2011/04/25 - 2011/04/26
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kskspiyoさん
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総督府警察官だった祖父の足跡を尋ねて、4月21日から28日までの一週間、高雄州各地を旅しました。この日はレンタカーで屏東県の各地をめぐります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス レンタカー タクシー 飛行機
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
レンタカーを借りるには、まず運転免許証の公式翻訳文を入手します。
台北か高雄の交流協会で申請すれば即日発行してくれます。一年間有効で800TWD。
レンタカーは、台北や高雄と違い、屏東ではあまり一般的ではないようでした。前日、ホテルでレンタカーの手配を手伝ってもらったのですが、「租車をしたい」というと、「駅前にある」との答え。「バイクじゃなくて、四輪車」というと、「屏東にはないかも」。前もって調べておいた、子馬租車旅遊集団の住所と電話番号を見せると、ホテルの人がかけてくれました。すると、日曜日なのに、誰も出ない! ホテルの人は電話帳で同じ会社の高雄支店を調べて予約をとってくれたのです。
カーナビ・保険込みで2000TWD。車種はトヨタのヤリスでオートマ車。
ほんとうに、富光飯店のフロントの人々は親切でした。
子馬租車旅遊集団 屏東市中山路70号 08−7665788
写真は旧屏東小学校向かいの郡主官舎らしき洋館。従姉妹が新たに加わったので、重要な場所は再訪することに。 -
朝、タクシーでレンタカー屋へ。車の修理工場の一角を借りて営業をしているほんとうに小さな店で、高雄支店の女性が、わざわざわたしたちのために車を持ってきてくれていたようです。
カーナビは中国語で「衛星導航」というそうです。
発音はウェイシンダオハン。
カーナビはヨーロッパで使ったのと同じTOMTOMでした。
4ブロックほど北にあるガソリンスタンドで15リットルガソリンを入れてGO! 料金は497TWDでした。 -
最初の目的地は屏東の3キロ南にある公館。
祖父が70年前の派出所落成記念の写真を残しているんです。 -
これが昭和12年11月28日撮影の写真。
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そっくり、だと思いませんか?
しかし、応対に出た女性は、日本統治時代の派出所は木造で、現在のものとはまるで違う、と言い張ります。
どうやら、台湾の警察署の歴史を集めた公式刊行物があり、そこには別の写真が載っているらしいんですね。 -
現在の派出所も、過去に何度か改築しているそうですが、基本的な構造は昭和12年築のものと、あまり変っていないように思えました。
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内部はこんな感じです。
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それから、潮州に行って、祖父一家が住んでいたらしい警察官舎をもう一度見ました。
台湾の道路は広くて走りやすいです。
最初、カーナビに目的地を入力しようとしても、台湾語の発音記号がわからず入力ができなくて困りました。
地図上の位置を指示すればいいということに気づいて事なきを得ましたが。 -
潮州役場の裏庭でも、みんなで写真をとりました。
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イチオシ
昭和11年6月17日撮影 四林保甲会館落成記念。
次の目的地である、潮州の2キロ東にある四林へ。 -
イチオシ
派出所に行って、「かつて、四林保甲会館というのが、この辺にあったはずなんですけど」というと、「それはまさにここです」との答え。
保甲とは、清朝にあった隣組のような連帯責任制度で、日本も統治時代に採用しました。警察の人員が手薄な場所での治安維持を、保甲団やその壮丁員に経費与えてを肩代わりしてもらう制度です。
というわけで、保甲会館が各警察署の前身になっていたんですね。
派出所の裏手の旧道のところに、その建物が民家となって残っていました。 -
「この写真は、建物をこっちから見たのでは?」という従姉妹の指摘。
たしかに、彼女のいうとおり、玄関ポーチの柱のあとが残っています。 -
そこから5キロ東南の山沿いにある新置、来儀へ。
祖父は理蕃警察ではなかったのですが、潮州警察署時代、警察協会の交易主任をしていました。戦前は原住民との売買は、警察が独占していたので、各地に「交易所」が設けられていました。交易主任は、潮州管内の交易を監督する役目で、新置は当時交易所があった場所です。
来儀はそのすぐそばにあり、原住民の記念公園があります。 -
