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有田町歴史民族資料館の企画展を観てきました<br />約400年の歴史がある有田焼は江戸時代から<br />全国の消費地へ船で運ばれていたそうです<br /><br />運ぶ途中で海難に遭遇し北は北海道、南は鹿児島まで<br />全国の海に沈んだ、肥前の陶磁器を集めて船で運ばれた<br />証を確認する展覧会になったそうです<br /><br />展示内容の概略は<br />①有田焼を運んだ船(割愛しました)<br />②九州近海に沈んだ陶磁器<br />③瀬戸内海に沈んだ陶磁器<br />④日本海に沈んだ陶磁器<br />⑤太平洋に沈んだ陶磁器<br />⑥軍艦から発見された陶磁器<br />⑦海岸に打ち上げられた陶磁器<br /><br />展示品の搬入搬出は大変なご苦労だったと思います<br />企画開催を行われた方々に感謝します♪

『海に残された有田焼』

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2010/11/30 - 2010/11/30

346位(同エリア537件中)

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60

kokono

kokonoさん

有田町歴史民族資料館の企画展を観てきました
約400年の歴史がある有田焼は江戸時代から
全国の消費地へ船で運ばれていたそうです

運ぶ途中で海難に遭遇し北は北海道、南は鹿児島まで
全国の海に沈んだ、肥前の陶磁器を集めて船で運ばれた
証を確認する展覧会になったそうです

展示内容の概略は
①有田焼を運んだ船(割愛しました)
②九州近海に沈んだ陶磁器
③瀬戸内海に沈んだ陶磁器
④日本海に沈んだ陶磁器
⑤太平洋に沈んだ陶磁器
⑥軍艦から発見された陶磁器
⑦海岸に打ち上げられた陶磁器

展示品の搬入搬出は大変なご苦労だったと思います
企画開催を行われた方々に感謝します♪

同行者
一人旅
交通手段
自家用車
  • モミジに映える有田町歴史民族資料館です<br />

    モミジに映える有田町歴史民族資料館です

  • 企画展の正面玄関です<br />

    企画展の正面玄関です

  • 表紙写真です<br /><br />福岡県岡垣浜(新松原海岸)はかって米軍や自衛隊の射爆撃場だったそうです<br />1978年に開放された事を知った「添田さん」は染付けの小鉢と出会い<br />好奇心を駆り立てられ以後浜通いが日課となったそうです<br />30年以上採集し続けた結果が数万点の膨大なコレクションとなりました<br /><br />・定点観測と言う貴重な情報であることに価値があるそうですよ<br />・陶片が、なぜ海岸で見つかるのか・・その答えは未だにわからないそうです<br />・伊万里港から積み出され海を渡って運ばれた有田焼の当時を知る<br />貴重な資料であることには間違いないそうですよ

    表紙写真です

    福岡県岡垣浜(新松原海岸)はかって米軍や自衛隊の射爆撃場だったそうです
    1978年に開放された事を知った「添田さん」は染付けの小鉢と出会い
    好奇心を駆り立てられ以後浜通いが日課となったそうです
    30年以上採集し続けた結果が数万点の膨大なコレクションとなりました

    ・定点観測と言う貴重な情報であることに価値があるそうですよ
    ・陶片が、なぜ海岸で見つかるのか・・その答えは未だにわからないそうです
    ・伊万里港から積み出され海を渡って運ばれた有田焼の当時を知る
    貴重な資料であることには間違いないそうですよ

  • 「日本海交易ルート」はかって物流の大動脈だったそうで、<br />有名な北前船を利用して運ばれたようですね<br />積荷には肥前磁器も含まれ品名や価格など注文した記録も残っているそうですよ<br /><br />北前船が日本海を東上している時に沈んだであろう陶磁器が、<br />寄港地やその付近での発見が目立つそうです<br /><br />「江差町鴎島前浜」・「上ノ国漁港遺跡」・<br />「松前小松前河口」・「脇野沢沖」・「温泉津泊」などです<br />例外として航路から外れた、舳倉島沖があるそうです<br />

    「日本海交易ルート」はかって物流の大動脈だったそうで、
    有名な北前船を利用して運ばれたようですね
    積荷には肥前磁器も含まれ品名や価格など注文した記録も残っているそうですよ

    北前船が日本海を東上している時に沈んだであろう陶磁器が、
    寄港地やその付近での発見が目立つそうです

    「江差町鴎島前浜」・「上ノ国漁港遺跡」・
    「松前小松前河口」・「脇野沢沖」・「温泉津泊」などです
    例外として航路から外れた、舳倉島沖があるそうです

  • ☆「上ノ国漁港遺跡」・・北海道桧山郡上ノ国町字勝山<br />1985年に発掘調査が行われ16世紀末〜近代までに至る<br />肥前磁器が出土しているそうです、<br />また、いくつか性格の異なる陶磁器が海底に沈んでいるそうです<br />

