八幡平(岩手側)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
≪奥入瀬と八幡平の旅(奥入瀬編)から続く≫<br /><br />10月22日(金)<br />温泉は朝から入れるが、夜のうちに男女が入れ替わってる。朝食はバイキングではなく朝食会場へ行く。海苔や干物の付いた一般的な朝食だった。<br />今日のコースはまず八甲田山へ向かう。103号線を山の方に向かえばすぐに蔦温泉。ここは道路から入ってすぐに昔の学校のような風情ある建物がある。朝早い時間なので、昨日泊まったらしい人が荷物を持って出てきたりしていた。ここでは写真だけ撮って出発。さらに進むと30分もしないで谷池温泉の入り口に着く。僕の前を走っていた車は温泉に入って行ったが僕はここの分岐を右折して田代平方面に向かう。昨日から見慣れてきてしまったから感動も薄らいでしまったけど、綺麗に染まった紅葉の高原を走る。車は数える程度しか走っていないし、快適なドライブ。紅葉の綺麗な場所ではどこででも車を止めて写真を撮ってしまったが、他の車の邪魔にもならない。樹林が途切れ視界が広がると田代湿原。左手には八甲田山の箒場岳(?)なども見えているが右手は広大な湿原が広がる。すぐ先に田代高原つつじの小道というのがあって、そこには駐車場もある。ここからはグズリ沼というところまで散策路もあるみたいだ。その散策路に少しだけ入って二人で写真を撮る。周りは紅葉なのに足元は緑の草原だった。ここから駐車場の方を振り返ると道路沿いの建物が洒落た感じで建っていて栂池高原にも似ている。ここを出ると小さな売店が2軒。でも自動販売機で飲み物を買い、向かい側の草原で写真を撮っただけ。さらに少し行くと、雪中行軍遭難記念碑のところに出る。ここは新田次郎「八甲田山死の彷徨」で有名になった場所である。日露戦争を控えてシベリアの寒さを体験すべく計画された八甲田山の雪中行軍。青森の陸軍第35連隊は大量の遭難者を出し、弘前の連隊は一人の遭難者も出すことなく無事に帰営した。その大量遭難を知らせるべく、救援を求めて単独行した斉藤伍長が発見された場所がここだ。明るく開けた草原で、特に今日は青空に白樺の白さが映えて、昔そんなことがあった場所だなんて全然感じられない。そんな感慨を持ったのは僕だけかもしれない。<br />ここを出るとあとは東北自動車道に乗って八幡平を目指すだけ。東北自動車道に乗るのに青森へ出る道と黒石へ出る道があるが、黒石を目指すことにする。しばらく行くと、酸ヶ湯への標識があるので行ってみる。10分もしないで到着。ここも蔦温泉同様、古くから開けた温泉で千人風呂が有名。でも千人風呂は完全混浴でタオルなし、とのことなので、玉の湯という内風呂に入る。男の方は一人しかいなくてのんびり入れた。<br />先を急ぐので長い時間は入っていない。駐車場の片隅から八甲田山の湧水が出ているので、それを飲んでから出発。さっきの分岐まで戻り黒石方面に下っていくと城ヶ倉大橋というのがある。景色が良いのでたくさんの車が止まっている。ここは城ヶ倉渓谷に掛かる橋で下を見下ろすと122?もあるそうだ。ここは遠景写真だけ撮って出発。黒石インターまではカーナビに導かれて行く。黒石に近づくと正面に大きな山容の独立峰が見えてくる。津軽富士の異名を持つ岩木山だった。こういうふうに実際に見ると、そういう異名も納得できる山容だった。これまで東北自動車道は仙台まで走ったのが一番遠かったが、今日は逆に青森方面から上りを走る。黒石インターから乗ってすぐに津軽サービスエリアというのがあったのでお昼を食べるつもりでそこに寄る。ところがサービスエリアであっても食堂などはなくファミリーマートのコンビニがあるだけ。でもほかに選択の余地はないので、そこの助六寿司とか適当なものを買って食べることにする。サービスエリア内に公園のようなベンチがあるのでそこで食べる。サービスエリア内に止まっている車も数えるほどだった。<br />このサービスエリアを出てからは東北自動車道を淡々と走る。北陸自動車道や長野自動車道なみに空いている道路をマイペースで走る。とは言っても知らない道でのスピードの出し過ぎは取締りに引っ掛かる可能性があるので要注意。自分が走っているスピードが遅いくせに追い越し車線に出たままなかなか走行車線に戻らないような馬鹿な車がいなければ、僕だってスピードを出して抜いたりはしない。