サーンチー旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ボーパルから世界遺産サンチー仏塔遺跡群―空港ー10月19日(火)<br /><br /> 今回の旅行の当初計画では昨日利用した旅行会社のタクシーを利用し、午前中に市内南西40キロに位置するユネスコ世界遺産ビンベットカ岩陰壁画群を鑑賞し、そのまま、一旦ボーパルまで引き返して、午後にはサンチーの仏塔遺跡群を訪れ、夕方にはボーパル空港へ送ってもらうことにしていた。<br />ところが予定時刻を30分経過しても迎えが来ない。少し心配になってサバーリ・トラベルのダナンジャイ・シャルマ氏に電話をすると「予約の車は昨日のナグプール市内観光に振り替えたので、私たちは約束を果した」という返事だ。どうも連絡が正しく伝わっていなかったか、完全な勘違いがあったようだ。私は「一昨日、貴方に電話連絡をしたのは、ボーパルの一日観光とは別に、新しい予約をしたい」として、貴方の許可を得たので、今日は当初通りの車を手配してほしい」と話すと、今度はその趣旨がはっきり理解できたらしく、頻りに「アイムソーリー」を繰り返すばかりだった。つまり英語を話す一日レンタルの運転手が確保できないという事だった。そこでホテルのフロントにお願いしたら、先ほどとは別な係員がいて、今度は非常に親切に、親身になって応対してくれた。ただ、出発時刻が大幅に遅れたために、午前中予定のビンベットカを諦め、サンチーへ直行する事にした。直ぐにタクシーを依頼してくれたが、タクシーが迎えに来たのは午前十時近かった。フロントが詳しい打ち合わせをしてくれて、サンチーでゆっくり観光し、午後6時頃にはボーパル空港へ送って貰うという事になった。ただし迎えに来たドライバーは英語を全く話さない。サンチー、レストラン、エアーポート、ステーションくらいが理解できる程度だった。これは結局だめで別なタクシーを頼んでサンチー訪問だけにとどめた。<br />    サンチーSaanchiiの仏塔に参詣<br />私たちを乗せたタクシーは快適に走り出した。少し古手だが冷房も利くし、カーステレオもついている。街中を走っているときにドライバーの携帯電話が鳴ると、彼はすぐに出て、大声を出しながら運転をする。何回か繰り返し、電話が切れると今度はCDの音楽を最大限の音量で流す。外国人に対するサービスなのだろうか。「もう少し静かにしてくれ」と声をかけたら、意味が分かったらしく、多少はボリュームを下げてくれた。湖畔を通り抜け、平坦な道路へと進む頃には交通量も少なくなった。今度はかなりの高速運転を始めた。前を進むトラックやトゥクトゥクを追い越すときなどは百キロ近い速度を出す。あわててシートベルトをかけた。何しろ命がけだ。約1時間の走行でサンチーに着いた。サンチーの鉄道駅を左に見ながら、遺跡群の入口は右手になる。既に12時近かったが、まず最初にサンチーの仏塔遺跡群の参拝をしたかった。<br />入場券は博物館と共通になっているらしい。1人250ルピー、別に20ルピーを払ったが、これが4人分の博物館入場料だったのかもしれない。車は左にカーブしながら坂道を登って行き、入口で止まった。私たちは早速入口に向かったが、保安検査がかなり厳しい。しかしカメラやビデオの持ち込みに制限はなかった。私たちは午前中予定のビンベットカを割愛したので、サンチーはゆったりとした時間をとれた。十月下旬の西インドは、日本なら真夏の気温だ。少し坂道や石段を上ると直ぐに汗がしたたり落ちてくる。階段を上って最初にお参りするのが「サンチー第一塔」。これはアショーカ王が建てたいわゆる八万四千の仏塔の一つというより随一の名塔だ。早速焼香・読経・礼拝を捧げた。一昨日参詣したナグプールのディークシャブーミはこの仏塔を模写して、倍の大きさにしたものだというが、マネは似せ物であり本物の古さ、優雅さには及ばない。釈尊滅後百年のころ、インドのパータリプトラ(現パトナ)を都として、インドを統一したアショーカ王の遺産である。仏陀は一度もこの地を訪れなかったというが、ここから九キロほど北東に行ったヴィディシャーは、非常に栄えた都市で、市民は仏教に帰依していたという。この小高い丘の上に建造された仏塔は、その当時さぞかし大勢の善男善女の遥拝を仰いだに違いない。