    ☆「上ノ国漁港遺跡」・・北海道桧山郡上ノ国町字勝山
    1985年に発掘調査が行われ16世紀末〜近代までに至る
    肥前磁器が出土しているそうです、
    また、いくつか性格の異なる陶磁器が海底に沈んでいるそうです

  • ☆「江差町鴎島前浜」・・北海道桧山郡江差町字鴎島付近海底<br />江戸時代〜近代<br />数隻の北前船が沈んだと伝えられているそうです<br />昭和52年の予備調査では水深3〜8mの海底の堆積物から134点の<br />陶磁器片が出土したそうです<br />肥前磁器も数多く含まれていたそうです<br />

    ☆「江差町鴎島前浜」・・北海道桧山郡江差町字鴎島付近海底
    江戸時代〜近代
    数隻の北前船が沈んだと伝えられているそうです
    昭和52年の予備調査では水深3〜8mの海底の堆積物から134点の
    陶磁器片が出土したそうです
    肥前磁器も数多く含まれていたそうです

  • ☆「陸奥湾脇野沢沖」・・青森県むつ市脇野沢沖海底<br />江戸時代後期〜明治時代<br /><br />脇野沢の松ヶ崎沖合い250mの海底で陶磁器が<br />発見されているそうです<br />幕末から明治期にかけての越後産の徳利が多いそうですが<br />波佐見で生産された笹徳利も1点含まれているそうです

    ☆「陸奥湾脇野沢沖」・・青森県むつ市脇野沢沖海底
    江戸時代後期〜明治時代

    脇野沢の松ヶ崎沖合い250mの海底で陶磁器が
    発見されているそうです
    幕末から明治期にかけての越後産の徳利が多いそうですが
    波佐見で生産された笹徳利も1点含まれているそうです

  • ☆「輪島市舳倉島沖」・・石川県輪島市舳倉島沖(公海)<br />江戸中期(17世紀末〜18世紀初)<br />1995年5月水深800mの海底でカニ籠漁にかかった4点の有田焼<br />の染付皿が引き揚げられた、もっとも深い海底から揚がった有田焼でしょうね<br />日本海の航路をはずれて沈んだものと推定されるそうです<br />

    ☆「輪島市舳倉島沖」・・石川県輪島市舳倉島沖(公海)
    江戸中期(17世紀末〜18世紀初)
    1995年5月水深800mの海底でカニ籠漁にかかった4点の有田焼
    の染付皿が引き揚げられた、もっとも深い海底から揚がった有田焼でしょうね
    日本海の航路をはずれて沈んだものと推定されるそうです

  • ☆「石見銀山温泉津沖泊」・・島根県大田市温泉津沖泊港<br />江戸中期〜後期<br />2006年に沖泊港の海底から陶磁器が引き揚げられている<br />2009年に潜水調査を行った際にも陶磁器やキセルなどが発見されているそうです<br />

    ☆「石見銀山温泉津沖泊」・・島根県大田市温泉津沖泊港
    江戸中期〜後期
    2006年に沖泊港の海底から陶磁器が引き揚げられている
    2009年に潜水調査を行った際にも陶磁器やキセルなどが発見されているそうです

  • ☆『神津島沖海底遺跡』・・東京都神津島村観音地先<br />江戸後期<br />1990年に硯・石灯籠・錨<br />1992年には擂鉢・硯・石臼・石灯籠など109点が引揚げられているそうです<br />擂鉢は明石あるいは堺で焼かれたものだそうです<br />肥前磁器も数点確認されているそうで、大阪から江戸へ向かう廻船が遭難したものと推定されるそうです<br /><br />「江戸・大阪ルート」<br />江戸は肥前陶磁器の最大の消費地だったそうです<br />伊万里から積み出した陶磁器の20%が江戸に運ばれており<br />関東地方を含めると全体の35%を占めるそうです<br />また、全国の物資集散地である大阪から江戸へ向かった廻船が<br />遭難して沈んで形成されたのが 『神津島沖海底遺跡』と考えられるそうです<br /><br />和歌山市の『加太友ヶ島沖』で引揚げられている陶磁器も積荷の1部と想われるそうです<br />おそらく紀淡海峡を南下して、江戸へ向かう途中に沈んだのではないかと想われるそうです<br />

    ☆『神津島沖海底遺跡』・・東京都神津島村観音地先
    江戸後期
    1990年に硯・石灯籠・錨
    1992年には擂鉢・硯・石臼・石灯籠など109点が引揚げられているそうです
    擂鉢は明石あるいは堺で焼かれたものだそうです
    肥前磁器も数点確認されているそうで、大阪から江戸へ向かう廻船が遭難したものと推定されるそうです

    「江戸・大阪ルート」
    江戸は肥前陶磁器の最大の消費地だったそうです
    伊万里から積み出した陶磁器の20%が江戸に運ばれており
    関東地方を含めると全体の35%を占めるそうです
    また、全国の物資集散地である大阪から江戸へ向かった廻船が
    遭難して沈んで形成されたのが 『神津島沖海底遺跡』と考えられるそうです