制限速度をちょっと超えるくらいのスピードで走っていても邪魔になる車もいなければ僕を抜いていくもっと早い車もいなかった。予想外だったのは、青森から八幡平までずっと2車線だったこと。長野自動車道や四国自動車道みたいに、どっかで1車線になるのではないかと思っていたが、今回走ったルートは全線2車線だった。八戸から来る八戸自動車道と合流すると多少は流れる車が増える。今度は岩木山とは違った形の山が右手前方に見えてくる。今から行く八幡平方面の山を前衛とした岩手山だった。この山が見えてからすぐの松尾八幡平というインターで降りる。<br />今日の泊りの八幡平ハイツという看板を通り越してアスピーテラインという道を登る。この道は八幡平の頂上を経由して田沢湖方面に行く道だ。登るに従ってどんどん展望が開けていく。左手にはずっと岩木山が見えている。紅葉も八甲田に劣らず美しい。ところどころ道路が広くなっていて駐車している車がいる。そういうところに車を止めると、だいたい景色が良い。でも僕たちはそれだけでは飽き足らず、走っていて展望の良いところでは必ず車を止めていた。茶臼岳という山を過ぎたあたりで左手下に池が見えるが、こんなところに車を止めて写真を撮っていたのは僕なんかくらいだった。そこから少し走ったところに黒谷地湿原入り口というのがあるので行くことにする。ここには道路の向かい側に駐車場がある。寒いくらいなので二人とも上着を着てカメラだけ持って行く。入り口から木道が敷かれていて歩き易い。そんなに大きな上りや下りもないが、道路から離れるにしたがって樹林の中という感じになる。それも長くはなく、展望が開けると湿原の始まり。湿原そのものは志賀高原や白馬なんかと同じだが、まわりの山々や生えている木々の種類によって微妙に違うものだ。ここの湿原付近にはコケモモがたくさんあった。黒谷地湿原の展望所には誰もいない。でもここから道は二つに分かれ、さっきの茶臼岳へ続く道と八幡平の頂上に続く道に分かれていた。僕なんかは写真だけ撮ったあと来た道を戻る。<br />ここの駐車場からはほんの一走りで見返り峠という八幡平の頂上に着く。ここには有料駐車場しかないが、ここでは止むを得ない。木造の展望台も作ってあるが、駐車場から見える景色だけで十分だ。ちょうど箱根の大観山のような感じで、富士山の代わりに岩木山があり、芦ノ湖はないけど深い谷が広がる、と言ったところか。今日の観光はここまでにして帰路につく。樹林ラインというのがあるらしいのだが、ちょっと時間の目途も分からないのでアスピーテラインを下る。写真を撮り損なったところだけもう一度確認しながら下る。途中の道端でアイスを売ってるオバサンがいたので文子が一つだけ買ってきた。<br />下りきったあたりが八幡平温泉郷ということになっていて、八幡平ハイツもここにある。ここは駐車場も大きな観光ホテル。しかし、別館姫神というのがあってこっちはコテージタイプになっている。別館姫神は本館1階の通路の一番奥から分かれている。別館に入っただけで廊下の雰囲気も重厚な雰囲気に変わり、高級感が溢れている。廊下の両側に部屋が並び、全部で5室。一番奥の部屋は「天皇の間」で、実際に今の天皇や昭和天皇がお泊りになった部屋だそうだ。僕たちはその手前の黒倉の間。黒塗りのドアを開けると手前にユーティリティがあって、奥には絨毯張りのフロアと1段高くなったベッド。そして一番奥のガラス戸を開けると広いテラスに露天風呂。しかも、ここのテラスからの紅葉がとても良かった。この別館への宿泊の女性には選べる浴衣と帯のサービスがある。でもその帯が浴衣の帯じゃなくて着物の帯だったから文子は着るのに苦労していた。結局、フロントに頼んだら若い女性が着付けに来てくれた。最初は本館の大浴場へ行く。こっちも内風呂と露天があって結構良かった。売店を見たり自動販売機のビールを飲んだりしているうちに夕食。ここは部屋へ運んでくれる。メニューは次のとおり。<br />食前酒 林檎酒、箸染め 安代ふうせつ花の汲み上げ湯葉、前菜 海老と細魚の手網巻、八幡平産虹鱒のマリネ、あみ茸と山クラゲの菊花和え、椀物 三陸磯の香り、お造り 三陸産アワビ 伊勢海老、しのぎ 前沢牛の握り、焼き物 前沢牛ロースとタラバ蟹の網焼き、中華 杜仲茶ポークの角煮、揚げ物 海老の南部せんべい揚げと蟹爪の変り揚げ、洋皿 三陸産平目の帆立包み、酢の物 ズワイガニと白子豆腐、鍋物 前沢牛ロースと杜仲茶ポークのせいろ蒸し、食事 八幡平産岩魚と山菜蕎麦、香の物、水菓子。