2011/01/14 - 2011/01/15
76位(同エリア218件中)
Licodさん
- LicodさんTOP
- 旅行記69冊
- クチコミ111件
- Q&A回答0件
- 174,837アクセス
- フォロワー22人
魏志倭人伝が伝える韓半島中央部の帯方郡から邪馬台国までの道のりのなかで、現在、比定出来るのは、狗邪韓国(伽耶)、對海国(対馬)、一大国(壱岐)、末濾国(松浦)、奴国(博多)、そして伊都国である。ここより先、邪馬台国までの路程は、今もなお論争が続いている。邪馬台国を巡っては、九州説、大和説以外にも日本列島外の場所を唱えるものまでありますが、何れにしろ近い将来、この日本古代史最大の謎が解き明かされることを待ち望んでいます。
魏志倭人伝に記述された倭人の国々のなかで、一番詳しく書かれているのが伊都国である。国名に当てられる漢字からして伊都国は別格扱いとも言われているが、この地から出土されている品々からも何か特別な国であったことが想像できる。
伊都国の王墓から出土した副葬品の数々を展示した伊都国歴史博物館の見学を中心にその周辺を散策しました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
羽田を離陸。
-
離陸から1時間20分程、山口県 蓋井島
-
玄界灘に浮かぶ地島
-
大島
-
勝島と草崎
-
志賀島と糸島半島
九州は雲に覆われていました。 -
海の中道と能古島
-
筑前前原駅
ここから伊都国歴史博物館へ行くコミュニティバスが出ていますが、1日数本しかないので、バスの時間に合わせての見学になります。 -
駅前の前原市観光協会でコミュニティバスの時刻表と周辺の観光案内図を入手。
-
コミュニティバス
AM10:30発の井原山入口行きに乗車、乗客は4,5名でした。 -
バスは多少大回りをして、30分程で伊都国歴史博物館前に到着。
バス停は写真の旧館側にありますが、こちらの入口は閉まっていてここからは入館できません。 -
伊都国歴史博物館入口
-
エントランスに入ると、まずは西日本と韓半島南部の大きな地図が掲示されています。
伊都国から狗邪韓国(伽耶)と現在の広島は、ほぼ同じ距離です。
この地理条件なら、伊都国を中心とした九州北部は、韓半島南部との繋がりや影響を受けないわけがなく、同一文化圏とか、倭人住居圏と云われるのも十分に理解できる距離感です。
そして、この地図に敢て大和を外している事に、魏志倭人伝の記述がこの地図の範疇であると意図しているのを感じました。(パネルには、そのような記載はされていませんが、) -
狗邪韓国と伊都国の間を対馬と壱岐がほぼ等間隔で海峡を結んでいます。
船による島伝いの人的交流や物資の運搬は、意外と簡単だったかもしれません。 -
3階へ上がると、準構造船の模型が展示されていました。
対馬海峡を渡るには、思っていたよりかなり小さめ(全長7m)で簡素な造りの船でした。
この程度の船だと、波や風の状態がよほど良くないと長距離の航海は難しいのでは、せいぜい玄界灘に浮かぶ島々への移動に使われたのだろうか。
井戸枠に使われた当時の船の廃材から大きさを想定。 -
このぐらいの船だと、人の渡航も安全性が増しますし、伽耶で造られた鉄器も運搬が可能ではないかと思いますが、当初日本列島にいなかった馬の輸送となると更に大きな船がこの時代にもあったと考えられます。
【博多ポートタワーの展示室にて撮影】 -
伊都国の誕生
-
3階の常設展示室「伊都国の世界」は、周辺の遺跡から出土した国宝だらけの部屋。
-
平原王墓の復元
王の墓なのか、それとも有力なシャーマンのものなのか。
女王卑弥呼のより数世代前のものだが、卑弥呼との血縁関係はあったのだろうか。 -
平原王墓から出土した40面の銅鏡で最大のもの。
直径46.5cm、重さ約8kgは、世界最大の銅鏡。 -
銅鏡は、割られて副葬される。破片が欠落しているのは、他の場所で割られてから埋葬した為。
-
ガラスの勾玉
形や大きさから胎児に見えます。
他の装身具の副葬品からみて、女王か女性のシャーマンの墓だったのでしょうか。 -
大刀
平原王墓から三種の神器である鏡、玉、剣が副葬品として出土している。 -
さらに平原王墓は、日向峠と関係を指し示す形跡が見つかっている。
筑紫の日向といえば、天孫降臨の地の候補地のひとつですが、三種の神器と合わせ日本の神話の世界との接点のような遺跡であると思います。 -
博物館の最上階の展望スペースより、加也山を望む。
伊都国より、北の方角に位置するこの山は、故郷の伽耶を偲ぶ渡来人たちが名付けたのだろうか。それとも、この山を目指し渡ってきたのか。 -
博物館より西へ徒歩10分程のところにある細石神社。
-
前原市観光協会で入手した「伊都国散策マップ」によると、国歌「君が代」の歌詞の起源がこの地域にあるという説を紹介しています。
-
-
-
小さな石が固まって出来た細石なるものがあるかと思い、境内を探しましたがありませんでした。この後、博物館へ戻り館員の方に細石について尋ねたところ、昔はあったようだと話してくれました。
-
細石神社から県道を渡って直ぐの所に、三雲南小路遺跡があります。
-
弥生時代の王と王妃が埋葬された墓だと考えられています。
-
出土した王の棺
-
ファームパーク伊都国
博物館にはレストランやカフェなどはなく、受付で尋ねたところ、このファームパーク内に食事処があるとのことで行ってみました。
その名も「ひみこ」という郷土料理を出す食堂があったのですが、既に昼も2時を回っていたので完売とのことで食事はできませんでした。 -
川原川と高祖山
-
川岸にも魏志倭人伝の一節が。
-
伊都国があった平野部
-
帰りは、伊都国歴史博物館を14:58に出るバスで波多江駅西停留所で下車しました。
-
筑肥線で博多へ
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- sonetさん 2011/07/03 20:32:45
- ありがとうございます。
- 自分の地元です。家の近くばかりで嬉しかったので投票しました。
しかし、よりによって何故前原に?
- Licodさん からの返信 2011/07/05 00:32:55
- RE: ありがとうございます。
sonetさん はじめまして、こんばんは
ご訪問ありがとうございます。
伊都国歴史博物館や周辺の遺跡に行くのに、コミュニティバスが出ている前原駅へ行きました。また、駅前には前原市観光協会があるので、何かネットでは取れない地元の情報や案内地図の入手が出来ると思い立寄らせてもらいました。
それにしても前原周辺には、古代史に関係する見所が数多くありますね。次回も福岡に行った際には、是非また訪れたいと思います。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
39