    和歌山市の『加太友ヶ島沖』で引揚げられている陶磁器も積荷の1部と想われるそうです
    おそらく紀淡海峡を南下して、江戸へ向かう途中に沈んだのではないかと想われるそうです

  • ☆『加太友ヶ島沖』・・和歌山市加太友ヶ島沖<br />江戸中期<br />この海域から引揚げられたとされる陶磁器91点が淡嶋神社に所蔵されている<br />中国陶磁が主体を占めるそうですが、肥前陶磁も9点みられるそうで、<br />いずれも18世紀代の製品であり広瀬向窯などの有田外山の窯場、<br />あるいは波佐見など有田以外の窯場製品と想われるそうです<br />

    ☆『加太友ヶ島沖』・・和歌山市加太友ヶ島沖
    江戸中期
    この海域から引揚げられたとされる陶磁器91点が淡嶋神社に所蔵されている
    中国陶磁が主体を占めるそうですが、肥前陶磁も9点みられるそうで、
    いずれも18世紀代の製品であり広瀬向窯などの有田外山の窯場、
    あるいは波佐見など有田以外の窯場製品と想われるそうです

  • ☆『倉橋島沖』・・広島県呉市倉橋島周辺海域<br />江戸時代<br />倉橋島沖の海域では、ナウマン象や鹿角の化石、古墳時代や平安時代の須恵器甕、<br />中世の土師質土器や瓦質土器、近世の高取系陶器などが引揚げられているそうです<br />コノ中に唐津系陶器が引揚げられているそうです<br />

    ☆『倉橋島沖』・・広島県呉市倉橋島周辺海域
    江戸時代
    倉橋島沖の海域では、ナウマン象や鹿角の化石、古墳時代や平安時代の須恵器甕、
    中世の土師質土器や瓦質土器、近世の高取系陶器などが引揚げられているそうです
    コノ中に唐津系陶器が引揚げられているそうです

  • ☆『波方町唐津崎沖』・・愛媛県今治市波方町津崎沖<br />江戸時代<br />文政12年に唐津崎沖で漁師が蛸で吊り上げたと伝えられる陶器の一部だそうです<br />17世紀の染付皿と白磁碗 17世紀末〜18世紀初頭の染付皿<br />18世紀末〜19世紀の染付蓋付碗、湯呑み茶碗、蓋物、刀の鞘に<br />陶器碗が付着したものなどがあり瀬戸内海を輸送中に沈没した積荷と推定されるそうです<br />

    ☆『波方町唐津崎沖』・・愛媛県今治市波方町津崎沖
    江戸時代
    文政12年に唐津崎沖で漁師が蛸で吊り上げたと伝えられる陶器の一部だそうです
    17世紀の染付皿と白磁碗 17世紀末〜18世紀初頭の染付皿
    18世紀末〜19世紀の染付蓋付碗、湯呑み茶碗、蓋物、刀の鞘に
    陶器碗が付着したものなどがあり瀬戸内海を輸送中に沈没した積荷と推定されるそうです

  • ☆『山口県下荷内島沖』・・山口県大島郡大島町下荷内島沖<br />江戸中期<br />3000点以上の陶磁器が引揚げられているそうです<br />いずれも、海底の砂泥中に埋没していたため残存度が良好なものばかりであったそうです<br />染付青磁皿や染付蛸唐草文皿・染付蓋物などがあり、<br />いずれも18世紀の肥前磁器だそうです<br />

    ☆『山口県下荷内島沖』・・山口県大島郡大島町下荷内島沖
    江戸中期
    3000点以上の陶磁器が引揚げられているそうです
    いずれも、海底の砂泥中に埋没していたため残存度が良好なものばかりであったそうです
    染付青磁皿や染付蛸唐草文皿・染付蓋物などがあり、
    いずれも18世紀の肥前磁器だそうです

  • ☆『芦屋沖海底遺跡』・・福岡県遠賀郡芦屋町<br />江戸後期<br />芦屋の港から北西6.4Km 水深20数mの海底から100点以上の肥前磁器が引揚げられているそうです<br />碗・皿・蓋物・鉢・火入れ・香炉・灰落としなど 器種は豊富だそうです<br />有田や志田など複数の産地の製品が見られ、それらが同じ船の積荷として運ばれていたことを示す資料だそうです<br />

    ☆『芦屋沖海底遺跡』・・福岡県遠賀郡芦屋町
    江戸後期
    芦屋の港から北西6.4Km 水深20数mの海底から100点以上の肥前磁器が引揚げられているそうです
    碗・皿・蓋物・鉢・火入れ・香炉・灰落としなど 器種は豊富だそうです
    有田や志田など複数の産地の製品が見られ、それらが同じ船の積荷として運ばれていたことを示す資料だそうです

