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震災後、初めてとなる石巻入りでした。祖母一家とは3日間連絡が取れず安否不明だったのですが、mixiとツイッターで呼びかけたところ、奇跡的に会ったことも無い親戚と繋がり、無事であることが確認できました。その後、群馬県内に住む叔父の所に避難してきた祖母を、再び石巻に送り届けた日の話です。

被災地・石巻の祖母宅へ②

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2011/05/04 - 2011/05/05

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みぃ

みぃさん

震災後、初めてとなる石巻入りでした。祖母一家とは3日間連絡が取れず安否不明だったのですが、mixiとツイッターで呼びかけたところ、奇跡的に会ったことも無い親戚と繋がり、無事であることが確認できました。その後、群馬県内に住む叔父の所に避難してきた祖母を、再び石巻に送り届けた日の話です。

同行者
家族旅行
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 連休後半戦3日の東北道が脅威の67キロ渋滞との情報が入ってきたので相当な覚悟を決めて行ったのですが、叔父たちのところまで祖母を迎えに行き、2台で出発したのが朝の9時。北関東道をスイスイ飛ばして、いざ東北道と合流…ここでいきなり大渋滞。岩舟ジャンクションで、まず東北道に合流できない!30分くらい足止めされたかなぁ、どうにかこうにか東北道に乗って走り始めると、意外にも、その後はまったく渋滞につかまることはありませんでした。この時点ですでに上り線の方が大渋滞だったんだよね。黒磯あたりはとんでもなかったです。お昼前には福島に入っていて、ゆっくりランチ休憩もできました。福島県内に入ってからかなぁ、話に聞いていた通り、道が本当にボコボコの悪路で。路肩なんかは陥没したままで、赤色灯で注意を促していたり、ところどころ補修工事の跡もあるんだけど、たぶん特急工事だったんだろうね…その修復の跡すらボコボコに波打っていて、 <br />もう高速道路と呼べる道じゃなくて。その後宮城に入るまで、常に70キロ規制でした。宮城に入ってからは高速から見渡せる山沿いの民家も屋根が落ちていてブルーシートに覆われている様子も見て取れて、仙台南から南部道路に入ると、海沿いのいわゆる“ゆりあげ地区”?“若林区”なのかな?あのあたりの被害の大きかった部分も見渡せて、私も母も思わず言葉を飲みました。はぁ〜〜〜〜〜っていう長いため息の後、ようやく出た言葉も「ひどいね…」って言うのが精一杯。その後はしばらく三陸道で山の中を走っていたのでそれほど被害の様子を見ることは無かったんだけど、石巻港インターを降りるとき祖母に、「本当に目を覆いたくなる光景なんだよ」って言われて。

    連休後半戦3日の東北道が脅威の67キロ渋滞との情報が入ってきたので相当な覚悟を決めて行ったのですが、叔父たちのところまで祖母を迎えに行き、2台で出発したのが朝の9時。北関東道をスイスイ飛ばして、いざ東北道と合流…ここでいきなり大渋滞。岩舟ジャンクションで、まず東北道に合流できない!30分くらい足止めされたかなぁ、どうにかこうにか東北道に乗って走り始めると、意外にも、その後はまったく渋滞につかまることはありませんでした。この時点ですでに上り線の方が大渋滞だったんだよね。黒磯あたりはとんでもなかったです。お昼前には福島に入っていて、ゆっくりランチ休憩もできました。福島県内に入ってからかなぁ、話に聞いていた通り、道が本当にボコボコの悪路で。路肩なんかは陥没したままで、赤色灯で注意を促していたり、ところどころ補修工事の跡もあるんだけど、たぶん特急工事だったんだろうね…その修復の跡すらボコボコに波打っていて、
    もう高速道路と呼べる道じゃなくて。その後宮城に入るまで、常に70キロ規制でした。宮城に入ってからは高速から見渡せる山沿いの民家も屋根が落ちていてブルーシートに覆われている様子も見て取れて、仙台南から南部道路に入ると、海沿いのいわゆる“ゆりあげ地区”?“若林区”なのかな?あのあたりの被害の大きかった部分も見渡せて、私も母も思わず言葉を飲みました。はぁ〜〜〜〜〜っていう長いため息の後、ようやく出た言葉も「ひどいね…」って言うのが精一杯。その後はしばらく三陸道で山の中を走っていたのでそれほど被害の様子を見ることは無かったんだけど、石巻港インターを降りるとき祖母に、「本当に目を覆いたくなる光景なんだよ」って言われて。

