2010/09/18 - 2010/09/18
121位(同エリア286件中)
シベックさん
賑やかだった「せともの祭り」が終り、1週間ほど経った日の午後、瀬戸の昔を感じさせてくれる洞(ほら)街道に向かいました。祭りでの50万人の雑踏が、信じられないほど静かないつもの瀬戸の町にかえっていました。
古くから焼き物の町として知られる瀬戸。その瀬戸の主な生産地の一つとして栄えた洞(ほら)町に「窯垣の小径」はありました。道幅は約1,8m、長さ約400mほどの小径は、山の起伏に沿ってアップダウンをしながら続いていました。かっては、いくつもの登り窯が山の斜面に築かれ、窯場へ行き交う職人さんや窯から出された焼物が往来して賑わった道で、焼物の生産が最も盛んだった当時の面影が残された小道でした。
写真は、不用になった窯道具で築いた窯垣。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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-
洞町の案内看板
洞(ほら)街道に面して、30台ほどが停められる駐車場があり、トイレ(身障者トイレ有り)が設けられていました。
徒歩では、尾張瀬戸駅から東の方向に約20分です。
瀬戸では古くから斜面を利用して登り窯を築き、陶磁器を生産していましたが、この洞町もそうした産地の一つです。 -
窯垣とベンチのある道
駐車場からの階段を上がると、
左は曹洞宗の宝泉寺、右が窯垣の小径。
高台にあり、新しく整備された広い窯垣の道。
見晴らしが利くので、
ベンチがあり洞街道や散策する人たちを
眺めながら休むことができます。
この先に大木のムクノキがあり、
左に坂を上ると左手に
窯垣の小径・資料館があります。 -
辻のニレの木
ニレ科の椋の木(ムクノキ)。山野に生える落葉高木。材は折れにくく割れにくいため、陶磁器製品を運ぶ天秤棒として利用された木だそうです。
子供の頃、天秤棒をかついだことあり・・。今では田舎でも見かけなくなった天秤棒。
こちら洞集落ではあちこちに見られるムクの木だそうです。その昔、天秤棒として利用するために植えられたと伝わっており、このムクの木をたずね歩くと、その付近には必ず古窯があったそうです。 -
窯垣の小径資料館・ギャラリー
建物は昔の窯元の家で江戸時代後期の建物。窯業道具や昔の陶器、現在の陶磁器製品などを展示。日本第1号の本業タイル貼りの風呂や手洗いが昔のまま残る。こちらにはボランティアのおじいさんがおられ、瀬戸焼の歴史、洞町の生活など体験を交え、瀬戸弁で語って下さるそうです。今日はすでに閉館していました。10〜15時開館。 -
小窓のギャラリー
格子窓に小坊主さんやダンスをする猫、
小さな人形が展示されていました。 -
石垣と窯垣
窯道具で築いた土留め壁が美しい・・。窯垣とは不用になった窯道具でつくった塀や壁の総称で、洞町には新旧合わせてたくさんの窯垣が残っています。窯垣の小径は、この窯垣が密集している場所をつないだ延長約400mの細い路地で、その昔は、この小径を陶磁器を運ぶ荷車や天秤棒をかついだ担ぎ手さん達が往来したそうです。 -
幾何学模様
窯道具というのは、登り窯で焼く時に
製品を保護するために使った
エンゴロ、サヤ、タナイタ(エブタ)、
ツクなどと呼ばれるもののことで、
積まれた幾何学模様や自然灰のかかった色合い、
それぞれの窯屋の刻印などが、
人の目を楽しませてくれます。
エンゴロ・・中に製品を入れて焼く筒状の保護材
サヤ・・窯で焼く時、製品を保護する鉢形のもの
エブタ(タナイタ)・・平たい板状の棚板
ツク・・棚板を支える柱で、無垢の円柱形が多い
この写真の丸いものは柱になるツクで、
長方形に見えるものは棚板のエブタのようです。 -
えぶた坂
二股の辻があり直進は窯垣の小径。
左の急な坂道は「えぶた坂」の道標・・。
なんとなく惹かれる風景です。
えぶた坂を登ってみます。 -
民家の庭に咲く芙蓉
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山道に古い窯垣
坂や階段を上ると山道になりました。
廃材の窯道具で築いた
土留め壁の模様が美しい。
窯垣に木の根が食い込んで歴史を感じます。
洞町は斜面の多い町のため、
土砂が崩れないように
石垣の代わりに窯垣で保護されています。 -
えぶた坂に敷かれた焼物
窯焼用具として使われ、不用になった棚板(エブタ)が敷き込まれた坂・・。
名称はその名残でしょうか。
ほとんどはコンクリート舗装になっていましたが、一部にエブタ残っていました。 -
下りのえぶた坂
S字を描く坂道、雰囲気のある道です。
昔は焼物を使った趣のある道だったのでしょうか。 -
焼物を埋め込んだ塀
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廃材の土留め壁
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洞の町
沢筋には小川が流れ、
洞街道が川に沿っています。
そのどちらも山になっている地形。 -
イタドリ咲く
民家の門の山裾に3mほどもありそうな、
木のようなイタドリが花をつけていました。 -
古い窯垣
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階段と窯垣
エンゴロやサヤが積み上げられた路。
草木がほどよく絡まって・・。
赤茶けた焼物には緑がよく似合います。 -
丸い廃材の窯垣
昔ながらの細い道、陶磁器の産地としての風景が色濃く残ります。 -
エンゴロの縁どり
斜面を飾る幾何学模様の窯垣、
縁取り模様が力強い・・。 -
夕陽に鈍く光る窯垣
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フクロウの立つ辻
かなりの大きさのフクロウの焼物。
中に明りが灯りそうな感じ・・。 -
緑のトンネル
すでに蛍光灯が点っていました。 -
町の小さな祠
白龍大明神の石碑が立つ社。
この日も残暑の厳しい日でした。
こちらの日陰で、
しばし休憩をさせていただきました。 -
狙う・・・その先には・・猫!
