2010/10/17 - 2010/10/17
109位(同エリア172件中)
風遊さん
江戸時代、豊臣秀吉の朝鮮出兵の反省から、友好関係を築くこととし、通商に取り組むとともに、朝鮮の正式な、外交使節を受け入れ接待をしていた。
朝鮮通信使の旅のルートは、プサンから、下関の赤間が関に到着後、瀬戸内海を航行し、大坂に上陸、その後は、東海道を江戸まで参内した。
瀬戸内海の航海は、幕府の定めた各藩の主な港・海駅に立ち寄った。主な寄港地は、西より、赤間が関(長門国)、上関(周防国)、蒲刈三ノ瀬(安芸国)、鞆(備後国)、牛窓(備前国)、室津(播磨国)、兵庫(摂津国)をへて大阪につく。
この、港を海の駅と言うが、各藩が競うように接待をしたようであった。その華やかさは、異国文化と接する機会の少ない人々にとっては、見ごたえのあるものでした。そのほか、風待ち、潮待ち、嵐の非難として各地によっている。
今は、とかく陸上交通からとうざかっているところが多いため、しなびたところが多くありますが、それだけに、江戸時代の風景を数多く実感できるところです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩 バイク
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いよいよ朝鮮通信使がやって来ました。
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まず最初は「対馬藩主」です。
一回の使節の人数は、平均人数は450人、そのうちの100人(水夫)は大阪に留まり、350人が江戸に行きました。
朝鮮の釜山(プサン)を出発してから、江戸に着くまでに、4ヶ月〜半年もかかっています。
案内したのは、対馬藩で、800人が同行しました。
また、通信使が通過する場所になっている諸大名は、江戸往復の接待や送迎、道路や橋の整備、宿泊施設の建築、警護を担当しました。
諸大名の負担も、大変なものでした。 -
「対馬藩主」
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続いて「旗手」です。
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「旗手」
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続いて「軍菅」
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続いて「
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樂人
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正使
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正使
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しばし休憩。
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しばし休憩。
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急に海の方から、太鼓の音とともに威勢のいい掛け声が!
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船にて広島藩登場!
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国書交換式の下蒲刈中学までの行列です。
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国書交換式
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国書交換式
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いいね!このティシャツ。
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宴は最高潮ですが、充分堪能したのでそろそろ早めに退散です。
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本当に気持ちのいい天気!
これから約30分のウーキングです。 -
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再び白崎園
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ベンチもお洒落!
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またまたここで休憩です。
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正面の島は蒲刈島
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安芸灘大橋からの景色
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安芸灘大橋からの景色
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始めての朝鮮通信使も好かったし、気持ちのいいウオーキングでしたた。
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