2010/11/06 - 2010/11/08
659位(同エリア874件中)
倫清堂さん
夏の混雑シーズンを避け、今回は本土では秋も深まる11月に沖縄を訪れることにしました。
今回も全日空の便を利用し、午後3時に那覇空港に到着しました。
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本島は3度目で、正直なところもう見るところはあまり残っていません。
まずは北部へと向かいました。
沖縄自動車道は無料実験中で、去年来た時よりかなり交通量が増えていました。
許田で降りて一般道を更に走り、向かった場所は名護市のネオパークオキナワです。
ヤンバルクイナを見ることができるということもあって、入場することにしました。ネオパークオキナワ 動物園・水族館
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まず目に入るのは、放し飼いにされている色鮮やかなフラミンゴたちです。
上部には網がかけられており、飼育する鳥が飛んで逃げてしまうのはもちろん、カラスなど侵入するのも防いでいます。 -
鳥たちは、あまり警戒心がなく、かなり近づいても落ち着いている様子でした。
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ジャングルを模した一画や、水中トンネルもあり、魚や哺乳類を見ることもできます。
ネオパークが開園したのは平成4年で、正式名称は名護自然動植物公園とされます。 -
園内には、国際種保存研究センターがあり、国内外の希少な野生動物の保護と繁殖研究を行っています。
今の季節はちょうど繁殖期にあたるため、動物をびっくりさせないように注意しながら見学しなければなりません。
その飼育のための小さい檻の中の隅っこに、ヤンバルクイナの姿を見ることができました。
思ったよりも小さく、体調は20〜30センチほどでしょうか。
人間にとっての便利な生活のために住環境が破壊されて、今では国による保護なしに種の保存が不可能となってしまったことを知っているのか、その目は悲しそうでした。 -
ネオパークは、ヤンバルクイナの人工孵化に世界で初めて成功した実績を持っていますが、本当に必要なことは、人の手による対症療法ではなく、多様な動植物とともに繁栄できる仕組みではないのかと思います。
いまは意義のある施設ですが、このような施設がなくてもよい環境を取り戻すことこそが、これからの人間にとっての重要な課題なのかも知れません。
沖縄上陸の初日は、ただの観光でもなく、いつものような歴史を感じる旅でもない、これまでとは違った視点を持つきっかけを得ることができたのでした。 -
うす暗くなってきたため、宿泊場所の沖縄市に向かいました。
夕食をどこで取ろうか決めておらず、車を適当に走らせていたところ、ナビゲーションに北中そばという店が表示されているのを見つけ、そこへ行ってみることにしました。
一般的な沖縄そばの他、辛さを指定できる地獄そばというメニューもありました。
駐車場では持ち帰り用のタコライスが販売されていましたが、店を出た時にちょうど閉店時間を迎えてしまい、片付けの最中でした。
だめで元々と思い、お願いしてみたところ、少し考えた後に特別作ってくれることになりました。
これはホテルに持ち帰り、味わっていただきました。 -
沖縄2日目は朝から雨でした。
予定では、午前中に中城城跡と座喜味城跡を見るつもりでしたが、足元が悪いので中止にせざるを得ませんでした。
そこで、最初の沖縄訪問時に行きそびれてしまった普天満宮の洞窟へ参拝に行くことにしました。
洞窟の参拝時間は、午前10時から。
時計を見ると、あと10分ほどでちょうど10時です。
まず社頭で参拝し、社務所に洞窟参拝の申し込みをしてしばらく待ち、巫女さんに案内されていよいよ洞窟へ入ります。普天満宮 寺・神社・教会
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洞窟への入り口は、社殿に向かって左側の奥にありました。
前回は初めての沖縄でもあったし、訪問先もかなり欲張ったために忙しい旅となってしまったので、確認する余裕がなかったのでしょう。
厳重に施錠された扉が開かれ、地下通路を通って、御本殿のすぐ下に位置する神聖な洞窟へと足を踏み入れたのでした。 -
普天満宮の御由緒は、自らの髪を売ったお金を普天間の神に捧げて祈る女性の夢に、熊野権現が現れて黄金を賜いますが、女性はそれを洞窟内に納めて、3体の石像とともに祀ったと伝えられています。
洞窟内には祠があり、きっとそこに石像が納められているのだと思われますが、実際は観音像が安置されているのだそうです。 -
それほど広い洞窟ではないのですが、内部はひんやりしていて、空気が引き締まっている感覚がありました。
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雨はやまず、風も強くなって来ましたが、これからお楽しみのシュノーケリングの時間です。
今回は、前回まだ持っていなかった防水カメラの準備をし、沖縄の美しい海を持って帰りたいという願望をかなえる目的もあります。
予約した時間に真栄田岬の集合場所へ行くと、ガイドさんたちは既に準備を進めていました。
今回は風が強いため、海の波も高く、青の洞窟まで行く船はかなり揺れることが予想されると説明を受けました。
小さい子供を連れた家族は、波のない浅瀬でのシュノーケリングに切り替えましたが、自分たちはせっかくここまで来たので、予定を強行することにしました。
お客さんのグループ単位で対応してくれる、親切な仕組みのお店なのです。
さて、ダイバースーツを着用し、その上から念のために救命胴着をつけて船に乗り込みますが、波は予想以上に高く、シュノーケリングを始める地点に着いた時点で、既に軽く船酔いしてしまっていました。
海に潜れば楽になるだろうと、あわてて船から飛び込みますが、波は上下に揺れて非常に苦しいのです。 -
