2011/03/28 - 2011/04/01
111位(同エリア399件中)
みつひとさん
2011年3月11日に発生した宮城県沖地震とそれに伴う大津波により、犠牲になられた方には心からご冥福をお祈りし、被災をされた方には心よりお見舞い申し上げます。
また、地震、津波発生直後より世界各国より救援、支援に心から御礼申し上げます。
私自身は東京勤務、在住であるため、地震発生日こそ帰宅に苦労をいたしましたが、それ以降はごく一部の生活の不便はあったにせよ、すぐにほぼ普段どおりの生活に戻りました。
しかしながら今回の震災で私の勤める会社の東北支店の人間も被災をし、また東北地方のお取引様も被災をされている状況であったため、東京から東北へお客様のお見舞いと東北支店の応援に2名の社員を派遣することとなりました。1名は東北出身で東北支店から東京に異動になっている者と、私が選任されました。私自身は正直申し上げて、東北地方に縁は全くと言っていいほどなく土地勘もありませんが、東北出身の人間ともう1人を社内で検討した結果、
「海外旅行によく1人で行っており現地で何らか困っても、何とかしてくる」
という理由で選ばれました。最初は躊躇しましたが、周りの方の励ましの言葉と期待に応えたいという気持ちで行くことに決断しました。
幸いにもお取引先には被害それほど大きくありませんでした。困難な中、震災翌日から営業を再開したところもあり勇気付けられました。
2011年を振り返ったときに東日本大震災は大きな出来事でした。この内容をフォートラベルに投稿しても良いものかどうか悩みましたが、自分自身の気持ちや考えを一度整理したいと思い投稿することにいたしました。被災された方には、失礼に当たったり不適切な表現があるかもしれませんがお許しください。従いましてこれは旅行記ではありません。
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地震から約2週間の経過した3月28日に東京から車で出発しました。
東北自動車道は全通していましたが、道路は一部に段差やアスファルトのゆがみがありました。 -
多くの自衛隊の車両が走っていました。
自衛官の皆様の活躍に感謝です。 -
今回、一番苦労したのがガソリンです。
訪問した、福島県郡山市、福島市、仙台市、盛岡市では、仙台と福島では閉店しているお店が多く、開いていても大行列でした。給油できても10リッターの制限がほとんどのところであり、開いているお店を見つけては給油をしながら進みました。 -
仙台に着きました。
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仙台市内の中心部では外観で写真のような壁に亀裂の入ったビルもありましたが、それ以外は道路もスムーズで都市生活は通常に戻りつつある状況でした。
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仙台市内に宿泊。
ホテルは閉鎖や満室が多くようやく確保しました。
但し水はでるもののお湯は出ず、また空調も使えない状況でした。寝る場所があっただけ良かったです。 -
仙台から盛岡へ移動
宮崎からの支援物資を運んでいるトラック
「赤ちゃんSOS」
との文字があるので恐らく赤ちゃん向けのおむつやミルクをのせているのでしょうか。
地震の被害が直接自宅などになかった人でも、物流がストップしてしまったことにより、食べ物や生活必需品が手に入らず困った人も大勢いたと思います。
特に赤ちゃんのような弱者が困っているところに、遠くから駆けつけるこのトラック。
本当に感謝です。 -
岩手県庁
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岩手県庁前には多くの自衛隊車両が止まっていました。
震災発生当初から豊富なマンパワーで多くの被災者を救い、今もなお被災地で活動する自衛隊の皆様には敬意を表します。
地方自治体と自衛隊がガッチリとタッグを組んでこの未曾有の震災を乗り切って欲しいです。 -
コンビニエンスストアーは商品は豊富ではないものの、オープンしているお店もありました。しかし写真のように窓ガラスに目張りをして外から内部が見えないようにしていました。これは一部で横行していた略奪に対応するためと聞きました。
一日も早く物流がもとに戻り平穏な日々が戻ることを祈ります。 -
営業を再開していたスーパーのヨークベニマル涌谷店
最大規模の被害が出た石巻市から約20kmの場所ですが、品数はかなり豊富でした。 -
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イオン石巻
地震直後には避難所となり、店内にあった食品などを周辺住民に配布するなど商売を度外視した活動をされていたそうです。
また営業再開にも早期にこぎつけ、周辺住民のライフラインとなったそうです。 -
ガソリンスタンドに出来る長打の列
水、ガス、電気、道路だけでなく、ガソリンも大切なライフラインであると言うことを思い知った震災でした。 -
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押し流された自動車が運河の堤防にぶつかり集まったようです。
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未だ通行止めの道路が多数ありました。
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津波の跡が一階の窓を超えています。
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東松島市内に入りました。
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田畑にも塩水が入っており、また収穫できるか心配です。
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松島です。
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文化財の被害はあったものの、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり津波の勢いを弱めたため、周辺と比べると被害は少なかったそうです。
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塩釜港
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仙台東部道路周辺です。
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仙台東部道路は仙台市内の太平洋側を南北に走る自動車道路です。
一部区間が盛り土構造になっており、堤防の役割をし津波の内陸への侵入を防いだそうです。
この道路の東西で被害の状況が全く違います。 -
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仙台東部道路の上から太平洋側の状況。
流された自動車が散らばっています。 -
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名取市閖上地区
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仙台空港周辺
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この辺りは海岸から数キロ離れており、家を建てる際に津波の想定をしていた人が多くいたとは思えません。
しかし川の右岸と左岸や数メートルの高低差で被害の状況が全く違う場合があり、偶然建てた場所により助かった家もあったように思います。 -
先ほどの橋の先ではコンビニが開店準備をしていました。
こちら側は人が生活している雰囲気がありましたが、反対側は人の気配が全くなく、静かで不気味な感じでした。 -
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今回の震災では多くの尊い命が奪われ、さらに大地に深い爪跡を残しました。
いつ何時また震災が起こるとも限りません。
このような悲劇や被害が出来るだけ大きくならないように、今回の震災をしっかり教訓として研究し語り継いでいかないといけないと思いました。
東北が早期に復興することを祈ってやみません。 -
河北新報本社ビルの外壁
がんばれ東北地方!
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この旅行記へのコメント (2)
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- 真@tokyoさん 2012/01/10 00:08:08
- 震災直後の現地出張大変でしたね
- みつひとさん
3月28日というと直後みたいなものですね。
ご苦労様でした。
私は友人が石巻におり、そんな関係で大震災前後に石巻に行きました。
震災前(2月末)は、市内見学や遠方まで足を伸ばしての水産業中心の都市の見学でしたが、その後の状況が気にかかり7月に訪問しました。瓦礫は一箇所に片付いてはいましたが、市民生活の苦労さは変わらないようでした。友人はマンションの5階でしたので物的被害はありませんでしたが、水が引かず4日ぐらいは動きが取れなかったようです。
みつひとさんの写真はリアルで訴える力が強いです。
ありがとうございました。
ではまた、
- みつひとさん からの返信 2012/01/11 01:03:36
- RE: 震災直後の現地出張大変でしたね
- 度々の書き込みありがとうございます。
旅行記にも記載したとおり、私は東北地方に
親戚や縁者もおりません。
そんな私でも現地では被害の状況に驚き
少なからずショックを受け、今でもあの光景
は頭の中にくっきりと残っています。
であればなお、その地域に住んでいた方や
東北地方出身の方のお気持ちは想像して
余りあると思います。
私自身は何もできません。
ただ忘れずに応援はしていきたいと
思うのみです。
書き込みありがとうございました。
みつひと
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