2011/02/09 - 2011/02/10
56位(同エリア1964件中)
エンリケさん
2011年2月、仕事の切れ目と三連休を利用して、これまで何度も計画を立てながら現地情勢を理由にキャンセルに終わっていたインド旅行へついに行ってきました。
やはりテロがいつ起こるか分からないというコワいイメージがあって、安全や緊急時の連絡等を考慮してパッケージプランにしてしまったのですが、旅の仲間やガイドにも恵まれ、楽しい旅をすることができました。
まずは経済成長著しいインドの首都でありながら、クトゥブ・ミナールやフマーユーン廟といったイスラム勢力支配時の世界遺産をはじめ、数多くの歴史的遺産が残るデリーから。
<旅程表>
2011年
○2月 9日(水) 成田→香港→デリー
○2月10日(木) デリー→ジャイプール
2月11日(金) ジャイプール→アグラ
2月12日(土) アグラ→デリー→
2月13日(日) →香港→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
2月9日(水)
今回の旅は過去現地情勢を理由に何度も企画倒れに終わっていたインドへ。
仕事の切れ目と三連休を利用して行ってきます。
まずは成田空港第二ターミナルのキャセイパシフィックのカウンターでチェックイン。
キャセイは2000年に豪州へ行くときに乗って以来10年ぶり。
さすが中国系だけあって、カウンターは春節の飾り付けがなされています。
出発まで1か月を切った後も、外務省の海外安全ページを見るたびに後ろ向きな気持ちがよぎっていましたが、ここまでくればもう前向きな気持ちしかありませんね(笑)。 -
この日の関東地方は朝から雪。
もしかしたら電車が遅れるのでは・・・という不安もありましたが、遅れずに成田まで来れました。
しかし、インドの気候を想定して荷物を軽くするためにちょっと薄着をしてきたのですが、これでは寒くてしょうがないですね・・・。 -
9時15分、CX509便は定刻通り成田を離陸。
香港に向かいます。
出てきた機内食はこんな感じ。
中国系だけあって料理はおいしいです。
これまで乗ったことのある航空会社の中ではいちばんといっても過言ではないくらい。
一方で音楽や映画など、エンターテイメントは日本人向けのものが少なく(というかほとんどなく)イマイチ・・・。 -
14時25分、香港で乗り継いでCX751便にてバンコク経由デリーへ。
香港での乗り継ぎ時間は1時間しかなく、事前にネットなどで調べてみると、“乗り継ぎに時間がかかるから1時間では危ない”というような書きこみをよく見かけましたが、飛行機の席が前の方で早く降りられたせいか、まあそれほどあせらなくても間に合いました。
ただ、香港国際空港の場合、乗り継ぎの際も荷物検査があり、検査機の前に長い行列ができるので、急いだ方がよいことは間違いありません。
写真はバンコクの街並み。
今回初めて経由便で立ち寄りましたが、こんな高層ビル群ができているとは驚きでした。
タイもいつか旅してみたいものです。 -
そしてバンコク−デリー間の機内食。
それらしき匂いが漂ってきたと思ったらやはりカレーが出てきました。
キャセイのカレーですがなかなかスパイスが効いて汗が出てくるほどおいしいです。
やっぱりキャセイは何でもおいしいですね。 -
いつの間にか夜になって、デリー上空までやってきました。
20時45分、インディラ・ガンディー国際空港着。
朝一の便で出たのに夜になってちょっと損した気分・・・。 -
空港内のトーマスクックで両替後、パッケージツアーの現地ガイドが空港まで迎えに来てくれていたので、用意してもらった車に乗ってホテルへ向かいます。
デリーまでの道路には並行して建設中の高架になっている地下鉄が走っており、インドの経済成長の片鱗を感じることができました。
市内と空港とを結ぶ鉄道ができれば、悪質な客引きの被害も減り、だいぶ個人旅行もしやすくなるのではないでしょうか。
デリーでの宿はホテル・ゴータム・デラックス。
