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ハイクラスホステルのモニカによるとウクライナ行きのバスはスチャバのバスターミナルから毎日午後1時30分に出発するといいます。 <br />となると出発まで結構時間があります。 <br /><br />またルーマニアの通貨レウはスチャバでもウクライナ国内に入ってもウクライナ通貨のグリヴナに両替することはできないといいます。 <br />となるとスチャバにいる間にレウをユーロに両替しておいて、それをウクライナでグリヴナに両替する必要があります。 <br /><br />時間の余裕があるので銀行や郵便局へ行く前に、町外れにあるザムカ修道院へ行ってみることにしました。 <br />ザムカ修道院はアルメニア正教の修道院で、現在はなかば廃墟となっていました。 <br />建物の中に入ると70歳ぐらいの老紳士が熱心に写真を撮っていました。 <br />老紳士のほうから声をかけてきたのですが、ドイツから来た個人旅行者だということでした。 <br />ブコヴィナ地方の修道院で主だったところはほとんどすべてまわったそうですが、一番良かったのはスチャバの南にあるアガピア修道院だったとか。 <br />なんでも尼さんが500人も住んでいるそうです。 <br />ずいぶん旅慣れた感じの方だったので、かなり信頼がおけそうな情報です。 <br />もしルーマニアを旅してまわろうという方、アガピア修道院はオススメですよ。 <br /><br />アガピア修道院 <br />http://go2rumania.exblog.jp/1829752 <br /><br />修道院を出て町に戻り、郵便局で絵葉書を出し、銀行で両替してから、市場に向かいました。 <br />市場に行けば地元の人が食べているようなものが安く食べられるはずです。 <br />市場は多くの買い物客でにぎわっていました。 <br />スチャバにはカルフールなど近代的なショッピングセンターがいくつもあるのですが、昔ながらの在来市場もがんばっているのは心強い限りです。 <br />案の定、市場の前にテラス付きの小さな食堂があって、昼前から一仕事終えた親父たちがビールを飲んでいました。 <br />ここで牛の胃袋入りのスープとルーマニア風のハンバーグで国境越えの腹ごしらえをすることにしました。<br /><br />今回、ルーマニアからウクライナへはバスで国境を越えました。 <br />陸路での国境越えはこの10年間だとタイ北部のメーサイからミャンマーのタチレクへ歩いて往復したのと、タイ東北部からカンボジア領内のカオ・プラ・ウィハーン寺院までのこれまた歩いて往復したぐらいでしょうか。 <br /><br />定時どおりスチャバのバスターミナルからウクライナのチェルノフツィ行きのバスは出発した。 <br />運賃はわずか25レイ。日本円でわずか620円ほどです。 <br />バスはタイあたりのローカルバスといった感じで、可もなく不可もなくといったところです。 <br />乗客は外国人旅行者というのはほとんどいなくて、多くは地元の人といった感じです。 <br /><br />スチャバを出て1時間もしないうちに国境に到着しました。 <br />出国のところで係員がバスに乗り込んできて乗客全員のパスポートをまとめて回収。 <br />出国スタンプを押して戻ってきます。 <br />このときルーマニアの入国スタンプが押していないではないか?とバスの外に呼び出されるハプニングもありました。 <br />これは単純にルーマニアの役人の目が節穴?だったのか入国スタンプを見つけることができなかっただけでしたが。 <br />続いてウクライナでの入国作業。 <br />こちらも空港での通関のように係員がパスポートの顔写真と本人を見比べて確認するということはありませんでした。 <br />手荷物検査も一切なく1時間足らずで国境越えは完了しました。 <br /><br />ウクライナはルーマニアよりも緑が豊かで森が深い感じがしました。 <br />民家の感じはあまり変わりません。 <br />乗客のうち何人かはチェルノフツィに到着する前にバスを下車して行きます。 <br />たいして荷物を持っているわけでもなさそうなところを見ると、ルーマニアまで日用品を買いにでも行ってきたのでしょうか。 <br /><br />国境から30分あまりでバスはチェルノフツィの南はずれにあるバスターミナルに停まりました。 <br />いかにも社会主義といった感じの無機質なアパートが建ち並び、街路には人通りが多いです。 <br />ぜんたいに中国のどこか田舎の県城にでも来たかのような雰囲気でした。 <br />チェルノフツィと表記したルーマニア国境に近い町はいろんな言語でさまざまな読み方をされています。 <br />まずチェルノフツィはロシア語、ドイツ語ではチェルノヴィッツ、ルーマニア語ではチェルナウツィ、ポーランド語ではチョルニョフツェ、そしてウクライナ語ではチェルニウツィーとなるそうです。 <br />まあ何語で読んでも間違いないのですが、今後はウクライナ読みで統一したいと思います。 <br /><br />そもそもこの町がたどってきた歴史は複雑なようです。 <br />中世はさておき近世に入ってからでも1775年から第一次世界大戦終了まではオーストリア帝国、そして第二次世界大戦まではルーマニア王国、一時ソ連が入ってきたもののドイツとルーマニアが取り戻し、再びソ連が我が物にして、20年前にウクライナとして独立し今日に至ってます。 <br />ここに限らず東欧の国境は行きつ戻りつを繰り返していて、日本人にはなかなか実感しにくいところではあります。 <br /><br />また第二次世界大戦まではチェルニウツィーの人口の1/4以上をユダヤ人が占め、最大勢力だったそうです。 <br />その次に多いのがルーマニア人、そしてドイツ人だったようです。 <br />今でこそウクライナ人がマジョリティーですが、戦前は町の人口の1割ほどでしかなかったことになります。 <br /><br />駅でリヴィウまでの切符を買ってから、暮れなずむ町の散策を楽しみました。 <br />ルーマニアからのバスを降りたときは中国の地方都市のような印象を受けましたが、町の中心部はさすがにハプスブルグ風の典雅な街並みが続いています。 <br />今年世界遺産に登録されたチェルニウツィー大学を目指して歩いていると水色の映画館がありました。 <br />ガイドブックによるとかつてユダヤ教のシナゴーグだったそうです。 <br />ここで礼拝していたユダヤ人たちの大半は強制収容所で命を落としたのでしょうが、生き残った人々はイスラエルやニューヨークに移住したりしたようです。 <br /><br />一週間後、キエフ空港でヘルシンキ行きの搭乗を待っていると、黒づくめの集団がお祈りを始めたので驚きました。 <br />何者かと思えばニューヨークから来たユダヤ人だというではないですか。 <br />父祖の地を訪ねて来たのでしょうか。 <br />お祈り以外は粘っこい英語をぺちゃくちゃしゃべっている陽気なニューヨーカーでしたが。<br /><br />ロンリープラネットのチェルニウツィーのページを開くとチェルニウツィー大学が一番の見どころとして紹介されています。 <br />どんなところかと思って行ってみたら、とても大学とは思えないド派手な装飾の建物でした。 <br />それもそのはずもともとアルメニア教会と大司教の館として建てられたのだそうです。 <br />アルメニアというか遠くコーカサスを思いおこさせるエキゾチックな意匠に満ちています。 <br /><br />帰国してから知ったのですが、大学の建物は今年、世界遺産に登録されたばかりなのだそうです。 <br />ちなみにこちらのサイトのように“ブコビナ地方とダルメティア地方の都市住居”といった日本語訳がついていることが多いのですが、これは明らかに誤訳でないかと思います。 <br />↓ <br />http://unesco-worldheritage.com/002_1/0962011/ <br /><br />メトロポリタンには大都市だけでなく大司教という意味がありますし、司教の館をレジデンスといいますから。ここは「大司教館」とでも訳すべきでしょう。 <br />都市住居なんて訳してしまったら同潤会アパートのようなものを連想してしまいます。 <br /><br />それはさておき壮麗な大学の建物をバックに花嫁さんが結婚写真を撮っていました。 <br />花嫁が美人過ぎるので、なんだかモデルを使ってコマーシャルの撮影をしているみたいな感じがしました。 <br />ここに限らずルーマニアやウクライナの景色の美しい場所では結婚写真を撮る光景をよく見かけました。 <br />この風習はもとからこの地域にあったものなのか、それとも中国などアジアの影響によるものなのでしょうか?<br /><br />チェルニウツィーを歩いているとドアにインターネットと大きく書かれた店が何軒もありました。 <br />パケし放題の対象外であるウクライナで、どうやってmixi日記を更新していくかが課題だったのですが、このぶんだと何とかなりそうです。 <br />そのうちの一軒に入ってみてmixiにアクセスしてみることにしました。 <br />回線状況は良いらしくすぐにmixiの画面を出すことはできたのですが、文字化けして日本語が読めません。 <br />いろいろと試してみたのですがうまくいかないのでローマ字で日記を更新して店を後にしました。 <br /><br />次に訪れたリヴィウでは、チェルニウツィーのようにネットカフェを見つけることができませんでした。 <br />チェルニウツィーは大学の町で学生が多いからネットカフェも目立ったのかもしれません。 <br />ホテルのフロントに場所を教えてもらって、なんとかネットカフェにたどりつくことができました。 <br />やはりここでも日本語は文字化けして表示されました。 <br /><br />その次のヤルタではホテルのビジネスセンターのPCを有償で貸してもらえました。 <br />さすがに国際的観光地だけあってここでは日本語が文字化けせずに表示されました。 <br />それでも日本語入力のキーボーボード設定がわからず、日記の更新はローマ字で済ませました。 <br /><br />最後に訪れたキエフでは中央郵便局の中にインターネットコーナーがありました。 <br />英語も通じて受付もスムーズだったのですが、やはりここでも日本語は表示されませんでした。 <br /><br />いずれにせよ低料金でなんとか毎日の日記更新ができたのは良かったです。 <br /><br />チェルニウツィーからリヴィウまでは夜行列車で移動しました。 <br />ウクライナの寝台車は1等から3等までに分かれています。 <br />ガイドブックによると1等寝台の運賃は2等寝台の2,3倍、2等寝台の運賃は3等寝台の2,3倍とあります。 <br />人気は2等に集中して、2等から満席になるといいます。 <br />実際、1等も2等も売り切れで3等、しかも上段の寝台しか残っていませんでした。 <br />まあ列車の中ではほとんど寝ているだけなので3等でもじゅうぶんです。 <br />運賃はわずか450円でした。 <br />この運賃だと日本ではJRで京都から大阪までも行くことができません。 <br /><br />ウクライナ鉄道のシステムとして2等や3等の乗客は車掌からシーツや枕カバーをもらって自分でベッドメイキングしなければなりません。 <br />車掌が乗客にシーツなどを手渡す感じが、配給品を投げてよこすようなノリで社会主義の残り香のようなものを感じました。 <br />これもまた旅の味わいというものです。 <br /><br />3等の上段の寝台が、また困った代物でベッドの幅が狭い上に転落防止のためにあるべきはずの柵やベルトの類が一切ありません。 <br />寝相の悪い人ならベッドから転げ落ちてしまう可能性大です。 <br />ウクライナ人は幅の狭いベッドで寝るのに慣れていて、なんら問題ないのでしょうか。 <br /><br />就寝前にトイレに行ってみました。 <br />そこそこキレイには清掃されいます。 <br />水を流したところ、タンクから下りているパイプが途中から破損していて、そのパイプが途切れている個所からトイレのド真ん中めがけてうまい具合に水が飛んでいった!のには驚きました。 <br /><br /><br />

