボッティチェリ)』を初め、偉大な絵画が次から次へと出てくる。特に宗教画が多く、絵に込められたメッセージのボリュームにただ圧倒されて、、内容も分からず、いや、内容がわからないからか美術館を出たときには、へとへとに疲れていた。
『異教徒には重すぎるのかも。』友人と意見一致。
これ以後、宗教画は適当にスルー。 -
ベッキオ橋。
この周辺にはアクセサリや革製品の店が多く、ウィンドウショッピングをしながらのそぞろ歩きが楽しい。
しかし・・・
少し離れてショーウィンドウを覗き込んでいた友人が、ジプシーの子ども達に回りを囲まれて、ポーチを開けられていて(!)
びっくりして声が出なかったのは、友人もわたしも同じ。
なんとか搾り出した”ワー!”という声でジプシーの子達は逃げていったけれど、怖かったなぁ。戦慄の出来事。
何しろ相手は子供というところが、すごくショックだった。 -
フィレンツェの広場。
建物がずっと続いて、ポーンと四角い広場に出る。
ヨーロッパ、だよね?。 -
ピサの街で。
斜塔へ行く路線バスでなんの前触れもなく唐突にでてきたキースヘリング(風?)の壁画。
慌ててバスから降りて写真を撮ったけれど、キースのものなんでしょうか? -
パリに到着。
北駅前にホテルを取った。部屋を見せてもらって決めていたのだが、旅日記には6軒まわったと書いてある。
最上階の屋根裏風の部屋、中折れの”マンサード”屋根についたバルコニーから眺める街並み、照明器具がベッド脇の白熱灯だけで暗いけれど雰囲気があって、アタリの部屋だった。
シャイヨ宮からエッフェル塔を眺める -
エッフェル塔からシャイヨ宮を見下ろした写真。
エッフェル塔で知り合った日本人のおじさま、おばさまのグループと親しくなり、”これからパリで旨いラーメン屋に行くから、一緒に”と誘われた。
もちろん断った、”ローマに入らばローマ飯を喰らうべし”を信念とする若者だったから。嗚呼、それが今では・・・。 -
サクレクール寺院。 -
カルチェラタンあたりか。 -
オルセーに行ってから、印象派というものが好きになった。
中学生の教科書に載っていたときは、「なんでわざわざこんなものを絵にするのかなぁ」と。日本人はもとから自然の光を取り入れている文化で身近にあったから、珍しくないものを絵画にする意味って?と感じていたのかも。
実物を目にして色々な驚きがあった。
ホンモノを見る意味を知った旅だった。 -
モスクワ
当時の学生旅行のヨーロッパ便といえば、アエロフロート航空だった。乗り継ぎでモスクワ1泊。
この年の3月に、同じくアエロフロートを利用してモスクワ乗り継ぎした際に参加した短時間のモスクワツアーに誘われるのを期待したが、この時はもうなかった。
トランジットホテルへ行くバスに乗り、道路沿いを眺めているとスーパーには、棚には何もないようなのに人が並んでいた。
翌日、空港で昼食を摂ると、従業員が他の客が残した黒パンを集めていた。そして悪びれることなく、それをこちらに回してきた。他の客にも同様に次から次へと。
そしてこの翌月にソ連は崩壊した。
そんな1991年の旅でした。おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
-
- crossさん 2012/11/23 15:38:02
- 結構、記憶に残ってるんですね。
- sallyさん、こんにちわ〜♪
sallyさんも行ってるじゃない、学生時代にユーレイルパスの旅...。
凄いなぁと思うのが、食べ物やその時の記憶が残っていること。
自分なんか殆ど憶えてないんですよ。
何を食べてたんだろう?、どこをどう廻ったんだろう?...写真を撮った場面は、何となく記憶してるだけで。
行き当たりばったりの宿探し。
同じような事をしてますね。
自分の場合は、寝台列車、YH、駅のインフォメーションから宿に電話をして探す方法。
今思えば、英語もままならないのに、よく探せたなぁって不思議です。
ジプシーに取り囲まれた経験もありました。
フィレンツェじゃなくて、ナポリでしたが、兎に角びっくり体験でした。
詳しい記憶がないのですが、今までで一番楽しかった旅行だったということは間違いなしです。
お互い、行ってて良かったですね〜♪
cross(^_^)v
- sallyさん からの返信 2012/11/24 11:22:30
- 色々廻ったのに、残っているのは、ひと、味、空気。。。だったりしませんか?
- ローマ再訪記を興味深く読ませて頂きました。
変わっていて当然なんでしょうけど、コロッセオの中を歩けるように
なっていたり、説明の展示があったりして「へぇ〜」と思いました。
わたしが訪れた91年頃なんて、『遺跡です、ドーン』ってな具合でゴロんと
そこにあるだけだった記憶なんですが。
>凄いなぁと思うのが、食べ物やその時の記憶が残っていること
食べ物! それは残っているんですよね。まずいものはどう不味かったかとか。
でも、やはりどこをどう廻ったとか、何がどう凄かったかとかは、忘れているんです。
自分の記憶に残るのはひとが1番、味が2番、街の空気3番って具合で、ヴァチ
カンなんてその時はめちゃめちゃ感動したのに、あんまり覚えてないんですよね。
不思議です。何が記憶に残っているかってひとに寄るんでしょうね。
>今思えば、英語もままならないのに、よく探せたなぁって不思議です。
わかります〜。”怖さ”と”遠慮”を知らない若者の旅、というか。
伝え
ようとする気持ちが強いからか、結構、なんとかしているんですよね。旅って、
人間の根源的な力量を試されるみたいなところありますよね。
・・・ってちと大げさか。
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