ここでバイクに乗った観光客らしき台湾人青年から、「なぜこんな台湾人でもあまりこない観光地に、来てるんですか?」と訊かれ、かくかくしかじか、と説明すると、彼はびっくりしてました。
ここからUターンして車を出して、一般道に戻るとき、うっかり左側に寄ってしまう。大きな道を走っているときは右側通行でも間違えないのですが、こういうときにミスをしてひやっとします。ハワイでも同じことをしました。
わたしは右ハンドルの車を運転するとき、ワイパーと方向指示器が逆についているので、しょっちゅう無意味にワイパーを動かしてしまいます。 -
この公園の向かいに、崩れかけたレンガ造りの建物がありました。
これ、ひょっとして、本当に交易所の跡でしょうか? -
その上流は観光地になっています。その先は入山許可が必要になる検査門のところで引き返しました。
この先には、かつて星製薬が植林した大規模なキナ林があったはずです。 -
枋寮の北にある建興にやってきました。
「川沿いにバスでいって、田んぼの真ん中にある小学校」という父の記憶と一致するのは、この建興国民小学校では?
父もようやく、周囲の景色は、記憶と一致する、といってくれました。 -
校庭の横にある、かつて校長官舎だったらしき建物。
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その前にある石碑です。
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小学校の向かいにある保育園。
いかにも日本的な建築様式だと思いませんか? -
枋寮を再訪すると、お祭りの真っ最中でした
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枋寮警察署。手前の建物が、古い警察署です。
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この駐車場の奥です。
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入り口がこんな感じ。
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2日前に来た、不思議な日本人を覚えていたのか、再訪すると警察官のみなさんが歓迎してくれました。
昔の写真を見て、盛り上がります。 -
それから、東港へ。
東港市内は自動車が多くて、またその運転振りがめちゃくちゃで、とぉっても怖かった。港沿いに車を停めて、徒歩で、警察官舎跡へ。 -
巡査だった祖父はこういう長屋に住んでいたんでしょうね。祖父が試験勉強をしていたとき、祖母は邪魔にならないように屋外で赤ん坊をあやしていた、と聞きました。
祖母はこの向かいにある市場に買い物にいったのかしら。 -
東港警察でも歓迎を受けました。次の目的地の烏龍派出所はすぐ近くなので、案内するとまでいってくださいました。レンタカーだし、衛星導航(カーナビ)もあるから、だいじょうぶ、と固辞すると、用意していたグーグルマップに位置を書き込み、「現在は興龍派出所という名前になっている」と教えてくださいました。
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帰り道を歩いていると、さっきの警察官のひとりに呼び止められます。
なんと彼らは、当時のことを知っている日本語を話せる高齢者を探してくれていたのです。
この方たちは、戦前からここで商売をしている方々でした。 -
京劇が屋外で上演されていました。
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東港の波止場。昼食の時間がとれなかったので、ここでシャオロンポーを買ってきて、食べました。
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烏龍には、橋を渡っていきます。
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旧烏龍派出所。警察署長の話だと、10年前までは統治時代の建築が残っていたそうです。
烏龍も東港も、清朝時代から繁華なところだったんですね。 -
屏東に戻ってきて、レンタカーを返し、ホテルに戻って、近くで食事。これはたぶん、板條ですね。
8時30分屏東空港発の台北行き飛行機に乗らなくてはいけません。
台北・屏東間は、週に3便だけ立栄航空が運航しており、この空港は一日に一便しか発着便がないというマイナーなところ。 -
ホテルでタクシーを呼んでもらったら、これがひどくて・・・。詳しくは口コミをごらんください。
写真は総合カキ氷ですね。 -
台湾では国内便搭乗のときも身分証明として各人のパスポートが必要です。
立栄航空UNI AIR 運賃は早期購入割引で片道1400TWD
台北まで一時間の空の旅でした。
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