![今日が観光の最終日です。<br />35名の大部隊の海外旅行も、無事に最終章を迎えました。<br />ジジババは日本国内でも美術館・博物館にはよく足を運びますが、人気の展示会はいつもとても混雑していますし、展示物は決まってガラス越しでしか鑑賞できません。そして何故でしょうか、やけに目と足が疲れてしまうのです。薄暗い会場の中で展示物だけを明るくするスポット照明と、床の素材が関係しているのではないかと勝手に考えています。<br />プラドの展示はどうでしょうか、近くで見られるでしょうか。<br />スペインではトレドに行くべしと言われる世界遺産「古都トレド」、期待が膨らみます。<br />写真はご存知、トレドです。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/55/27/650x_10552750.jpg?updated_at=1300265256)
2009/03/14 - 2009/03/14
573位(同エリア814件中)
フラワーさん
今日が観光の最終日です。
35名の大部隊の海外旅行も、無事に最終章を迎えました。
ジジババは日本国内でも美術館・博物館にはよく足を運びますが、人気の展示会はいつもとても混雑していますし、展示物は決まってガラス越しでしか鑑賞できません。そして何故でしょうか、やけに目と足が疲れてしまうのです。薄暗い会場の中で展示物だけを明るくするスポット照明と、床の素材が関係しているのではないかと勝手に考えています。
プラドの展示はどうでしょうか、近くで見られるでしょうか。
スペインではトレドに行くべしと言われる世界遺産「古都トレド」、期待が膨らみます。
写真はご存知、トレドです。
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朝の散歩できれいな桜とツーショット。
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まだ静かな朝の町。
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8:30出発。
車窓の風景。 -
子供たちが喜びそうな牛さん。
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街の教会。
イベリア半島は8世紀初めからイスラム勢力の支配を受けていましたが、マドリードもその例外ではありません。現在の王宮の辺りにはイスラムの砦があったといわれています。
その後半島北部でキリスト教徒が力を蓄え、やがてレコンキスタに発展しその波はマドリードにも押し寄せました。
1083年にはアルフォンソ6世がイスラム教徒の砦を奪回しました。スペインにおけるレコンキスタは1492年にグラナダで完了しましたが、マドリードから400年以上の年月がかかりました。 -
市街地の車も増えてきました。
マドリードはスペインの首都で人口は約300万人です。スペインの政治、経済、文化の中心として発展してきました。 -
プラド美術館の入場口です。残念ながら内部はすべて撮影厳禁です。
もう一つ残念だったのは、この美術館で働く職員の我々を受け入れる態度が、やけに事務的でかつ上から目線だったことです。
入場者に対するホスピタリティの精神が欠如していました。
ここにはスペイン王家の人たちの肖像画や、スペイン出身または在住の画家であるベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品が多く所蔵されています。 -
3時間、名画を沢山鑑賞してプラドから出てきました。
でも疲れはありませんでした。
いまは市内のバス観光中です。 -
「POLICIA」です。
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市内の緑地帯にはほっとします。
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街のシューシャインおじさん。
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王宮の一部だったと思います。
スペイン王家の宮殿です。一度火災で焼失しましたが、フィリペ5世の命によって再建され1764年に完成しました。 -
広い王宮広場の前で。ここも時間の関係で外から眺めただけでした。
こういう観光スポットは危険です。宮殿近くで信号待ちしていると、ジジの右に若いカップルが来ました。信号が青になり歩き始めたその瞬間、カップルの女性の細い右手が、前を歩くわが同胞(男性)の本革のショルダーバッグのふたと本体の隙間にすべり込もうとしています。ジジの目の前で堂々とやってます。
ジジはとっさに大きな声で「コラ!なにやってるんだ」と言って、彼女の腕をビシッと叩きました。彼女は手を引っ込めジジを見て、無言のまま彼と歩き去りました。
こんな時には大きな声で日本語で、が効果的です。同胞は今のことに気づかなかったので、お話しておきました。 -
スリの続きになりますが、いま起こったことを添乗員さんに報告し、皆さんが各自気をつけるよう伝達しました。その後の市内散策中には別の男性がジジのそばに来て、「いま自分で撃退しました」と誇らしげに報告してくれました。
少しは役に立てたみたいです。被害がなくて良かったです。
街の写真と関係ないコメントになり、申し訳ありません。 -
信号待ちの人たち。
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これからオプショナルツアーで古都トレドに行きます。