<br />これだけの料理が並ぶと壮観。どれも量が多いわけではないが、それでも食べでがある。あせる必要もないので二人でゆっくり時間を掛けて食べたが1時間半掛かっても食べきれなかった。平目の帆立包みと食事というのはとうとう食べきれずに残してしまった。それでも前沢牛は美味しかったし、アワビや伊勢海老も抜群に美味しかった。お膳を下げに来た女性が、食事はお握りにして持ってきてくれたし、ここの宿はとっても良かった。こんなに良かったと実感できるのは、昨日の宿と宿泊代が一人3千円しか違わないせいもある。これだけの設備と食事だったら一人27千円でも納得だが、昨日の宿が高すぎた。<br />おなか一杯なので、そのままベッドで休む。眠ってしまうと、以前の下関の旅みたいに文子のお腹が痛くなってしまうので横になるだけ。少しこなれてから部屋の露天風呂へ入る。ここの露天はお湯を出せばそのままかけ流しの温泉になる。お湯がたっぷりなので二人で入ると溢れてしまった。<br /><br />10月23日(土)<br />今朝も朝から温泉に行く。ここの宿は鍵も二つあるので安心。昨日の朝食とは違って、ここでは朝食はバイキング。ここの宿の評価で唯一低かったのは朝食で、洋食のおかずが少なかったからだ。食堂の往復の時に、本館の方の部屋が廊下から見えたが狭くて石垣島のルートインみたいな感じだった。それだけに別館姫神の良さが実感できる。この宿を出るときには絵葉書もプレゼントされた。ホテルの中庭の紅葉が綺麗だったので写真を撮って出発。ガソリンが少ないので、単価は高かったがホテル近くのスタンドで給油した。<br />今日のコースは田沢湖へ行き、そこから角館の武家屋敷を見て秋田空港、というコース。最初は昨日と同じアスピーテラインを通る。昨日行った見返り峠まではノンストップ。そこを超えたところにも景色の良いところが現れる。例によって車を止めては写真を撮って走る。でも見返り峠からはずっと下りだ。やがて広く開けた大沼というところに着く。ここにはビジターセンターもあり大きな駐車場もある。駐車場の向かい側に大沼へ続く道があるので行ってみる。さすがにここは前後に人が歩いている。11月5日からは冬季閉鎖になるのがアスピーテラインなのだから、標高が低くても北アルプスの高山と同じ植物があったりする。大沼の1週は30分くらい。今日は土曜日ということもあって、紅葉狩りの車がどんどん登ってくるようだ。ここを出発して更に下界に向かう。下界に行ってしまうと紅葉も見れないだろうと思って、名残り惜しげに樹林の中にも入ってみた。でも、昨日一昨日以上の紅葉がある訳でもない。結局、取り立てて傑作写真も撮れぬまま下界に着いてしまった。ここからは一般道路を走る。ところが、さっき川面の写真を撮った時にバスに抜かれてしまって、このバスが同じ方向に行く。しかも遅い。国道341号線に出てからずーっとこのバスの後ろを走っていた。バスの真後ろではなくて僕の車とバスまでの間には5台くらいの車がいたが、その中の1台が全然抜く気もなくて、遅いのに余計拍車を掛けていた。それでも玉川ダムというところでバスはようやくどいた。あとは皆で、バスでもないのに遅いワゴン車を抜いて行った。そんなイライラの中で運転していたので気が付きもしなかったけど、玉川ダムは岩盤浴で有名な玉川温泉の近くだった。それに田沢湖に近いところにはJRのコマーシャルで有名になった鶴の湯もあったのだ。でも、今となってはどちらも次回、行く機会があったら、ということになる。<br />田沢湖到着は11時半。ここで湖畔まで行ってみる。日本一水深が深い、ということだが砂浜の湖畔からではそんなことは分からない。でも意外と綺麗な水の色だった。駐車場の周辺に秋田犬の繁殖所や食堂がある。ここでお昼を食べることにするが、文子は定食が良いらしい。でも僕は朝のご飯が利いていて、ちゃんとしたものを食べる気になれなかった。結局、店の外のテーブルでキリタンポの味噌焼きとうどんを二人で分け合って食べた。この日の夕食は羽田でカツ定食を食べたのだが、翌日から僕のお腹の調子が悪くなったのは、もうこのお昼の時からおかしかったのかもしれない。<br />田沢湖まで来たので有名な辰子像くらいは見て行きたい。