  • ☆『岡垣浜』・・福岡県遠賀川郡岡垣町新松原海岸<br />中世〜近代 11世紀〜20世紀<br />表紙写真は「添田征止氏」さんが採集した肥前陶磁だそうです<br /><br />http://www.ariua.org/database/id1758/<br />

    ☆『岡垣浜』・・福岡県遠賀川郡岡垣町新松原海岸
    中世〜近代 11世紀〜20世紀
    表紙写真は「添田征止氏」さんが採集した肥前陶磁だそうです

    http://www.ariua.org/database/id1758/

  • ☆『池尻海底遺跡』・・佐賀県玄海町大字池尻地先<br />江戸後期 19世紀<br />玄海町のトリカ崎の南側入り江から85m沖合、水深4〜6mの海底で<br />発見されている、総数36点はすべて肥前磁器であり<br />伊万里港から積み出されて玄界灘を航行中に海難に遭遇したものと推定されるそうです<br />

    ☆『池尻海底遺跡』・・佐賀県玄海町大字池尻地先
    江戸後期 19世紀
    玄海町のトリカ崎の南側入り江から85m沖合、水深4〜6mの海底で
    発見されている、総数36点はすべて肥前磁器であり
    伊万里港から積み出されて玄界灘を航行中に海難に遭遇したものと推定されるそうです

  • ☆『玄海島海底遺跡』・・福岡市玄海島南西海岸沖<br />江戸時代初期 1600〜1630年代<br />博多湾の入江にある島で南西海岸周辺海域で唐津系陶器が多数発見されている<br />1984年と1994年に行われた潜水調査で皿・大皿・碗・瓶などだそうです<br />

    ☆『玄海島海底遺跡』・・福岡市玄海島南西海岸沖
    江戸時代初期 1600〜1630年代
    博多湾の入江にある島で南西海岸周辺海域で唐津系陶器が多数発見されている
    1984年と1994年に行われた潜水調査で皿・大皿・碗・瓶などだそうです

  • ☆「五島列島小値賀島沖』・・長崎県小値賀島海域<br />中世〜近代<br />小値賀島は東シナ海への玄関口に位置しており交易船が多数往来していたところです<br />中国陶器・タイ陶器が発見されているが、いずれの遺跡でも肥前磁器が<br />少量発見されているそうです<br />

    ☆「五島列島小値賀島沖』・・長崎県小値賀島海域
    中世〜近代
    小値賀島は東シナ海への玄関口に位置しており交易船が多数往来していたところです
    中国陶器・タイ陶器が発見されているが、いずれの遺跡でも肥前磁器が
    少量発見されているそうです

  • ☆『鷹島海底遺跡』・・長崎県松浦市鷹島沖<br />鎌倉時代と江戸時代 13世紀後半と17〜19世紀<br />13世紀末の元寇終焉の地鷹島は、伊万里湾の出入口に位置した島です<br />コノ海域で発見される遺物の多くは元寇関連のものだそうですが・・<br />17〜19世紀にかけての肥前陶磁も含まれているそうです<br />ただし、積荷の一部か船で使用されていたものか、明らかではないそうです<br />

    ☆『鷹島海底遺跡』・・長崎県松浦市鷹島沖
    鎌倉時代と江戸時代 13世紀後半と17〜19世紀
    13世紀末の元寇終焉の地鷹島は、伊万里湾の出入口に位置した島です
    コノ海域で発見される遺物の多くは元寇関連のものだそうですが・・
    17〜19世紀にかけての肥前陶磁も含まれているそうです
    ただし、積荷の一部か船で使用されていたものか、明らかではないそうです

  • 同上です

    同上です

  • ☆『茂木港外遺跡』・・長崎市茂木港外<br />江戸前・中期 17世紀後半〜18世紀前半<br />茂木港沖100〜200mに所在するそうで、ダイバーによって水深18mの海底から<br />肥前陶磁が100点ほど引揚げられたそうです<br />磁器は染付瓶だけで、多くは銅緑釉碗・皿や刷毛目鉢など唐津系陶器だそうです<br />

    ☆『茂木港外遺跡』・・長崎市茂木港外
    江戸前・中期 17世紀後半〜18世紀前半
    茂木港沖100〜200mに所在するそうで、ダイバーによって水深18mの海底から
    肥前陶磁が100点ほど引揚げられたそうです
    磁器は染付瓶だけで、多くは銅緑釉碗・皿や刷毛目鉢など唐津系陶器だそうです

  • 同上です

    同上です

  • ☆『鹿児島県吹上浜』・・鹿児島県南さつま市吹上浜<br />江戸前期 1650〜1660年代<br />薩摩半島の東シナ海に面した砂浜で、1970年代末頃から陶磁器が<br />大量に漂着するようになったそうです、1650〜1660年代の肥前磁器であり<br />大半は東南アジア向けの製品だそうです、長崎から積み出され<br />海難に遭遇して沈んだものと推定されるそうです<br />