バスに乗って国境越え~ルーマニア&ウクライナ紀行④

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2011/09/26 - 2011/09/26

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池彼方

池彼方さん

ハイクラスホステルのモニカによるとウクライナ行きのバスはスチャバのバスターミナルから毎日午後1時30分に出発するといいます。
となると出発まで結構時間があります。

またルーマニアの通貨レウはスチャバでもウクライナ国内に入ってもウクライナ通貨のグリヴナに両替することはできないといいます。
となるとスチャバにいる間にレウをユーロに両替しておいて、それをウクライナでグリヴナに両替する必要があります。

時間の余裕があるので銀行や郵便局へ行く前に、町外れにあるザムカ修道院へ行ってみることにしました。
ザムカ修道院はアルメニア正教の修道院で、現在はなかば廃墟となっていました。
建物の中に入ると70歳ぐらいの老紳士が熱心に写真を撮っていました。
老紳士のほうから声をかけてきたのですが、ドイツから来た個人旅行者だということでした。
ブコヴィナ地方の修道院で主だったところはほとんどすべてまわったそうですが、一番良かったのはスチャバの南にあるアガピア修道院だったとか。
なんでも尼さんが500人も住んでいるそうです。
ずいぶん旅慣れた感じの方だったので、かなり信頼がおけそうな情報です。
もしルーマニアを旅してまわろうという方、アガピア修道院はオススメですよ。

アガピア修道院
http://go2rumania.exblog.jp/1829752

修道院を出て町に戻り、郵便局で絵葉書を出し、銀行で両替してから、市場に向かいました。
市場に行けば地元の人が食べているようなものが安く食べられるはずです。
市場は多くの買い物客でにぎわっていました。
スチャバにはカルフールなど近代的なショッピングセンターがいくつもあるのですが、昔ながらの在来市場もがんばっているのは心強い限りです。
案の定、市場の前にテラス付きの小さな食堂があって、昼前から一仕事終えた親父たちがビールを飲んでいました。
ここで牛の胃袋入りのスープとルーマニア風のハンバーグで国境越えの腹ごしらえをすることにしました。

