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レンタカーを使って、沖縄本島を一周してきました。<br /><br />今回は、その3日目の旅行記です。<br /><br />この日は、那覇以南を一周する旅をしました。<br /><br />那覇市→旧海軍司令部壕→瀬長島→ひめゆりの塔→平和祈念公園→斎場御嶽

春の沖縄本島一周旅行(3日目、本島南部編)

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2012/03/15 - 2012/03/18

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チャリ族

チャリ族さん

レンタカーを使って、沖縄本島を一周してきました。

今回は、その3日目の旅行記です。

この日は、那覇以南を一周する旅をしました。

那覇市→旧海軍司令部壕→瀬長島→ひめゆりの塔→平和祈念公園→斎場御嶽

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  • この旅行も後半に入って、3日目。<br />疲れが出始めたのか、少々寝坊してしまいましたが、今日の計画は南部を一周。休んでいる暇はありません。<br /><br />さて、まずやって来たのは、豊見城(とみぐすく)市にある、旧海軍司令部壕です。<br /><br />終戦の前年、1944年に、持久戦続行の陣地として設置された司令部壕です。<br /><br />これは、入り口前にある慰霊碑です。

    この旅行も後半に入って、3日目。
    疲れが出始めたのか、少々寝坊してしまいましたが、今日の計画は南部を一周。休んでいる暇はありません。

    さて、まずやって来たのは、豊見城(とみぐすく)市にある、旧海軍司令部壕です。

    終戦の前年、1944年に、持久戦続行の陣地として設置された司令部壕です。

    これは、入り口前にある慰霊碑です。

  • ここから入ってゆきます。<br /><br />まず、資料館を見学した後、壕を見学する、という仕組みになっています。<br /><br />本土を守るための、時間稼ぎのために、軍人さんのみならず多くの市民までもが巻き添えになってしまいました。<br /><br />当時の人たちが守りたかった日本、夢見た日本に、現代の日本はなっているでしょうか。<br /><br />私はノーだと思います。先人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

    ここから入ってゆきます。

    まず、資料館を見学した後、壕を見学する、という仕組みになっています。

    本土を守るための、時間稼ぎのために、軍人さんのみならず多くの市民までもが巻き添えになってしまいました。

    当時の人たちが守りたかった日本、夢見た日本に、現代の日本はなっているでしょうか。

    私はノーだと思います。先人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

  • 壕へは、この急な階段をおりてゆきます。

    壕へは、この急な階段をおりてゆきます。

  • 階段をおりると、そこは地下20メートルです。

    階段をおりると、そこは地下20メートルです。

  • 長い長い通路の両脇に、さまざまな部屋があり、かなり複雑な構造となっています。

    長い長い通路の両脇に、さまざまな部屋があり、かなり複雑な構造となっています。

  • 作戦室です。

    作戦室です。

  • 当時のままで残っている、貴重な部屋です。

    当時のままで残っている、貴重な部屋です。

  • ここは幕僚室です。

    ここは幕僚室です。

  • 司令官室です。

    司令官室です。

  • 指揮を執っていた、大田実少将や、6名の幕僚が最期を遂げた、当時のままの部屋です。

    指揮を執っていた、大田実少将や、6名の幕僚が最期を遂げた、当時のままの部屋です。

  • ここは暗号室です。

    ここは暗号室です。

  • 非常に狭い通路ですが、

    非常に狭い通路ですが、

  • 壕内の通路はすべて兵員室で、兵士たちは戦闘の合間、通路で横になって休息をとったそうです。

    壕内の通路はすべて兵員室で、兵士たちは戦闘の合間、通路で横になって休息をとったそうです。

  • 医療室です。<br />ここに多くの負傷者が運ばれてきました。

    医療室です。
    ここに多くの負傷者が運ばれてきました。

  • 下士官室です。

    下士官室です。

  • 十分な休息がとれなかった兵士たち。<br />それでも、命がけで戦わねばなりませんでした。

    十分な休息がとれなかった兵士たち。
    それでも、命がけで戦わねばなりませんでした。

  • 外に出てきました。<br />この司令部壕は、高台にあります。

    外に出てきました。
    この司令部壕は、高台にあります。

  • 司令部壕をあとにして、瀬長島へとやってきました。<br /><br />一周1kmほどの、小さな島です。<br /><br />このビーチのすぐ向こうが那覇空港です。<br /><br />なので、