でもそれは湖畔を半周した反対側にある。そこへ向かって走る途中、潟分校、という標識を見つける。ここは正確な記憶ではないが、レトロな小学校を復元したもの、ということをどこかのパンフレットかガイドブックにあったのを頭の片隅に記憶していた。そっちへ入っていくと道は狭くなるし、レトロな感じの数軒の家がある。それを過ぎて小さな坂を越えると潟分校というのがあった。建物は木造2階建て。木枠のガラス窓や校舎の造りが僕なんかの子供の頃の学校と変わらない。「思い出の潟分校」というポスターが貼ってあった。今日は講堂で何かの講座があるらしくて多くの人が集まっていた。でもそのお蔭で、他の教室なんかには人が少ない。2階に上がると小さな教室に昔懐かしい小さな机や椅子が置いてあった。僕が何よりも懐かしかったのはダルマストーブ。よくこんなものが現代まで残っていたものだ、と思う。ここの学校は廃校になるところを買い取られて保存されている。場所が辺鄙なところだけにいつまで保存できるか分からないが少しでも長く保存して貰いたいものだ。<br />ここから湖畔の道路に戻ると辰子像のところまではすぐ。でも駐車場が、どこが公的なもので、どこが個人商店のものか分からず、1回行き過ぎてしまった。結局、大きなホテルみたいな建物のところに止める。辰子像は金色に輝く大きな像で、これも何だかイメージとは違った。十和田湖の乙女の像といい、この辰子像といい、なんだか「美」の冒涜のような気がして仕方がない。もっと自然にマッチした綺麗な少女でなければイメージと合わない。でも、折角来たのだから写真は撮っておく。<br />田沢湖からは国道を通って角館へ。意外と短時間で着いてしまう。さらに驚いたのは角館の人出の多さ。駐車場は第一が一杯で第二駐車場。でもここは美術館の前で町並み続きだ。駐車場からまっすぐ続く広い道は、江戸時代から道路の幅は変わってないそうだ。最初に石黒家を見るが、ここはそう大きくない。次に青柳家に行く。ここはかなり広い。ここではガイドさんが各部屋の案内をしてくれた。母屋を出ても他に武具を飾ったところとか、明治時代の蓄音機やカメラを飾ったところとか、いろんな展示があった。角館は佐竹氏の城下町だが、戦国時代は佐竹氏は常陸の豪族だった。会津の豪族だった蘆名氏は滅ぼされてしまうが、その多くが佐竹氏の家臣になっている。ところが、この角館の武家屋敷は小さい方の石黒家でさえ、萩の桂小五郎の家よりもずっと大きい。吉田松陰の松下村塾だってもっと狭い。石高では長州藩の方が上のはずだが、この差は何なのだろう?長州藩は関ヶ原で負けたあとも家臣の数を減らさなかったので、一人当たりの石高は少なかったのかもしれない。<br />角館では外国人も多く、人力車も走っていた。でも、黒板の塀を各屋敷で揃えたり、電柱を立てないなど、町並み保存に努力している形跡もある。観光客に解放している家の中には今でも住んでいる家があるそうだ。町ぐるみで協力して、こういう町並みはぜひ残してもらいたいものだ。<br />角館から秋田空港も遠くはない。帰りの飛行機は17時40分発。空港近くのトヨタレンタには16時頃に帰着。空港へ送ってもらって、空港内の売店で最後の買い物。今回も結局、おみやげ用に持っていった袋一杯に買ってしまった。この時間の飛行機は羽田に着くのは夜景になる。上空から見る夜景はいつも綺麗だ。羽田に着いたあと、荷物を先に車に積む。手ぶらになってから羽田の国際線ターミナルを見物に行く。無料シャトルバスの乗り場を探してしまったが、シャトルは頻繁に出ている。国際線ターミナルは僕なんかが出発した21日にオープンしたばかりで定期便の就航は来週以降だ。にも係わらず、テレビなんかで報道したせいか、大勢の人出。食堂街はどの店も行列で大変な賑わいだった。ショッピング街のところには江戸情緒の門が作られたりしていて洒落ていたが、文子が少し買い物をしただけで戻ってきた。第二ターミナルで夕食を取ったあと帰宅。夜の湾岸は少し混んでいたが横浜横須賀道路も東名も順調だった。<br /><br /><br />初めて行った奥入瀬・十和田・八幡平。立ち寄れなかったところも多いが2泊3日では仕方がない。11月5日からもう冬季閉鎖になる、という道路にも驚いたが、それだけに綺麗な紅葉に出会えたことが良かった。もし、今度来ることがあったら車で来て時間の制約なく、ゆっくり回りたいものだ。<br />