    ☆『鹿児島県吹上浜』・・鹿児島県南さつま市吹上浜
    江戸前期 1650〜1660年代
    薩摩半島の東シナ海に面した砂浜で、1970年代末頃から陶磁器が
    大量に漂着するようになったそうです、1650〜1660年代の肥前磁器であり
    大半は東南アジア向けの製品だそうです、長崎から積み出され
    海難に遭遇して沈んだものと推定されるそうです

  • 同上です

    同上です

  • ☆「開陽丸」・「いろは丸」の航跡図<br />詳細については Web でご覧ください<br />http://www.kaiyou-maru.com/kaiyoumaru/kaiyou01.html<br />http://www.ariua.org/archaeology/in_japan/steps3/

    ☆「開陽丸」・「いろは丸」の航跡図
    詳細については Web でご覧ください
    http://www.kaiyou-maru.com/kaiyoumaru/kaiyou01.html
    http://www.ariua.org/archaeology/in_japan/steps3/

  • ☆『開陽丸遺跡』・・北海道檜山郡江差町字中歌沖合<br />幕末・明治期 1868年沈没<br />1974年に開始された開陽丸の調査は<br />日本で初めて行われた本格的な水中発掘調査だそうです<br />

    ☆『開陽丸遺跡』・・北海道檜山郡江差町字中歌沖合
    幕末・明治期 1868年沈没
    1974年に開始された開陽丸の調査は
    日本で初めて行われた本格的な水中発掘調査だそうです

  • 「坂本龍馬像」・・柿右衛門窯製

    「坂本龍馬像」・・柿右衛門窯製

  • ☆『宇治島沖「いろは丸」』・・広島県福山市走島町宇治島沖<br />幕末 1867沈没<br />坂本龍馬が率いる海援隊の用船「いろはまる」と推定されているそうです<br />1988年以降、数次にわたって調査が行われておりその中には肥前磁器も<br />含まれているそうです<br />

    ☆『宇治島沖「いろは丸」』・・広島県福山市走島町宇治島沖
    幕末 1867沈没
    坂本龍馬が率いる海援隊の用船「いろはまる」と推定されているそうです
    1988年以降、数次にわたって調査が行われておりその中には肥前磁器も
    含まれているそうです

  • 海外編です<br /><br />・スウェーデン船 ヨーテボリ号<br />1745年沈没<br />・ベトナム沖 1660〜1680年代<br />・台湾 馬公港1660〜1680年代<br />・オランダ船 オースターランド号<br /> 1697年沈没<br />・オランダ船 アーフォントステル号<br /> 1659年沈没<br />・チャオプラヤ川 1660〜1680年代

    海外編です

    ・スウェーデン船 ヨーテボリ号
    1745年沈没
    ・ベトナム沖 1660〜1680年代
    ・台湾 馬公港1660〜1680年代
    ・オランダ船 オースターランド号
     1697年沈没
    ・オランダ船 アーフォントステル号
     1659年沈没
    ・チャオプラヤ川 1660〜1680年代

  • ・『元寇の海底遺跡』<br />・『鷹島海底遺跡』<br />海底で撮影された写真の様子ですね<br /><br />左上から<br />「てっぽう 炸裂弾」<br />「蒙古兵の兜」<br />「元軍船の材」<br /><br />右上から<br />「中国磁器」王百戸(銘)<br />「褐釉壺」<br />「漆碗」<br />「人骨」頭骨<br />

    ・『元寇の海底遺跡』
    ・『鷹島海底遺跡』
    海底で撮影された写真の様子ですね

    左上から
    「てっぽう 炸裂弾」
    「蒙古兵の兜」
    「元軍船の材」

    右上から
    「中国磁器」王百戸(銘)
    「褐釉壺」
    「漆碗」
    「人骨」頭骨

  • 発掘調査の方法を説明してありました<br /><br />①調査台船<br />陸上の発掘と同じようにプレハブを建てて<br />現場事務所とするそうです<br /><br />②調査区の設定<br />測量機器を用いて設定します<br />基準点がないときは GPS を使うそうです<br /><br />③潜水開始<br />器材をつけて、ダイバーが潜水して<br />作業を開始します<br />調査船とダイバーは水中電話で会話するそうです

    発掘調査の方法を説明してありました

    ①調査台船
    陸上の発掘と同じようにプレハブを建てて
    現場事務所とするそうです

    ②調査区の設定
    測量機器を用いて設定します
    基準点がないときは GPS を使うそうです

    ③潜水開始
    器材をつけて、ダイバーが潜水して
    作業を開始します
    調査船とダイバーは水中電話で会話するそうです

  • ④発掘<br />エアーリフトや水中吸引機を使って<br />海底の土砂を吸い上げて<br />発掘するそうです<br /><br />⑤測量枠の設置<br />発掘して遺物が出土した後<br />格子状に基準線が入った<br />測量枠を海底に設置するそうです<br /><br />⑥実測(測量)作業<br />測量枠を使って、防水性方眼紙に<br />精密な実測図を描いていきます<br />また、潮の干満を測りながら<br />水深を記録するそうですよ<br />

