1990/04/20 - 1990/04/20
160位(同エリア517件中)
がおちんさん
スカッと晴れた空に、カラッとした空気。
まだ自家用車が走っていなかった頃の昆明は、排気ガスも少なくて歩くのが楽しい街でした。
今やすっかり大都会となった「春城」も、20年前は石炭のにおいが漂うのどかな都。
当時の話題を交えながら、昆明市街を歩いてみます。
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昆明の夜が明ける。
写真は民族学院招待所の部屋から見た眺め。 -
留学中は毎日のように出歩き、昆明市街はほぼ行きつくした。その中でも好きだったのが、このルート。ゆっくり歩いて6時間強のコース。
赤丸が今回の主な撮影地点。
前編では雲南民族学院から花鳥市場までを歩く。 -
出発地点は民族学院の正門。
まずは怒族の学生と記念撮影。 -
雲南民族学院は少数民族の幹部を養成する大学。
民族ごとの祭の日には、民族衣装を見かけることもある。 -
北門街を進み、園西路と交差する辺りの道端に麻が生えていた。
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2ヵ月後には、こんなに大きく成長。
さすが忍者が修行で使ったといわれるだけある。 -
さらに北門街を進むと、動物園の裏入口そばに米線屋がある。
味は中の下だが、なぜか流行っていた。
雲南大学寮の裏にあったからかも。 -
北門街から翠湖に抜ける坂道。
細い道は夜になると真っ暗になる。
懐中電灯は必需品だ。 -
坂を下った地点から見上げる。
途中に売店が一軒ある。 -
坂を下りた青雲街を走る1路バス。
昆明の中心街を通って黄土坡と東駅を結ぶが、本数が少ないのでいつも混雑している。けっこう飛ばす。
この路線は細かいカーブが多いせいか、女性の運転手は見かけない。
1路はスリが多い。 -
翠湖東路にある、昆明初の日本食レストラン「紫嵐」。
人気メニューは親子丼。大理のそれと違い、本物だった。
日本酒やカクテルも飲めたが、一杯が数十元というプライスは留学生にとっても安いものではない。ましてや当時の中国人客が払える金額では無かった。
女老板が日本に帰ると味が激落ち。ただの中国風親子丼屋になってしまい、数年で店を閉じてしまった。
時代が早すぎたのだろう。 -
翠湖公園は昆明市民の憩いの場。
入場料は2角。老人は定期パスを購入できる。
二胡を伴奏に踊るグループや歌合戦が見られて楽しい。
激動の時代を生き延びた人たちの姿だ。 -
翠湖には冬になるとカモメが飛来する。
餌のパンを投げる人々。
中国人は楽しむのが上手い。 -
ここのカモメは人に慣れている。
そういえば、捕まえて食べちゃった人が250元の罰金刑になったと「春城晩報」に出ていたな。 -
翠湖西路では「食品街」が行われていた。
各地の特産品を購入できる良いチャンスだ。
「北京醤油」は人気が高かった。 -
私は石屏豆腐を食す。
焼豆腐と違い、ふだん昆明では食べることの出来ない本場の味。
まあ、ただの豆腐だが。 -
翠湖南路の壁新聞をチェックする。
水鉄砲をかけられたのがきっかけでケンカになり、双方とも包丁を持ち出して切り合い、大怪我をしたという驚きのニュース。
演じたのは4歳と5歳の男の子。
恐るべし中国。 -
こちらもビッグニュース。
ヘロイン中毒になった茶花賓館の現役フロント嬢が、
ホテルから10万2千元という大金を盗んで逮捕されたというもの。
死刑が確定されたが、その後の消息は不明。
この人、知っている人だったのでショックだ。
そういえば事件を起こす数ヶ月前から顔色が悪く、目の下にクマができていた。まだ21歳だったのに人生を棒に振るなんて。
麻薬は雲南が抱える大問題でもある。 -
翠湖南路から東風西路にぶつかり、ちょっと左手に行くと小西門に到着。
商店が多く集る、活気のあるエリアだ。
道路標識の角度がずれているような気がする。 -
路上の古本市。
よく探すと掘り出し物もある。
少数民族の故事を載せた雑誌「山茶」のバックナンバーが見つかったりするのだ。 -
冬になると新疆からウイグル族が商いにやって来る。
干しぶどうは大人気。甘くて美味しい。
後ろの国営商店では、ご婦人達が服を眺める。
小西門はいつもにぎやかだ。 -
同じくウイグル族のシシカバ屋。
顔なじみになると、会う度に口笛を吹いて誘う。
「ヤクシミシーズ!」と挨拶すると、満面の笑顔で答えていた。
客が捨てた竹串を拾って再利用するのがちょっと・・・。 -
小西門から大観街へ進む。
この通りは古い町並みが残っていて、歩くのが楽しい。 -
道の両側には商店や屋台が並ぶ。
ここで焼豚を買って食べ歩きするのが好きだった。 -
大観街に来た最大の目的は、ここの米線屋で食べること。