ニューデリー地区中心部のコンノート・プレイス(Connaught Place)から北西へ4kmほど行ったところにあるホテルですが、外に出ると街灯が少なく薄暗かったり、建物の脇に横になって寝ている人がいて危うく踏みそうになったり(!)と、なかなか物騒な印象を受けました。
残念ながらインド名物(?)の野良牛は見かけませんでしたが・・・。 -
参考までにホテルの中もご紹介。
各階の部屋の入口の前にはガネーシャの像があり、名前のとおりデラックスに見えるのですが・・・。 -
部屋の中はこんな感じでいたって普通の地味なホテルでした。
むしろ、風呂場にはバスタブもなく、シャワーの出も悪いので、桶(インドのホテルやトイレにはたいてい桶があります。)でお湯をためてかぶる始末で、全然“デラックス”とは言えないようなホテルでした・・・。
お湯がちゃんと出るだけマシだったのかもしれません。
また空調もちゃんときいていたので(同じツアーで他のホテルに泊まった方は部屋が寒く、布団を頭からかぶって寝たと言っていました。)、まあそれなりに快適に過ごせたと言えば言えなくもありません。 -
この日の夜は外を出歩くのもしんどいと思ったのでテレビを見ていましたが、これがなかなかおもしろかったです。
ほとんどの番組で民族衣装を着た美人の女性が出てきて、見る者の目を飽きさせません(笑)。
アナウンサーもこのとおりサリーを着ています。 -
もうひとつ、インドのホームドラマから。
ここでも女性はサリーを着けています。
街を歩いていてもそうでしたが、行き交う女性はほとんどがサリーを着ていて、洋服の女性にはめったに会いませんでした。
インドのドラマはストーリーが恋愛など単純明快なものが多く、言葉が分からなくても表情を見ていればなんとなく内容が分かり、しかも楽しいシーンになると登場人物が突然踊りだしたりするので(笑)、ずっとテレビを見ていたくなるくらいおもしろくハマってしまいました。
そもそも(未アップのものも含めて)こんなにテレビの写真を撮ったなんて初めて(笑)。 -
2月10日(木)
いよいよ観光一日目。
この日はデリー市内の有名どころを観光してラージャスターン州のジャイプルまで移動する長い一日。
まずはホテルで朝食。
アメリカンスタイルとカレーとがありましたが、せっかくなのでカレーを選択。
スパイスがきいたトマト風味のカレーでなかなかの美味でした。 -
8時30分、ガイドがツーリストカーでホテルまで迎えに来てくれました。
ほかのホテルに泊まっていたかたたちも含め、今回は4名での旅。
わたし以外の3名は女性でしたが、みなさん気さくなかたばかりで、とても楽しい旅になりました。
・・・帰国後はみなさんいかがお過ごしでしょうか。
この場をかりてお礼申し上げます。楽しいひとときをどうもありがとうございました! -
ツーリストカー(トヨタのイプサム型)に乗って出発です。
ガイドもドライバーも3日間ずっと一緒でしたが、やはり気さくで楽しい方たちで、ほんとうに恵まれた旅でした。
こういう方たちと接すると、インドの印象がどんどん変わっていきますね。
デリーの街中は野良牛こそ見かけませんでしたが、インドに特徴的な黄色と緑のオートリクシャー(幌付き三輪自動車)が走りまわっていました。 -
道路はまだ舗装されずに土がむき出しになっているところも。
想像どおりほこりっぽい印象です。 -
日雇い労働者でしょうか。朝早くから男たちが手ぶらでぶらぶらしています。
こういう人たちがインドの経済成長の原動力だと思うと、甘く見られませんね。 -
高級自動車と三輪自転車の対照的なワンショット。
経済成長に伴い、こんな貧富の差も拡大しているのでしょう。 -
この日の観光はまずラージガート(Raj Ghat)から。
デリーを流れるヤムナー川のほど近く、ニューデリーとオールドデリーの境目あたりにあるマハトマ・ガンディー(1869-1948年)の慰霊碑です。 -
ガートには靴を脱いで上がります。
周囲は広大な庭園のようになっていて、中央にポツンとガンディーの慰霊碑があります。
1948年1月30日、ガンディーはパキスタンとの分離独立を否定するヒンドゥー原理主義者の凶弾に倒れましたが、荼毘に付された場所に慰霊碑が建てられ、周囲が記念公園になっています。
