2011/05/04 - 2011/05/04
639位(同エリア813件中)
池彼方さん
ウラジオストク滞在中、朝食はホテルでとりました。
もともと宿泊代金にビュッフェ式の朝食が含まれていたのですが、これは大いに助かりました。
アジアのように朝でも何らかの店が開いていて食事にありつけるというわけにはいかないからです。
町の中心部まで行けば軽食のスタンドやファーストフードはあるのですが。
ホテルの朝食ビュッフェは世界中どこでも同じようなものですが、ロシアらしいものも置いてありました。
ブリヌイというクレープです。
ロシア人はブリヌイにハチミツや練乳をかけたり、あるいはハム、チーズなど塩気のあるものとあわせて食べています。
そもそも生地が甘いので何もつけずに食べるのが一番のように思いました。
ハムやチーズの水準は高くないようです。
市場経済に移行して競争原理が働くことにより少しは努力のカイがあらわれるかと思っていたのですが、それは甘い期待だったようです。
特にダメなのがソーセージで、混ぜ物が多いのか変にやわらかく風味に乏しいです。
もっとも高級ホテルに泊まれば、こことは違うものが出てくるのかもしれませんが。
泊まったホテルは中国人の宿泊客が多かったのですが、中国人らしい習慣としてお粥をチョイスする向きが多いようでした。
もっとも置いてあるお粥はオートミールだったので、彼らのお口に合うものかどうかは保証の限りではありません。
5月9日、10日と関西ローカルのテレビ局がウラジオストクから生中継をしていたそうです。
9日の放送を見ていた人から、アナウンサーがウラジオストクを評して「何も無い町」と言っていたと聞きました。
もし本当にテレビでそんなことを言っていたとしたら、残念なことではあります。
たとえばロシアのテレビ局が鹿児島か釧路あたりにやってきて生中継で「何も無い町」などといわれたらあまり感じが良いものではないでしょう。
まあもともと興味も何もないのに寒いところに行かされてのでは「何も無い」と毒づきたくなる気持ちもわからなくはないですが。
ウラジオストクは確かにこれといった見どころがあるわけではありません。
しかし明治大正昭和にかけてはるかヨーロッパに夢をはせた日本人たちが第一歩を記した港です。
あるいは大陸飛翔の志を立ててこの地で生活を始めた人々も少なくなかったことでしょう。
そんな先人たちの面影を探し求めながら彷徨うのがウラジオストクの醍醐味といえます。
ソビエト時代、ウラジオストクは外国人が一切立ち入ることのできない閉鎖都市でした。
外国人どころかロシア人でさえも立ち入ることが許されなかったといいます。
その昔、シベリア鉄道を利用する旅人はナホトカからハバロフスクに向かいました。
ナホトカはウラジオストクのすぐ東に位置する港町で、鉄道はウラジオストクの北部をかすめて、さらに北へと向かいます。
ウラジオストクが開放された現在、日本人にとってナホトカは半ば忘れられたも同然ですが、小樽、舞鶴、敦賀といった港町と友好関係を結んでいます。
実はソ連時代の最末期に横浜から船に乗ってナホトカに上陸し、シベリア鉄道でヨーロッパを目指したことがあります。
そのときはまさかソ連邦が崩壊して、ウラジオストクに外国人が足を踏み入れるようになるとは思いもよりませんでした。
ところでソビエト連邦の閉鎖都市ですが、ソ連崩壊後に消滅したのではなく今もなお存続しているといいますから驚くほかありません。
ロシア連邦だけで数十単位の地域が閉鎖都市とされ、その地域の人口を合計すると200万人にも及ぶといいます。
ウラジオストクの近くにもボリショイ・カーメニとフォキノが閉鎖都市として存続しているいいます。
いずれもロシア海軍太平洋艦隊の重要な拠点ということです。
太平洋艦隊の本部はウラジオストクの中心部にありました。
何の警戒も施されていないかのようで、カメラを手にした外国人旅行者も難なくアクセスすることが可能でした。
そのときはロシア海軍もオープンになったものだと感心したのですが、どうやらそれは甘い認識のようです。
