1995/01/02 - 1995/01/04
203位(同エリア576件中)
ひらしまさん
エジプトの医者の治療が効いたのか、ピラミッドを見ながらの寝正月がよかったのか、今日からツアーに復帰します。
第6日。観光は今日が最後。妻もようやく食欲が戻り、朝食の席に座ることができた。皆さんが声をかけてくれる。
ギザの三大ピラミッドは、平らな砂漠の中にあるイメージがあるが、実は砂漠は丘になっていてふもとまで町が広がっている。丘に上ったところでバスを降りた。ラクダの列が絵になっている。
まず最大のクフ王のピラミッドに近づく。遠くから見るのと違って横広がりの鈍角に見える。近づくと表面の化粧石が失われているため、巨大な石段のようにも見える。盗掘穴を利用した入り口は、その石段を斜めに登ったところにある。
見学を終え出てくる人たちを見ると、皆荒い息をしている。予想以上にきつそうなので、病み上がりの妻にここで待ったほうがいいと言うが、妻は入ると聞かない。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
入り口から少し進むと、狭くて急な上昇通路になる。中腰のまま進まなくてはならないので、青息吐息で40mを通り抜けた。次の大回廊は、逆に天井までの高さが10mくらいある階段だった。そして控えの間を通り抜け、王の間に立った。
ピラミッドの中心、王の間は、わずかな蛍光灯に照らされた石壁の直方体の空間である。新王国時代の神殿でみてきたような華やかなレリーフはまったくなく、蓋のない石棺だけが置かれている。
妻が写真を撮ってくれという。暗いから無理だよといっていたら、Dさんが撮りましょうと言ってくれたので、ドーダさんと三人、石棺の前で「復活のポーズ」で撮ってもらった。この部屋にはピラミッドパワーが宿るとかで、妻は以後そのパワーを感じるという。 -
ピラミッドを出ると物売りが寄ってきて、プレゼントといって何かを渡されてしまった。アラビアのロレンスでおなじみのあのかぶり物である。そして絵葉書を買えと迫る。一番良く覚えたアラビア語「ラ・シュクラン」(ノーサンキュー)を連発するがあきらめてくれない。
見ると仲間たちはもうバスに乗り込んでいる。やむなく妻が一ポンドを渡してバスに駆け込んだ。ピラミッドをゆっくり振り返る余裕がなかったのが残念だった。
バスは小高い丘に移動して、みんな三大ピラミッドをバックに写真を撮る。ここではドーダさんにピラミッドのポーズをつけられた。
ラクダに乗る希望者が募られたが、なるべく安静にしていたほうがよいだろうとパスした。でも、歓声を上げて乗っている仲間たちを見るとうらやましくなり、妻もご機嫌斜めになってしまった。今回の旅行の最大の心残りがラクダに乗れなかったことである。 -
スフィンクスが見えないけれどどこにあるのかなあと、ホテルから見ているときから不思議に思っていたが、謎が解けた。カフラー王のピラミッドから東に下った低地にスフィンクスは位置する。ピラミッドに比べればはるかに低いスフィンクスは、遠くからは見えないのだ。
当時はナイルに面していたらしく、隣には河岸神殿がある。王の遺体もピラミッドの石材も、ナイルを船で運ばれてきたという。 -
スフィンクスの造られた年代については、日本で興味深いTV番組を見た。カフラー王のピラミッドの守護神といわれてきたスフィンクスが、実はピラミッド以前から存在していたというのはすでに定説となっているが、その建造が数万年前という地質学者の説が紹介されていた。
その根拠はスフィンクスの表面の浸蝕が雨によるものであり、この地方に大量の雨が降っていた数万年前にはスフィンクスは完成していたことになるという。これに対し歴史学者は、文明が生まれたのはせいぜい数千年前であり、そんなに前ということはありえないと反論している。 -
確かにスフィンクスの浸蝕は激しい。胴の右側には鉄骨が組まれ修復作業中で、痛々しい。いずれにせよ、スフィンクスの顔がその時々の支配者に似せて削り変えられてきたというのは本当に思えた。
スフィンクスの近くはもう町である。例によって土産物屋さんに案内される。香水の店で、買い物はしなかったがポンドがなかったので両替をした。お昼は第二日と同じ店。海老がうまい。隣の団体は台湾か香港か、中国系の人たちで実に元気がよかった。 -
最後の宿フォルテ・グランドに着く。ドーダさんのガイドはここまで。とても素晴らしいガイドさんだったとお礼を言ってお別れした。