もともとヒンドゥー教徒にはイスラム教とは違って個人の墓という概念はなく、ガンディーの遺灰はヤムナー川やガンジス川に流されましたが、その“偉大なる”業績を記念してこのような慰霊碑が建てられているということです。 -
続いてデリーの南の端にあるクトゥブ・ミナール(Qtub Minar)へ。
ミナール(ミナレット=尖塔:一日5回の礼拝の呼びかけ(アザーン)をするための塔)だけでなく、モスク(マスジッド)や回廊、墓建築、マドラサ(高等学院)といった様々なイスラム教支配時の遺跡があるので、このあたりの遺跡はクトゥブ・コンプレックス(複合体)と呼ばれています。
駐車場から門を通って歩いて行くと・・・見えてきました、世界遺産にもなっている高さ72.5m、インド最大の石造りの尖塔です。 -
ミナールに近づいてみました。
赤とベージュの砂岩で造られた塔身は美しい色合いをなしており、節々にはアラビア語でコーランの一節が刻まれています。
そもそもこのミナールは、北インドを征服し、イスラム王朝としては初めてデリーに都を置いたトルコ系の奴隷王朝(1206-1290年)の初代スルタン、クトゥブッディーン・アイバクが、スルタンとなる前の1199年にイスラムの勝利を記念して建設を命じたもので、現在もなお、石造りの塔としてはインド最大の高さを誇っています。 -
すぐ近くからミナールを見上げてみます。
第一層は半円形のリブと三角形のリブが交互に繰り返されており、力強く堂々とした造形です。
高さは72.5m、基部の直径は約15mですが、最上部の直径は約3mと、上に行くにしたがって細くなっていきます。
なお、この塔の内部には378段の階段があり、以前は先端部まで上ることができたそうですが、1982年に階段で子どもたちが将棋倒しになる事故が起きて以来、内部への立ち入りは禁止されているとのことです。 -
ミナールの塔身にズームイン。
刻まれているコーランの一節は、単なる文字を意味するだけでなく、芸術的とさえ言えます。 -
ミナールのすぐ脇にはこんな崩れ落ちたアーチが。
まさに“兵どもが夢の跡”といった感じです。 -
巨大なペルシャ風のイーワーン(エジプト紀行(6)のガーマ・スルタン・ハサンの解説参照)の形をしたアーチは実はモスクの入口で、このモスクは破壊したヒンドゥー寺院の石材を用いて建てられたインド初のモスク、クワットル・イスラーム・マスジッドでした。
このモスク(だったところ)の前にある中庭には、古代インド・グプタ朝(320-550年?)時代に鍛造されたという高さ7.2mの鉄柱が建てられており、“錆びない鉄柱”として有名になっています。 -
中庭の周りには回廊も残されています。
これもイスラム教徒がヒンドゥー教寺院を破壊した後、その石材を用いて建てられたそうで、偶像崇拝を禁じるイスラム教徒たちがヒンドゥー教の神々のレリーフを削り取った痕跡も生々しく残されています。 -
回廊の天井にはヒンドゥー風の装飾をした持ち出し構造のドームもありました。
このクトゥブ・コンプレックスが造られた時代は、イスラム勢力がデリーを征服したばかりでイスラム建築の技術者が少なかったため、現地のヒンドゥー技術者が多く使われたそうで、ドームもイスラム建築でよく見かけるきれいな弧を描くものではなく、水平に石を積んで上の石を少しずつ持ち出していく擬似的なアーチをつくってドームの形を真似たのだそうです。
結果、ヒンドゥー教寺院やジャイナ教寺院によく見られる伝統的な持ち出し構造のドームが残されることとなったのです。 -
クトゥブ・ミナールの回廊の北側にはこのような未完成のミナールも残されていました。
これは、奴隷王朝に続いてデリーを中心とする北インドを支配したハルジー朝(1290-1320年)のスルタン、アラーウッディーン・ハルジー(1266?-1316年)が建設を命じた“アラーイー・ミナール”(Alai Minar)と呼ばれるものです。
アラーウッディーンは新しい中庭にクトゥブ・ミナールよりも高い第二の尖塔を建ててイスラムの勝利を祝おうとしたのですが、1316年に暗殺されてしまったため工事は中断されてしまい、塔もそのままの姿で残されてしまいました。