奥入瀬と八幡平の旅≪八幡平編≫

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2010/10/22 - 2010/10/24

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秘湯マニア

秘湯マニアさん

≪奥入瀬と八幡平の旅(奥入瀬編)から続く≫

10月22日(金)
温泉は朝から入れるが、夜のうちに男女が入れ替わってる。朝食はバイキングではなく朝食会場へ行く。海苔や干物の付いた一般的な朝食だった。
今日のコースはまず八甲田山へ向かう。103号線を山の方に向かえばすぐに蔦温泉。ここは道路から入ってすぐに昔の学校のような風情ある建物がある。朝早い時間なので、昨日泊まったらしい人が荷物を持って出てきたりしていた。ここでは写真だけ撮って出発。さらに進むと30分もしないで谷池温泉の入り口に着く。僕の前を走っていた車は温泉に入って行ったが僕はここの分岐を右折して田代平方面に向かう。昨日から見慣れてきてしまったから感動も薄らいでしまったけど、綺麗に染まった紅葉の高原を走る。車は数える程度しか走っていないし、快適なドライブ。紅葉の綺麗な場所ではどこででも車を止めて写真を撮ってしまったが、他の車の邪魔にもならない。樹林が途切れ視界が広がると田代湿原。左手には八甲田山の箒場岳(?)なども見えているが右手は広大な湿原が広がる。すぐ先に田代高原つつじの小道というのがあって、そこには駐車場もある。ここからはグズリ沼というところまで散策路もあるみたいだ。その散策路に少しだけ入って二人で写真を撮る。周りは紅葉なのに足元は緑の草原だった。ここから駐車場の方を振り返ると道路沿いの建物が洒落た感じで建っていて栂池高原にも似ている。ここを出ると小さな売店が2軒。でも自動販売機で飲み物を買い、向かい側の草原で写真を撮っただけ。さらに少し行くと、雪中行軍遭難記念碑のところに出る。ここは新田次郎「八甲田山死の彷徨」で有名になった場所である。日露戦争を控えてシベリアの寒さを体験すべく計画された八甲田山の雪中行軍。青森の陸軍第35連隊は大量の遭難者を出し、弘前の連隊は一人の遭難者も出すことなく無事に帰営した。その大量遭難を知らせるべく、救援を求めて単独行した斉藤伍長が発見された場所がここだ。明るく開けた草原で、特に今日は青空に白樺の白さが映えて、昔そんなことがあった場所だなんて全然感じられない。そんな感慨を持ったのは僕だけかもしれない。
ここを出るとあとは東北自動車道に乗って八幡平を目指すだけ。東北自動車道に乗るのに青森へ出る道と黒石へ出る道があるが、黒石を目指すことにする。しばらく行くと、酸ヶ湯への標識があるので行ってみる。10分もしないで到着。ここも蔦温泉同様、古くから開けた温泉で千人風呂が有名。でも千人風呂は完全混浴でタオルなし、とのことなので、玉の湯という内風呂に入る。男の方は一人しかいなくてのんびり入れた。
先を急ぐので長い時間は入っていない。駐車場の片隅から八甲田山の湧水が出ているので、それを飲んでから出発。さっきの分岐まで戻り黒石方面に下っていくと城ヶ倉大橋というのがある。景色が良いのでたくさんの車が止まっている。ここは城ヶ倉渓谷に掛かる橋で下を見下ろすと122?もあるそうだ。ここは遠景写真だけ撮って出発。黒石インターまではカーナビに導かれて行く。黒石に近づくと正面に大きな山容の独立峰が見えてくる。津軽富士の異名を持つ岩木山だった。こういうふうに実際に見ると、そういう異名も納得できる山容だった。これまで東北自動車道は仙台まで走ったのが一番遠かったが、今日は逆に青森方面から上りを走る。黒石インターから乗ってすぐに津軽サービスエリアというのがあったのでお昼を食べるつもりでそこに寄る。ところがサービスエリアであっても食堂などはなくファミリーマートのコンビニがあるだけ。でもほかに選択の余地はないので、そこの助六寿司とか適当なものを買って食べることにする。サービスエリア内に公園のようなベンチがあるのでそこで食べる。サービスエリア内に止まっている車も数えるほどだった。
このサービスエリアを出てからは東北自動車道を淡々と走る。北陸自動車道や長野自動車道なみに空いている道路をマイペースで走る。とは言っても知らない道でのスピードの出し過ぎは取締りに引っ掛かる可能性があるので要注意。自分が走っているスピードが遅いくせに追い越し車線に出たままなかなか走行車線に戻らないような馬鹿な車がいなければ、僕だってスピードを出して抜いたりはしない。制限速度をちょっと超えるくらいのスピードで走っていても邪魔になる車もいなければ僕を抜いていくもっと早い車もいなかった。予想外だったのは、青森から八幡平までずっと2車線だったこと。長野自動車道や四国自動車道みたいに、どっかで1車線になるのではないかと思っていたが、今回走ったルートは全線2車線だった。八戸から来る八戸自動車道と合流すると多少は流れる車が増える。今度は岩木山とは違った形の山が右手前方に見えてくる。今から行く八幡平方面の山を前衛とした岩手山だった。この山が見えてからすぐの松尾八幡平というインターで降りる。
