1975/09/16 - 1975/10/04
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yattoさん
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当時、タイ-羽田-ロスアンジェルスを一機の飛行機で就航していたエア・サイアムでロスまで。ロスからはパナマ経由でリマ、ガテマラシティ、メキシコのメリダ、メキシコシティ、ロスの周遊きっぷで飛行機代だけで20万円だった。リマではクスコのツアーに金城トラベルで申し込む。クスコで日本人ガイドの迎えを受けて一番いいホテルに宿泊。ガイドの案内でマチュピチュやサクサイワマン、ピサックなどを観光。夜は民族舞踊鑑賞たまさにツアー満喫だった。最後の夜にその自衛隊上がりのガイド氏が自分たちのいるホテルに誘ってくれたので行くと同世代の日本人パッカーであふれていた。皆アメリカで働いてその金で南米を旅している人たちだった。フォークソングを歌ったりして夜更けるまで過ごした。彼らから私の次の旅先のガテマラシティの安宿情報をもらう。リマに戻って知人を訪ねると小さな日本料理屋に連れて行かれる。その板前さんが後にアメリカで大成功する「NOBU]こと松久氏だということはごく最近知った。彼はその時に「ペルーも飽きたから次はボリビアにでも行こうかと思っている」と包丁一本でどこでもやっていける姿勢を見せていた。店は小さかったが自宅はアメリカ車がありお手伝いさんのいる大きな家だった。すごい日本人もいるものだと感心していたが後の成功を聞くと納得できる。ガテマラに飛んだあとからは私も貧乏パッカーになった。泊った宿には日本人がほかに二人いた。女性の一人旅で郊外の織物のおばあちゃんを訪ねるが一緒にどうかと誘われたのでついて行った。シティからバスで2時間くらいの田舎の村だった。暗くなるころに彼女は今夜はここに泊るというが、私は翌日のティカルへの飛行機予約があったので帰らなければならない。バスはもうない。ヒッチハイクしか方法はない。言葉も分からず自分のいる場所さえ分からない人間のヒッチハイクが始まった。若者が6−7人乗ったワゴン車が停まってくれて乗せてくれたがライトは一つ壊れていて、ときどき検問で停車をさせられる。彼らも不安だったろうが私も不安だった。ようやくわかる街角まで来たのでおろしてもらった。持っていたペンくらいしかお礼にできなかったが感謝を伝えた。ティカルまでの飛行機は通称ダコタと呼ばれたDC3の軍用機だった。停車中は体が斜めになったままのプロペラ機。低空で飛ぶのでジャングルが近くに見えた。ティカルの遺跡が石の遺跡の中では最も印象に残っている。翌日はユカタン半島のメリダに飛ぶ。ウシュマルなどの遺跡を巡る。
メキシコシティはヘノバホテル、そこでガテマラで同じ安宿に泊まっていたY氏と再会。彼とは数年後に地球の別の場所で再会をすることになる。ロスに戻ると飛行機は遅延、半日のためにホテルが用意された。それまでの安宿で水には十分注意してきたのが、ホテルの高級感に騙されて部屋の水を飲んでしまい下痢がはじまった。辛いしめくくりになった。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス ヒッチハイク 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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