高速道路(または自動車専用道路)を建設中でした。 -
トレド市に入ったようです。
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岩山の下に川が流れています。
いよいよ古都が近いようです。 -
トレドの古い町の一角でしょうか。
歴史的建造物が多く残る古都として、世界遺産に登録されています。 -
タホ川(ポルトガルではテージョ川、リスボンで海に出ます)に抱かれるような丘にあるトレドは紀元3世紀にローマ人が作った町で現在の人口は1万2千人、その昔は4万人でした。
主な産業は観光業で、そのほかの住人は郊外の工場や、マドリードに通勤しているそうです。 -
タホ川の下流方面の眺め。
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バスで橋を渡り町に入って行きます。
上流にかかるサン・マルティン橋。 -
ここが旧市街への入り口の一つ、太陽の門です。
バスはここを通れませんので迂回します。 -
桜が満開です。
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歴史の町の始まりです。
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何やら古い建物があります。
トレドは古代ローマ時代から要塞都市として栄えました。
イスラム時代には、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教それぞれがお互いに尊重しながら共存していました。
民族や宗教を超えた活発な交流が、トレド独自の文化と街並みを作っていきました。 -
坂の町ですからこうしてひと休みする観光客がたくさんいます。
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狭い坂道の連続です。
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どこにいるのか、地図を持って歩いても分からないと思います。
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大聖堂の尖塔が見えます。
ここもかなりの坂です。 -
この車の前にいままで車止めの太い金属棒が、道の真ん中に立っていました。それが静かに道の中に沈んでいきました。
タクシーはリモコンで金属棒を道の中にしまえるとのことです。 -
これは何でしょうか?
街歩きも目的をもって行かないとこうなりますね。 -
大聖堂の獅子の門です。
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小さい菓子パンやさんです。
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このぐらいの広い道もあります。
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繁華街です。
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トレドには教会、修道院、カテドラルそして回教寺院や美術館など、沢山の見所が旧市街に詰まっています。
しかし添乗員さん任せの街歩きですと、結局どこがどこだか分からず、帰ってから写真を見てもコメントを書けなくなります。
ここトレドも地図を片手に道を探しながら観光すれば、思い出も色濃く残るはずです。
もう一度来ようにも遠すぎますからね。 -
この落書きは残念ですね。
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あの橋を渡ってトレド旧市街からお別れのようです。
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サン・マルティン橋への道標です。
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要塞都市の面影を残す城壁。
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サン・マルティン橋の上で、西陽に当たるジジ。
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よく歩きました。
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水量豊富なタホ川。
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もうバスに戻りました。
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車窓の風景。
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マドリードに向けてバスはひた走ります。
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夕暮れの町とTOYOTA。
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マドリードはすっかり夜になりました。
スペイン・ポルトガル13日間の旅行も、ここマドリードに一泊して日本に帰るのみとなりました。
