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品川に行ったついでに、今まで一度も参った事の無い、赤穂浪士四十七士の墓を見に、泉岳寺に行ってきました。<br />余りにも有名な忠臣蔵の世界が、グッとリアリティを持って、感じられました。<br />こんな近場の、歴史散策も楽しいですね。

赤穂浪士の墓参り@泉岳寺

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2011/05/23 - 2011/05/23

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こゆきん

こゆきんさん

品川に行ったついでに、今まで一度も参った事の無い、赤穂浪士四十七士の墓を見に、泉岳寺に行ってきました。
余りにも有名な忠臣蔵の世界が、グッとリアリティを持って、感じられました。
こんな近場の、歴史散策も楽しいですね。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満

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  • 5月いっぱいで店をたたむ、大森の「ケララの風」へ、<br />南インドのランチミールスを食べに行きました。<br />南インド形式のベジ料理で、彩りの美しい、体にも優しいカレーです。<br />今回もすこぶる美味しかった!<br /><br />閉店は残念だけど、又どこかで食べれるのを願っています。<br /><br />(追記:今はランチと、午後の軽食の営業だけをしているそうです)

    5月いっぱいで店をたたむ、大森の「ケララの風」へ、
    南インドのランチミールスを食べに行きました。
    南インド形式のベジ料理で、彩りの美しい、体にも優しいカレーです。
    今回もすこぶる美味しかった!

    閉店は残念だけど、又どこかで食べれるのを願っています。

    (追記:今はランチと、午後の軽食の営業だけをしているそうです)

  • 店頭には、今日のランチの食材が。<br />青バナナだ!

    店頭には、今日のランチの食材が。
    青バナナだ!

  • 品川で友人と分かれた後、一駅歩いて今まで一度も訪れた事の無い泉岳寺に行こう!と、急に思い立ちました(笑)<br />ここは、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士達の墓があるお寺。<br />今まで歌舞伎やら映画やテレビやらで、繰り返し取り上げられて来た、余りにも有名で、日本人が大好きな話だけど、こんな所が舞台だったのね〜。<br /><br />泉岳寺は、寛永18年(1641年)に、ここに移転したとか。 <br />*泉岳寺のhp<br />http://www.sengakuji.or.jp/

    品川で友人と分かれた後、一駅歩いて今まで一度も訪れた事の無い泉岳寺に行こう!と、急に思い立ちました(笑)
    ここは、「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士達の墓があるお寺。
    今まで歌舞伎やら映画やテレビやらで、繰り返し取り上げられて来た、余りにも有名で、日本人が大好きな話だけど、こんな所が舞台だったのね〜。

    泉岳寺は、寛永18年(1641年)に、ここに移転したとか。
    *泉岳寺のhp
    http://www.sengakuji.or.jp/

  • 「大石内蔵助の銅像」<br /><br />当時の風俗である元禄羽織を身につけ、<br />連判状を手にして江戸方向をじっとにらんでいる姿だそうです。<br />

    「大石内蔵助の銅像」

    当時の風俗である元禄羽織を身につけ、
    連判状を手にして江戸方向をじっとにらんでいる姿だそうです。

  • 途中に水琴窟が。<br />水を瓶の中に流し入れると、何とも繊細で涼やかな音色がします。<br />昔の日本人の感性は、本当に素晴らしい!

    途中に水琴窟が。
    水を瓶の中に流し入れると、何とも繊細で涼やかな音色がします。
    昔の日本人の感性は、本当に素晴らしい!

  • 「血染の石 血染の梅」<br /><br />浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。<br />梅は石の横手にありました。

    「血染の石 血染の梅」

    浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。
    梅は石の横手にありました。

  • 「首洗井戸」<br />ひょえ〜!<br />今まで歌舞伎や映画の演目だった話が、いきなり現実感を持って来ますね〜。<br /><br />

    「首洗井戸」
    ひょえ〜!
    今まで歌舞伎や映画の演目だった話が、いきなり現実感を持って来ますね〜。

  • 四十七士墓所への入り口<br />

    四十七士墓所への入り口

  • 主君である、浅野内匠頭の墓。<br /><br /><br />

    主君である、浅野内匠頭の墓。


  • 主君の墓のすぐ隣に、四十七士の墓が並んでいました。<br />墓の近さが、忠義の深さを感じさせてくれます。<br />観光客も頻繁に訪れていて、人気の高さが伺われました。<br />

    主君の墓のすぐ隣に、四十七士の墓が並んでいました。
    墓の近さが、忠義の深さを感じさせてくれます。
    観光客も頻繁に訪れていて、人気の高さが伺われました。

