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江戸東京博物館で開催された<br />「安政の江戸大地震150年」展(2005年9月1日~2005年10月16日 )<br />を元に、大地震の人びとの様子を紹介します。<br />一部、展示外の写真(撮影日明記)も交えています。<br />合掌。<br />

震源は、東京湾北部の深さ40~50km、規模はマグニチュード7.0~7.2、安政の江戸大地震の巻

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2005/09/10 - 2005/09/10

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一歩人

一歩人さん

江戸東京博物館で開催された
「安政の江戸大地震150年」展(2005年9月1日~2005年10月16日 )
を元に、大地震の人びとの様子を紹介します。
一部、展示外の写真(撮影日明記)も交えています。
合掌。

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル

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  • 1 安政期の世相(1854〜1860)<br /><br />安政とは、世情の安定を願っって変えられた元号でしたが。<br /><br />「日米和親条約締結の地」の碑文によれば、<br />安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。<br /><br /><br /><br />(撮影:2005年5月18日、神奈川県横浜市中区日本大通3 開港広場内) <br />

    1 安政期の世相(1854〜1860)

    安政とは、世情の安定を願っって変えられた元号でしたが。

    「日米和親条約締結の地」の碑文によれば、
    安政元年(1854年)2月から3月にかけて、日米代表が横浜村の海岸で会見、和親条約を結んだ。



    (撮影:2005年5月18日、神奈川県横浜市中区日本大通3 開港広場内)

  • 2 地震の被害<br /><br />関東平野の広い地域で震度5の揺れ、江戸市中の一部で震度6以上の強い揺れが。<br />また、この地質の有感範囲は、北は青森県東部、西は京都府北部から大阪府に及んだ。<br />江戸市中で大きな揺れは、丸の内から神田につづく一帯、下谷、本所、深川だった。<br />延焼地域は1.5k?に及び、火災は翌3日の午前中には鎮火した。と。<br /><br />回向院門前案内によれば、<br />安政大地震の死者2万5千人余を埋葬した。と。<br /><br /><br /><br /><br />(撮影:2008年12月25日、東京都墨田区両国2丁目回向院門前) <br />

    2 地震の被害

    関東平野の広い地域で震度5の揺れ、江戸市中の一部で震度6以上の強い揺れが。
    また、この地質の有感範囲は、北は青森県東部、西は京都府北部から大阪府に及んだ。
    江戸市中で大きな揺れは、丸の内から神田につづく一帯、下谷、本所、深川だった。
    延焼地域は1.5k?に及び、火災は翌3日の午前中には鎮火した。と。

    回向院門前案内によれば、
    安政大地震の死者2万5千人余を埋葬した。と。




    (撮影:2008年12月25日、東京都墨田区両国2丁目回向院門前)

  • 3 地震発生<br /><br />発生は、安政2年(1855年)10月2日の夜四つ時(午後10時頃)、<br />震源は、東京湾北部の深さ40〜50kmで、<br />規模はマグニチュード7.0〜7.2と考えられています。<br /><br />江戸市中の地盤は、台地、侵食台地、埋立地の大きく3つ。<br />台地は、山の手と呼ばれ地盤が固く、被害が少なく、<br />一方、江戸初期の埋立地の日比谷の入江は、地盤が軟弱で、おおきな被害を出した。<br /><br /><br />(撮影:2003年10月13日、常設展示「関東大震災コーナー」) <br /><br />

    3 地震発生

    発生は、安政2年(1855年)10月2日の夜四つ時(午後10時頃)、
    震源は、東京湾北部の深さ40〜50kmで、
    規模はマグニチュード7.0〜7.2と考えられています。

    江戸市中の地盤は、台地、侵食台地、埋立地の大きく3つ。
    台地は、山の手と呼ばれ地盤が固く、被害が少なく、
    一方、江戸初期の埋立地の日比谷の入江は、地盤が軟弱で、おおきな被害を出した。


    (撮影:2003年10月13日、常設展示「関東大震災コーナー」)

  • 4 助けあう人びと<br /><br />10月2日に地震が発生すると、早くも3日後の10月5日に、徳川幕府によるお救い小屋が開放された。<br />10月13日から19日にかけては炊き出しも行われ、延べ20万2400人に握り飯が配られた。<br />そして、11月15日から24日には、38万1200人にお救い小屋が支給された。と。<br /><br /><br />お救い小屋は、長い丸太を組んで建てられ、入り口には筵(むしろ)がさげられた。<br />小屋の中は、板の上に畳が敷かれ、屋根はわらを編んだ「とば」葺き、<br />あるいはこけら葺きであった。<br />幕府の下で小屋の建設を請け負う者は、これらの建設資材や板・障子・雨戸を<br />常備しており、火急の際には、速やかに小屋を建てる体制がとられていた。と。<br />