しかも仏教が衰退すると同時に、ここは密林と化し、近寄る人がなかったために異教徒の破壊をまぬかれたと言われている。<br />   サンチーの仏教建造物群(ユネスコ世界文化遺産、1989年指定)  インド最古の仏塔群 マディヤ・プラデーシュ州の州都ボパールから北へ67?。小さな村の小高い丘にサンチーの仏教遺跡がある。建造物の主役は球形ドーム型の三つの仏塔(ストゥーパ)で、インドに残る最古の仏塔である。サンチーは仏塔が建設された紀元前三世紀頃から仏教信仰の場になった。広大なデカン高原の大地を見渡すことの出来るこの丘は禅定などの修行には理想的な場所であった。サンチーは紀元後11世紀まで栄えるが、インド仏教の衰退とともに訪れる人々の足も遠のき廃墟となった。しかしここサンチーはジャングルになっていたため、人々から忘れ去られ破壊をまぬかれた紀元前後のストゥーパ群が奇跡のように生き延びて、1818年イギリスの将軍ティーラ―によって発見された。<br />建物として現存しているのは1912年に修復された第1、2、3の仏塔と僧院の堂で、他は土台が残っているだけである。最大の第一塔は高さ16.5m、直径36,6m 。インドに仏教を広めたマウリヤ朝アショーカ王)が建立した。塔の東西南北には入り口にあたる塔門(鳥居のような門)が建てられている。この塔に仏陀の遺骨が納められていたという記録が残っている。当初は現在の半分くらいの大きさしかなかったが、後の王朝や信者の寄進によって増築され、塔門(トーラナ)や欄楯(らんじゅんー仏塔を取り巻く柵のようなものが付け加えられた。<br /><br />第三ストゥーパ、僧院跡、制多堂跡などをくまなく回り、木陰のベンチに座ると近くの大学生が五?六人、親しく声をかけてきた。しかし、ここはマディヤ・プラデシュ州であり、彼らの挨拶は「ハロー」だった。彼らは機械工学を学んでいるとのことだった。第三ストゥーパの奥に簡単なレストランがあったが、私は一向に食欲が出ない。他の三人は適当に腹ごしらえをしたようだ。その後スリランカ寺へお参りして、博物館脇のレストランに入り、昼食はここで取った。もう午後二時半を過ぎていた。食事の後に博物館を見学した。私は博物館を出て、しばらく参道のバス停ベンチで涼んでいたが、他の三人がなかなか姿を現さない。その中に私は未だ第二ストゥーパをお参りしていないことに不安を感じていたが、その場所がどこかわからない。携帯している『歩き方』を見ても要領を得ない。道行く人に聞いても「あっちの方だ」と指差してくれるが、どこをどう行っていいか分らない。そんな焦りの中に、ようやく三人が戻ってきた。相談してもう一度受付口まで歩くことにした。車に乗って降りれば五分と掛からない道のりだが、歩けば十五分ほどかかるきつい坂道だった。入口近くに売店があったので、そこの店員に「私は第二ストゥーパに行きたいが、どっちへ行ったらよいか」と尋ねると、店員は愛想よく「分った。私が案内するから付いてきなさい」と率先して歩き出した。百メートルほど裏道を登ってゆくと、彼は「飲み水は持っているか、少し歩かなければならない」と言う。もちろん私は十分な飲料水を持っていた。道はやがて第一ストゥーパの下にある僧院跡に突き当たり、そこを右折したところで「この道をまっすぐ降りて行くと第二ストゥーパです」と親切に教えてくれた。彼は会釈してさわやかに立ち去った。あまりさわやかだったのでチップを渡すことを忘れていた。言われる通りにゆるやかな坂道を降りて行くと第二ストゥーパに到着した。時刻は四時半を回っていた。ここからアショーカ王時代にタクシャシラへ派遣された高僧十人の遺骨が出てきたが、現在はロンドン博物館に収められているという。<br />しかしここから坂道を降りて博物館へは行けない。すぐそばに検問所があり、警察官が護衛していて、「ここは通れない。元の道を戻れ」とつたない返事だった。再び坂道を上り、出入口の前を通ってから、さらに階段を下って博物館近くに戻ると、ドライバー氏が声をかけてくれた。「ありがとう、これから空港へ直行」と英語で話すと、待ってましたと、直ぐに発車した。少し山道を余分に歩いたために疲労があったが、第二ストゥーパへの参詣が叶ったことで満足感があふれていた。<br />ボーパル空港への帰路は快適だった。もちろん道は所々で工事をしていたので悪路もあり、夕闇も迫っていた。空港へは午後6時20分頃に到着した。タクシー代は当初に契約した通り1480ルピー。