2009/05/06 - 2009/05/06
253位(同エリア777件中)
ハンクさん
ウィーン、ムジークフェラインザールでの演奏会を終えてやっと一息つくことができた。その翌々日に、東の国境を越えてブラティスラヴァに出掛けることにした。ブラティスラヴァにはこれまでウィーン滞在時に何度か訪れようとしたが、ウィーンではいつもオペラとコンサートが障害?になってなかなか1日を当てることができなかった。今回のウィーン公演の翌々日、しばし音楽を離れて日帰りの旅に出ることにした。
ブラティスラヴァは人口は約43万人、スロヴァキア共和国の首都である。ユネスコ世界遺産には登録されていないが、典型的な落ち着いた中世の街並みが残っており、ウィーンから列車(写真1)で約1時間、日帰りが可能である。中央ヨーロッパの複雑な歴史に翻弄された歴史を持つ。
紀元前400年にはケルト人が町の基礎を作り、1世紀にはローマ帝国の影響下に入ってローマ軍の駐屯地となり、5世紀から6世紀にかけての民族移動時代にスラブ人が定住し、スラブ人による王国となり、8世紀後半モラヴィア王国の一部となった。11世紀にはスラブ人住民によってオーストリアとハンガリーの商業中継地としての地位を確立。13世紀にはドイツ人が多く入植した。その後オスマン帝国の侵攻し、一時ハンガリー王国の首都となったが、のちにスロヴァキア民族運動が活発化した。第一次世界大戦後のオーストリア=ハンガリー帝国の解体にともない1919年にチェコスロヴァキアの一部となり、同年2月都市名をブラティスラヴァに改称した。
1939年にスロヴァキア人によるナチス・ドイツ傀儡政権が誕生したが、1945年にソビエト赤軍の侵攻によって政権は崩壊し、チェコスロヴァキア第三共和国の一都市となる。民主化後の1990年にスロヴァキア共和国の首都となり、1993年1月1日の連邦制解消にともなってついにスロヴァキア共和国として独立し、その首都となった。
町の見所はブラティスラヴァ城(写真2−4)、ドナウ川を見下ろす高台の上にあり、かつてマリア・テレジアの居城ともなっていた。城内の展望台からはドナウ川やブラティスラヴァの市街が一望できる。城の四隅に塔が立っており、「ひっくり返したテーブル」の愛称。城内は国立歴史博物館になっているが、改修工事中で閉鎖されており、外周も工事用ネットで覆われていた。
聖マルティン大聖堂(写真5−9)は1563年から1830年まで、マリア・テレジアを含むハンガリー王国歴代の国王や王妃たちの戴冠式が行なわれた。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 飛行機
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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