2010/10/29 - 2010/11/03
644位(同エリア861件中)
JTmさん
迫害に耐えながら、脈々と信仰を持ち続けた隠れキリシタン。彼らの過去・現在に触れる旅の五島列島編。
隠れキリシタンの里であり、また、遣唐使船の発着地でもあった五島列島の各島をめぐり、それらの遺跡を訪ねるとともに、土地の人々との語らいを通じて、かつて大陸と日本を結ぶ架け橋であった五島の、過去と現在に触れる。
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 船 ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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2010.10.29
夜の集合時間まで、博多の街をウロウロ。
福岡市営地下鉄は、駅ごとにシンボルマークが決まっている。
博多駅のマークは・・・・帯かな? -
西新は、Nの字にペンをアレンジ。
駅前に西南学院大学をはじめ、学校が多いから? -
福岡市博物館「栄西(ようさい)と中世博多」展
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博物館外観
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大濠公園駅。桜の名所だ。
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福岡市美術館「シャガール」展
東京展を見損ねたので。 -
美術館外観
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2010.10.30
夜のフェリーで五島に渡るはずだったが、台風の余波で欠航。
初日は博多に泊まり、翌朝一番の飛行機で福江に飛ぶ。
そこから波頭を越えて、上五島・中通島へ。
波が高い。 -
中通島・山神神社。
かつて、この神社の氏子さんは、隠れキリシタンと呼ばれる人たちだった。
今も、その信仰を守る人たちもいる・・・とか。
この日は、例大祭で小さな社に人がいっぱい。 -
中通島・桐教会。外観
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桐教会、内部。
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手作りの郷土料理をご馳走になる。
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これがメニュー。
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はい、完食。
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午後は、カクレキリシタンの伝統を守る方にお話をうかがう。ご主人は、午前中に山神神社にいらした方だった。
大事に守ってこられた神様を見せていただいた。 -
こちらはマリア様。
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桐教会の修道院。こんどはここでシスターのお話をうかがう。
このシスターの先祖も、隠れキリシタンだったというが、今も古い信仰を守る「カクレ」の方たちとの微妙な温度差を感じる。 -
船で下五島・久賀島へ。高台に浜脇教会。
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夕暮れの浜脇教会。
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民宿・深浦荘の夕食。
一行24人。「こんなに大勢をお泊めするのは初めて」と、奥さん。
この島では一番大きい民宿だそうだが・・・・・。 -
2010.10.31
翌朝、深浦荘外観。 -
深浦荘、朝食。九州で納豆が出るとは思わなかった。
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塩濱(塩釜とも)神社。
塩を作っていた人々が祀ったという・・・そして、その人たちは隠れキリシタンだったと。 -
塩濱神社のそばの観音堂の石仏。ここにもキリシタン伝説があるそうだ。
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同じ久賀島内だが、陸上より海上タクシーが便利なところにある教会を見に行く。
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旧五輪教会。
明治14(1881)年、浜脇教会のある場所に建てられ、昭和6(1931)年、現在地に移築された。解体して船で運んだそうだ。
老朽化が進み、建てかえのため取り壊されることになったが、保存運動がおきて、修復・保存された。日本に現存する木造教会としては、最古のもののひとつで、現在、国の重文に指定されている。 -
旧五輪教会、内部。外観は、一般民家のようだが、中はご覧のとおり。
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旧五輪教会、内部。
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旧五輪教会、内部。
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五輪教会の近くにある墓地。明治の禁教令解除後のもの。
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こちらは、「現役」の五輪教会。