沖縄の海が穏やかなのは7月から9月の間だけで、その他はこのように波が高く、シュノーケリングを希望する客も少なくなるのだそうです。
混雑を避ける意味でこの時期を狙ったのですが、予想外のオマケまで付いてきてしまったのでした。
しかし青の洞窟に入ると、それまでの波は嘘のように消えてしまいました。青の洞窟 名所・史跡
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洞窟の中には、自分たちのグループの他に人はおりません。
この幻想的な風景を独占できたことで、やはりこの季節に来てよかったと感じました。
ガイドさんが、一発芸すると言って深い所まで潜って行きました。
水中でその姿を追うと、なんと口から吐く泡が輪っかになって上がって行くのです。
煙草の煙でそれをする人はみたことがありますが、まさか水中で吐く泡でできるとは。
最後に自分で作った輪の中をくぐって水面に出ると、思わず拍手を送りました。
洞窟から出ると、再び高い波に翻弄されます。
餌付け用の麩をもらい、魚に与えようとした時、ついに胃からこみあげて来るものがありました。
ホテルのレストランで満腹になるまで食べた朝食は、沖縄の海の魚たちへのプレゼントとなってしまったのでした。
船に上がり、救命具を外してスーツを脱ぐと、だいぶ楽になりました。
こうして、季節外れのシュノーケリングは終わりました。
シャワーを浴びてガイドさんに礼を言い、お勧めの店で昼食をとることにします。
店の名前は花織そば。
海の幸をたっぷり使った海人そばを食べ、胃を落ち着かせたのでした。 -
最終日は天気が回復し、飛行機の時間までいくつかの史跡を廻ることができました。
まず訪れたのは、琉球八社のひとつ、末吉宮です。
ナビゲーションに案内された場所は、どうやら表参道ではなく裏側のようでした。
鳥居をくぐると墓地があり、その先の山道に入って急な石段を降りると、崖にそびえる赤い社殿が見えてきました。
正面の階段を上りたかったのですが、そこへ行くにはうっそうとした茂みを越えなければならず断念。
脇から参拝しました。 -
イチオシ
末吉宮の御祭神は伊弉冉尊・速玉男尊・事解男尊です。
伝えられる話によると、天界寺の住職であった鶴翁が本土の大和で修行した際、琉球に戻ったら熊野権現を参詣することを誓いましたが、琉球王から許しを得ることができませんでした。
ある時、夢に神人が現れて、北方の山に霊験の地があると伝えられ、そこを訪れると鬼面と古鏡を得ました。
王も同じ夢を見たため、その地に社を創建したのが末吉宮であるとのことです。末吉宮跡 名所・史跡
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次に、琉球王尚家の別荘庭園であった識名園に足を運びました。
初めての沖縄旅行の時から見学したい気持ちはあったのですが、3回目にしてようやくその願いがかないました。
国王一家の保養の他、外国からの使節の接待にも用いられた識名園が完成したのは、寛政12年。
首里城の南に位置することから、南苑とも呼ばれていたそうです。 -
入場料を払って園内に入ると、ガジュマルやソテツなどが勢いよく伸び、石畳が敷かれた遊歩道の雰囲気も本土の庭園とは違った印象が持たれました。
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識名園の造園形式は廻遊式庭園と呼ばれ、本土でも諸大名に非常に好まれた形式の庭園です。
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しかし、池の中に配された六角堂などやアーチ状の橋など、大陸の影響も多分に受けているのが分かります。
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また、高台となっている勧耕台からは、那覇市街が一望できます。
「勧耕台」とは道光18年に尚育王の冊封正使林鴻年が名付けたもので、民が大事に管理する田畑をここから王が見て、心から民を励ましたことを讃える意味を持っています。 -
イチオシ
この美しい庭園も、当時の姿そのものではなく、戦後に復興されたものです。
先の大戦の戦火によって、識名園は壊滅的な打撃を受けてしまい、昭和50年から20年の歳月をかけて、記録を頼りに復元されたのです。
平成12年、国の名勝に指定され、更にユネスコの世界遺産にも登録されました。識名園 公園・植物園
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この日はちょうど新郎新婦の写真撮影が行われており、もしかすると近くの式場と提携して、結婚式の演出に一役買っているのかも知れません。
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最後に識名園からすぐの場所に鎮座する識名宮を参拝。
琉球八社の一つで、女神の識名権現などをお祀りしています。
もともと社殿は洞窟内にありましたが、延宝8年に現在の地に遷されました。 -
社伝によると、かつて女性の神官であった母志良礼が光り輝く場所を訪ねると、洞窟の中に賓頭盧1体が安置されているのを見つけたのが始まりです。
これに祈ると何でもかなうため、尚元王の長子が病気平癒を祈ったところみごとに完治し、社殿を寄進したのでした。
尚賢王の時代からは、毎年1・5・9月の吉日に王の親拝が始まったとのことです。
やはり戦火を受けたために、現在の社殿はその後の再建です。
境内もあはり広くはありませんが、歴史と信仰の重みを感じる神社でした。識名宮 寺・神社・教会
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その後、昼食をとりに国際通りへ。
初めて沖縄を訪れた時に見つけた、居食屋「とぅたん家」へ行きました。
ここはサービスも良く、とてもおいしい料理が出るのでお気に入りなのですが、残念ながら近々閉店すると書かれていました。
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