ホテルは最近改装オープンしたというだけあって、ロビーも広く豪華だ。午後の自由時間について、Aさんから市内へのタクシー事情などの説明を受けた後、F夫妻とタハリール広場へ行こうと話がまとまった。 -
部屋もこれまでのホテルよりずっといい。ピラミッドも見えるのだが、西日が入って暑いのでカーテンを閉めざるをえなかった。一休みしてから、三時のシャトルバスでタハリール広場へ向かった。
本当はカーン・アル・カリーリ市場へ行って市民の生活に触れてみたかったのだが、大変そうなのであきらめ、とにかく街を歩いてみようということになった。ところが、広場を出るには幾つかの道路を横切らなくてはならず、これが大変だった。 -
信号はない。エジプト人は車の切れ目を器用に渡って行く。F夫人と妻は大胆に渡ろうとするが、こんなところで死ぬことはないとF氏と僕が必死に止める。現地の人にくっついてタイミングを見計らって一緒に渡る。なんとか広場を脱した時は本当にほっとした。
店を冷やかしながら歩く。しばらくして、日本のガイドブックに紹介されていると日本語で書いている土産物屋に入った。最初は三ドルの香水瓶をみんなで値切っていたのだが、いつの間にか百ドル以上の物にひきこまれていった。
妻は自分のためにスカラベと生命の鍵をデザインした金のペンダントトップを、母親のためにアレキサンドリア石を買った。Fさんが値引き交渉を頑張っているので、僕も妻を応援していったん合意した値段からさらに五ドルだけ引かせることができ、面目を保った。 -
いつの間にか帰りのバスの時間だ。今度は少し余裕を持って道路を渡ることができた。シャトルバスはホテルに戻る欧米人で一杯で、様々な言葉が飛び交っていた。
ホテルに戻ってから、ほかのメンバーにどこへ行っていたか聞いてみたら、ピラミッドのまわりを三時間かけて歩いて写真を撮ったG&Dペア、タクシーでもう一度考古学博物館へ行ったC夫妻、動物園などを回ったBさんたちと、それぞれに意欲的に動いていたのだった。
最後の夕食で、初めて参加者名簿が配られた。六日目にしてお互いの名前を知るというのも奇妙なものだった。食卓ではまたF夫妻と一緒で、ギリシア旅行の話などを聞かせてもらった。今回のメンバーは海外に何度も行ってる人が多い。だから添乗員がアバウトでも大丈夫だったのかもしれない。最後はA氏批判で盛り上がってしまった。 -
第7日。エジプトでの最終日。この日は六時一五分モーニングコールで、荷造りの時間が十分ある。
日本から持ってきた物で、結局使わなかったのはお酒だ。エジプト航空は酒類を出さないので睡眠薬代わりにとわざわざ買ってきたのだが、なぜか成田で乗るときにワインの小瓶を二本ずつ渡された。機内食のときにいただいたが残念ながらおいしくなかった。逆に、いちばんお世話になったのは湯沸かし器とおかゆだった。
朝食後、中庭を散歩する。これまでのホテルでそういう余裕がなかったのが惜しまれる。正味五日間で回る旅だからしかたないのだけれど。 -
バスの窓からカイロ市街に別れを告げ、空港に着いた。空港では身体検査の上に、キャリーバッグまで開けさせられた。我々は幸い何の危ない目にも合わなかったが、滞在中アシュートで警官を殺害するテロ事件があったそうだ。
この二、三年の観光客を殺害するテロで、欧米からの観光客は非常に減ったという。その分日本人観光客の比重が大きくなり、日本語や日本円が通用する範囲が広まったという気もする。旅行中Aさんは何度も安全を強調していたが、我々の頭のすみっこには漠然とした不安があった。 -
ジャンボ機の座席に座ると、Aさんからアンケート用紙が配られた。回答は封をして出し、添乗員は読めないことになっているという。
添乗員の項目では、5段階評価の2をつけ、理由としてバンコク空港の一件などのいい加減さを書き添えた。本当は1かなあと思ったけれど、医者を呼んだとき世話になったので一つ上乗せした。以前はガイドをしていたそうだが、彼にはそのほうが合っているように思えた。
この飛行機で隣り合わせたのは別の団体の若い男性だった。ケニアの動物ウォッチング旅行の帰りだという。ナイロビはカイロで乗換え、さらに数時間だという。野生の王国は魅力的だけど、我々は多摩動物公園でいいことにしよう。
行きは女性のスチュワーデスだったけれど、今度は男性ばかり。スチュワードというのだろうか。男性でも、もうちょっと愛想がよければいいのだけれど。水を頼むと例の1.5リットルの瓶を置いていく。合理的ではある。
