2009/03/09 - 2009/03/09
122位(同エリア226件中)
フラワーさん
旅行6日目、3月9日(月)です。
スペインとはしばらくお別れして、約3日間のポルトガル観光です。
いつもスペインの陰に隠れているポルトガルですが、同じイベリア半島の二つの国としてその歴史も似通っています。
スペインと道を分かつのは15世紀初頭の大航海時代からでしょう。
この国独自の歴史、文化、自然を堪能したいと思います。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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リスボンのホテル、ゴールデンチューリップ アルティスパークからの日の出。
うっすらと街が見えます。 -
テージョ川に映るぼんやりしたお日さま。
ジジは川ではなく、てっきり海だと思っていましたが、食事で同席した我が同胞に
「あれは川ですよ」と言われ「信じられない」と返しました。賭けなくてよかった。
それがご縁でいまもメールで情報交換しています。 -
世界遺産に登録されているジェロニモス修道院と、このベレンの塔があるベレン地区。ベレンという地名はベツレヘムに由来しています。
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大航海時代にマヌエル1世の命令により着工されました。
当時は不法に航行する船舶を取り締まるのがその役割でした。
華麗な装飾の建築様式にもびっくりします。 -
この複葉機はレプリカです。
1922年リスボンからリオデジャネイロまで、何度か島などに着陸しながら8383kmを合計62時間かけて飛行しました。ポルトガル人のカサドゥーラ・カブラルとサポート役のガーゴ・コウティーニョです。
「翼よあれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグの単独無着陸大西洋横断は1927年のことです。
記念の石碑に飛行コースが示されています。 -
この2人は単独無着陸ではないにしても、当時はポルトガル領であったブラジルまで8000km余りを飛行したのですから、ポルトガルの英雄です。
しかもリンドバーグより5年も前の快挙です。
ただ自己アピールが得意なアメリカ人のかげにかくれて、あまり知られていません。(これは日本人の現地ガイドさんのお話)
この国の人は控えめなのだそうです。少なくとも近世においては。 -
発見のモニュメントをテージョ川に向かって見たところです。
十字架がかたどられています。 -
先頭に船の模型を持って立っているのが、大航海時代に先鞭をつけたエンリケ航海王子です。
大航海時代、ポルトガルはアフリカ大陸から始まって、喜望峰回りでインドから東南アジアそして日本まで到達しました。鉄砲伝来やキリスト教の布教、またポルトガル語が変化して日本語となった言葉など、ヨーロッパと日本の架け橋となりました。
一方のスペインは大西洋を横断してアメリカに到達しました。両国とも大きな範囲の土地から大きな富を得ることに成功しました。 -
先頭がエンリケ航海王子、3番目の人がヴァスコダ・ガマ、5番目の人はマゼランだそうです。
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テージョ川にはヨットが繋留されています。
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石の象嵌で作った世界地図が、発見のモニュメントの山側にあります。
ポルトガルの世界各地の発見年号が、記されています。日本到達は地図にある通り1541年のことです。
大冒険でしたからこのときすでに鉄砲を持ってきたと考えられますが、諸説ある中で種子島への鉄砲伝来は1543年ということになっています。 -
この地図をもう少し見ていたかったのですが、どこかの国の団体さんに占拠されてしまいました。極東の島国の人は控えめなところがポルトガル人と共通しているのかしらん。
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市電の走る広い道路を渡ったところ。
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ジェロニモス修道院です。教会も併設されています。
海外からのVIPはまずここを訪れると言うか、表敬訪問されるそうです。
ジェロニモスさんは4〜5世紀の人でバイブルをラテン語に翻訳した方です。これによってキリスト教が全世界の言語に訳され、広まっていきました。
ある意味で英雄なのです。
この建物はヴァスコダ・ガマのインド航路開拓と、エンリケ航海王子の偉業を称えて建てられました。大航海時代の富を沢山つぎこみました。 -
私たちの目の前に黒塗りのセダンが横付けされました。次の瞬間SPらしき人に続いて、ダークスーツに身を固めた人たちが、足早に修道院に入っていきました。
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話は変わって、ジジの知っているジェロニモはネイティブアメリカンのアパッチ族の酋長(本当はシャーマンらしい)です。現地ガイドの方に思い切って質問したところ、的確な答えを得ました。あのジェロニモはアメリカ人が名付け親で、いわば“英雄”という意味合いでそう呼んだのですとの解説でした。
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繊細な彫刻が施されています。
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重厚です。
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警察犬でしょうか。
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市電それとも普通の電車? ともかく走っていました。
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道路を渡った木陰で一休みです。
これからオプションのロカ岬に向かいます。 -
目的地に向かっています。
ほんとに静かな村です。 -
大西洋が見え始めました。ここまでくればあともう少しです。
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大西洋をバックに。
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岬の管理事務所。ここで発行された「ロカ岬到達証明書」が同胞全員に配られました。
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記念塔の設営。
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最西端証明プレート。
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ポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモンイスが「ここに陸尽き、海始まる」と詠みました。
まさに大陸の最西端です。 -
ロカ岬から見たもうひとつつ南の岬。
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下の方にはこんな若者たちがいました。
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お花がそこかしこに咲いて、私たちを迎えてくれました。
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遠くの丘に見張りの要塞でしょうか。
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ロカ岬からの道沿いには別荘風の、でもシンプルな白い家が村を作っていました。
太陽の光が燦々と降り注ぐ豊かな地方です。 -
町の風景。
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バスの車窓からではっきりしませんが、多分ボンバル公爵広場です。
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1822年にブラジルはポルトガルから独立しました。
ポルトガル王太子のドン・ペドロは本国の王位継承権を保ったまま、本国の意に反してブラジル皇帝になりました。
この広場は通称ロッシオ広場といいますが、正式名称はペドロ4世広場です。 -
広場のお花屋さん。
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休憩場所のお花がきれいでした。
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変なところに海賊がいます。
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シントラ王宮の中に入りました。
夏に王侯貴族が好んで訪れた避暑地がここシントラです。 -
動物の頭をかたどった器。
その日のお肉料理はこの器に区別されて、食卓に並んだそうです。 -
ここは何の間でしょうか。
このつやのある家具、御影石の暖炉、大理石の床、壁一面のアズレージョ。
やはりダイニングルームかな? -
この部屋には伝統的なアズレージョ。
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独特な色合いとデザインのアラベスク柄。
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東西交易の初期、このような東洋からの名品も運び込まれたのでしょう。
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平和の象徴が天井画に。
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凝りに凝ったアズレージョ。他にない図柄です。
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石のモザイク、真鍮のオブジェ。
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木の象嵌のテーブル。これは豪華できれいです。
贅を尽くした家具、調度品がぎっしり詰まっていました。 -
キッチンには鍋や食器、かまどなどすべてが揃っていました。
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来賓を迎える広間。
大きな陶器の壷、じゅうたん、手の込んだテーブル、そしてシャンデリア、多分世界各地から取り寄せた、当時としては珍しい品々が所蔵されてます。 -
街角にて。
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夕陽のテージョ川と町。
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