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田ノ浦神社。
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同じく、境内から鳥居を見たところ。
外側の鳥居は、もとは石造で、海の中に建てられていたそうだ。
現在は金属製(銅か?)で、もちろん陸上にある。 -
猿田彦神社。
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牢屋の窄殉教記念堂。
明治になって、長崎に外国人のための教会が建てられたことから、長く潜伏してきた、いわゆる「隠れキリシタン」が、続々と名乗りをあげた。しかし、禁教令はまだ解かれておらず、最後の厳しい迫害が彼らを待ち受けていた。
ここ、久賀島でも、わずか6坪の小さな小屋に、200名が押し込められて、42名が殉教。 -
殉教者のための慰霊碑。
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記念堂内部。
敷かれている絨毯のベージュ色の部分が、かつての牢の広さだという。200人がここに押し込められたのだ。 -
浜脇教会、外観。
この日、殉教祭が行われ、この教会から前記の殉教記念堂まで十字架を先頭に信者たちが練り歩く予定であったが、朝方、雨がパラついたため、教会でのミサに変更になった。
島の内外から、驚くほどたくさんの人々が集まって来た。 -
浜脇教会、内部。ミサが終わったところ。
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浜脇教会、内部。
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浜脇教会は、初め、明治14(1882)年に木造で建てられ、昭和6(1931)年に、現在のコンクリート造に生まれ変わった。当時としては最先端だった。美しい白壁は、戦時中には黒く塗られていたとか。
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若松島・キリシタン洞窟。
明治の初め、隠れキリシタンの人々が、迫害を逃れて隠れ住んだが、炊事の煙を見咎められて捕えられたという。現在でも、船でしか行けない。 -
上陸したところ。人ひとりようやく通れるくらいの隙間。こんなところに住んだのか・・・・。
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上五島・中通島。郷ノ首港に到着。
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宿泊地、ホテルマリンピアの夕食。
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またまた、ご馳走だ!
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夕食後、政彦神社へ。
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上五島神楽鑑賞。
「六将軍」・・・将軍の武勇を讃え、出陣のときに武運と必勝を祈る舞。 -
「平舞」・・・扇を天岩戸に見立てて、その開かれる様子を描く優雅な舞。
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「山賀」・・・翁と媼が仲よく宮参りし、お神酒をいただくという祝いの舞。
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ちょっと酔っ払って、ひと踊り。
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「箕舞」・・・五穀豊穣を祈念し、豊年満作を祈願する舞。
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最後にお餅をまいてくれました。
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「獅子舞」・・・上五島神楽の最後を締めくくる舞で、獅子と天狗による悪魔祓いの舞。
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獅子が眠ろうとするのを天狗が邪魔するので、獅子が怒って大暴れ。
勇壮でしかもユーモアいっぱい。島の子どもたちにも人気があり、この獅子舞を舞うために神楽を習うという子も多いそうだ。 -
2010.11.1
魚市場の見学。 -
魚を荷揚げしているところ。この日は時化で不漁とか。
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市場の近くで、猟師料理の朝食。
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バスの運転手さんが用意してくれた町の地図。
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頭ヶ島教会。遠景。
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頭ヶ島教会。外観。
大正8(1919)年、鉄川与助による建築。切り石の石造りは、全国的にも珍しいという。使われている石は地元産の砂岩で、白っぽいのは山から、黒っぽいのは海岸から切り出されたものとか。 -
頭ヶ島教会。内部。
天井は、船底を逆にしたかたち。 -
花の意匠が可愛らしい。
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頭ヶ島教会の墓地。