ウラジオストクの本部は一種の将校クラブのようなもので、本当の心臓部は閉鎖都市にこそあるのでしょう。
21世紀に入って秘境などと呼べるところはほとんど無くなってしまった感がありますが、人類にとって残された最後のフロンティアは、今なお秘密のヴェールに閉ざされた閉鎖都市なのかもしれません。
閉鎖都市
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%89%E9%8E%96%E9%83%BD%E5%B8%82
閉鎖行政地域一覧
http://dvor.jp/zato.htm
ウラジオストクは至るところで工事が行われていました。
なんでも来年はロシアがAPECのホスト国で、ここウラジオストクが首脳会議の会場となるのだそうです。
来年のAPECに向けて大きな橋を二つも建設中でしたが、果たして会期までに間に合うのかどうか。
会議が行われるのはウラジオストクといっても対岸のルースキー島だといいます。
帰りのフェリーで見たところルースキー島はところどころに粗末な建物が点在するだけで、ほとんど手付かずのままのようにしか見えません。
ここに各国の首脳や随行員、報道陣を収容できるだけのホテルを建設することが可能なのか、首をかしげざるをえません。
さらにいいうと会議の後のことを考えているのかも疑問です。
これといった観光資源も無く、気候も厳しいウラジオストクが観光地になるとは考えにくいからです。
DBSフェリーのカフェには大画面のテレビが3台あって韓国や日本のテレビ放送を見ることができます。
NHKはBS1ではなく、基本的に地上波と同じ国際放送のほうでした。
ロシアのホテルではロシア語の放送しか見られなかっただけに、これはありがたいです。
旅行中に起きたビン・ラディン暗殺のその後など気になるところです。
神田アナの伊豆急行を旅するクイズ番組が延々と続いた(わさび丼はおいしそうでしたが)後で、ようやくニュースが始まりました。
まずゴールデンウイークの人出が戻ってきたというニュースを延々と流しています。
はとバスやら温泉旅館の映像が15分近く続いたでしょうか。
それから富山の食中毒や東電の社長が土下座しているニュースが流れました。
やがて震災後のボランティアについて堀田さんが講釈を垂れだしたので、しびれを切らして寝ることにしました。
隣のテレビはKBSのニュースを流していましたが、よほど中身の詰まったテンポの良いニュースを流していました。
日本在住者向けならあれでもいいのでしょうが、在外の日本人にはもっとニュースの内容を考えてもらいたいものです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
国境警備隊博物館の館内。
国境警備隊というとチャチなイメージがありますが、どうしてどうして軍隊並みの装備を持った組織です。
CCCPとはロシア語でソ連邦のこと。
ソ連時代の国境警備隊についても誇らしげに紹介されていました。
どうやらソビエト連邦は彼らにとって否定されるべき過去ではないようです。 -
木造の昔ながらの民家と高層アパート。
19世紀と21世紀が混在しているのもウラジオストクの魅力といえるでしょう。 -
駅前広場のマーケット。
季節柄、新鮮な食材は乏しく、冷凍の肉や燻製の魚が目立ちました。
ピクルスと並んでキムチが売られていたのは極東らしい光景といえそうです。 -
フェリーターミナルのビルに映るDBSフェリー。
ウラジオストクを去ることになって天気が回復してきたのが、なんとも恨めしかったです。 -
フェリーの食堂。
大きな写真は鳥取の大山ですが、ロシア人も韓国人もきっと富士山の写真だと思っていることでしょうね。
夕食は食べ放題で1万ウォンと船の食事にしてはかなりリーズナブルです。
それでも食費を浮かそうと食料を持ち込んでいるロシア人も少なくないようですが。
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