今日の泊りの八幡平ハイツという看板を通り越してアスピーテラインという道を登る。この道は八幡平の頂上を経由して田沢湖方面に行く道だ。登るに従ってどんどん展望が開けていく。左手にはずっと岩木山が見えている。紅葉も八甲田に劣らず美しい。ところどころ道路が広くなっていて駐車している車がいる。そういうところに車を止めると、だいたい景色が良い。でも僕たちはそれだけでは飽き足らず、走っていて展望の良いところでは必ず車を止めていた。茶臼岳という山を過ぎたあたりで左手下に池が見えるが、こんなところに車を止めて写真を撮っていたのは僕なんかくらいだった。そこから少し走ったところに黒谷地湿原入り口というのがあるので行くことにする。ここには道路の向かい側に駐車場がある。寒いくらいなので二人とも上着を着てカメラだけ持って行く。入り口から木道が敷かれていて歩き易い。そんなに大きな上りや下りもないが、道路から離れるにしたがって樹林の中という感じになる。それも長くはなく、展望が開けると湿原の始まり。湿原そのものは志賀高原や白馬なんかと同じだが、まわりの山々や生えている木々の種類によって微妙に違うものだ。ここの湿原付近にはコケモモがたくさんあった。黒谷地湿原の展望所には誰もいない。でもここから道は二つに分かれ、さっきの茶臼岳へ続く道と八幡平の頂上に続く道に分かれていた。僕なんかは写真だけ撮ったあと来た道を戻る。
ここの駐車場からはほんの一走りで見返り峠という八幡平の頂上に着く。ここには有料駐車場しかないが、ここでは止むを得ない。木造の展望台も作ってあるが、駐車場から見える景色だけで十分だ。ちょうど箱根の大観山のような感じで、富士山の代わりに岩木山があり、芦ノ湖はないけど深い谷が広がる、と言ったところか。今日の観光はここまでにして帰路につく。樹林ラインというのがあるらしいのだが、ちょっと時間の目途も分からないのでアスピーテラインを下る。写真を撮り損なったところだけもう一度確認しながら下る。途中の道端でアイスを売ってるオバサンがいたので文子が一つだけ買ってきた。
下りきったあたりが八幡平温泉郷ということになっていて、八幡平ハイツもここにある。ここは駐車場も大きな観光ホテル。しかし、別館姫神というのがあってこっちはコテージタイプになっている。別館姫神は本館1階の通路の一番奥から分かれている。別館に入っただけで廊下の雰囲気も重厚な雰囲気に変わり、高級感が溢れている。廊下の両側に部屋が並び、全部で5室。一番奥の部屋は「天皇の間」で、実際に今の天皇や昭和天皇がお泊りになった部屋だそうだ。僕たちはその手前の黒倉の間。黒塗りのドアを開けると手前にユーティリティがあって、奥には絨毯張りのフロアと1段高くなったベッド。そして一番奥のガラス戸を開けると広いテラスに露天風呂。しかも、ここのテラスからの紅葉がとても良かった。この別館への宿泊の女性には選べる浴衣と帯のサービスがある。でもその帯が浴衣の帯じゃなくて着物の帯だったから文子は着るのに苦労していた。結局、フロントに頼んだら若い女性が着付けに来てくれた。最初は本館の大浴場へ行く。こっちも内風呂と露天があって結構良かった。売店を見たり自動販売機のビールを飲んだりしているうちに夕食。ここは部屋へ運んでくれる。メニューは次のとおり。
食前酒 林檎酒、箸染め 安代ふうせつ花の汲み上げ湯葉、前菜 海老と細魚の手網巻、八幡平産虹鱒のマリネ、あみ茸と山クラゲの菊花和え、椀物 三陸磯の香り、お造り 三陸産アワビ 伊勢海老、しのぎ 前沢牛の握り、焼き物 前沢牛ロースとタラバ蟹の網焼き、中華 杜仲茶ポークの角煮、揚げ物 海老の南部せんべい揚げと蟹爪の変り揚げ、洋皿 三陸産平目の帆立包み、酢の物 ズワイガニと白子豆腐、鍋物 前沢牛ロースと杜仲茶ポークのせいろ蒸し、食事 八幡平産岩魚と山菜蕎麦、香の物、水菓子。
これだけの料理が並ぶと壮観。どれも量が多いわけではないが、それでも食べでがある。あせる必要もないので二人でゆっくり時間を掛けて食べたが1時間半掛かっても食べきれなかった。平目の帆立包みと食事というのはとうとう食べきれずに残してしまった。それでも前沢牛は美味しかったし、アワビや伊勢海老も抜群に美味しかった。お膳を下げに来た女性が、食事はお握りにして持ってきてくれたし、ここの宿はとっても良かった。こんなに良かったと実感できるのは、昨日の宿と宿泊代が一人3千円しか違わないせいもある。これだけの設備と食事だったら一人27千円でも納得だが、昨日の宿が高すぎた。
おなか一杯なので、そのままベッドで休む。眠ってしまうと、以前の下関の旅みたいに文子のお腹が痛くなってしまうので横になるだけ。少しこなれてから部屋の露天風呂へ入る。ここの露天はお湯を出せばそのままかけ流しの温泉になる。お湯がたっぷりなので二人で入ると溢れてしまった。