20ルピーとチップ百ルピーを加え160ルピーを渡し、「タクシー代以外は君のチップだ」と告げると彼は大層喜んだ。ボーパル空港20時30分発9W2504機は1時間20分遅れということで待ち時間はさらに伸びた。搭乗機はプロペラ機だが、それほど騒音や揺れがひどくない。ムンバイ空港23時45分到着。初めてプリペイドタクシーを使う。料金は230ルピー。私が釣銭を受け取るのを忘れていたら、係が「釣りはいらないのか」と言いながら釣銭を渡した。こんな経験は初めて。ムンバイは確実に洗練されている。冷房は利くがガタガタ車でジューフー海岸近くの「ラミーゲストライン・ホテル」に到着。12時を回っていた。ここはさすがにムンバイだけあって、24時間、チェックインできた。<br /><br />ムンバイ市内観光と世界遺産エレファンタ島へ―その後、空港へー10月20日(水)<br /><br /> 一週間のインド旅行も今日が最終日となる。天気は晴れ、気温は28度程度。この日もムンバイの某旅行会社を通して、一日市内観光を依頼してあった。しかし予定の8時を30分過ぎても迎えが来ないので、ホテルのロビーで待っている我々に、フロントの係員が、「ムンバイ市内観光はどうですか?」と声をかけてくれた。早速私の友人が交渉し、一日二千ルピーで商談が成立した。タクシーはほどなくやってきて出発した。車はタタ・インディカ5人乗りだが、まだ新車らしく、エンジン音も静か、乗り心地も快適。 ただこの運転手はきれいな英語を話し、自分の連れて行きたい場所を次から次へと提案してくる。こちらはジューフー海岸やガンディー記念館、チャックラ・ヴァティ・シヴァジー・ターミナス、チャックラ・ヴァティ・シヴァジー・マハーラージ・ヴァストゥ・サングラハヤ(旧プリンスオブウエールス博物館)、インド門、エレファンタ島などであったが、こちらの要望を中々叶えてくれない。しかし最初に立ち寄ったマーヒム湾の最先端を横断する吊り橋の見える場所は非常に美しい風景で、アラビア海と白い大きな吊り橋のコントラストが印象的だった。ここには昨日訪問したサンチーのトーラナ(塔門)の模倣塔が聳えていた。市内はかなり混雑していて車は思うように進まない。ドライバーは自分の連れてゆきたい場所を次々と提案する。しかしこちらの意向とはかなり異なっていた。???そんなことから、もうタクシーはアテに市内でインド門近くの埠頭から船に乗ってエレハァンタ島に渡った。<br /> 船で行く事一時間十分でエレファンタ島に到着。二百メートルもあろうか細長い埠頭には観光用の小型鉄道が通っている。何となく若さを示したくて歩いて島内にたどり着いた。島に入ると直ぐに切符売り場があり、入島料が5ルピー4人分で20ルピー。時刻は既に午後2時40分を過ぎたところ。遺跡は小高い丘に彫られているが、そこにたどり着くには少し階段の坂道を登らなければならない。階段の手前にレストランがあったので、ここで遅まきの昼食を取った。食後階段を上って行く事十分ほどで山腹の広場に出た。ここが世界遺産入場受付。例によって世界遺産入域料が一人250ルピー、4人合計して1000ルピーを一括して支払った。日本円では二千円程度だから、テーマパークの入場料に比べればかなり安い方だが、もう一週間もインドにいるせいか、特別な高額料金に思えた。<br /> 用意したエレファンタ洞窟資料を基に先ず第一洞窟へ入った。この洞窟はすべて北向きに彫られている。日本では日差しを受ける南側を表にするが、熱いインドでは北向きの方が涼しくてよいのだろうか。最もヒンドゥー教の寺院や神殿は東を背にして西向きに造るのが普通のようだが、ここではそれも無視されている。<br />先ず北側正面入り口へ足を進めた。間口28メートルと言うが、それほど大きく感じられない。たぶん私たちが先にエローラやアジャンタの洞窟遺跡を見てしまったために、新鮮な感動が起こりにくかったのかもしれない。しかもこの入口は発掘調査のために造られたもので、外の石柱はコンクリートで人工的に作られたものと言うから尚更のことだった。ヒンドゥー教の伝説に沿ったいわゆる神話がありありと表現されている。さすがは世界遺産としての価値があるが、植民地時代のポルトガル人がかなり大がかりな破壊を行ったとのことで、残念だった。しかしこの洞窟だけが破壊をまぬかれたということだった。