今回、ルーマニアからウクライナへはバスで国境を越えました。
陸路での国境越えはこの10年間だとタイ北部のメーサイからミャンマーのタチレクへ歩いて往復したのと、タイ東北部からカンボジア領内のカオ・プラ・ウィハーン寺院までのこれまた歩いて往復したぐらいでしょうか。

定時どおりスチャバのバスターミナルからウクライナのチェルノフツィ行きのバスは出発した。
運賃はわずか25レイ。日本円でわずか620円ほどです。
バスはタイあたりのローカルバスといった感じで、可もなく不可もなくといったところです。
乗客は外国人旅行者というのはほとんどいなくて、多くは地元の人といった感じです。

スチャバを出て1時間もしないうちに国境に到着しました。
出国のところで係員がバスに乗り込んできて乗客全員のパスポートをまとめて回収。
出国スタンプを押して戻ってきます。
このときルーマニアの入国スタンプが押していないではないか?とバスの外に呼び出されるハプニングもありました。
これは単純にルーマニアの役人の目が節穴?だったのか入国スタンプを見つけることができなかっただけでしたが。
続いてウクライナでの入国作業。
こちらも空港での通関のように係員がパスポートの顔写真と本人を見比べて確認するということはありませんでした。
手荷物検査も一切なく1時間足らずで国境越えは完了しました。

ウクライナはルーマニアよりも緑が豊かで森が深い感じがしました。
民家の感じはあまり変わりません。
乗客のうち何人かはチェルノフツィに到着する前にバスを下車して行きます。
たいして荷物を持っているわけでもなさそうなところを見ると、ルーマニアまで日用品を買いにでも行ってきたのでしょうか。

国境から30分あまりでバスはチェルノフツィの南はずれにあるバスターミナルに停まりました。
いかにも社会主義といった感じの無機質なアパートが建ち並び、街路には人通りが多いです。
ぜんたいに中国のどこか田舎の県城にでも来たかのような雰囲気でした。
チェルノフツィと表記したルーマニア国境に近い町はいろんな言語でさまざまな読み方をされています。
まずチェルノフツィはロシア語、ドイツ語ではチェルノヴィッツ、ルーマニア語ではチェルナウツィ、ポーランド語ではチョルニョフツェ、そしてウクライナ語ではチェルニウツィーとなるそうです。
まあ何語で読んでも間違いないのですが、今後はウクライナ読みで統一したいと思います。

そもそもこの町がたどってきた歴史は複雑なようです。
中世はさておき近世に入ってからでも1775年から第一次世界大戦終了まではオーストリア帝国、そして第二次世界大戦まではルーマニア王国、一時ソ連が入ってきたもののドイツとルーマニアが取り戻し、再びソ連が我が物にして、20年前にウクライナとして独立し今日に至ってます。
ここに限らず東欧の国境は行きつ戻りつを繰り返していて、日本人にはなかなか実感しにくいところではあります。

また第二次世界大戦まではチェルニウツィーの人口の1/4以上をユダヤ人が占め、最大勢力だったそうです。
その次に多いのがルーマニア人、そしてドイツ人だったようです。
今でこそウクライナ人がマジョリティーですが、戦前は町の人口の1割ほどでしかなかったことになります。

駅でリヴィウまでの切符を買ってから、暮れなずむ町の散策を楽しみました。
ルーマニアからのバスを降りたときは中国の地方都市のような印象を受けましたが、町の中心部はさすがにハプスブルグ風の典雅な街並みが続いています。
今年世界遺産に登録されたチェルニウツィー大学を目指して歩いていると水色の映画館がありました。
ガイドブックによるとかつてユダヤ教のシナゴーグだったそうです。
ここで礼拝していたユダヤ人たちの大半は強制収容所で命を落としたのでしょうが、生き残った人々はイスラエルやニューヨークに移住したりしたようです。

一週間後、キエフ空港でヘルシンキ行きの搭乗を待っていると、黒づくめの集団がお祈りを始めたので驚きました。
何者かと思えばニューヨークから来たユダヤ人だというではないですか。
父祖の地を訪ねて来たのでしょうか。
お祈り以外は粘っこい英語をぺちゃくちゃしゃべっている陽気なニューヨーカーでしたが。

ロンリープラネットのチェルニウツィーのページを開くとチェルニウツィー大学が一番の見どころとして紹介されています。
どんなところかと思って行ってみたら、とても大学とは思えないド派手な装飾の建物でした。
それもそのはずもともとアルメニア教会と大司教の館として建てられたのだそうです。
アルメニアというか遠くコーカサスを思いおこさせるエキゾチックな意匠に満ちています。