スペインの広さ、レコンキスタ、多くの教会、親しみやすいお国柄、おいしい食事、大航海の歴史、ポルトガルの大西洋、小さいきれいな街、伝統の文化・芸術そしてイスラム教とキリスト教のせめぎ合いの舞台等など意義深い旅行となりました。 -
3月15日(日)9:50マドリード発、チューリッヒで乗り継ぎして成田に帰ります。マドリードの空港で牛さんをバックに最終撮影となりました。
旅行は頭と体の活性化に役立ちます。これからもチャンスがあれば行きたいと考えています。
最後になりますが、拙い写真と文面にお付き合い下さりどうもありごとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 4nobuさん 2013/02/23 21:59:57
- 勉強になりました
- 4nobuこと402igasです。
度々のご投票ありがとうございます。4トラにも寄稿なさってられることがわかり訪問しました。イギリス紀行についで今年行く予定のスペインをまだ全部ではありませんが読ませていただいてます。
・詳しい説明で私には予習として大変参考になりました。スペインについで行くウェールズの計画がやっと済んだ所でスペインの計画はこれからなのです。
・桜のいい季節で良かったですね。意外と春がはやいんですね。私は5月中旬からなのです。
・日本人を上から見るのはラテン系の通弊ですね(フランスやイタリアでも)。うがった言い方ですが思慮のない下層の人々のゲルマン系やアングロサクソン系へのコンプレックスかもしれません。日本人が韓国など東洋系に優越感を持っているのと同じではと私には思えるのですが。
・私はもう20年ほど前の初めてのマドリードでの事を思い出しました。背中に痰を掛けられた経験があります。その時は「汚れている」と声をかけられましたが怪しいとお礼も言わずに立ち去りました。後でお礼を言わなかったのを悩んだのですが実際にはどちらだったのでしょうね。同じようなことがやはり問題の多いブリュッセルでリュックの背中のチャックが開いているよと忠告を受けたことがあります(どうも私が締め忘れていたらしい)。この時はまず身分証明書をかざしてからの忠告でした。スマートですね。
- フラワーさん からの返信 2013/02/24 13:32:21
- RE: 勉強になりました
- 4nobuさま
スペインまでお目通し下さり有難うございます。今回行くまでのイギリスの印象は、28年前に経験した彼らの上から目線でした。これもたまたまそういう目つきの人と出合ったからかもしれません。また当時は私もそこかしこで歩きタバコをしていましたから、今回の中国人を非難する資格はないでしょう。
4トラを始める前にはイタリア、ドイツ・オーストリアのツアーも行きましたが今から旅行記は作れません。
ウェールズ南部は以前「鉄道の旅」で見た記憶があります。小さな街に住む人たちが街をこよなく愛している様子を覚えています。またお孫さんとご一緒ですか? 旅を楽しむご様子が目に浮かびます。
私たちは4月上旬にテキサス州フォートワースとテネシー州ナッシュビルに、6月はカンボジアツアーに参加する予定です。前記はカントリーミュージック大好きご夫妻と、後記はツアーで知り合った2組4名の方と参加します。
海外では私も危険な目に遭ったことがあります。
・夜のシャンゼリーゼでオカマ(?)またはスリに後をつけられたがうまく 巻いた。立ち止まると相手も立ち止まりウィンドーを見る仕草、歩き始め るとその男も。そこで細い道を右折してしばらくして、踵を返しすれちが いざま男の目をにらんだ。男は1人でカフェに入って行った。
・スイス・バーゼルのプラットホームで22:00ごろ背中に臭いマスター ドをかけられ、「鳥のフンがかかったよ」と。大声で「バカヤロー、あっ ちへ行け」と勿論日本語で叫び追い払った。
・ブリュッセルのホテルで同行者のブリーフケースが置き引きにあった。こ れは私の不注意。相手は中東らしき3人組以上。
・ミラノの最後の晩餐の教会前で、ステッキをついた脚の不自由なおじいさ んが、後ろから近づいた若い男に押し倒された。走っていってみやげ物 売りのスタンドの青年と抱き起こし被害を未然に防いだ。青年は男ともみ 合っていたが、顔を平手打ちして一件落着した。
・ミラノのドゥオモ近くでジプシーの子供たちのやり口を見学した。このと き驚いたのは白人の若いカップルが、新聞紙をもって近づいたジプシーに 囲まれる前に小銭(札でした)を渡したこと。子供たちは手を合わせ感謝 感謝!すぐに次のターゲットを探し始めた。スマートすぎる。
・21:30ごろ人通りが少ないチューリヒの街中で目撃。白人老夫婦が後 ろから走ってきた男にハンドバッグをひったくられ、大声をあげた。す るとすぐに別の若者が男を追いかけたがやがて戻ってきて、捕まえられな かったというジェスチュア。これは明らかにグルです。
そんな経験からマドリードの王宮前で、スリを追い払えたのだと思います。
最近は街歩きの時にバッグを持たないことにしています。上着(ジャンパー様の)の内ポケットにパスポートと若干のお金(これが全財産)を入れています。暑い時季は家内のバッグにパスポート、ズボンのポケットにバラの札と小銭入を入れて、突然振り返ったりキョロキョロ周りを見回しながら歩いています。帽子は着用しません。「旅行者ではなく現地の東洋人だよ」と見せかけています。
さて長い取り留めのないメッセージとなってしまいましたこと、またやってしまったと反省してます。ご迷惑さまでした。
今年も存分に旅をお楽しみください。
これからも旅行記を拝見して、行った気分にさせていただきます。
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