それ故にこの島の見どころは、あくまで茲なのだった。十分な時間をかけて鑑賞し、やがてそこを出て、他の洞窟をいくつか見て回った。島は如何にも南国らしく温和でインドボダイジュやガジュマル、マンゴーなどの大木が何のわだかまりもなくそそり立ち、枝葉を広げている。島にはサルが多い。感心なことに観光客に餌をねだることもなく、もちろん襲ってくることもない。実に自然な島だ。ムンバイからの国内観光客も多いようだが、やはりユネスコの世界遺産のために、外国人も少なくはない。もちろんかく言う自分もれっきとした外国人だ。洞窟の前をウロウロしていたら、ある欧米人らしい六十歳前後の夫婦に出逢った。男性が「ハロー」と声をかけてきた。彼は嬉しそうに「先週アジャンタやエローラでお会いしたのは貴方たちではないですか」と言う。英語で話しかけてきたのでイギリス人なのか、あるいはフランス人なのか。そんなことはどうでもよい。「そうです。私たちは先週アジャンタやエローラに行きました。私は貴方たちのことを覚えていますよ」と話すと。大層喜んでいた。何となく故国日本の友人に偶然出会ったという感じだった。島の博物館に足を運び「インド考古学庁」発行の世界遺産シリーズの本を数冊求めた。これが帰国後に読んで、かなり役に立つことになる。<br />一時間ほど見て回ったが、第一洞窟以外はそれほど興味がわかなかったので、もう一度第一洞窟に入り、その後思い出したように島の東部にある第七洞窟は仏教窟であり、そこには仏塔もあるという、事前の調査を基に、そこへ行こうとしたが、そこへ到達する道がない。島内にある交番で尋ねたところ「インポッシブル」と明快な返答をもらってしまった。「見る事不可能だ」と言うことだった。そこであきらめて洞窟受付を出て日本の観音霊場の門前のように、階段の両側に並ぶ土産物屋を漁るように、目を凝らして、「これは」という逸品を探したが、そんなものは有る筈もなかった。それでもこの島の最大の売りになっている「シヴァ三面像」を菩提樹の葉に描いた絵ハガキ風のものを十枚ほど買いこんで、日本への土産にした。店の売り子は北インドほど、強引な販売はしない。「どこから来たか」とか「あんたの持っている日本製の時計と土産物を交換しないか」とか、ともかく面白い会話が多かった。島を離れたのは午後五時に近かった。再び船上の客となったが、ムンバイに向かう海は多少波が出てきて、各パンにしぶきが上がった。最初私は左舷の中ほどにいたが、しぶきが吹き込むので中側後部に移った。右舷の座席には大勢のインド人が坐っていた。サリーに波がかかって濡れているのに、知らん顔をして友人とおしゃべりをしている若い女性が見られた。日本人には気が知れない。<br /> <br />  夕闇迫るムンバイ・アポロ埠頭・市内散策ー10月20日?21日(木)<br />夕闇が迫ったムンバイ・アポロ埠頭のすぐそばにタージマハル・ホテルが見えて、その隣がムンバイ・インド門、そのすぐ下がフェリー埠頭だ。二年前パキスタンのテロ組織がタージマハル・ホテルを銃撃し、日本人1人を含む166人が犠牲となる大惨事を起こしたのが、ここだった。船を降りたのは6時に10分。早速ドライバー氏に連絡をとり、駐車場でもう少し待機して、後で電話をするので迎えに来てほしいと話して、市内散策をして土産物屋に行った。これは仲間の一人が日本を出るときから、狙っている店であり、そこで家族への土産物を購入することに決めていたらしい。ほどなくしてその店が見つかり、私も紅茶を少々購入した。40分ほどして、タクシーが店の前に到着し、国際空港へ送って貰った。午後九時近かった。タクシー料金の支払いをしようとするとドライバー氏は当初約束の2000ルピーに加えて空港への料金千ルピー、特別料金千ルピーを提示したが、その特別料金は支払う義務がないと考え、合計三千ルピーとチップ百ルピーを渡した。彼は不服だったようだが、後は「I can not speak engrish」で終わった。彼がもう少し親切だったら5百ルピーのチップを渡す予定だったのだが、なんとなく計算づくが鼻にかかったので、そうなった。ここで最後の夕食を取り、22:40発のキャセイ・パシフィック機で香港へ向かい、乗り継いで名古屋に着いたのは10月21日午後9時だった。特別なトラブルや大きな遅れに逢うこともなく、無事に帰国できた事を参加者全員で喜び、それぞれ帰宅の途に就いた。<br />