  • 実際、インターを降りたところから、もうそこは、私の知っている石巻ではなく、石巻っていうか、え?何なのこれどこ?うそでしょ?ガレキの山…これどうしたの?全然片付いてないじゃん…って。 <br />いざその光景を目の当たりにしたら、祖母になんて言おうか考えてたけど私も母も結局何にも言えなかった。うわぁーって。あれはなんて表現したら良いんだろう。瞬でゾワーって全身に鳥肌が立って、無意識に体が震えてくるっていうのかな。インターから祖母の家までは10分程度なんだけど、インターから海の方へ向かえば向かうほど被害はどんどん大きくなって。

    実際、インターを降りたところから、もうそこは、私の知っている石巻ではなく、石巻っていうか、え?何なのこれどこ?うそでしょ?ガレキの山…これどうしたの?全然片付いてないじゃん…って。
    いざその光景を目の当たりにしたら、祖母になんて言おうか考えてたけど私も母も結局何にも言えなかった。うわぁーって。あれはなんて表現したら良いんだろう。瞬でゾワーって全身に鳥肌が立って、無意識に体が震えてくるっていうのかな。インターから祖母の家までは10分程度なんだけど、インターから海の方へ向かえば向かうほど被害はどんどん大きくなって。

  • ここ。このカメラのキタムラ。震災後、私が初めて見つけた石巻の画像の場所。水没した、あの写真がここで撮られていたんだよね。あの時はニュースでも女川や東松島の状況ばっかりで、石巻の「い」の字も出てこなくて、必死の思いであの写真を探し出したんだっけ。さすがに水は引いてたけど、この有様です。車なんてそのままだし、よく見ると分かるんだけど、青い車。燃料口開けられてるの、分かるかな?ガソリン抜き去られてるの。手前のタクシーも抜かれてた。 ここから祖母宅まではわずか1分程度なんだけどね、道中、土に穴を掘って小さな花を供えている人たちを見かけました。土葬です。悲惨すぎて、私もともと涙もろいけど、もうホントに涙無しにあの町にいられないです。あれはご遺体を埋めた直後だったのかな…家族らしき人が穴の中に手を伸ばしながら泣いてるのが見えて着いていきなり後頭部を思いっきり殴られたような衝撃というか…ここは本当に日本なのかなって思いました。見ているものが信じられないって、毎日生きていてそうそうあることじゃないと思うんだけど、とにかく言葉にするなら「信じられない」の一言。土葬はあくまでも仮土葬で、順番が回ってくれば火葬してくれるらしいんだけど、でもね、震災から2ヶ月経つんだよ?2ヶ月経つのにまだ火葬できなくて土葬してるんだよ?今日の今日まで、そのご遺体はどうしてたのよ…って。祖母に聞いたの。まだ遺体が出てくるんだねって。そしたら「ばあちゃんちの隣のおじいさん居たっちゃ?あのおじいさんもまだお家の中から出てこねんだよ?」って。表現は悪いけど、正直ぞっとしました。そこにいて亡くなっていることは分かっているのに、まだ見つけてあげられない現実…。

    ここ。このカメラのキタムラ。震災後、私が初めて見つけた石巻の画像の場所。水没した、あの写真がここで撮られていたんだよね。あの時はニュースでも女川や東松島の状況ばっかりで、石巻の「い」の字も出てこなくて、必死の思いであの写真を探し出したんだっけ。さすがに水は引いてたけど、この有様です。車なんてそのままだし、よく見ると分かるんだけど、青い車。燃料口開けられてるの、分かるかな?ガソリン抜き去られてるの。手前のタクシーも抜かれてた。 ここから祖母宅まではわずか1分程度なんだけどね、道中、土に穴を掘って小さな花を供えている人たちを見かけました。土葬です。悲惨すぎて、私もともと涙もろいけど、もうホントに涙無しにあの町にいられないです。あれはご遺体を埋めた直後だったのかな…家族らしき人が穴の中に手を伸ばしながら泣いてるのが見えて着いていきなり後頭部を思いっきり殴られたような衝撃というか…ここは本当に日本なのかなって思いました。見ているものが信じられないって、毎日生きていてそうそうあることじゃないと思うんだけど、とにかく言葉にするなら「信じられない」の一言。土葬はあくまでも仮土葬で、順番が回ってくれば火葬してくれるらしいんだけど、でもね、震災から2ヶ月経つんだよ?2ヶ月経つのにまだ火葬できなくて土葬してるんだよ?今日の今日まで、そのご遺体はどうしてたのよ…って。祖母に聞いたの。まだ遺体が出てくるんだねって。そしたら「ばあちゃんちの隣のおじいさん居たっちゃ?あのおじいさんもまだお家の中から出てこねんだよ?」って。表現は悪いけど、正直ぞっとしました。そこにいて亡くなっていることは分かっているのに、まだ見つけてあげられない現実…。

