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広州六榕寺日帰りの旅<br /><br />六榕寺は、中国南北朝時代の梁時代の大同3年(537年)に広州に建設され、元々宝荘厳寺と呼ばれていたとされている。北宋の政治家で詩人、書家としても知られる蘇軾が、政争によって広州(当時の名称は恵州)に左遷された際に、この寺を訪れ、そこで彼が見た六本の榕樹の美しさを賞賛し、「六榕」と書いたことから、以後六榕寺と呼ばれるようになったと伝えられている。<br /><br />六榕寺は北宋の時代に全焼した後、再建された。寺の中央に位置する「千仏塔」は紹聖4年(1097年)に建てられた。塔の外観が花弁が重なり合った花のようであること、塔の天辺が花弁に似ていること、また塔外面の色彩が豊かであることにちなんで「花塔」とも呼ばれる。花塔は当初正方形の基部だったが、紹聖4年の再建の際に、現在の八辺形の基部となった。明朝前期に起きた火災の後、洪武6年(1373年)に再び再建され、光緒25年(1900年)に復興した。<br /><br />広州観光ホテル:http://www.chinahotels.net/jp-city-2001-guangzhou-hotels.html 

広州六榕寺日帰りの旅(リウロンスー)

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2012/01/01 - 2012/01/02

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kyomiwu

kyomiwuさん

広州六榕寺日帰りの旅

六榕寺は、中国南北朝時代の梁時代の大同3年(537年)に広州に建設され、元々宝荘厳寺と呼ばれていたとされている。北宋の政治家で詩人、書家としても知られる蘇軾が、政争によって広州(当時の名称は恵州)に左遷された際に、この寺を訪れ、そこで彼が見た六本の榕樹の美しさを賞賛し、「六榕」と書いたことから、以後六榕寺と呼ばれるようになったと伝えられている。

六榕寺は北宋の時代に全焼した後、再建された。寺の中央に位置する「千仏塔」は紹聖4年(1097年)に建てられた。塔の外観が花弁が重なり合った花のようであること、塔の天辺が花弁に似ていること、また塔外面の色彩が豊かであることにちなんで「花塔」とも呼ばれる。花塔は当初正方形の基部だったが、紹聖4年の再建の際に、現在の八辺形の基部となった。明朝前期に起きた火災の後、洪武6年(1373年)に再び再建され、光緒25年(1900年)に復興した。

広州観光ホテル:http://www.chinahotels.net/jp-city-2001-guangzhou-hotels.html 

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