西インドのユネスコ世界遺産とナグプール龍樹菩薩大寺落慶の旅ー続編

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2010/10/14 - 2010/10/22

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erindojunさん

ボーパルから世界遺産サンチー仏塔遺跡群―空港ー10月19日(火)

 今回の旅行の当初計画では昨日利用した旅行会社のタクシーを利用し、午前中に市内南西40キロに位置するユネスコ世界遺産ビンベットカ岩陰壁画群を鑑賞し、そのまま、一旦ボーパルまで引き返して、午後にはサンチーの仏塔遺跡群を訪れ、夕方にはボーパル空港へ送ってもらうことにしていた。
ところが予定時刻を30分経過しても迎えが来ない。少し心配になってサバーリ・トラベルのダナンジャイ・シャルマ氏に電話をすると「予約の車は昨日のナグプール市内観光に振り替えたので、私たちは約束を果した」という返事だ。どうも連絡が正しく伝わっていなかったか、完全な勘違いがあったようだ。私は「一昨日、貴方に電話連絡をしたのは、ボーパルの一日観光とは別に、新しい予約をしたい」として、貴方の許可を得たので、今日は当初通りの車を手配してほしい」と話すと、今度はその趣旨がはっきり理解できたらしく、頻りに「アイムソーリー」を繰り返すばかりだった。つまり英語を話す一日レンタルの運転手が確保できないという事だった。そこでホテルのフロントにお願いしたら、先ほどとは別な係員がいて、今度は非常に親切に、親身になって応対してくれた。ただ、出発時刻が大幅に遅れたために、午前中予定のビンベットカを諦め、サンチーへ直行する事にした。直ぐにタクシーを依頼してくれたが、タクシーが迎えに来たのは午前十時近かった。フロントが詳しい打ち合わせをしてくれて、サンチーでゆっくり観光し、午後6時頃にはボーパル空港へ送って貰うという事になった。ただし迎えに来たドライバーは英語を全く話さない。サンチー、レストラン、エアーポート、ステーションくらいが理解できる程度だった。これは結局だめで別なタクシーを頼んでサンチー訪問だけにとどめた。
サンチーSaanchiiの仏塔に参詣
私たちを乗せたタクシーは快適に走り出した。少し古手だが冷房も利くし、カーステレオもついている。街中を走っているときにドライバーの携帯電話が鳴ると、彼はすぐに出て、大声を出しながら運転をする。何回か繰り返し、電話が切れると今度はCDの音楽を最大限の音量で流す。外国人に対するサービスなのだろうか。「もう少し静かにしてくれ」と声をかけたら、意味が分かったらしく、多少はボリュームを下げてくれた。湖畔を通り抜け、平坦な道路へと進む頃には交通量も少なくなった。今度はかなりの高速運転を始めた。前を進むトラックやトゥクトゥクを追い越すときなどは百キロ近い速度を出す。あわててシートベルトをかけた。何しろ命がけだ。約1時間の走行でサンチーに着いた。サンチーの鉄道駅を左に見ながら、遺跡群の入口は右手になる。既に12時近かったが、まず最初にサンチーの仏塔遺跡群の参拝をしたかった。
入場券は博物館と共通になっているらしい。1人250ルピー、別に20ルピーを払ったが、これが4人分の博物館入場料だったのかもしれない。車は左にカーブしながら坂道を登って行き、入口で止まった。私たちは早速入口に向かったが、保安検査がかなり厳しい。しかしカメラやビデオの持ち込みに制限はなかった。私たちは午前中予定のビンベットカを割愛したので、サンチーはゆったりとした時間をとれた。十月下旬の西インドは、日本なら真夏の気温だ。少し坂道や石段を上ると直ぐに汗がしたたり落ちてくる。階段を上って最初にお参りするのが「サンチー第一塔」。これはアショーカ王が建てたいわゆる八万四千の仏塔の一つというより随一の名塔だ。早速焼香・読経・礼拝を捧げた。一昨日参詣したナグプールのディークシャブーミはこの仏塔を模写して、倍の大きさにしたものだというが、マネは似せ物であり本物の古さ、優雅さには及ばない。釈尊滅後百年のころ、インドのパータリプトラ(現パトナ)を都として、インドを統一したアショーカ王の遺産である。仏陀は一度もこの地を訪れなかったというが、ここから九キロほど北東に行ったヴィディシャーは、非常に栄えた都市で、市民は仏教に帰依していたという。この小高い丘の上に建造された仏塔は、その当時さぞかし大勢の善男善女の遥拝を仰いだに違いない。しかも仏教が衰退すると同時に、ここは密林と化し、近寄る人がなかったために異教徒の破壊をまぬかれたと言われている。
サンチーの仏教建造物群(ユネスコ世界文化遺産、1989年指定)  インド最古の仏塔群 マディヤ・プラデーシュ州の州都ボパールから北へ67?。小さな村の小高い丘にサンチーの仏教遺跡がある。建造物の主役は球形ドーム型の三つの仏塔(ストゥーパ)で、インドに残る最古の仏塔である。サンチーは仏塔が建設された紀元前三世紀頃から仏教信仰の場になった。広大なデカン高原の大地を見渡すことの出来るこの丘は禅定などの修行には理想的な場所であった。サンチーは紀元後11世紀まで栄えるが、インド仏教の衰退とともに訪れる人々の足も遠のき廃墟となった。しかしここサンチーはジャングルになっていたため、人々から忘れ去られ破壊をまぬかれた紀元前後のストゥーパ群が奇跡のように生き延びて、1818年イギリスの将軍ティーラ―によって発見された。
建物として現存しているのは1912年に修復された第1、2、3の仏塔と僧院の堂で、他は土台が残っているだけである。最大の第一塔は高さ16.5m、直径36,6m 。インドに仏教を広めたマウリヤ朝アショーカ王)が建立した。塔の東西南北には入り口にあたる塔門(鳥居のような門)が建てられている。この塔に仏陀の遺骨が納められていたという記録が残っている。当初は現在の半分くらいの大きさしかなかったが、後の王朝や信者の寄進によって増築され、塔門(トーラナ)や欄楯(らんじゅんー仏塔を取り巻く柵のようなものが付け加えられた。