    ④発掘
    エアーリフトや水中吸引機を使って
    海底の土砂を吸い上げて
    発掘するそうです

    ⑤測量枠の設置
    発掘して遺物が出土した後
    格子状に基準線が入った
    測量枠を海底に設置するそうです

    ⑥実測(測量)作業
    測量枠を使って、防水性方眼紙に
    精密な実測図を描いていきます
    また、潮の干満を測りながら
    水深を記録するそうですよ

  • 芦屋沖の海底探査の様子です<br /><br />・探査船「蛭子丸」<br />・モニターに映る探査映像<br />・現場海域<br />・サイドスキャンソナー<br />・サイドスキャンソナーの引き揚げ<br />・調査船の母船<br />

    芦屋沖の海底探査の様子です

    ・探査船「蛭子丸」
    ・モニターに映る探査映像
    ・現場海域
    ・サイドスキャンソナー
    ・サイドスキャンソナーの引き揚げ
    ・調査船の母船

  • ・サイドスキャンソナー<br />が探査した海底のデーター

    ・サイドスキャンソナー
    が探査した海底のデーター

  • 海底地形図ですね

    海底地形図ですね

  • ☆『松前町小松前川河口』・・北海道松前郡松前町小松前川河口<br />近世〜近世<br />北前船の交易で栄えた城下町、小松前川は城下町を流れ海に注ぐ川であり<br />その河口両側に広がる礫海岸で、佐藤雄生氏によって陶磁器が採集されている<br />多くは城下町で使用され、廃棄された陶磁器片が海に流出したものと思われるそうです<br />

    ☆『松前町小松前川河口』・・北海道松前郡松前町小松前川河口
    近世〜近世
    北前船の交易で栄えた城下町、小松前川は城下町を流れ海に注ぐ川であり
    その河口両側に広がる礫海岸で、佐藤雄生氏によって陶磁器が採集されている
    多くは城下町で使用され、廃棄された陶磁器片が海に流出したものと思われるそうです

  • ☆『珠洲市飯田海岸』・・石川県珠洲市飯田海岸<br />江戸時代〜近代<br />珠洲市在住の桝谷秀一氏によって、採集された資料です<br />陸上から海へ流出したものが波で打ち寄せられたものである可能性が考えられるそうです<br />陶磁器は江戸後期・明治・大正時代の製品が大半を占め、ビー玉やガラス玉<br />なども大量に流れ着いているそうです<br />

    ☆『珠洲市飯田海岸』・・石川県珠洲市飯田海岸
    江戸時代〜近代
    珠洲市在住の桝谷秀一氏によって、採集された資料です
    陸上から海へ流出したものが波で打ち寄せられたものである可能性が考えられるそうです
    陶磁器は江戸後期・明治・大正時代の製品が大半を占め、ビー玉やガラス玉
    なども大量に流れ着いているそうです

  • 同上です

    同上です

  • ☆『浜田市国府海岸・隠岐の島町津戸』・・島根県浜田市国府海岸・隠岐の島町津戸<br />近世<br />国府海岸採集の肥前陶磁は久保公子さん、隠岐の島戸採集の肥前陶磁は小島あずささん<br />いずれも18〜19世紀の碗・皿など生活雑器が主体となっているそうです<br />

    ☆『浜田市国府海岸・隠岐の島町津戸』・・島根県浜田市国府海岸・隠岐の島町津戸
    近世
    国府海岸採集の肥前陶磁は久保公子さん、隠岐の島戸採集の肥前陶磁は小島あずささん
    いずれも18〜19世紀の碗・皿など生活雑器が主体となっているそうです

  • 手で触って比べてみてください<br />とありましたから 触ってみましたら<br /><br />あら、ほんとぅ 違いが判りましたぁ〜 <br />海底から御出での方は滑らかでしたぁ〜♪<br /><br />左が陸上 右が海底の磁器片です<br />

    手で触って比べてみてください
    とありましたから 触ってみましたら

    あら、ほんとぅ 違いが判りましたぁ〜 
    海底から御出での方は滑らかでしたぁ〜♪

    左が陸上 右が海底の磁器片です

  • 積荷の荷造りはこんな具合だったんですねぇ〜<br />

    積荷の荷造りはこんな具合だったんですねぇ〜

  • ☆『宮島・似島』・・広島県廿日市市宮島町、広島市南区似島<br />江戸時代〜近代<br />安芸の宮島の干潟では江戸時代の陶磁器が多数見つかっており、久保公子氏<br />によって採集が続けられているそうです<br />唐津や初期伊万里も見られるが主体をなしているのは<br />18世紀以降の碗・皿・刷毛目碗などだそうです<br />