  • 実際、祖母宅に着くと留守になったお隣に、自衛隊の方が入っていて。みんな長−い棒みたいなのを持って、ひたすら地面を挿しながらご遺体を捜しているの。祖母宅は、叔父やいとこなんかの若い人手やボランティアの助けがあって、だいぶヘドロの掻き出しは進んでいるんだけど、家をそのまま放置してしまっているお隣さんなんかは、ヘドロも、港から流れてきた腐った魚も、全部そのままなの。足元もぐちゃぐちゃで、そこに人が埋まっているのか流されたのかも分からないから、手荒に見えるけど、こうして棒で探りながらご遺体を捜すんだって。少しだけ自衛隊の方とお話してきたんだけど。早く見つけてあげないと、これから暖かくなって腐敗が進んでどんどん見つけにくくなるし、今年の夏はこの環境の悪化で蚊や害虫なんかが大量発生することが予想されるから、ご遺体がそのままにされてると、そういう二次被害ももたらしてしまうからって。一番はご家族のために探してあげたいっていう気持ちだけど、気持ちだけじゃなくて、そこでもう一度暮らしていこうとしている人のリスクを少しでも減らしてあげることも考えていかなきゃって。熊本から来た、自衛官の方が話してくれました。そんな彼に私は「ご苦労様です」としか言えなかったけど。「いいえ!」って爽やかに敬礼して作業に戻っていく姿に、やっぱり涙しちゃう。

    実際、祖母宅に着くと留守になったお隣に、自衛隊の方が入っていて。みんな長−い棒みたいなのを持って、ひたすら地面を挿しながらご遺体を捜しているの。祖母宅は、叔父やいとこなんかの若い人手やボランティアの助けがあって、だいぶヘドロの掻き出しは進んでいるんだけど、家をそのまま放置してしまっているお隣さんなんかは、ヘドロも、港から流れてきた腐った魚も、全部そのままなの。足元もぐちゃぐちゃで、そこに人が埋まっているのか流されたのかも分からないから、手荒に見えるけど、こうして棒で探りながらご遺体を捜すんだって。少しだけ自衛隊の方とお話してきたんだけど。早く見つけてあげないと、これから暖かくなって腐敗が進んでどんどん見つけにくくなるし、今年の夏はこの環境の悪化で蚊や害虫なんかが大量発生することが予想されるから、ご遺体がそのままにされてると、そういう二次被害ももたらしてしまうからって。一番はご家族のために探してあげたいっていう気持ちだけど、気持ちだけじゃなくて、そこでもう一度暮らしていこうとしている人のリスクを少しでも減らしてあげることも考えていかなきゃって。熊本から来た、自衛官の方が話してくれました。そんな彼に私は「ご苦労様です」としか言えなかったけど。「いいえ!」って爽やかに敬礼して作業に戻っていく姿に、やっぱり涙しちゃう。

  • 祖母宅からは相変わらず私の大好きな、日本製紙の大きな煙突が見えていて。そこに、社員の方が飾ってくれたのかな…こいのぼりが泳いでいてね。なんかグッときたよね。久しぶりに実家に揃った母・伊勢崎に住むおじ・石巻のおじの三姉弟が、祖母と楽しそうに話をしていたので、私と伊勢崎のおばは2人で近くを散策してきました。

    祖母宅からは相変わらず私の大好きな、日本製紙の大きな煙突が見えていて。そこに、社員の方が飾ってくれたのかな…こいのぼりが泳いでいてね。なんかグッときたよね。久しぶりに実家に揃った母・伊勢崎に住むおじ・石巻のおじの三姉弟が、祖母と楽しそうに話をしていたので、私と伊勢崎のおばは2人で近くを散策してきました。