アラビア半島の上空にさしかかったら、窓を閉めろとアナウンスされた。来る時に見た謎の夜景を確かめたいと思っていたのに残念だった。日本から持ってきた山内昌之「民族と国家−イスラム史の視角から−」を読む。妻は灰谷健次郎を読んでいる。いつのまにか眠ってしまった。 -
バンコク空港に寄ったのは深夜だった。今度は上のフロアで待つ。免税店がずーっと立ち並んでいる。禁煙のエリアに行って本の続きを読むが、煙草を吸う人が時々いる。近くで吸われた二人に注意したが、中国語や英語で言い返されたらどうしようと思っていたら、二回とも日本人だったのでほっとして同時に残念だった。
飛行機に戻るときにまたボディチェックがあり、本当はこうだったのかと、あらためて来たときのことを思い出した。
カイロから成田まで16時間。行きより2時間短い。食事はそれでも四回出たが、僕は二回断り、二食しか食べなかった。全然動いていないのだから食べられるわけがない。もっとも妻は食べていたけれど。 -
成田に着いたのは朝の10時。最後に集まって挨拶か何かするのかなと思ったが、なにもなく、スーツケースをみつけた人から去って行く。それでも、僕がスーツケースを探している間、妻はメンバーの女性をみつけては名残りを惜しんでいた。若い同業のBさんには、自分が涙を流して読んだ灰谷健次郎の本をあげたという。
メンバーは、親子連れ四人、カップルが六組、女性二人組、それに単独参加が男女一人ずつの二〇人だった。みんなひかえめで行動はきちんとしていて、親切ないいメンバーだったと思う。お世話になりました。
エジプト八日間。ガイドブックをなぞるような旅ではあったけれど、カルナック神殿や考古学博物館に残されたものに文明の豊かさ、厚さをあらためて感じさせられた。そして一方で、公務員の月給が八千円というこの国と自分の財布との落差を常に感じていた。
さらにまた、バンコクで置き去りにされそうになったり、なくしたカメラが奇跡的に戻ってきたり、異国で医者にかかったり、貴重な体験がたくさんできた楽しい旅でもあった。(終)
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2024/08/11 14:42:07
- エジプト。
- ひらしまさん
酷暑お見舞い、申し上げます。
暑さのあまり室内にこもっていまして
ひらしまさんの4トラ最初のエジプト旅行記、楽しませていただきました。
私もエジプトへはツアーでいきました。
同じような訪問先でのお写真の数々、懐かしかったです。
バンコックでは危うく搭乗しそびれたり、カメラの置き忘れが
奇跡的に手元に戻られたり、奥さまの体調不良などなど、
数々のトラブルに遭われながらもご無事で帰国されたことは
何よりなことでした。
それにしても、添乗員さんの無頓着ぶりには驚きました。
メンバーの人数確認は必須と思われます業務ですのに
危うく置き忘れられるところでしたね。
数々のハプニングに鍛えられながら、やがてツアーに参加しなくても
個人旅行をする度胸、経験値がついて来たんだなあ、など
旅行記を拝見し、自身の旅も振り返りながら、思ったことでした。
まだまだこの暑さは続きそうですが、どうぞご自愛下さいませ。
mistral
- ひらしまさん からの返信 2024/08/12 16:52:32
- 懐かしいエジプト!
- もう30年経ちます。
あのとき海外はまだ2回目でした。
飛行機に預けるソフトケースに瓶を入れたり、目印に絹のスカーフを結んだりと、とんでもないことをやってますね。
きっと今だったらネットで情報収集してある程度の知識を身につけてから行くのでしょうが、当時は一つひとつ失敗して覚えていったんだと思います。
エジプトの遺跡が本当に素晴らしく、その感動を書き留めておきたくてどこに発表するつもりもなく書いた旅行記に、花を添えてくれたのがたくさんのトラブルでした。
団体旅行から遠ざかって久しいですが、あれはあれで楽しかったなあと懐かしく思いながら読み返しました。
mistralさんのおっしゃるとおり”個人旅行をする度胸、経験値”はそれなりにできてきたものの、今度は体力と記憶力の低下が甚だしいのは困ったものです(笑)。
超古い旅行記にお目をとめてくださり、ほんとうにありがとうございました。
体温を超える暑さの日に。 ひらしま
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