    ☆『宮島・似島』・・広島県廿日市市宮島町、広島市南区似島
    江戸時代〜近代
    安芸の宮島の干潟では江戸時代の陶磁器が多数見つかっており、久保公子氏
    によって採集が続けられているそうです
    唐津や初期伊万里も見られるが主体をなしているのは
    18世紀以降の碗・皿・刷毛目碗などだそうです

  • ☆『鎌倉海岸』・・神奈川県鎌倉市<br />近世<br />鎌倉海岸では古くから中国磁器が採集されていたが、肥前磁器も<br />少なくないそうです、そのほとんどは材木座・由比ヶ浜で採集されたもの、主に高橋誠さん、漁野美佐さん、高橋一夫さん、山田海人さん、小島あずささん、久保公子さんによって採集されたものも含むそうです<br />

    ☆『鎌倉海岸』・・神奈川県鎌倉市
    近世
    鎌倉海岸では古くから中国磁器が採集されていたが、肥前磁器も
    少なくないそうです、そのほとんどは材木座・由比ヶ浜で採集されたもの、主に高橋誠さん、漁野美佐さん、高橋一夫さん、山田海人さん、小島あずささん、久保公子さんによって採集されたものも含むそうです

  • 同上です

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  • ジン和尚様へ<br />長らくお待たせしましたぁ〜<br /><br />念願の第一歩 宝地図です♪♪<br />時代は遡る事 幾百年 ほんとかなぁ〜<br /><br />マジです !!<br />確証はありますっ 館長女史が申されました ??<br /><br />私〆は信じています<br />有田郷の古地図ですよっ<br />誰が描いたんだろうかなぁ〜 <br />判らない<br /><br />よしっ、解明したいなぁ〜<br />さすれば、男のロマンが・・ 金銀財宝が・・<br /> ザックザックと夢の内に広がるわい あははは<br /><br />コメントにてご協力希います マジです<br /><br />

    ジン和尚様へ
    長らくお待たせしましたぁ〜

    念願の第一歩 宝地図です♪♪
    時代は遡る事 幾百年 ほんとかなぁ〜

    マジです !!
    確証はありますっ 館長女史が申されました ??

    私〆は信じています
    有田郷の古地図ですよっ
    誰が描いたんだろうかなぁ〜 
    判らない

    よしっ、解明したいなぁ〜
    さすれば、男のロマンが・・ 金銀財宝が・・
     ザックザックと夢の内に広がるわい あははは

    コメントにてご協力希います マジです

  • 捜し求めし行く先は・・

    捜し求めし行く先は・・

  • コノ場所成りや・・

    コノ場所成りや・・

  • 明りが乏しいし、如何にも雑多でござるよ 

    明りが乏しいし、如何にも雑多でござるよ 

  • へえぇ〜っ<br />こんなんじゃ〜 ないよねぇ

    へえぇ〜っ
    こんなんじゃ〜 ないよねぇ

  • これでも、ないっ

    これでも、ないっ

  • このなかに、あるのか ??

    このなかに、あるのか ??

  • ほんとぅにぃ〜<br />だんだんと心細くなってきたわぃ 

    ほんとぅにぃ〜
    だんだんと心細くなってきたわぃ 

  • やっぱりなぁ〜<br /><br />宝の山は、ここだったんだなぁ〜<br /><br />先人たちは偉いっ !!<br /><br />ただでは、宝を持ち出せない工夫を凝らしているよっねっ <br />感服仕り候<br /><br />注釈<br />登り窯は数室から数十室が連なった窯で、山の斜面に築かれており・・カンリャクに<br />・一番目は「胴木間」燃焼室と言い製品をつめません<br />・二番目から上は製品を焼き上げる焼成室で内部は「火床」と<br />「砂床」に分れ「火床堺」によって区切られている<br />そして、各部屋の間の壁には「温座の巣」と言う通炎孔があり全体が煙突の役割を果たしているだそうです<br /><br />江戸時代〜近代に至るまで生産し続けてきた登り窯ですが・・<br />今では数えるほどの登り窯が生きているだけですよっ<br /><br />判明したことは産業革命の成せる業かな ??<br />伝統工芸はどこへ行くのかな ??<br />近代化の芸術は進歩しているんかな ??<br /><br />今ではほとんどの煙突からは煙は出ていない有田郷の現況です。<br /><br />館長女史のご助力に感謝します。<br /><br /><br />

    やっぱりなぁ〜

    宝の山は、ここだったんだなぁ〜

    先人たちは偉いっ !!

    ただでは、宝を持ち出せない工夫を凝らしているよっねっ 
    感服仕り候

    注釈
    登り窯は数室から数十室が連なった窯で、山の斜面に築かれており・・カンリャクに
    ・一番目は「胴木間」燃焼室と言い製品をつめません
    ・二番目から上は製品を焼き上げる焼成室で内部は「火床」と
    「砂床」に分れ「火床堺」によって区切られている
    そして、各部屋の間の壁には「温座の巣」と言う通炎孔があり全体が煙突の役割を果たしているだそうです

    江戸時代〜近代に至るまで生産し続けてきた登り窯ですが・・
    今では数えるほどの登り窯が生きているだけですよっ

    判明したことは産業革命の成せる業かな ??
    伝統工芸はどこへ行くのかな ??
    近代化の芸術は進歩しているんかな ??