  • とにかくテレビで見ているだけじゃ伝わらない!って強く感じたのは、吐き気を感じるほどの強烈な匂いと、風で舞うヘドロの粉塵。マスクや帽子・ウィンドブレーカーなんかが無いと外は歩けないんです。もちろん足元だって大潮の度に毎日冠水するので相変わらずドロドロだし。「これを知らずに軽々しく大変ですねなんて言えないね…」って話しながら見覚えのある場所を、1時間くらい歩き回ったかな。突然自衛隊のヘリが低空飛行で近づいてきて、何事かと思ったら、防災無線で「北上川にて男性の死体が流れていますので、近づかないで下さい」って。ショックだったよ…。でもこれ、日常らしいです。潮の満ち引きで、時々今も突然ご遺体が流れてきたりするんだって。地元のおばあちゃんは、ヘリの向かう方向に手を合わせてました。

    とにかくテレビで見ているだけじゃ伝わらない!って強く感じたのは、吐き気を感じるほどの強烈な匂いと、風で舞うヘドロの粉塵。マスクや帽子・ウィンドブレーカーなんかが無いと外は歩けないんです。もちろん足元だって大潮の度に毎日冠水するので相変わらずドロドロだし。「これを知らずに軽々しく大変ですねなんて言えないね…」って話しながら見覚えのある場所を、1時間くらい歩き回ったかな。突然自衛隊のヘリが低空飛行で近づいてきて、何事かと思ったら、防災無線で「北上川にて男性の死体が流れていますので、近づかないで下さい」って。ショックだったよ…。でもこれ、日常らしいです。潮の満ち引きで、時々今も突然ご遺体が流れてきたりするんだって。地元のおばあちゃんは、ヘリの向かう方向に手を合わせてました。

  • 家に戻ると、私のいとこ3姉弟のうちの長女と次女が来ていたので、彼女たちに、市内でも被害の大きかった地域を車で走ってもらいました。日和山からの壮絶な景色、門脇地区の大火災があった焼け野原、長女の勤めていた港の会社に突っ込んだ大型漁船、港にあった300t以上ある鯨の缶詰が1キロ以上押し流された場所。どれもこれも私の目に映る景色は、想像を遥かに超えていて、自分でもびっくりするくらい、言葉になんか出来ないんだよね。凄いね、大変だったね、酷いね、残念だね、って思いつく言葉が、もう悲しくなるくらい、全然リアルじゃないの。言葉では表現できない世界なんだなって思いました。

    家に戻ると、私のいとこ3姉弟のうちの長女と次女が来ていたので、彼女たちに、市内でも被害の大きかった地域を車で走ってもらいました。日和山からの壮絶な景色、門脇地区の大火災があった焼け野原、長女の勤めていた港の会社に突っ込んだ大型漁船、港にあった300t以上ある鯨の缶詰が1キロ以上押し流された場所。どれもこれも私の目に映る景色は、想像を遥かに超えていて、自分でもびっくりするくらい、言葉になんか出来ないんだよね。凄いね、大変だったね、酷いね、残念だね、って思いつく言葉が、もう悲しくなるくらい、全然リアルじゃないの。言葉では表現できない世界なんだなって思いました。

  • テレビで伝わらないのは、匂いや風もそうだけど、そこに“暮らし”があったことなんじゃないかなって思ったの。きっとね、観光目的で面白半分に被災地を見に来た人にとってあの景色はやっぱりテレビを見るのと同じで「大変なことになってるね」の一言で済まされると思う。でも、家族や自分の生活した思い出がその場所にある人たちや、自分のことは二の次で、泥まみれになってボランティア活動している人たちにしてみれば、その場所はもう地獄以外の何物でもないんだよね。戦時中の日本は、きっとこんなだったんだろうなって。教科書で見た、モノクロの写真を思い出すような。そんな景色。そんな場所が、日本の北から南まで、太平洋側沿岸にずーっと続いているのかと思ったら、恥ずかしいけど膝がガクガク震えてしまって、立っていられなかったです。

    テレビで伝わらないのは、匂いや風もそうだけど、そこに“暮らし”があったことなんじゃないかなって思ったの。きっとね、観光目的で面白半分に被災地を見に来た人にとってあの景色はやっぱりテレビを見るのと同じで「大変なことになってるね」の一言で済まされると思う。でも、家族や自分の生活した思い出がその場所にある人たちや、自分のことは二の次で、泥まみれになってボランティア活動している人たちにしてみれば、その場所はもう地獄以外の何物でもないんだよね。戦時中の日本は、きっとこんなだったんだろうなって。教科書で見た、モノクロの写真を思い出すような。そんな景色。そんな場所が、日本の北から南まで、太平洋側沿岸にずーっと続いているのかと思ったら、恥ずかしいけど膝がガクガク震えてしまって、立っていられなかったです。