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墓地の脇にあった陶芸工房に、教会の古いランプが保管されていた。
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旧上五島空港。
現在、休止中。建物はパソコン教室?として使用されているとか。 -
旧鯛ノ浦教会。外観。
鐘楼は、原爆で被災した長崎の浦上天主堂のレンガを使って建てられたという。 -
旧鯛ノ浦教会。内部。現在は資料館として活用されている。
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青砂ヶ浦天主堂。外観。
明治43(1910)年、鉄川与助による建築。 -
青砂ヶ浦天主堂。内部。
ステンドグラスが美しい。 -
青砂ヶ浦天主堂。内部。
この彫刻は、与助の父の作だとか。 -
青砂ヶ浦天主堂。内部。
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栄会館での昼食。五島うどん地獄炊き。
ぐらぐら煮立つ鍋に、乾麺をそのまま入れてゆで、汁をつけて食べる。
五島うどんは、長時間ゆでても歯ごたえが保たれるそうだ。 -
大曽教会。外観。
大正5(1916)年、鉄川与助による建築。 -
大曽教会。外観。
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大曽教会。内部。
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大曽教会。入口の飾り。カブではなく、キリストの心臓をイメージしたもの。
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岩屋観音入口。
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岩屋の中。
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艫綱石。
かつて遣唐使船の風待ち港だった相河(青方港)で、船をつないだ石という。
海が埋め立てられ、石自体も破損したらしく、今は1メートル足らずの高さになって、民家の庭に保管されている。 -
上五島海上石油備蓄基地。
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御船様。船形の石を祀って、航海の無事を祈った。
青方の港は、細長い、深い湾で、外海の影響を受けにくいため、遣唐使船が風待ちをしたり、東シナ海を越える長い船旅に備えて最後の準備を行う場所だった。 -
弘法井戸。
弘法大師・空海も、遣唐使船に乗って、この地から唐に渡ったひとり。
弘法大師のお告げによって掘られた井戸とか。 -
中ノ浦教会。外観。車窓から。
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若松・大浦教会。遠景。
昭和20年代に、民家を借り受けて教会にしたもの。 -
若松・大浦教会。外観。
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若松・大浦教会。内部。
日本的なお顔の優しいマリア像。信者のひとりが製作、寄進したもの。 -
頭子神社。ここもキリシタン神社か?
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日島古墳群。中世、海上ネットワークの立役者だった、「倭寇」の墓碑群。
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日島から見た夕日。
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極楽寺。
7世紀、新羅の作とされる銅像阿弥陀如来立像は、国指定の重文。
ここの寺に祀られた経緯は不明とのこと。 -
この日の宿・民宿えび屋は、料理自慢の宿。
土地の人たちも宴会に利用するそうだ。 -
お刺身を作ったあとの「残骸」?
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最後は鯛飯!
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2010.11.2
朝食だって、このとおり! -
初日に乗り損ねたフェリー「太古」で、奈留島へ。
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二日目にお話を伺った、カクレキリシタンの「大将」が、港に釣り客を迎えに来ていた。偶然とはオソロシイ。
しばらく立ち話。
末の息子さんがNHKののど自慢で優勝したと、前日のバスガイドさんに聞いたので、そのことを聞いてみた。「高校出たら、歌手になる」と、言っているそうだ。
「親としては99パーセント無理だと思うが、やりたいというのだから、一度はやらせるつもり」と。
ごくフツーのお父さんだなぁと思う。当たり前だが。 -
若松大橋。中通島と若松島を結ぶ。
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奈留教会。
ここの神父さんが半日、同行してくださった。
お顔を見てビックリ。三日目の久賀・浜脇教会の殉教祭に参加しておられた方だった。これまた、偶然はオソロシイ。 -
奈留教会。内部。
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奈留教会。内部。
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江上天主堂。外観。
大正7(1918)年、鉄川与助による。
平成20(2008)年、国の重文に指定。 -
江上天主堂。内部。
