2011/10/24 - 2011/10/24
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marsyさん
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今年で開催60周年を迎えるたけふ菊人形と、北陸の海の幸を食べてきました。
帰りには、金沢の近江町市場で魚を買って帰り、家族で食べました。
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越前市武生中央公園で開催中の、たけふ菊人形へ行ってきました。
申し訳ありませんがアップした時にはもう期間が終了しちゃっています。
たけふ菊人形HP http://takefu-kiku.jp/ -
たけふ菊人形は、今年で60回目の開催です。
武生市は2005年10月1日に今立町と合併して越前市となっています。 -
たけふ菊人形の今年のテーマは、「江姫と戦国の女たち」です。
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菊人形第一景「越前 北庄」 柴田勝家とお市、そして茶々・初・江の三姉妹
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母・市と江ら三姉妹は、信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家の覇権争いに巻き込まれていくことになります。
天正10年(1582)本能寺の変で信長が自刃したため、織田家の後継者を決める清洲会議によって、市は織田家の家臣・柴田勝家と再婚し、江ら三姉妹も母に従い、越前・北庄城へ移ります。
勝家は、市と不遇な三姉妹に懸命に愛情を注ぎ、越前での暮らしの中で親子は、次第に勝家に心を開いていきます。 -
会場MAP
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まずは菊花風景花壇から
大型の懸崖や色彩豊かな菊の花で秋の風景を表現。その迫力は観覧者を圧倒すること間違いなし。 -
綺麗に咲き誇る菊花の数々
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菊花五重塔
天平9年(737)聖武帝による諸国の五穀豊穣、国家鎮護を祈る国分寺の創建の詔で、七重の塔が建立されていたが、古くから開けていた武生では、越前国分寺に五重塔が既に建てられていたと伝えられている。
菊花五重塔は、懸崖菊72本により再現し、高さは9.5mに達します。 -
いよいよ菊人形館に入ります。
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菊人形館の前には、高さ3m、史上最大のメガ菊人形が。
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第二景 前田利家
天正3年(1575)9月、織田信長によって越前の国割が行われ、「府中辺二郡」は前田利家・佐々成政・不破光治の府中三人衆に与えた。前田利家が大名になった最初の地がここ越前でした。給地は3人が均分して知行し、序列上の差もほとんどなかったとされ、利家は府中城の築城事業、家臣団の充実、検地や刀狩、さらに一揆衆の鎮圧を行うなどして領地を支配しました。 -
第二景 絢爛豪華!京の馬揃え
天正9年(1581)2月、御所東門外にて正親町天皇を招待し、織田信長が行った「京都御馬揃え」は、戦国の世の一大イベントとして絢爛豪華なものでした。
そんな武家行事を天皇を招いて大々的に行うことで信長は、自らの力と朝廷との良好な関係を日本全国にアピールすることに成功しました。
その馬揃えの序列は、丹羽長秀・明智光秀、次に織田一門、次に公家衆、次に信長の馬回り衆や小姓衆、さらに越前衆、柴田勝家・不破光治・前田利家、最後に織田信長でした。 -
第三景 北庄城 母・市との別れ
越前・北庄城へ移り住んだ半年後、天正11年(1583)、勝家は秀吉との「賎ケ岳の戦い」に敗れ、北庄城も落城してしまいます。
勝家は秀吉の勧めもあって、市と三姉妹を城の外に逃がそうとしますが、このとき既に市の腹は決まっており、夫勝家とともに自刃します。
別れに臨んで市は、自分の髪を切り、三姉妹の前に置き、茶々には浅井長政の短刀、初には髪を結んでいた元結い、江には信長から賜った「天下布武」が刻まれた印を手渡しました。
その後、江たち三姉妹は、羽柴秀吉の庇護を受けることになります。 -
こちらでは菊人形着せ替え中です。
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福井地方の江姫縁の地の紹介です。
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“菊人形ができるまで”の紹介。
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第五景 徳川秀忠との婚礼
佐治一成、羽柴秀勝との2度の結婚で悲嘆を味わった江に、3度目の婚姻の話が持ち上がります。徳川家の嫡男秀忠との政略結婚でした。文禄4年(1595)9月、江は秀勝との間に授かった完子を淀に預け、徳川家へと嫁ぎます。
2人の婚礼は新築間もない伏見城で執り行われ、江は既に23歳、秀忠は17歳でした。6歳年上の江は、秀忠に弟のような愛情を感じていたといわれます。また、律儀な秀忠も生涯側室を持たぬなど、江への思いやりを貫き通したといわれています。 -
第7景 世継ぎを巡る対立 江と福(春日局)
慶長9年(1604)、江は秀忠との間に待望の男児を出産します。幼名は竹千代、後の徳川家光でした。長男竹千代の養育は、家康の手によりつけられた乳母の福(春日局)が行い、江に関与させませんでした。慶長10年(1605)、家康は将軍職を秀忠に譲り、駿府で大御所として幕府を動かすこととなりました。翌年の慶弔11年(1606)、江は次男国松を出産。後の駿河大納言忠長でした。江は、嫡男である竹千代よりも聡明な国松を寵愛し、福(春日局)と対立します。