このアラーイー・ミナールの基礎は赤砂岩でつくられ、直径は25mにもなるので、完成していればクトゥブ・ミナールの72.5mよりもはるかに大きい、100mを超える高さとなったことが推測されます。 -
クトゥブ・コンプレックスの敷地内には、こんな建物の配置図(想像図?)がありました。
ここには枠をはみ出して天を突き刺すアラーイー・ミナール(右側の塔)の完成形が描かれていますね。
ちなみに、クトゥブ・ミナールを始めとするクトゥブ・コンプレックスはデリーの南の端にありますが、デリーの中心部は時代が下るに連れヤムナー川に向かって北へ北へと移動していきました。
インド最後のイスラム王朝であるムガール帝国(1526-1858年)の時代には、第五代皇帝のシャー・ジャハーン(在位1628-1658年)がアグラからデリーに遷都し、ヤムナー川にほど近いデリーの北部に自らの名を冠した“シャー・ジャハーナバード”という城塞都市を建設し、これが現在のオールド・デリーとなっています。
このように都市の中心部が北へ北へと移動していくさまは、エジプトの首都カイロ(オールドカイロ→フスタート→アル・カターイ→現カイロ)と似ていておもしろいです。
(エジプト紀行(5)〜(7)参照) -
敷地内にはこんなシッポの長いリスがいました。
あまり人間を怖がらず近づいてきます。
先ほどのラージガートでも木の幹にへばりついているのを見かけましたし、この後もアグラなどでたくさん見かけることになります。
インドではあちこちに生息しているリスのようです。 -
ひととおり敷地内の建造物を見終わって車に戻ります。
歩いていると向こうからは頭にバケツを載せた民族衣装の女性がやってきました。
こんな光景も、ジャイプルやアグラへの街道などあちこちで目にしました。
片手でかごを器用に頭に載せている女性も珍しくありませんでした。 -
次はこちらも世界遺産に登録されているフマーユーン廟へ。
クトゥブ・ミナールからは北へ、ニューデリー地区のやや南東、ヤムナー川にほど近い場所にあります。
駐車場から歩いて行く途中、こんなもんぺ(?)姿の小学生の集団を見かけました。
日本人と分かるとみんな笑顔で写真をおねだりしてきます(笑)。 -
フマーユーン廟とはムガール帝国第二代皇帝フマーユーン(在位1530-40、1555-56年)のお墓。
ムガール帝国初期から最盛期までの皇帝(世界史の教科書で習った初代バーブルから第六代アウラングゼーブまで)のお墓としては意外にも唯一フマーユーンのものだけがデリーにあります。
フマーユーンの后妃の一人ハージー・ベーガムが造ったと言われ、建立は第三代アクバル帝の治世の1560年となっています。
まずは石造りの堅牢そうな二階建ての門を通って中へ。 -
第一の門を抜けるとさらにもうひとつの門が待ち構えていました。
こちらはペルシャのイーワーンとインドのチャトリ(小亭。門の左右の端の上に備え付けられている。)がミックスした、いわゆる“インド・イスラム建築”が色濃く出た門です。 -
この門のアーチから向こうをのぞくと・・・左右対称の均整のとれた建物が見えてきました、フマーユーン廟です。
-
写真で何度も見た、赤砂岩と白大理石で造られ、アグラのタージ・マハルのモデルともなった美しい墓建築です。
やはりペルシャのイーワーンとインド古来のチャトリがミックスされ、中央には象徴的な白いドームを戴いています。
タージ・マハルに次ぐ、インド・イスラム建築の傑作です。
なお、このフマーユーン廟は、上から見るとサイコロの五の目のように部屋が配置されていることから、イスラム教の墓建築としては“五の目墓”というスタイルに分類されるそうです。
参考:深見奈緒子著“世界のイスラーム建築”(講談社現代新書、2005年) -
フマーユーン廟の正面のイーワーン状の入口から階段を昇り、二段目に上がってみました。
振り返って門に向かってパチリ。
このフマーユーン廟は周りの庭園も“チャハール・バーグ”と呼ばれる四分庭園を成しており、その区画は漢字の“田”の字状に水路によって仕切られ、墓建築を中心に幾何学的な美しさを演出しています。