帰国してから知ったのですが、大学の建物は今年、世界遺産に登録されたばかりなのだそうです。
ちなみにこちらのサイトのように“ブコビナ地方とダルメティア地方の都市住居”といった日本語訳がついていることが多いのですが、これは明らかに誤訳でないかと思います。

http://unesco-worldheritage.com/002_1/0962011/

メトロポリタンには大都市だけでなく大司教という意味がありますし、司教の館をレジデンスといいますから。ここは「大司教館」とでも訳すべきでしょう。
都市住居なんて訳してしまったら同潤会アパートのようなものを連想してしまいます。

それはさておき壮麗な大学の建物をバックに花嫁さんが結婚写真を撮っていました。
花嫁が美人過ぎるので、なんだかモデルを使ってコマーシャルの撮影をしているみたいな感じがしました。
ここに限らずルーマニアやウクライナの景色の美しい場所では結婚写真を撮る光景をよく見かけました。
この風習はもとからこの地域にあったものなのか、それとも中国などアジアの影響によるものなのでしょうか?

チェルニウツィーを歩いているとドアにインターネットと大きく書かれた店が何軒もありました。
パケし放題の対象外であるウクライナで、どうやってmixi日記を更新していくかが課題だったのですが、このぶんだと何とかなりそうです。
そのうちの一軒に入ってみてmixiにアクセスしてみることにしました。
回線状況は良いらしくすぐにmixiの画面を出すことはできたのですが、文字化けして日本語が読めません。
いろいろと試してみたのですがうまくいかないのでローマ字で日記を更新して店を後にしました。

次に訪れたリヴィウでは、チェルニウツィーのようにネットカフェを見つけることができませんでした。
チェルニウツィーは大学の町で学生が多いからネットカフェも目立ったのかもしれません。
ホテルのフロントに場所を教えてもらって、なんとかネットカフェにたどりつくことができました。
やはりここでも日本語は文字化けして表示されました。

その次のヤルタではホテルのビジネスセンターのPCを有償で貸してもらえました。
さすがに国際的観光地だけあってここでは日本語が文字化けせずに表示されました。
それでも日本語入力のキーボーボード設定がわからず、日記の更新はローマ字で済ませました。

最後に訪れたキエフでは中央郵便局の中にインターネットコーナーがありました。
英語も通じて受付もスムーズだったのですが、やはりここでも日本語は表示されませんでした。

いずれにせよ低料金でなんとか毎日の日記更新ができたのは良かったです。

チェルニウツィーからリヴィウまでは夜行列車で移動しました。
ウクライナの寝台車は1等から3等までに分かれています。
ガイドブックによると1等寝台の運賃は2等寝台の2,3倍、2等寝台の運賃は3等寝台の2,3倍とあります。
人気は2等に集中して、2等から満席になるといいます。
実際、1等も2等も売り切れで3等、しかも上段の寝台しか残っていませんでした。
まあ列車の中ではほとんど寝ているだけなので3等でもじゅうぶんです。
運賃はわずか450円でした。
この運賃だと日本ではJRで京都から大阪までも行くことができません。

ウクライナ鉄道のシステムとして2等や3等の乗客は車掌からシーツや枕カバーをもらって自分でベッドメイキングしなければなりません。
車掌が乗客にシーツなどを手渡す感じが、配給品を投げてよこすようなノリで社会主義の残り香のようなものを感じました。
これもまた旅の味わいというものです。

3等の上段の寝台が、また困った代物でベッドの幅が狭い上に転落防止のためにあるべきはずの柵やベルトの類が一切ありません。
寝相の悪い人ならベッドから転げ落ちてしまう可能性大です。
ウクライナ人は幅の狭いベッドで寝るのに慣れていて、なんら問題ないのでしょうか。

就寝前にトイレに行ってみました。
そこそこキレイには清掃されいます。
水を流したところ、タンクから下りているパイプが途中から破損していて、そのパイプが途切れている個所からトイレのド真ん中めがけてうまい具合に水が飛んでいった!のには驚きました。


  • 腹ごしらえに市場の食堂で食べたミティティ(ミートボール)と牛の胃袋のスープ。

    腹ごしらえに市場の食堂で食べたミティティ(ミートボール)と牛の胃袋のスープ。

  • 国境越えのバスの車内。

    国境越えのバスの車内。

  • チェルニウツィーの市庁舎前の広場。

    チェルニウツィーの市庁舎前の広場。

  • かつてはシナゴーグだった映画館。

    かつてはシナゴーグだった映画館。

  • 転げ落ちそうな三等寝台。

    転げ落ちそうな三等寝台。

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