    司令部壕をあとにして、瀬長島へとやってきました。

    一周1kmほどの、小さな島です。

    このビーチのすぐ向こうが那覇空港です。

    なので、

  • 飛行機の着陸や、

    飛行機の着陸や、

  • 離陸を間近で見ることができます。<br /><br />ひと休みののち、次は「ひめゆりの塔」を目指します。

    離陸を間近で見ることができます。

    ひと休みののち、次は「ひめゆりの塔」を目指します。

  • 瀬長島から、国道331号を走ることおよそ40分。<br />糸満市の「ひめゆりの塔」にやってきました。<br /><br />沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒で編成された、ひめゆり学徒隊の犠牲者の鎮魂のために建てられた慰霊碑です。

    瀬長島から、国道331号を走ることおよそ40分。
    糸満市の「ひめゆりの塔」にやってきました。

    沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒で編成された、ひめゆり学徒隊の犠牲者の鎮魂のために建てられた慰霊碑です。

  • 資料館が併設されているので見学しました。<br /><br />ひめゆり学徒隊の人たちは、戦時中、献身的に兵士や市民のために活動しましたが、<br />戦争の末期になって突然、解散を命じられたといいます。<br /><br />途方に暮れて、戦火から逃げる途中に命を落とした人など、あまりにも悲惨な最期を遂げた人が多くいました。<br /><br />日本全国各地には、戦争関連の資料館や祈念館が多く存在します。<br /><br />戦争当時を実際に体験された人が少なくなってきていますが、<br />戦争を知らない自分たちがこうした資料館、祈念館を訪れることで、当時、現実に起こったことを深く知り、学んでおかなければならない、と思いました。<br /><br />

    資料館が併設されているので見学しました。

    ひめゆり学徒隊の人たちは、戦時中、献身的に兵士や市民のために活動しましたが、
    戦争の末期になって突然、解散を命じられたといいます。

    途方に暮れて、戦火から逃げる途中に命を落とした人など、あまりにも悲惨な最期を遂げた人が多くいました。

    日本全国各地には、戦争関連の資料館や祈念館が多く存在します。

    戦争当時を実際に体験された人が少なくなってきていますが、
    戦争を知らない自分たちがこうした資料館、祈念館を訪れることで、当時、現実に起こったことを深く知り、学んでおかなければならない、と思いました。

  • ひめゆりの塔から再び国道331号を通って、平和祈念公園へとやってきました。<br />こちらは平和祈念堂です。

    ひめゆりの塔から再び国道331号を通って、平和祈念公園へとやってきました。
    こちらは平和祈念堂です。

  • 公園はとても広大な敷地です。

    公園はとても広大な敷地です。

  • 資料館の入り口です。<br /><br />戦後、沖縄の人々は、米軍の支配下から、長年の夢であった日本への帰属を果たしましたが、それまでにもさまざまな苦労があり、<br /><br />そして復帰後も大変であったのです。<br /><br />例えば、通貨のドルから円への切り替え。<br /><br />そして、道路の右側通行から左側通行への切り替え。これについては、事前から予告していたにも関わらず、切り替え当日はいたるところで交通事故が発生したといいます。<br /><br />沖縄復帰から40年経ちますが、基地問題という大きな問題があります。<br /><br />遠いところだから関係ない、というのではなく、自分たちの国の問題として、考えてゆかねばなりません。

    資料館の入り口です。

    戦後、沖縄の人々は、米軍の支配下から、長年の夢であった日本への帰属を果たしましたが、それまでにもさまざまな苦労があり、

    そして復帰後も大変であったのです。

    例えば、通貨のドルから円への切り替え。

    そして、道路の右側通行から左側通行への切り替え。これについては、事前から予告していたにも関わらず、切り替え当日はいたるところで交通事故が発生したといいます。

    沖縄復帰から40年経ちますが、基地問題という大きな問題があります。

    遠いところだから関係ない、というのではなく、自分たちの国の問題として、考えてゆかねばなりません。

  • 資料館からは海が見えます。

    資料館からは海が見えます。

  • 公園の中には、戦没者の名が刻まれた石碑が立ち並んでいます。

    公園の中には、戦没者の名が刻まれた石碑が立ち並んでいます。

  • 広島と長崎、両方の平和祈念資料館を訪れたことがそれぞれ2回ずつありますが、<br />また違った視点から戦争というものを考える機会を得ました。<br /><br />ここで編集を一休みします。次回の更新に乞うご期待ください。

    広島と長崎、両方の平和祈念資料館を訪れたことがそれぞれ2回ずつありますが、
    また違った視点から戦争というものを考える機会を得ました。

    ここで編集を一休みします。次回の更新に乞うご期待ください。

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