  • 祖母が「あんたが見たこと周りの人にも見せてやったら良いっちゃ?」って、あちこちで写真を撮ることを勧めてきたんだけど…正直、カメラを向けられない場所のほうが多すぎて。だからこそ、テレビでも良い場所しか写さないんだろうな…。

    祖母が「あんたが見たこと周りの人にも見せてやったら良いっちゃ?」って、あちこちで写真を撮ることを勧めてきたんだけど…正直、カメラを向けられない場所のほうが多すぎて。だからこそ、テレビでも良い場所しか写さないんだろうな…。

  • この日は私たちがそれぞれ持ち寄った暖かいご飯やスープなんかを囲んで祖母宅の庭で焚き火しました。祖母をはじめ、おじたちは本当に強くて。「今はもう楽しみながら復興してるんだ」なんて言ってました。初めは強がってるんじゃないかって思ったけど、でもそうじゃないみたい。おじたちだけじゃない。近くの避難所にいた人たちみんな、誰一人、海のことを悪く言う人がいないの。「地震だけならまだしも、津波の被害がね…」って声かけたら、みんなが口をそろえて「でも我々は海のお陰で生きてきたような人間だから」って笑うの。 <br />「海がみんなガレキやら人やら何でも持って行っちゃったから今汚いんだ。すぐキレイにしてやっかんなーって。海、元通りにしてやっかんな」って。温かい、優しい口調で、まるで孫のことでも話すみたいに言うの。正直、石巻に着いた時は「2ヶ月経ってまだこんな状態なの?」って思ったの。だけど私はそれ以前を見ていないからね。きっと彼らにしてみたら「2ヶ月でこんなにキレイにしてやった!」って <br />感じなんだと思う。それくらい被害が大きかったんだと思う。その証拠に、おじがボロボロに壁がはがれた自宅の2階部分に、もう自分で仕入れてきたクロス張ってるの。 で、さすがは電気屋さん!自力で電気つなげてテレビまで見れるようになって、今週末にはボイラーも手に入るから、お風呂にも入れるようになるぞ!って。自衛隊がね、船の中のお風呂を開放してくれたってニュースでやってるけど。あれも、一番乗りで入った人だけを映してるでしょ?後から入った人は、目を瞑ってないととてもじゃないと入れないって。垢やヘドロまみれになったそのお風呂に、普通の人間は入れないって。祖母も言ってた。どんなに体を洗っても、お風呂に入ったら皮膚にしみ込んだ垢がふやけてまたお風呂を汚してしまうって。だから、人のおうちでお風呂に入るのも凄く躊躇われたみたい。自宅でお風呂に入れるようになること、すっごく喜んでたなぁ。

    この日は私たちがそれぞれ持ち寄った暖かいご飯やスープなんかを囲んで祖母宅の庭で焚き火しました。祖母をはじめ、おじたちは本当に強くて。「今はもう楽しみながら復興してるんだ」なんて言ってました。初めは強がってるんじゃないかって思ったけど、でもそうじゃないみたい。おじたちだけじゃない。近くの避難所にいた人たちみんな、誰一人、海のことを悪く言う人がいないの。「地震だけならまだしも、津波の被害がね…」って声かけたら、みんなが口をそろえて「でも我々は海のお陰で生きてきたような人間だから」って笑うの。
    「海がみんなガレキやら人やら何でも持って行っちゃったから今汚いんだ。すぐキレイにしてやっかんなーって。海、元通りにしてやっかんな」って。温かい、優しい口調で、まるで孫のことでも話すみたいに言うの。正直、石巻に着いた時は「2ヶ月経ってまだこんな状態なの?」って思ったの。だけど私はそれ以前を見ていないからね。きっと彼らにしてみたら「2ヶ月でこんなにキレイにしてやった!」って
    感じなんだと思う。それくらい被害が大きかったんだと思う。その証拠に、おじがボロボロに壁がはがれた自宅の2階部分に、もう自分で仕入れてきたクロス張ってるの。 で、さすがは電気屋さん!自力で電気つなげてテレビまで見れるようになって、今週末にはボイラーも手に入るから、お風呂にも入れるようになるぞ!って。自衛隊がね、船の中のお風呂を開放してくれたってニュースでやってるけど。あれも、一番乗りで入った人だけを映してるでしょ?後から入った人は、目を瞑ってないととてもじゃないと入れないって。垢やヘドロまみれになったそのお風呂に、普通の人間は入れないって。祖母も言ってた。どんなに体を洗っても、お風呂に入ったら皮膚にしみ込んだ垢がふやけてまたお風呂を汚してしまうって。だから、人のおうちでお風呂に入るのも凄く躊躇われたみたい。自宅でお風呂に入れるようになること、すっごく喜んでたなぁ。