    4 助けあう人びと

    10月2日に地震が発生すると、早くも3日後の10月5日に、徳川幕府によるお救い小屋が開放された。
    10月13日から19日にかけては炊き出しも行われ、延べ20万2400人に握り飯が配られた。
    そして、11月15日から24日には、38万1200人にお救い小屋が支給された。と。


    お救い小屋は、長い丸太を組んで建てられ、入り口には筵(むしろ)がさげられた。
    小屋の中は、板の上に畳が敷かれ、屋根はわらを編んだ「とば」葺き、
    あるいはこけら葺きであった。
    幕府の下で小屋の建設を請け負う者は、これらの建設資材や板・障子・雨戸を
    常備しており、火急の際には、速やかに小屋を建てる体制がとられていた。と。

  • 5 あふれる情報<br /><br />地震を起こすとされた鯰は、人びとに殴られたり、神々にこらしめられたりする悪者として描かれています。<br /><br />この「しんよし原大なまづゆらひ」では、<br />地震で多大な被害を受けた吉原の遊女や遊客が、口々にののしりながら、大鯰を殴る、打つ、蹴るなどをしている様子を描いたものです。と。<br />でも、張本人の大鯰は、花魁(おいらん)たちに乗られて喜んでいるようです。<br /><br />

    5 あふれる情報

    地震を起こすとされた鯰は、人びとに殴られたり、神々にこらしめられたりする悪者として描かれています。

    この「しんよし原大なまづゆらひ」では、
    地震で多大な被害を受けた吉原の遊女や遊客が、口々にののしりながら、大鯰を殴る、打つ、蹴るなどをしている様子を描いたものです。と。
    でも、張本人の大鯰は、花魁(おいらん)たちに乗られて喜んでいるようです。

  • 6 地震観と防災<br /><br />江戸時代の人びとは、地震をどのように考えていたか。<br /><br />日本人が考える地震の原因には、中国の影響を強く受けています。<br />一つは神罰の観念で、<br />天子が不徳で王道に背くとき、天の警告で地震が起こるとする考え。<br />もうひとつは、陰陽道の思想の影響を受けたもので、<br />地中の陽気(風や火)が外に出る時、地の上部を厚く覆う陰気を破壊するため、震度が生じ地震となるという考え方。と。<br /><br />「安政見聞誌 下」では、<br />浅草の眼鏡屋にあった磁石に付いた釘が、地震の起こる前に一斉に落ちたことから、<br />考案された地震予知機の図面。磁石についていた鉄の針が離れて留め金がはずれると、、<br />鐘を鳴らし、地震が近いことを知らせる仕組み。<br /><br />おしまい。<br />合掌。<br />

    6 地震観と防災

    江戸時代の人びとは、地震をどのように考えていたか。

    日本人が考える地震の原因には、中国の影響を強く受けています。
    一つは神罰の観念で、
    天子が不徳で王道に背くとき、天の警告で地震が起こるとする考え。
    もうひとつは、陰陽道の思想の影響を受けたもので、
    地中の陽気(風や火)が外に出る時、地の上部を厚く覆う陰気を破壊するため、震度が生じ地震となるという考え方。と。

    「安政見聞誌 下」では、
    浅草の眼鏡屋にあった磁石に付いた釘が、地震の起こる前に一斉に落ちたことから、
    考案された地震予知機の図面。磁石についていた鉄の針が離れて留め金がはずれると、、
    鐘を鳴らし、地震が近いことを知らせる仕組み。

    おしまい。
    合掌。

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  • 潮来メジロさん 2015/05/31 16:27:34
    安政の地震予知機・・・(@。@)
    一歩人さん、こんにちは! ヾ(^o^)
    毎度、訪問&投票ありがとうございました。

    > 「安政見聞誌 下」では、
    > 浅草の眼鏡屋にあった磁石に付いた釘が、地震の起こる前に一斉に落ちた
    > ことから、考案された地震予知機の図面。磁石についていた鉄の針が離れ
    > て留め金がはずれると、鐘を鳴らし、地震が近いことを知らせる仕組み。

    「大地震が発生すると地磁気が変化する」という話を聞いた事がありますが、江戸時代にすでに知られていたというのは驚きですね。
    経験から学んだ先人の知恵・・・という事なのでしょうが、どれくらい前に異常が検知されたんでしょうね。興味がわきますね。

    ではまた・・・。(^o^)/~~~
      (潮来メジロ)

    一歩人

    一歩人さん からの返信 2015/06/02 13:45:33
    RE: 安政の地震予知機・・・(@。@)
    潮来メジロさんへ
    いつもバードウオッチングを楽しませていただき
    ありがとうございます。

    実は、上野の科博で富士山の宝永の大噴火展も昔やっていて
    地震と噴火の2本立てを当時検討していましたが、
    投稿には、至っていません。

    そうこうするうちに、近年の天災は現実味を帯びるようで、
    恐いですね。

    失礼しま〜す♪

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