第三ストゥーパ、僧院跡、制多堂跡などをくまなく回り、木陰のベンチに座ると近くの大学生が五?六人、親しく声をかけてきた。しかし、ここはマディヤ・プラデシュ州であり、彼らの挨拶は「ハロー」だった。彼らは機械工学を学んでいるとのことだった。第三ストゥーパの奥に簡単なレストランがあったが、私は一向に食欲が出ない。他の三人は適当に腹ごしらえをしたようだ。その後スリランカ寺へお参りして、博物館脇のレストランに入り、昼食はここで取った。もう午後二時半を過ぎていた。食事の後に博物館を見学した。私は博物館を出て、しばらく参道のバス停ベンチで涼んでいたが、他の三人がなかなか姿を現さない。その中に私は未だ第二ストゥーパをお参りしていないことに不安を感じていたが、その場所がどこかわからない。携帯している『歩き方』を見ても要領を得ない。道行く人に聞いても「あっちの方だ」と指差してくれるが、どこをどう行っていいか分らない。そんな焦りの中に、ようやく三人が戻ってきた。相談してもう一度受付口まで歩くことにした。車に乗って降りれば五分と掛からない道のりだが、歩けば十五分ほどかかるきつい坂道だった。入口近くに売店があったので、そこの店員に「私は第二ストゥーパに行きたいが、どっちへ行ったらよいか」と尋ねると、店員は愛想よく「分った。私が案内するから付いてきなさい」と率先して歩き出した。百メートルほど裏道を登ってゆくと、彼は「飲み水は持っているか、少し歩かなければならない」と言う。もちろん私は十分な飲料水を持っていた。道はやがて第一ストゥーパの下にある僧院跡に突き当たり、そこを右折したところで「この道をまっすぐ降りて行くと第二ストゥーパです」と親切に教えてくれた。彼は会釈してさわやかに立ち去った。あまりさわやかだったのでチップを渡すことを忘れていた。言われる通りにゆるやかな坂道を降りて行くと第二ストゥーパに到着した。時刻は四時半を回っていた。ここからアショーカ王時代にタクシャシラへ派遣された高僧十人の遺骨が出てきたが、現在はロンドン博物館に収められているという。
しかしここから坂道を降りて博物館へは行けない。すぐそばに検問所があり、警察官が護衛していて、「ここは通れない。元の道を戻れ」とつたない返事だった。再び坂道を上り、出入口の前を通ってから、さらに階段を下って博物館近くに戻ると、ドライバー氏が声をかけてくれた。「ありがとう、これから空港へ直行」と英語で話すと、待ってましたと、直ぐに発車した。少し山道を余分に歩いたために疲労があったが、第二ストゥーパへの参詣が叶ったことで満足感があふれていた。
ボーパル空港への帰路は快適だった。もちろん道は所々で工事をしていたので悪路もあり、夕闇も迫っていた。空港へは午後6時20分頃に到着した。タクシー代は当初に契約した通り1480ルピー。20ルピーとチップ百ルピーを加え160ルピーを渡し、「タクシー代以外は君のチップだ」と告げると彼は大層喜んだ。ボーパル空港20時30分発9W2504機は1時間20分遅れということで待ち時間はさらに伸びた。搭乗機はプロペラ機だが、それほど騒音や揺れがひどくない。ムンバイ空港23時45分到着。初めてプリペイドタクシーを使う。料金は230ルピー。私が釣銭を受け取るのを忘れていたら、係が「釣りはいらないのか」と言いながら釣銭を渡した。こんな経験は初めて。ムンバイは確実に洗練されている。冷房は利くがガタガタ車でジューフー海岸近くの「ラミーゲストライン・ホテル」に到着。12時を回っていた。ここはさすがにムンバイだけあって、24時間、チェックインできた。

ムンバイ市内観光と世界遺産エレファンタ島へ―その後、空港へー10月20日(水)