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江上天主堂。内部。
木目を生かした・・・・と見えるが、実はこの木目模様は、あとから描かれたもの。同じ種類の木が揃わなかったため、統一感を出すための工夫だそうだ。 -
江上天主堂。内部。
窓ガラスは、お決まりのステンドグラスではなく、一枚一枚、花が描かれている。花弁に切れ込みがあるので、サクラだろうか。 -
江上天主堂。内部。
祭壇と信徒席を仕切る柵が、一部だけ保存されていた。 -
この日、案内をしてくださったのは、「長崎の教会群を世界遺産にする会」の事務局長さん。
その連絡拠点として、祖父母から受け継いだ島の土地に、この「隠れキリシタンの里」を建設した。
ここ、奈留島の阿古木地区も、かつてはカクレキリシタンの集落であり、この方のお祖父さんは、水方という、洗礼を授ける役を務めていたそうだ。 -
「隠れキリシタンの里」内部。教会風の造りになっている。
ここでお話を伺い、昔、記録されたカクレキリシタンの行事のビデオ映像を見せてもらった。 -
奥居旅館での昼食。
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当然、完食。ごちそうさま。
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奈留千畳敷。
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島の海は、どこもきれいだ。
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奈留港から、フェリーたいように乗る。
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30分ほどで、福江に到着。
長い旅も、最後の島に到達である。 -
大宝寺。
701年創建と伝えられる。第16次遣唐使船で唐に渡った空海が、帰国後に滞在したところから真言宗に改宗、「西の高野山」とも呼ばれるようになった。
現在は、山門前に道路ができているが、以前はすぐに海だったそうだ。
最澄作と伝えられる十一面観音像も安置されるが、こりお像は、神仏習合時代には、近くの白鳥神社に祀られていたもの。 -
白鳥神社。境内。
698年に創祀。祭神はヤマトタケルノミコト。
写真の鳥居から、海に向かって急な石段が続く。 -
大瀬埼。
「日本の夕日100選」に選ばれた夕日の名所だというが・・・・残念! -
井持浦教会。外観。
明治32(1899)年にフランス人神父によって建築された、五島初のレンガ造りの教会だったが、何度か改修されて、現在のお堂は、昭和32(1957)年に改築のもの。 -
井持浦教会のルルド。
ルルドというのは、南フランスの町の名で、聖母マリア出現の奇跡で知られる。長崎の教会は、本土も五島も、このルルドを再現しているとみろが多いが、この井持浦教会のルルドが、一番古いそうだ。 -
この日の宿泊は、福江の旅館・中本荘。
旅の、「最後の晩餐」。 -
2010.11.3
中本荘、朝食。 -
中本荘は、福江の武家屋敷通りにある。
付近の民家は、武家屋敷の石垣を保存。上部に小石が積まれているのが特徴。乗り越えようとすると崩れて音をたてるし、いざというときには、投石として利用した。 -
旧五島藩・石田城跡にある、城山神社。
神明造りと呼ばれる建築で、反りのない急傾斜の屋根と、飛び出した千木が特徴。 -
楠原牢屋跡。
明治元(1868)年、五島崩れと呼ばれる最後のキリシタン弾圧の際、牢として使われた民家を再現したもの。 -
楠原牢屋跡。内部。
内装に使われている木材は、もとの牢の建物のものが使用されている。 -
楠原天主堂。
明治45(1912)年の建築。 -
水ノ浦教会。
昭和13(1938)年、鉄川与助による建築。
木造で、長崎の大浦天主堂に似た造りと言われる。 -
水ノ浦教会。
入口のアーチは、イスラム風? -
白石の艫綱石。
この付近の魚津ヶ崎の湾も、中通島の青方湾と同じように、深く切れ込んだ湾で、外海の時化の影響を受けにくく、遣唐使船の発着基地になっていた。そのため、船をつないだとされる石が残されている。
埋め立てで小さくなってしまった。上には観音さまが祀られている。 -
高浜ビーチをのぞむ。
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海に面した高台にある淵ノ元カトリック墓地。
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かなり古そう・・・・しかし、墓碑銘は風化して読めなかった。
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墓地の近くでは、名物・かんころ餅の材料になる芋を干す人の姿が・・・。
薄切りにして蒸した芋を二日ほど風にあてて干す。再度もどして、餅と一緒につき、味付けをして丸める。・・・で、いいかな? -
「辞本涯」と書かれた、空海の記念碑。
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旧堂崎天主堂。現在は博物館になっていて、隠れキリシタン関連の品などを展示している。
明治41(1908)年、フランス人神父・ペルーの建築。 -
旧堂崎天主堂。入口。
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明人堂。
16世紀末、東シナ海を舞台に活躍した、明人・王直を祈念する。
この付近に、唐人町を築いた。 -
六角井戸。
明人が船に積む水を汲んだという。 -
福江空港。
そして、旅はふりだしにもどる・・・・・。
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