10月23日(土)
今朝も朝から温泉に行く。ここの宿は鍵も二つあるので安心。昨日の朝食とは違って、ここでは朝食はバイキング。ここの宿の評価で唯一低かったのは朝食で、洋食のおかずが少なかったからだ。食堂の往復の時に、本館の方の部屋が廊下から見えたが狭くて石垣島のルートインみたいな感じだった。それだけに別館姫神の良さが実感できる。この宿を出るときには絵葉書もプレゼントされた。ホテルの中庭の紅葉が綺麗だったので写真を撮って出発。ガソリンが少ないので、単価は高かったがホテル近くのスタンドで給油した。
今日のコースは田沢湖へ行き、そこから角館の武家屋敷を見て秋田空港、というコース。最初は昨日と同じアスピーテラインを通る。昨日行った見返り峠まではノンストップ。そこを超えたところにも景色の良いところが現れる。例によって車を止めては写真を撮って走る。でも見返り峠からはずっと下りだ。やがて広く開けた大沼というところに着く。ここにはビジターセンターもあり大きな駐車場もある。駐車場の向かい側に大沼へ続く道があるので行ってみる。さすがにここは前後に人が歩いている。11月5日からは冬季閉鎖になるのがアスピーテラインなのだから、標高が低くても北アルプスの高山と同じ植物があったりする。大沼の1週は30分くらい。今日は土曜日ということもあって、紅葉狩りの車がどんどん登ってくるようだ。ここを出発して更に下界に向かう。下界に行ってしまうと紅葉も見れないだろうと思って、名残り惜しげに樹林の中にも入ってみた。でも、昨日一昨日以上の紅葉がある訳でもない。結局、取り立てて傑作写真も撮れぬまま下界に着いてしまった。ここからは一般道路を走る。ところが、さっき川面の写真を撮った時にバスに抜かれてしまって、このバスが同じ方向に行く。しかも遅い。国道341号線に出てからずーっとこのバスの後ろを走っていた。バスの真後ろではなくて僕の車とバスまでの間には5台くらいの車がいたが、その中の1台が全然抜く気もなくて、遅いのに余計拍車を掛けていた。それでも玉川ダムというところでバスはようやくどいた。あとは皆で、バスでもないのに遅いワゴン車を抜いて行った。そんなイライラの中で運転していたので気が付きもしなかったけど、玉川ダムは岩盤浴で有名な玉川温泉の近くだった。それに田沢湖に近いところにはJRのコマーシャルで有名になった鶴の湯もあったのだ。でも、今となってはどちらも次回、行く機会があったら、ということになる。
田沢湖到着は11時半。ここで湖畔まで行ってみる。日本一水深が深い、ということだが砂浜の湖畔からではそんなことは分からない。でも意外と綺麗な水の色だった。駐車場の周辺に秋田犬の繁殖所や食堂がある。ここでお昼を食べることにするが、文子は定食が良いらしい。でも僕は朝のご飯が利いていて、ちゃんとしたものを食べる気になれなかった。結局、店の外のテーブルでキリタンポの味噌焼きとうどんを二人で分け合って食べた。この日の夕食は羽田でカツ定食を食べたのだが、翌日から僕のお腹の調子が悪くなったのは、もうこのお昼の時からおかしかったのかもしれない。
田沢湖まで来たので有名な辰子像くらいは見て行きたい。でもそれは湖畔を半周した反対側にある。そこへ向かって走る途中、潟分校、という標識を見つける。ここは正確な記憶ではないが、レトロな小学校を復元したもの、ということをどこかのパンフレットかガイドブックにあったのを頭の片隅に記憶していた。そっちへ入っていくと道は狭くなるし、レトロな感じの数軒の家がある。それを過ぎて小さな坂を越えると潟分校というのがあった。建物は木造2階建て。木枠のガラス窓や校舎の造りが僕なんかの子供の頃の学校と変わらない。「思い出の潟分校」というポスターが貼ってあった。今日は講堂で何かの講座があるらしくて多くの人が集まっていた。でもそのお蔭で、他の教室なんかには人が少ない。2階に上がると小さな教室に昔懐かしい小さな机や椅子が置いてあった。僕が何よりも懐かしかったのはダルマストーブ。よくこんなものが現代まで残っていたものだ、と思う。ここの学校は廃校になるところを買い取られて保存されている。場所が辺鄙なところだけにいつまで保存できるか分からないが少しでも長く保存して貰いたいものだ。
ここから湖畔の道路に戻ると辰子像のところまではすぐ。でも駐車場が、どこが公的なもので、どこが個人商店のものか分からず、1回行き過ぎてしまった。結局、大きなホテルみたいな建物のところに止める。辰子像は金色に輝く大きな像で、これも何だかイメージとは違った。十和田湖の乙女の像といい、この辰子像といい、なんだか「美」の冒涜のような気がして仕方がない。もっと自然にマッチした綺麗な少女でなければイメージと合わない。でも、折角来たのだから写真は撮っておく。
田沢湖からは国道を通って角館へ。意外と短時間で着いてしまう。さらに驚いたのは角館の人出の多さ。駐車場は第一が一杯で第二駐車場。でもここは美術館の前で町並み続きだ。駐車場からまっすぐ続く広い道は、江戸時代から道路の幅は変わってないそうだ。最初に石黒家を見るが、ここはそう大きくない。次に青柳家に行く。ここはかなり広い。ここではガイドさんが各部屋の案内をしてくれた。母屋を出ても他に武具を飾ったところとか、明治時代の蓄音機やカメラを飾ったところとか、いろんな展示があった。角館は佐竹氏の城下町だが、戦国時代は佐竹氏は常陸の豪族だった。会津の豪族だった蘆名氏は滅ぼされてしまうが、その多くが佐竹氏の家臣になっている。ところが、この角館の武家屋敷は小さい方の石黒家でさえ、萩の桂小五郎の家よりもずっと大きい。吉田松陰の松下村塾だってもっと狭い。石高では長州藩の方が上のはずだが、この差は何なのだろう?長州藩は関ヶ原で負けたあとも家臣の数を減らさなかったので、一人当たりの石高は少なかったのかもしれない。
角館では外国人も多く、人力車も走っていた。でも、黒板の塀を各屋敷で揃えたり、電柱を立てないなど、町並み保存に努力している形跡もある。観光客に解放している家の中には今でも住んでいる家があるそうだ。町ぐるみで協力して、こういう町並みはぜひ残してもらいたいものだ。
角館から秋田空港も遠くはない。帰りの飛行機は17時40分発。空港近くのトヨタレンタには16時頃に帰着。空港へ送ってもらって、空港内の売店で最後の買い物。今回も結局、おみやげ用に持っていった袋一杯に買ってしまった。この時間の飛行機は羽田に着くのは夜景になる。上空から見る夜景はいつも綺麗だ。羽田に着いたあと、荷物を先に車に積む。手ぶらになってから羽田の国際線ターミナルを見物に行く。無料シャトルバスの乗り場を探してしまったが、シャトルは頻繁に出ている。国際線ターミナルは僕なんかが出発した21日にオープンしたばかりで定期便の就航は来週以降だ。にも係わらず、テレビなんかで報道したせいか、大勢の人出。食堂街はどの店も行列で大変な賑わいだった。ショッピング街のところには江戸情緒の門が作られたりしていて洒落ていたが、文子が少し買い物をしただけで戻ってきた。第二ターミナルで夕食を取ったあと帰宅。夜の湾岸は少し混んでいたが横浜横須賀道路も東名も順調だった。


