2010/10/03 - 2010/10/03
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しんちゃんさん
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【間宮林蔵が15歳の頃、林蔵の家から約二キロメートル近く下流の小貝川の堰止め工事が難航している状況を見、すぐれた創意を示して工事の進捗に貢献、出張していた幕府の役人を驚かし、林蔵が江戸に出る機縁となりました。】館内説明版より江戸に出た林蔵は村上島之允を師事し蝦夷地(北海道)へ渡り伊能忠敬と師弟を結び測量法を伝授される。それにより蝦夷・千島列島・カラフトに20年以上滞在し、正確な地図を作成しました。ロシアが日本に通商を迫り、地元では略奪等に遭い幕府は国境さえ把握していなかった北方の日本国土の重要性を認識し測量を命じました。当時はカラフトの西側は清国(中国)の領土だったのです。
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記念館より北西へ350m、路地の突き当たりに間宮林蔵のお墓のある専称寺があります。
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専称寺山門
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専称寺本堂
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六地蔵
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山門を入った左側に間宮林蔵のお墓の説明版があります。記念碑の裏側にお墓があります。
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説明版抜粋です【・・・間宮林蔵は安永九年(1780)常陸国筑波郡上平柳村に生まれ、天保十五年(1844)波乱に満ちた六五歳の生涯を終え、ここに眠っています。林蔵は、当専称寺の住職伯栄和尚に学び、その才能を発揮、小貝川の堰止め工事で認められたといわれ、江戸に出て行きました。・・・】
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顕彰記念碑
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顕彰記念碑拡大。 碑文中「先生の功烈愈愈顕れて先生の墓石愈々小也」が有名らしいです。
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左側、間宮林蔵のお墓、右側両親のお墓。
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お線香が焚かれていました。誰がお供えしたかあとで分かりました。
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間宮林蔵は自分でお墓を作って蝦夷へ行きました。二度と戻れないと思ったのでしょうか。説明版の続きです【・・・・この墓は、文化四年(1807)決死の覚悟で樺太探検に出発するにあたり、林蔵自ら建立した生前の墓です。偉大な事業を成し遂げる前の、身分の低い武士に合った百姓並みの墓です。・・・】
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お墓のうしろは小貝川の土手です。
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専称寺本堂前に大きな瓜(うり)が実っていました。
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瓜(うり)の花
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お墓の後は記念館より約2Km小貝川下流へ「岡堰」を探しに行きました。
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小貝川は栃木県内では小川ですが、ここでは大きな流れとなっています。堰ってどんなんだろうと、余所見しながら下流へ向かいました。
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小貝川が大きく左カーブをした向かい側では地元の方々が集まり「ゴミ拾い」或いは「ボーイスカウト」のイベント?なにか開催中でした・・・
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“堰”あった。でもでかい堰でした。今の時代の堰はこんなに大きな堰になるのですね。記念碑は何処にあるんだろう。記念館の方は下流に行けばすぐ分かると言っていました。この大きな堰が岡堰かどうか名前を探しに行きましたがありませんでした。地元の方に聞こう・・・
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土手を下り、畑にいたおばあちゃんに間宮林蔵の岡堰の記念碑は何処にあるか聞きました。「大きな橋を渡り右に行けばすぐ分かる」との事でした。麦わら帽子をかぶった方がお世話になったおばあちゃんです。
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さっそく大きな現在の“岡堰”の上の橋を渡りました。
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寄寓・偶然・こんな場面に出会うとは思いもよらずラッキーです。「間宮林蔵奉納祭」が行われようとしていました。間宮林蔵が出世の契機となった小貝川“岡堰”にて林蔵太鼓保存会の方々が間宮林蔵の偉業を顕彰する目的で日ごろの成果を披露するのでした。普通の太鼓演奏とは違います。四部に別れ「間宮林蔵の生涯」を“太鼓”で表現します。演奏開始前には子孫の間宮光子様がナレーターとして四部に別れた太鼓演奏の生涯の概略を説明します。
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昔の岡堰のあった場所です。川に中州があり、中州に渡る橋の名前は「岡堰中の島橋」分かり易い。
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「岡堰中の島橋」
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「岡堰中の島橋」を渡るとテントにいた方が「サインをお願いします」「間宮林蔵奉納祭」参加者にはサインをお願いしていました。しんちゃんのサインの前は・・・・
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つくばみらい市長「片庭正雄」様。市長の隣に記念のサイン。ついでに写真もおねだりしました。気軽にOKでした。挨拶では「未来に借金を残さない」「間宮林蔵・野口英世等の有名な方々を子供たちに語り継ごう・・・」等々熱く語っていました。しんちゃん市長の支持者になりました。
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無料でけんちん汁をいただきました。申し訳ないでした。美味しかったです。
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第24回 間宮林蔵奉納祭パンフレット
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次から次のお客様へ、けんちん汁の大盤振る舞い!
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司会者挨拶。後ろは間宮林蔵子孫である間宮光子様
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つくばみらい市、片庭正雄市長挨拶
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国土交通省、小貝川監視員も監視に来ました。
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「林蔵太鼓」序曲「つくばね囃子」説明からです【つくばね囃子は、四季を通じて日々筑波の嶺を仰ぎながら、その山容に心を癒され、また、五穀豊穣を祈りつつ大自然からの恵みに感謝し、秋の収穫の喜びを筑波山の男体山、女体山とともに、にぎやかに唄や踊りでともに喜びを分かち合い、祝福している様を踊胴太鼓での二人打ちで構成している】
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第一部 少年期 尺八「小貝の流れ」太鼓「幼少記」と第四部まであります。
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「林蔵太鼓」演奏中。尺八は二人の方が演奏です。太鼓にも色々な叩き方と音色が出るとは知りませんでした。たかが太鼓されど太鼓、単調と思いきや、奥が深いぞ!!
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中学生と高校生の女の子が恥かしそうに叩く仕草が可愛らしいでした。
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お墓のお線香は、この「林蔵太鼓奉納」の前に、この方々がお墓へ参拝・献花してきたのでした。
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「岡堰」の記念碑です。“間宮林蔵”出世の鍵となった「岡堰」見学から、ひょんな「間宮林蔵太鼓見学」となってしまいました。年に一度の祭事見学が出来て嬉しかったです。
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「岡堰の間宮林蔵記念碑」、何処を向いて、何を眺めているんだろう。樺太方向?測量した北方四島、カラフトは日本の領土ですが、現在の島々を思い悲しんでいるのかな。
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演奏の終わった林蔵太鼓。
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岡堰の皆様、ありがとうございました。
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「岡堰中の島」を後にして帰路に着きました。折りたたみ自転車を成田近くまで運んだ帰りに、寄り道しました。「タイ・ラオスへ家出準備」OK
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