2008/01/25 - 2008/01/28
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ゆらのとさん
今回も古い桜旅の紹介である。2008年1月25日、吹雪の越後長岡を朝出発して午後2時過ぎには温度20度の春爛漫の沖縄に到着した。日本列島の較差もすごいと感心した。 四季桜は正月でも、雪の中でも咲いている。「桜祭り」と名売ってイベントをするのは沖縄が最初なんだそうだ。沖縄の桜は濃いピンク色のカンヒ桜が殆どだ。土地、気候で染井吉野は育たない。でも、その濃いピンクの桜が沖縄の風土と人柄にピッタリだった。
沖縄の桜は北の方から咲く。到着した夜、沖縄本島の南部の八重瀬公園を観に行った。桜は3部咲きだった。
翌日、沖縄本島北部の今帰仁村(なきじん)の今帰仁城址を訪れた。カンヒ桜は満開だった。日曜日とあって物凄い人出だった。大半が観光バスで来たツアー客だ。日本人は本当に桜が好きな国民なんだと実感した。
今、沖縄の「カンヒ桜」が観光の名所となっているが、殆ど、戦後植えられたものだそうだ。
日本一早く桜祭りをする今帰仁城址の桜見物の後で、同時に桜祭りをしている本部町の八重岳の桜を観た。
バスガイドから聞いた話しを紹介したい。沖縄にアメリカ軍の基地ができる事が決まると、突貫工事で八重岳の頂上まで瞬く間に立派な軍用道路ができた。地元の人は、「何のために」と不思議がっていると、450メートル位の八重岳の頂上に飛行機のレーダー基地ができたのだそうだ。
昭和30年頃、まだ、この辺りは戦禍がひどく赤土を剥き出したままだった。軍用道路だけが不気味な怪物のように黒くうねっていた。
地元の人は、あまりにも殺風景な光景に桜の花を道路端に植えようと、カンヒ桜の苗を植えた。それは戦争で犠牲になった人たちへの鎮魂でもあった。
翌年、ピンクの花が咲いた。アメリカ軍のジープが止まって、兵士がそれを見て、「オ〜、ワンダフル」と言って微笑んだ。 この辺りの土壌はカンヒ桜に適していたのである。地元の人は、また、ヒカン桜の苗を植えることにした。 それを見た、アメリカ軍の兵士が手伝った。兵士の数は日に日に多くなっていったという。日本人の数も増えていった。桜がもたらす友情、いいなあ〜。アメリカ人の一人一人は平和が大好きな温かい心の持ち主なんだと、私はバスガイドの話を聞いてジーンとなった。
今回の沖縄の旅は沖縄を戦争と結びつけた暗い旅ではなかった。本州より一足早い春の花いっぱいの沖縄の旅を満喫して来た。華なホテルで3泊、食事も5回付、観光施設の入場料も殆ど含まれて6万円かからないC社のパッケージツアーだった。 「こんなに安くて良いのかなあ」と何度も思った。土産屋に10軒ほど連れて行かれたが、これは我慢しなければならない。 帰る日の午前中、観光バスは「ひめゆりの塔」を案内してくれた。やっぱり、そのことは忘れてはならない。
ひめゆりの塔の発端は犠牲になった自分の娘の供養の為に父親が自費で作った石碑である。今、ひめゆりの塔の回りに鬱蒼と相思樹が茂っている。この樹は沖縄師範学校女子部の校庭に戦争まで茂っていたのだそうだ。
自然にこの地に生えたという説もあるが、誰かがひっそりと植えたのかも知れないと、ガイドは説明した。
私はこの度、沖縄を旅行して、すっかり沖縄のイメージが変わった。沖縄の人がとても、親切で明るくておおらかだった。目先のことに拘ってガツガツと金を貯めることしか考えていないのである。お土産屋でもしつこく売りつけない。この明るさ、おおらかさは、やはり、南国の明るい太陽の性なのだろうか。
「何かあったら、そん時、考えればいいさ〜」、これが沖縄人気質なのだそうである。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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