  • この強さは一体どこから出てくるんだろうって思ったんだけど、やっぱり家族を守りたい気持ちと、地元愛なんだろうね。傷は私なんかには計り知れないほど深いだろうけど、次へ向かう気持ちの強さを感じて、とっても誇らしかった!!

    この強さは一体どこから出てくるんだろうって思ったんだけど、やっぱり家族を守りたい気持ちと、地元愛なんだろうね。傷は私なんかには計り知れないほど深いだろうけど、次へ向かう気持ちの強さを感じて、とっても誇らしかった!!

  • 帰りの東北道は断続渋滞で、交通量は多かったけど完全に止まることは無く、ノロノロと流れながら、6時間ほどで帰宅できました。行きも帰りも、東北道では本当に見たことも無いくらい沢山の警察・自衛隊車輌を見かけました。警察車輌はまだしも、自衛隊のトラックなんて、荷台の幌も開いた状態で10人くらいの自衛官が乗ったままの移動。SAでトイレに駆け込む自衛官の姿も見かけました。みんなクッタクタなんだよね。警察も自衛隊も、私が見かけた中では熊本ナンバーが一番遠かったかな。とにかく全国各地から集結しているようでした。それでもまだまだ足りないんだろうなぁ。

    帰りの東北道は断続渋滞で、交通量は多かったけど完全に止まることは無く、ノロノロと流れながら、6時間ほどで帰宅できました。行きも帰りも、東北道では本当に見たことも無いくらい沢山の警察・自衛隊車輌を見かけました。警察車輌はまだしも、自衛隊のトラックなんて、荷台の幌も開いた状態で10人くらいの自衛官が乗ったままの移動。SAでトイレに駆け込む自衛官の姿も見かけました。みんなクッタクタなんだよね。警察も自衛隊も、私が見かけた中では熊本ナンバーが一番遠かったかな。とにかく全国各地から集結しているようでした。それでもまだまだ足りないんだろうなぁ。

  • 石巻は、まだ信号もついていないところが本当に多いです(※被災地入りした当時です)。警察官が手信号で一日中あれだけの交通量をさばいています。自衛隊の人たちも、すごく市民に寄り添っていました。黙々と作業することもあれば、通りかかったお年寄りに「どこまで行くんですか?」って声をかけてあげたり。近所の人同士が、手に入れられた物資を抱えて「半分持って行ったらー?」ってニコニコ走ってきたり。なんだかココは、人と人との距離がすごく近いなって思いました。<br />

    石巻は、まだ信号もついていないところが本当に多いです(※被災地入りした当時です)。警察官が手信号で一日中あれだけの交通量をさばいています。自衛隊の人たちも、すごく市民に寄り添っていました。黙々と作業することもあれば、通りかかったお年寄りに「どこまで行くんですか?」って声をかけてあげたり。近所の人同士が、手に入れられた物資を抱えて「半分持って行ったらー?」ってニコニコ走ってきたり。なんだかココは、人と人との距離がすごく近いなって思いました。

  • 今回実際に自分で被災地入りしてみて、その場に行けない人に少しでも状況が伝わればって思ってたんだけど…やっぱり私にはそんな大層なこと出来ないし、語彙力も無いし、とっても難しいです。「がんばろう石巻」の看板の前で、何をどういう言葉で表したら伝わるんだろうかとか、考えていたんだけど。頭の中にある私の見た景色を、たとえば写真を通したとしても、その切り取った景色の一部と、足りない表現力ではどうにもカバーできず…こんなに長々と書いておいてアレだけど、なんか…ごめんなさい。ただ、どうしても言いたいことは、 <br />テレビで映している「一見悲惨そうに見える映像」は、「映せるレベルの映像」だってことです。報道している内容も、報道できる内容だけだってことです。