店の前にはスープの良い香りがいつも漂っている。
昆明中の米線屋を食べ歩いたが、この店が一番美味かった。
当然、客も多かった。 -
いつも食べるのに忙しくなり、まともな写真が残っていないのが残念。
左が小碗5角、右は大碗1.2元。過橋米線は2.8元。
どれも絶品だった。 -
美味しい米線に満足した後は、再び小西門まで戻り、武成路へと進む。
ここも昔の町並みが残る通りだ。 -
古都の香りが残る武成路を2路バスが行く。
2路バスは昆明駅から塘子巷、南屏街、小西門を経由して黄土坡に至る2連結バス。
壊れそうなエンジン音を発しながら低速で走る。
便利なので良く利用した。 -
バスが来ないと武成路は歩行者天国のようだ。
リヤカータクシーのおじさん、「車来、車来!」と大声を出しながら、グイグイ進む。 -
文廟直街から光華街まで来ると、有名な福林堂がある。
創業1857年という、昆明で最も古い薬局だ。 -
こちらは人気のあった雲南ダックの店。
並んで買ってみたけど、ちょっと脂っこかったなー。 -
光華街から花鳥市場へ。
ここは実に良い雰囲気。
趣味の人たちが大勢集ってくる。 -
今日は猛禽類のヒナが売られていた。
ここでは山猫のようなものまで商いされているのだ。 -
景星街には翡翠などを売る人がいっぱい。
本物かどうかはわからないけど、見て歩くだけで充分。 -
こちらは怪しいチベット族風の薬売り。
動物の骨を集めて口上をのべていたが、
どう見ても漢族なのだった。 -
こちらも怪しげな湖南省産の痛み止めを売る男。
どんな痛みもピタッと止まるそうだ。
芝居がかった喋り口調に子供たちも興味津々。
中国人は役者が多いな。 -
チビッコのハートを鷲掴みにしていた、飴屋。
ルーレットを回し、その絵の飴を作ってもらうのだ。
おじさんは溶けた飴を大理石の上に見事に描いていく。
ちょっとした芸術作品だ。
誰もが大きな龍の飴(中央に立ってるやつ)を狙うけど、難しい。
子供たちが昆明訛りで盛り上がっていた。
昆明市街探訪記:後編〜雲南をゆく1990 (5) に続く
http://4travel.jp/travelogue/10521858
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この旅行記へのコメント (2)
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- シュンスケさん 2011/03/27 00:11:49
- 涙が出てきました
- がおちんさん、ご無沙汰しております。東京に戻ったシュンスケです。
1990年の昆明、こんな姿だったんですね。今も面影を残す民院の正門を見て不覚にも涙が出てしまいました。昨年の話では今年2011年には北のほうに学校ごと移る予定のようです。今の場所からなくなる前にもう一度この目に焼きつけておきたいです。
この後98年の花博に向けて急ピッチに再開発が進んだと聞いています。僕がいた2000年には、すでに写真のような町並みは残っていなくて、雲南省博物館付近の順城街にわずかに残されていただけでした。
その順城街も僕のいた間に再開発が進んで今では新しく老街が建設されたと聞いています。順城街は回族のシシカバブ屋が屋台を並べていて、そこを歩くのが毎週末の楽しみでした。10年早く生まれたかったです。
今の昆明も住みやすくていい街なんですけど、昔を知るものからすると別の街ですよね。これからも昔の雲南楽しみにしています。
- がおちんさん からの返信 2011/03/29 21:03:15
- RE: 涙が出てきました
- シュンスケさん
ご無沙汰しております。残念ながら中国で白酒を酌み交わすことは叶わなくなってしまいましたね。
> この後98年の花博に向けて急ピッチに再開発が進んだと聞いています。僕がいた2000年には、すでに写真のような町並みは残っていなくて、雲南省博物館付近の順城街にわずかに残されていただけでした。
そうなんです。90年から91年はゆるやかだったのですが、92年、93年になると開発が加速し始めました。小西門から雲南飯店あたりの東風西路は高い街路樹が植えてあり、強い日差しを避けられる心地よい散歩道だったのですが、市長が変わると道路を拡張する際に木を全部切ってしまったそうです。古い建築物も壊し、中国のどこでもあるような漢族の町になってしまいました。95年から96年には車が渋滞するようになり、昆明からのどかさが消えてしまった。あっという間の数年間でした。
その後、古鎮遊ブームが起きたのは皮肉ですね。しかし古鎮も少数民族の祭りも観光化されてしまいました。
今はただ懐かしいです。
がおちん
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