 一週間のインド旅行も今日が最終日となる。天気は晴れ、気温は28度程度。この日もムンバイの某旅行会社を通して、一日市内観光を依頼してあった。しかし予定の8時を30分過ぎても迎えが来ないので、ホテルのロビーで待っている我々に、フロントの係員が、「ムンバイ市内観光はどうですか?」と声をかけてくれた。早速私の友人が交渉し、一日二千ルピーで商談が成立した。タクシーはほどなくやってきて出発した。車はタタ・インディカ5人乗りだが、まだ新車らしく、エンジン音も静か、乗り心地も快適。 ただこの運転手はきれいな英語を話し、自分の連れて行きたい場所を次から次へと提案してくる。こちらはジューフー海岸やガンディー記念館、チャックラ・ヴァティ・シヴァジー・ターミナス、チャックラ・ヴァティ・シヴァジー・マハーラージ・ヴァストゥ・サングラハヤ(旧プリンスオブウエールス博物館)、インド門、エレファンタ島などであったが、こちらの要望を中々叶えてくれない。しかし最初に立ち寄ったマーヒム湾の最先端を横断する吊り橋の見える場所は非常に美しい風景で、アラビア海と白い大きな吊り橋のコントラストが印象的だった。ここには昨日訪問したサンチーのトーラナ(塔門)の模倣塔が聳えていた。市内はかなり混雑していて車は思うように進まない。ドライバーは自分の連れてゆきたい場所を次々と提案する。しかしこちらの意向とはかなり異なっていた。???そんなことから、もうタクシーはアテに市内でインド門近くの埠頭から船に乗ってエレハァンタ島に渡った。
 船で行く事一時間十分でエレファンタ島に到着。二百メートルもあろうか細長い埠頭には観光用の小型鉄道が通っている。何となく若さを示したくて歩いて島内にたどり着いた。島に入ると直ぐに切符売り場があり、入島料が5ルピー4人分で20ルピー。時刻は既に午後2時40分を過ぎたところ。遺跡は小高い丘に彫られているが、そこにたどり着くには少し階段の坂道を登らなければならない。階段の手前にレストランがあったので、ここで遅まきの昼食を取った。食後階段を上って行く事十分ほどで山腹の広場に出た。ここが世界遺産入場受付。例によって世界遺産入域料が一人250ルピー、4人合計して1000ルピーを一括して支払った。日本円では二千円程度だから、テーマパークの入場料に比べればかなり安い方だが、もう一週間もインドにいるせいか、特別な高額料金に思えた。
 用意したエレファンタ洞窟資料を基に先ず第一洞窟へ入った。この洞窟はすべて北向きに彫られている。日本では日差しを受ける南側を表にするが、熱いインドでは北向きの方が涼しくてよいのだろうか。最もヒンドゥー教の寺院や神殿は東を背にして西向きに造るのが普通のようだが、ここではそれも無視されている。
先ず北側正面入り口へ足を進めた。間口28メートルと言うが、それほど大きく感じられない。たぶん私たちが先にエローラやアジャンタの洞窟遺跡を見てしまったために、新鮮な感動が起こりにくかったのかもしれない。しかもこの入口は発掘調査のために造られたもので、外の石柱はコンクリートで人工的に作られたものと言うから尚更のことだった。ヒンドゥー教の伝説に沿ったいわゆる神話がありありと表現されている。さすがは世界遺産としての価値があるが、植民地時代のポルトガル人がかなり大がかりな破壊を行ったとのことで、残念だった。しかしこの洞窟だけが破壊をまぬかれたということだった。それ故にこの島の見どころは、あくまで茲なのだった。十分な時間をかけて鑑賞し、やがてそこを出て、他の洞窟をいくつか見て回った。島は如何にも南国らしく温和でインドボダイジュやガジュマル、マンゴーなどの大木が何のわだかまりもなくそそり立ち、枝葉を広げている。島にはサルが多い。感心なことに観光客に餌をねだることもなく、もちろん襲ってくることもない。実に自然な島だ。ムンバイからの国内観光客も多いようだが、やはりユネスコの世界遺産のために、外国人も少なくはない。もちろんかく言う自分もれっきとした外国人だ。洞窟の前をウロウロしていたら、ある欧米人らしい六十歳前後の夫婦に出逢った。男性が「ハロー」と声をかけてきた。彼は嬉しそうに「先週アジャンタやエローラでお会いしたのは貴方たちではないですか」と言う。英語で話しかけてきたのでイギリス人なのか、あるいはフランス人なのか。そんなことはどうでもよい。「そうです。私たちは先週アジャンタやエローラに行きました。私は貴方たちのことを覚えていますよ」と話すと。大層喜んでいた。何となく故国日本の友人に偶然出会ったという感じだった。島の博物館に足を運び「インド考古学庁」発行の世界遺産シリーズの本を数冊求めた。これが帰国後に読んで、かなり役に立つことになる。
一時間ほど見て回ったが、第一洞窟以外はそれほど興味がわかなかったので、もう一度第一洞窟に入り、その後思い出したように島の東部にある第七洞窟は仏教窟であり、そこには仏塔もあるという、事前の調査を基に、そこへ行こうとしたが、そこへ到達する道がない。島内にある交番で尋ねたところ「インポッシブル」と明快な返答をもらってしまった。「見る事不可能だ」と言うことだった。そこであきらめて洞窟受付を出て日本の観音霊場の門前のように、階段の両側に並ぶ土産物屋を漁るように、目を凝らして、「これは」という逸品を探したが、そんなものは有る筈もなかった。それでもこの島の最大の売りになっている「シヴァ三面像」を菩提樹の葉に描いた絵ハガキ風のものを十枚ほど買いこんで、日本への土産にした。店の売り子は北インドほど、強引な販売はしない。「どこから来たか」とか「あんたの持っている日本製の時計と土産物を交換しないか」とか、ともかく面白い会話が多かった。島を離れたのは午後五時に近かった。再び船上の客となったが、ムンバイに向かう海は多少波が出てきて、各パンにしぶきが上がった。最初私は左舷の中ほどにいたが、しぶきが吹き込むので中側後部に移った。右舷の座席には大勢のインド人が坐っていた。サリーに波がかかって濡れているのに、知らん顔をして友人とおしゃべりをしている若い女性が見られた。日本人には気が知れない。
 