そもそも中東の砂漠地帯で生まれたイスラム教にとっては、塀で囲まれ緑や水、木陰が豊富にある庭園は天上の楽園を具現化したものであり、この四分庭園はそういった為政者の“楽園への願望”から発展してきた様式であると言えます。 -
二階の廟の内部に入ってみました。
外壁にはこのような採光を意識した幾何学紋様のアーチ状の窓がいくつも設置されています。 -
廟の中央、ムガール帝国第二代皇帝フマーユーンのお墓がある部屋です。
イーワーンが縦に3つ並び、インド以外のイスラム世界ではなかなか見られない珍しい高層構造になっています。
そもそもペルシャ起源のイーワーンがこのように三階建てになっているのは、ペルシャにはなかったインド土着の堅牢な石造りの文化に根ざしたもので、“インド・イスラム建築”の特徴のひとつとなっています。 -
天井にはドームを支えるようにアーチネットが描かれていますが、ドーム自体に装飾はなく、いたってシンプルなものとなっています。
また、ドームはいわゆる“ダブル・ドーム構造”となっています。
ダブル・ドームとは、外側の玉葱型のドームと内側の丸天井の間に空隙が差し込まれ、構造的に分離したドームの建築方法です。
これにより、外部に向けて大きく膨らんだ象徴的なドームを誇示することができ、建築物の美的効果を高める役割を果たしています。 -
通路部分の天井もパチリ。
ドームの形状としてはフマーユーンのお墓のものよりこちらの方が凝っているように見えます。 -
サイコロの五の目の中央部分にはフマーユーンのお墓がありましたが、四隅の部分にもそれぞれ別の人物のお墓があります。
領土が縮小し、臣下に権力をにぎられて贅沢なお墓を造れなくなった後代のムガール帝国皇帝やその縁者が葬られているそうです。 -
フマーユーン廟を斜め横からもパチリ。
この上から見ると正方形をしている建物は、四面どこから見てもみな同じ形をしていて、ほんとうに均整のとれた美しい建築物でした。
クトゥブ・ミナールを含め、フマーユーン廟などインドの首都デリーの建築物の由来や構造、そしてデリーの街そのものの変遷については、某ガイドブックにも紹介されている、荒松雄著“多重都市デリー 民族、宗教と政治権力”(中公新書、1993年)がとても読みやすくて詳しく、事前に読んでいて非常に役に立ちました。
デリーの街に興味があるかたは是非、ご一読をお薦めします。 -
デリー観光の最後にニューデリー地区の中心部にあるインド門へ。
高さ42mのこの門は、第一次世界大戦で戦死したインド人兵士の慰霊碑で、壁面には戦没者達の名前が刻まれています。
また、この門から延びる道は国会議事堂や大統領官邸につながっています。
この日は休日ではありませんでしたが、インド人の観光客や社会科見学と思われる小中学生を含め、多くの人々で賑わっていました。 -
12時30分、昼食は某ガイドブックにも載っているタンドリー・チキンとカレーの店モーティー・マハル(Moti Mahal)へ。
オールドデリー地区にある、日本人など外国人客が多く賑わうきれいなお店です。 -
料理はさすがにガイドブックに紹介されているだけあって、おいしかったです。
豆カレーやじゃがいものカレー、マトンのカレーなど、いろんな種類のカレーをいただきました。
写真を見ると今でもよだれが・・・(笑)。 -
食事が終わってお決まりのお茶の店に案内されたあと、15時にジャイプールに向かって出発です。
デリーを出る前にハイウェイからパチリ。
デリーにはこんな大規模商業施設も次々に建設されています。 -
少し走ると、車の外はこんな農村の風景になってきました。
デリーからラージャスターン州の州都ジャイプールまでは南西へ約260km。
一度のトイレ休憩をはさみ、5時間ほどかけて走っていきますが、ちょっと腰が痛くなってきますね。 -
道中、オートバイにこんな横座りのサリーの女性もよく見かけました。
オートバイはHONDA製が多かったですね。 -
荷台に男女問わず人をたくさん乗せているトラックも数多く見かけました。
みんな田舎からデリーなど大都市に働きに出かけるのでしょうか。
なんとなく“ドナドナ”を思い出してしまいます・・・。