福(春日局)が大御所家康を頼ることで、将軍職は長男家光が継ぐこととなります。 -
巨大フードコートには、このようなアンパンを模したお店や
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おみやげ横丁があります。
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毎週日曜日には、ゴーカイジャーやドラえもん、プリキュアショーが開催されています。
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子供の王国には、観覧車やバイキング、メリーゴーランドなどの乗り物もあります。
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戦国武将 真柄十郎佐衛門
真柄十郎佐衛門直隆は、越前・真柄荘の国衆として朝倉氏の客将となり、現在の越前市上真柄の地に居館を構えていた。大力無双の戦国武者として必ず名前の挙がる人物である。
1570年、浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が激突した姉川の戦いでは、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠千代鶴の作による太刀「太郎太刀」を振り回し暴れまくり果敢に戦ったが戦死したとされている。
真柄十郎佐衛門が武器とした太刀は全長9尺7寸8分(2963cm)、刃長7尺3寸1分(221.5cm)で、日本一の大太刀とされています。 -
菊の動物園や
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ジャンボトビアリー
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コウノトリロードなどもあります。
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たけふ菊人形の新キャラクター、名前募集中です。
結局名前は何に決まったのでしょうか?HPを見ても掲載されていません。 -
昼食は金沢を越えて、かほく市にある魚料理・民宿の「やまじゅう」さんです。
http://yama-10.com/index.html -
本館の他に新館:豊漁、別館:大漁、大人数の宴会用のコンベンショホール:海宝があります。
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建物の外では亀さんが飼われていました。まさか食べるために飼っているのか?
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さてお料理はというと、まずはカニ1匹と前菜です。まだ解禁にはなっていないはずなのでロシア産かそれとも冷凍ものかな?
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まずはお刺身なんですが、盛り合わせはちょっとピンボケしていまして使えず、別添で付いてきた甘えびの写真だけです。
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煮付けの魚はエイみたいです。
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焼き物はぶりカマ、脂はのっていましたが塩味がちょっと薄かったかな?
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揚げ物はカキフライ、能登の方で養殖されています。
日本海の名産白えびの天麩羅もあったのですがこちらもピンボケ。 -
ご飯ものとなるのは、甘えび・ブリの握り、太巻きです。太巻きにもお魚がいっぱいです。最後にお鍋も出てきましたがもう食べられません。
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自分だけごちそうを食べていてはいけません。家にお土産を買うために金沢の「近江町市場」に寄ります。
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近江町市場は金沢市内の台所と呼ばれています。こちらでもやはり“江”ですね。
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ブリとかブリの子供のツバス(正式には子供ではありません。ブリは出世魚で成長によりワカナ→ツバス→ハマチ→ブリと呼名が変わります。地域によっても呼び方が異なりますね))とか北陸の魚がたくさん並んでいます。
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市場の中には新鮮な魚を丼にして食べられるお店があります。
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たくさんカニが並んでいます。先ほども言ったようにまだ解禁されていませんのでロシア産みたいです。
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こちらもカニさんがいっぱい。訪れた時間が3時過ぎだったので「カニ3杯で5,000円(カニは普通匹ですが杯とも数えます)、甘えびも付けて3,000円」とか結構安売りされていました。
いくら安くなっていても、結局家にはカニは買って帰れませんでした。
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