初めて行った奥入瀬・十和田・八幡平。立ち寄れなかったところも多いが2泊3日では仕方がない。11月5日からもう冬季閉鎖になる、という道路にも驚いたが、それだけに綺麗な紅葉に出会えたことが良かった。もし、今度来ることがあったら車で来て時間の制約なく、ゆっくり回りたいものだ。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
レンタカー ANAグループ
旅行の手配内容
個別手配

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  • 古い佇まいの蔦温泉

    古い佇まいの蔦温泉

  • 田代高原つつじの小道<br />山小屋風の建物が栂池高原にも似ている

    田代高原つつじの小道
    山小屋風の建物が栂池高原にも似ている

  • 雪中行軍遭難地点付近。<br />青空に白樺が映えて、そんな事件があった場所とは思えない。

    雪中行軍遭難地点付近。
    青空に白樺が映えて、そんな事件があった場所とは思えない。

  • 八幡平アスピーテライン。<br />岩手山を望む

    八幡平アスピーテライン。
    岩手山を望む

  • 頂上に近い黒谷地湿原

    頂上に近い黒谷地湿原

  • 八幡平頂上。見返り峠にて

    八幡平頂上。見返り峠にて

  • 八幡平ハイツ、別館「姫神」<br />豪華な料理を綺麗な着物を着て食べたから食べきれなかった?

    八幡平ハイツ、別館「姫神」
    豪華な料理を綺麗な着物を着て食べたから食べきれなかった?

  • 八幡平の下り大沼にて

    八幡平の下り大沼にて

  • 田沢湖畔「思い出の潟分校」<br />懐かしい昭和30年代がいっぱいに詰まっている。

    田沢湖畔「思い出の潟分校」
    懐かしい昭和30年代がいっぱいに詰まっている。

  • 角館武家屋敷を貫く、大通り。<br />江戸の昔から変わらぬ幅だそうだ。

    角館武家屋敷を貫く、大通り。
    江戸の昔から変わらぬ幅だそうだ。

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