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柿の季節
民家の庭には色づいた柿が実っていました。
窯垣の小径を歩き終わり、
坂道を下ると洞街道にでました。
洞街道は焼物がふんだんに使われた綺麗な道。
道幅は狭いので、
車のすれ違いには、ご注意を・・。 -
おしゃべり
洞街道の焼物の縁石に腰をかけて、おしゃべりに夢中のお年寄り・・二人。
洞街道は、瀬戸から赤津へ至る道。陶の路の一つとして、平成14〜16年に整備された延長1,4kmほどの道路で、自然の色目を基調とした舗装と瀬戸製のレンガで整備されていたました。
途中に、洞の本業窯と言われる登り窯があります。さらにずっ〜と歩いて行くと、紅葉が綺麗な平等庵(尼寺、今は無住)があるそうです。 -
ショーウィンドウ
かってこの町では、馬の目皿と石皿が文化・文政年間から大正期までに盛んに焼かれ、洞町を代表する焼物だったそうです。
子供の頃、田舎に妙な柄の絵皿があり、親に聞くと瀬戸の馬の目だと言っていた。それがこちら洞で焼かれたものだとは、最近まで知らなかった。 -
瀬戸洞・本業窯
洞街道に面し、登り窯を持つ窯元。
瀬戸で磁器の生産が始まり、
産業として軌道にのってきた頃、
それまでの陶器生産が主たる仕事であり、
もともとの仕事という意味で
「本業」と呼び、
新しく入ってきた磁器の仕事を
「新製」と呼び分けたたのだそうです。
本業窯の名はその名残のようです。 -
素焼きの器
登り窯の見学は、裏にまわって・・の看板で、
ちょっと・・
拝見することにしました。 -
上屋のかかる登り窯
この窯は、磁器を焼成する丸窯とともに、
瀬戸を代表する窯。
窯は上段にあった13連房の巨大な本業窯で、
奥洞窯の窯材を使って、
昭和24年に再構築されたものだそうです。 -
登窯の焚口
連房式の登り窯で幅7m、全長14m。
この窯は登り窯の一種で本業製品の陶器を
焼成する窯として、
江戸時代後期から使用されており、
磁器を焼成する丸窯とともに、
瀬戸を代表する窯。
3つの焚口、胴木間、捨間、製品を焼成する
4つの部屋、煙道(コクド)から
成っています。 -
4つの部屋がある窯
登窯の側面。現存する貴重な登り窯で、平成7年、市指定有形民族文化財に指定。この窯では昭和54年まで、水がめ、水鉢、こね鉢、紅鉢を年数回焼成していたそうです。当時の姿をとどめる本業窯は、これと、同じく奥洞窯の窯材を使い築造された「一里塚本業窯」との2基のみで、大変貴重なものだそうです。 -
登り窯の焼成室
今の本業窯は、4連房の焼成室があります。
窯の壁は、焼くたびに
灰釉がかかってツルツルになり
黒く光っていました。
窯の外には、薪や瓶、擂(すり)鉢を
焼くための窯道具が沢山積まれていました。 -
本業窯・資料館
登り窯の脇には、道路に面して平屋建ての資料館がありました。 -
隙間から・・
-
洞街道の店
街道に面して建つ二つの店舗。
庇を支える柱の土台は、
窯道具のエブタで造られています。 -
民家の窯垣
エブタとツクを使った塀です。
通気孔からのぞく草・・。
緑が映えます。 -
水瓶に浮き草
窯元が多くあり焼物の集落らしい佇まいの洞の町。
土物の焼物は、なぜか、ほっとさせてくれる温か味を持っています。
窯垣の小径・・
また来てのんびりと歩いてみたい洞の小道でした。
〜おわり〜
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