    今ではほとんどの煙突からは煙は出ていない有田郷の現況です。

    館長女史のご助力に感謝します。


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この旅行記へのコメント (5)

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  • shima77さん 2010/12/05 21:18:13
    今晩は・・・金貨、銀貨より、有田焼・・・。。。
    ココノさん・・・こんばんわ・・・有田焼、凄いです・・・海底に有るものを引き上げるのは・・・?生きているかもの人、?金銀財宝、?あわび、サザエ、・・・ここまでと思っていましたが・・・?有田焼・・・少しかけているのが海底発掘らしくて値打ちがある?・・・。

    のんきで 気ままで 自己流な考えの shima77さん でした・・・

    kokono

    kokonoさん からの返信 2010/12/13 22:37:14
    RE: 今晩は・・・金貨、銀貨より、有田焼・・・。。。『ごもっともです !!』
    ?と?については同意です

    ?については漁業権侵害が関わりますんで・・

    ?は大切な資料になります♪
     欠品も大切ですよ 
    完全無欠はこの世に存在しないと言う事柄を前提にしている私〆ですからね

    価値の判定は歴史考古学者にお任せして・・
     我輩としては いかなる技術を思考したかの疑問点が面白いのですよ

    考古と近代 それから未来へと翩々として続く人間社会の日常品が・・
     面白おかしく変化する容や色合いは 楽しいものですよぅ 笑い

    万華鏡へ虜のココノです
  • ginさん 2010/12/04 22:08:49
    海底に眠る焼き物
    日本の沿岸のいたる所の海底に焼き物が沈んでいるんですね。

    でも探しあてるのは難しいでしょうね、海難事故の文書から手がかりを・・・

    最近、タイ湾に沈む難破船の中から、海外に運ぼうとしていたと見られる大量のスワンカローク焼が見つかり、当時のタイ陶器の隆盛ぶりを証明した。
    毎日新聞 2002年1月21日 東京夕刊

    私もタイ近海の海底を探してみます、まだまだスワンカロークの焼き物がいっぱいあるでしょうからね。

    チェンマイの蛸坊主。

    kokono

    kokonoさん からの返信 2010/12/06 18:57:31
    RE: 海底に眠る焼き物 『海中に潜るのは苦手です』
    静かな海底でオヤスミの 肥前陶器殿さんたちを 無闇に起こしたりはしたくないんですが・・

    歴史ある陶郷のひとたちには 先人が残した欠片や完成品が 逝く数十年も
     使用可能かとかを探索することにあるやも知れず・・

    コメント解説文を翻訳しているうちに 
     悩みが増幅されてきて 実は困っているんですよぅ とほほ

    まだまだ、続くんですよぅ
     夜は寝て 昼寝して 古文書にも通って 陶芸教室では、はしゃいで くくっ 笑い
      
    こちとらは眠るひまがないんだわさぁ 大笑いです

    値千金は古文書なりか ??
     はたまた、金銀財宝の宝地図なりや ??
      近場の資料館で手にはいる 古陶磁器なりや ??

    果報は寝て待てという 極限もござれば 
     今回もだまされたと覚悟を決め
      放蕩三昧の趣味を満喫することにきめましたぁ〜 

    かんらかんらの高笑いで 誤魔化そうとの魂胆でごわす 
     ココノより ご返信です。 

    kokono

    kokonoさん からの返信 2010/12/13 22:22:13
    RE: 海底に眠る焼き物 『そうらしいんですよぅ』
    私にも、詳しくは判らないんですが・・

    海底探査ソナーが宝物を感知する装置を装備してイルンかもですよ・・ 嘘でしょうね 笑い

    勿論、古文書に記載があれば多少は楽に探すことが可能でしょう・・
     海流や潮流 泥流・屁泥 はたまた、地殻変動により 閑人処は方々へ離散だったりしてね

    海岸へ漂着するには 幾十年の歳月がかかる代物だすなぁ〜
     故に地上埋没品よりも 価値があるかもですよ 笑い

    発見は偉大です 盗掘は犯罪になります 漂着物は拾った人の財産です
     過程は違っても 解釈は勝手です むつかしい世論ですねぇ〜

    宝物は古城を望む物かも 希少価値としてのみ 実用とか参考には程遠い代物が多いとか・・
     ジンさんも心して海底を散策してください 毒蛇に注意してねっ

    珊瑚の欠片で怪我しても ポーちゃんは介抱してくれないかもよっ あはは
     障害保険を付加したところで年齢的には 元の木阿弥が・・

    蛸の天敵はココノ也 あはは 

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