  • 義士達の配置図

    義士達の配置図

  • 入り口でお線香(100円)を購入。<br />係のおじさんに「九州の人だね」と、見破られました(笑)<br />線香の発音が、九州だそうですわw。知らなかった!<br />ごまかせないものですね〜。<br />同じ九州の方らしく、親切に解説してもらいました。

    入り口でお線香(100円)を購入。
    係のおじさんに「九州の人だね」と、見破られました(笑)
    線香の発音が、九州だそうですわw。知らなかった!
    ごまかせないものですね〜。
    同じ九州の方らしく、親切に解説してもらいました。

  • 「赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。<br />ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。<br />泉岳寺にある間新六の供養墓は他の義士の墓と一緒に建立されましたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。<br />また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります。(明和4年(1767年)9月建立)したがって泉岳寺の墓碑は48あります。」HPより<br />

    「赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
    ただし間新六の遺体は遺族が引き取っていきました。また寺坂吉右衛門は本懐成就後、瑶泉院など関係者に討ち入りを報告して廻り、のち江戸に戻って自首しましたが赦され、麻布・曹渓寺で83才の天寿を全うしました。現在も曹渓寺に眠っています。
    泉岳寺にある間新六の供養墓は他の義士の墓と一緒に建立されましたが、寺坂の墓は慶応4年(明治元年・1868年)6月に供養のために建てられたものです。
    また、いわゆる47士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります。(明和4年(1767年)9月建立)したがって泉岳寺の墓碑は48あります。」HPより

  • ひと際目立つのが、大石内蔵助の墓<br />

    ひと際目立つのが、大石内蔵助の墓

  • これは、堀部安兵衛の墓<br /><br />この様に、戒名に「刃」と「剣」の文字が入っていました。<br />これは、切腹の死を意味するのだそうです。<br />ただ一人生き残って天寿を全うした寺坂吉衛門の戒名は「刃」と「剣」の字がなく<br />「退身」の文字がつかわれているそうです。<br /><br /><br />

    これは、堀部安兵衛の墓

    この様に、戒名に「刃」と「剣」の文字が入っていました。
    これは、切腹の死を意味するのだそうです。
    ただ一人生き残って天寿を全うした寺坂吉衛門の戒名は「刃」と「剣」の字がなく
    「退身」の文字がつかわれているそうです。


  • 歴史ある界隈なので、泉岳寺裏手の感じのいい細道を探索です。<br />こんな井戸が、残っていましたよ。<br />いつまで、使われていたのかな?

    歴史ある界隈なので、泉岳寺裏手の感じのいい細道を探索です。
    こんな井戸が、残っていましたよ。
    いつまで、使われていたのかな?

  • 「旧細川邸のシイ」<br /><br />白金高輪駅の近くにあり、途中で切られてはいるけど、かなりな巨木です<br />(樹齢300年以上)<br />この地で、大石内蔵之助ら17名の赤穂浪士が預けられ、切腹をしたのだとか。

    「旧細川邸のシイ」

    白金高輪駅の近くにあり、途中で切られてはいるけど、かなりな巨木です
    (樹齢300年以上)
    この地で、大石内蔵之助ら17名の赤穂浪士が預けられ、切腹をしたのだとか。

    白金高輪駅

  • それから、おしゃれな白金のプラチナ通りを抜け、偽シロガネーゼな気分になってたら、こんな古い素敵な洋館を見っけ!<br />日本のレトロな洋館好きとしては、見逃せません。<br />気になって調べたら、旧渡辺甚吉邸 1934(昭和9)年に建築で、今では結婚式会場みたいです。<br /><br /><br />ここのHP。ランチもやってるみたいだから、中見たいかも〜<br />http://www.jinmu-shirokane.com/history/index.html<br /><br />そのままてくてくと歩き、恵比寿ガーデンプレースで終着!<br />都内のそぞろ散歩も、又楽し・・・・・<br />

    それから、おしゃれな白金のプラチナ通りを抜け、偽シロガネーゼな気分になってたら、こんな古い素敵な洋館を見っけ!
    日本のレトロな洋館好きとしては、見逃せません。
    気になって調べたら、旧渡辺甚吉邸 1934(昭和9)年に建築で、今では結婚式会場みたいです。


    ここのHP。ランチもやってるみたいだから、中見たいかも〜
    http://www.jinmu-shirokane.com/history/index.html

    そのままてくてくと歩き、恵比寿ガーデンプレースで終着!
    都内のそぞろ散歩も、又楽し・・・・・

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