2011/10/16 - 2011/10/16
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ソフィさん
2011年10月16日(日)
翌日金沢から大阪への帰途、白鳥路を歩いた。
金沢城の周りを巡り、昔を懐かしみたかったからだ。
白鳥路は、金沢城を囲む堀の一画「白鳥堀」を埋め立て、遊歩道にしたもので、開通は昭和5年(1930年)とされる。
白鳥掘の由来は、ここに白鳥を放っておくことにより、敵の襲来を予知したことによるようだ。
私の子供のころはまだお堀だった昔の面影が残っていて、ひっそりと人かげはまばらだった。
小学6年生のとき、ある友人から申し込まれ、ここにまで出かけて一対一の「決闘」(殴り合いのケンカ)をした記憶がある。
決闘場に選ばれたのは、人目に触れられたくなかったからだった。
竹刀の鍔で殴られたものだから、血だらけになって帰宅したが、親は私の気持ちを察したのだろう、何も言わなかった。
久々に訪れた白鳥路は、綺麗に舗装され、溝はせせらぎとなって、見事なまでに公園化されていた。
所どころ美術的な像が建ち、鳥の糞で座れないが、ベンチも整っている。
入口には、羽を広げた白鳥像が来客を歓迎し、6月から7月にかけて、せせらぎには源氏ボタルと平家ボタルが舞うと言う。
この蛍たちは、ここのせせらぎに育ったものらしい。
市の中心部にホタルが育つとすれば、金沢も大きく変わったものだ。
白鳥堀を抜ければ、「公園下」、金沢の誇る兼六園の入口。
振り向けば、すぐ右の眼上に、金沢城石川門の城閣が聳えている。
観光都市金沢を、最も代表すると思われる光景だ。
昔はここに市電の車庫があり、市内交通の拠点だった。
ここから金沢駅に行こうとバスの乗り場を訊いたが、その乗り場は本日の市民ウォーキングのため、閉鎖されていた。
交通整理のボランチアが、バスの乗り場を知らないのは、困ったことだ。
ようやく見つけた別の乗場で、運よく駅行きのバスに乗る。
バスは香林坊経由の、金沢駅行きだった。
左に兼六園、右に金沢城の石垣を見ながら、百間掘をバスは走る。
四高の学生時代は、金沢城一周とて、毎日のようにこの道を走ったものだ。
当時は履物がなく、ハダシだった。
べら棒に高かったヤミ価格でない運動靴を買うことが出来るようになったのは、昭和25年(1950年)春からだ。
ゴムの統制廃止により、ズック靴の価格はほぼ半値となり、耐久力は二倍以上となる。
私の大学生活は、下駄から靴への切り替えに始まる。
履物費が安くなっただけでなく、図書館にも自由に入れるようになった。
百間掘通りを過ぎて、広坂の辺りは、広々と芝生が広がる緑地となった。
金沢国体テニスコートを郊外に移転し、その跡を緑地化した。
以前は朝の散歩にテニスコートを訪ね、元気な早朝テニスを見ることが楽しみだったが、残念である。
隣の県庁はこれもまた郊外に越し、その隣は廃校となった母校第四高等学校。
一部レンガ建ての本館は保存され、最近県立の文化館になったと聞いている。
階段教室や、卓球場だった旧武道館「無声堂」は、愛知県犬山の明治村に越した。
私の汗が染みている建物が永久保存されていることは、嬉しい。
明治村の無声堂には、柔道や剣道の先輩の名札が残されているが、これは我々卓球部員の配慮だ。
過去を否定する終戦直後の風潮では、勇気のいる決断だった。
写真は「ソフィさんの旅行記」http://4travel.jp/traveler/katase/をご覧ください。
(2011.11.03 片瀬貴文)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急
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この旅行記へのコメント (1)
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- あんちゃんさん 2011/11/04 09:40:23
- 武勇伝
- お若い時の武勇伝、今度お会いした時、詳しくお聞きしたいものです。
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