夕闇迫るムンバイ・アポロ埠頭・市内散策ー10月20日?21日(木)
夕闇が迫ったムンバイ・アポロ埠頭のすぐそばにタージマハル・ホテルが見えて、その隣がムンバイ・インド門、そのすぐ下がフェリー埠頭だ。二年前パキスタンのテロ組織がタージマハル・ホテルを銃撃し、日本人1人を含む166人が犠牲となる大惨事を起こしたのが、ここだった。船を降りたのは6時に10分。早速ドライバー氏に連絡をとり、駐車場でもう少し待機して、後で電話をするので迎えに来てほしいと話して、市内散策をして土産物屋に行った。これは仲間の一人が日本を出るときから、狙っている店であり、そこで家族への土産物を購入することに決めていたらしい。ほどなくしてその店が見つかり、私も紅茶を少々購入した。40分ほどして、タクシーが店の前に到着し、国際空港へ送って貰った。午後九時近かった。タクシー料金の支払いをしようとするとドライバー氏は当初約束の2000ルピーに加えて空港への料金千ルピー、特別料金千ルピーを提示したが、その特別料金は支払う義務がないと考え、合計三千ルピーとチップ百ルピーを渡した。彼は不服だったようだが、後は「I can not speak engrish」で終わった。彼がもう少し親切だったら5百ルピーのチップを渡す予定だったのだが、なんとなく計算づくが鼻にかかったので、そうなった。ここで最後の夕食を取り、22:40発のキャセイ・パシフィック機で香港へ向かい、乗り継いで名古屋に着いたのは10月21日午後9時だった。特別なトラブルや大きな遅れに逢うこともなく、無事に帰国できた事を参加者全員で喜び、それぞれ帰宅の途に就いた。

同行者
友人
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道 タクシー 飛行機
航空会社
ジェットエアウェイズ (運航停止) キャセイパシフィック航空
旅行の手配内容
個別手配
  • ユネスコ世界遺産「サンチー仏塔遺跡群」第一ストゥーパにて

    ユネスコ世界遺産「サンチー仏塔遺跡群」第一ストゥーパにて

  • なかなか到達できなかった「サンチー仏塔遺跡群」第二ストゥーパ

    なかなか到達できなかった「サンチー仏塔遺跡群」第二ストゥーパ

  • ムンバイ市内のアラビア海に面する公園にサンチーの塔門の模造品がある。

    ムンバイ市内のアラビア海に面する公園にサンチーの塔門の模造品がある。

  • エレファント島への渡船。一時間十分で到着する。

    エレファント島への渡船。一時間十分で到着する。

  • 「チャットラブァティー・シヴァジー・ターミナス駅」(旧名ヴィクトリア・ターミナス駅)の駅舎外観ーれっきとした現役の国鉄駅舎なのだがこれもユネスコの世界遺産に指定されている。

    「チャットラブァティー・シヴァジー・ターミナス駅」(旧名ヴィクトリア・ターミナス駅)の駅舎外観ーれっきとした現役の国鉄駅舎なのだがこれもユネスコの世界遺産に指定されている。

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