ちなみに、トラックはインド国産のTATA製のものが多かったですが、小型車はやはりSUZUKIをいちばんよく見かけました。 -
ドライバーは時々こんなふうにトラックに接近したりして危なく感じることもありましたが、不思議と事故は1件も見かけませんでした。
個人的な経験でいえば、中国では道中事故をよく見かけ、自らもヒヤリとすることも何度かあったのに対し、今回のインドの旅ではそのようなことはほとんどなかったですね。
インドでは都市によっても違いますが、警察の取り締まりも厳しいようで(実際、デリーでは停止線をちょっと前にはみ出しただけで罰金500ルピー(1,000円)をとられている光景を目撃しました。)、それが効いているのかもしれません。
トラックの方でもよく後ろに“KEEP DISTANCE”とか“BLOW HORN”、“HORN PLEASE”などと書いてあったり、こんなおどけた絵が描いてあったりと、見る者の目を楽しませてくれ、楽観的なインド人の人柄を偲ぶことができました。 -
ハイウェイ沿いの村の結婚式にも出くわしました。
左端に小さく見える金色のターバンを巻いているのが新郎で、こんなふうに村の人々に祝福されたあと、新婦の家へ行くそうです。
速度を緩めて眺めていたら、逆にこちらがじろじろ注目されてしまいました(笑)。
お邪魔にならないうちに退散します・・・。
インドはこんなふうに車窓の風景も見飽きませんね。
さて、間もなくジャイプール。日本では世界史の授業でも習わず、デリーやアグラに比べ馴染みがありませんが、いったいどんな街なんでしょう?
(ジャイプール観光へ続く。)
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この旅行記へのコメント (7)
-
- waterlilyさん 2011/02/28 17:06:38
- お帰りなさいませ☆
- エンリケさん、こんにちは!
インドに行ってらしたのですね。お帰りなさいませ♪
インドの女性は綺麗な方が多いですよね。
突然踊りだすドラマの登場人物、面白い〜。
そのドラマ見てみたいです。
もしかしたら日本に印流ドラマブームが来たりして(^^)
お墓が無いのはガンジーだけかと思っていたのですが、ヒンドゥー教自体に個人の墓という概念は無いのですね。
エンリケさんの旅行記でいろいろなことが勉強になりました。
教えてくださってありがとうございます。
そう言えば、ジョージ・ハリスンの遺灰もガンジス川に流されたと言われていますよね。
ミナールのお写真がとっても綺麗〜☆
私もクトゥブ・ミナールには行ったのですが、こんなに綺麗だったとは気が付きませんでした。私ときたらいったいどこを見てきたのでしょう(~_~;)
寂びない鉄柱、今は柵がしてあるのですね。
この鉄柱も私が行った時は触ることが出来て、手を後ろに回して来ました。
やはりミナールの事故同様、何か問題があったのでしょうか。
人をたくさん乗せているトラック、インドらしくて楽しい(^^)
旅での出会い、今回もエンリケさんと出会われた方々は一層楽しく幸せな思い出になられたことでしょうね☆彡
- エンリケさん からの返信 2011/03/02 22:20:31
- いつもコメントありがとうございます。
- waterlilyさん
こんばんは。いつも嬉しいコメントありがとうございます。
“印流ドラマ”という言葉に思わず笑ってしまいました。
インドのテレビドラマは本当におもしろく、録画して持ち帰りたいくらいでした。
女性もきれいですし、インドの経済成長とともにそのうち日本でも流行る日が来るのではと期待して待っています(笑)。
ジョージの遺灰、ガンジス川に流されたんでしたね。
インドはビートルズとも縁が深いところで、そういうところを巡る旅もしてみたかったですね。
旅の出会い、今回も恵まれました。
一人旅をするといつもいい出会いがあり、なかなかやめられそうにありません。いつまでもそんなことをしてる場合じゃないんですが(笑)。
waterlilyさんもインドを訪問されたんですね。
今度旅行記にお邪魔させてもらいます。
-
- meeemiさん 2011/02/26 16:23:23
- すごい!