    今回実際に自分で被災地入りしてみて、その場に行けない人に少しでも状況が伝わればって思ってたんだけど…やっぱり私にはそんな大層なこと出来ないし、語彙力も無いし、とっても難しいです。「がんばろう石巻」の看板の前で、何をどういう言葉で表したら伝わるんだろうかとか、考えていたんだけど。頭の中にある私の見た景色を、たとえば写真を通したとしても、その切り取った景色の一部と、足りない表現力ではどうにもカバーできず…こんなに長々と書いておいてアレだけど、なんか…ごめんなさい。ただ、どうしても言いたいことは、
    テレビで映している「一見悲惨そうに見える映像」は、「映せるレベルの映像」だってことです。報道している内容も、報道できる内容だけだってことです。

  • テレビで見ること、聞くこと、それ以上の想像を遥かに超えた、とんでもない地獄で、あの人たちは今も生活してるって思ってください。

    テレビで見ること、聞くこと、それ以上の想像を遥かに超えた、とんでもない地獄で、あの人たちは今も生活してるって思ってください。

  • 東北の人はもともと、寒い地域で身を寄せながら、寒さをグッと堪えて生きてきた人たちだから、私たちが思う以上にとっても我慢強い人たちです。我慢できちゃうから、つらいことってあると思うんです。泣きたいのに泣けない。つらいって言いたいのに言えない。警察が、自衛隊が、ボランティアが、家族が助けてくれるから、自分たちが弱音なんて吐いていられない。そうやって食いしばって生きてます そんな姿を見て、何不自由なく生活している私はついつい涙してしまうけど、そこに泣けない人たちが命がけで生活してるっていうこと、知ってほしい。

    東北の人はもともと、寒い地域で身を寄せながら、寒さをグッと堪えて生きてきた人たちだから、私たちが思う以上にとっても我慢強い人たちです。我慢できちゃうから、つらいことってあると思うんです。泣きたいのに泣けない。つらいって言いたいのに言えない。警察が、自衛隊が、ボランティアが、家族が助けてくれるから、自分たちが弱音なんて吐いていられない。そうやって食いしばって生きてます そんな姿を見て、何不自由なく生活している私はついつい涙してしまうけど、そこに泣けない人たちが命がけで生活してるっていうこと、知ってほしい。

  • 「こんな風に壊れてた」「ここも流されてた」「あの人が亡くなってた」…そうやって被害を伝える方法もあるかもしれないけれど、でも、そうやってストレートに耳や目に届く情報だけじゃなく、その情報の裏側にある、もっともっと悲惨な現実があるってことを、ほんの少しだけでも良いから想像してみてほしいです。そうやって想像した、何倍、何十倍も酷い世界が、そこにあります。

    「こんな風に壊れてた」「ここも流されてた」「あの人が亡くなってた」…そうやって被害を伝える方法もあるかもしれないけれど、でも、そうやってストレートに耳や目に届く情報だけじゃなく、その情報の裏側にある、もっともっと悲惨な現実があるってことを、ほんの少しだけでも良いから想像してみてほしいです。そうやって想像した、何倍、何十倍も酷い世界が、そこにあります。

  • 土葬の瞬間を見ました。ヘドロに埋もれるおばあちゃんを見ました。ガレキの山を見ました。陥没した道路を見ました。流された船を見ました。跡形も無くなった先祖の墓地跡を見て泣く祖母を、励ますこともできませんでした。私が見てきたことって、何だったんだろう…。でもやっぱり私は行って良かった。自分の人生が、変わった気がしました。

    土葬の瞬間を見ました。ヘドロに埋もれるおばあちゃんを見ました。ガレキの山を見ました。陥没した道路を見ました。流された船を見ました。跡形も無くなった先祖の墓地跡を見て泣く祖母を、励ますこともできませんでした。私が見てきたことって、何だったんだろう…。でもやっぱり私は行って良かった。自分の人生が、変わった気がしました。

  • 写真は、津波の第二波がきた時間で止まった祖母宅の2階にある時計。家の改修が進んでも、この時計だけはずっとそのままにしているそうです。

    写真は、津波の第二波がきた時間で止まった祖母宅の2階にある時計。家の改修が進んでも、この時計だけはずっとそのままにしているそうです。

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