- お久しぶりです♪
メールと、素敵な写真ありがとうございました〜!☆
象に乗ってる写真、自分では撮れなかったので、めっちゃ嬉しいです!♪
風の宮殿も、車中からのものしかなかったので、嬉しかったです♪
それにしても、インド旅行記、すごいですね〜♪
歴史や、遺跡のことまですごい詳しくて、勉強になります☆
町の風景を見ていると、あの時の残像が目に浮かびます。。。
あのカーチェース、また味わいたい。。。笑
続きも楽しみにしてます☆
私もぼちぼち書いていきます♪
- エンリケさん からの返信 2011/02/26 22:36:38
- さっそく訪問ありがとう!
- meeemiさん
こんばんは。
写真、ちゃんと届きましたか?
象に乗ってるトコはいい笑顔してましたね〜。
またいい写真を見つけたら送らせていただきますね。
今回のインド旅行は実はタージ・マハルをはじめとしたイスラム建築を見ようというのが主題だったのですが、meeemiさんはじめみなさんに出会えて思いがけず楽しい旅になりました。
本当にありがとうございました。
車窓からの写真を見ていると、あの人の優しいドライバーさんの激しい運転の様子が思い起こされますね(笑)。
トイレ休憩するためにハイウェイを逆走したりとか(笑)。
meeemiさんもプロフィールなど着々と作成しているようで、旅行記が楽しみです。
- meeemiさん からの返信 2011/02/27 08:26:47
- RE: さっそく訪問ありがとう!
- エンリケさん
おはようございます♪
写真、三枚共届きました〜!
こちらもいい写真があれば送りますね。
そういえば、逆走してましたね。。。笑
もっと動画を撮っておけばよかったと後悔しています。
旅行記、こんなのでいいのかと思いながら作成中です。
このサイトを知って、早速皆さんの旅行記を楽しく拝見しています♪
教えて頂いてありがとうございました!
-
- kumさん 2011/02/25 04:48:02
- インドだー!
- 2月の3連休を使ってインドまで行ってきたのですね!
さすがフォートラベラー!休みをムダにしないですね^^
インドはやっぱり独特ですね〜
是非とも行ってみたい国の一つですが
お写真をみて改めて思いました。
建築様式が他とは違いますし
地元民のサリーなどのカラフルな民族衣装もステキだし
なんといってもぼろい街並みがかっこよすぎる。
続きも楽しみにしてます♪
kum
- エンリケさん からの返信 2011/02/26 20:27:05
- インド行ってきました。
- kumさん
こんばんは。
できたてほやほやのインド旅行記に訪問いただきありがとうございます。
三連休を見るとどうやって有給休暇を組み合わせて海外に行くかいつも考えてしまいますね(笑)。
インドは確かに他のイスラム諸国と違って、同じモスクや墓建築でもガンコなほどインド古来の建築様式を取り入れようとしている様子が見られ、インド人の気骨を感じることができておもしろいです。
そういう気骨が現在の経済成長につながっているのかな〜とも。
筆が遅いですがジャイプル編、アグラ編も順次アップしていきますので、ぜひまたいらしてください!
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