2010/07/18 - 2010/07/18
78位(同エリア159件中)
風遊さん
大河ドラマ「龍馬伝」で一躍有名になり申した、愛媛県との県境の小さな町が雨にもかかわらず、多くの人で賑わっとでごわす。
幕末の英雄・坂本龍馬は、同志澤村惣之丞(さわむらそのじょ)と共に、文久2年(1862年)3月24日に高知を出奔し、翌25日に梼原に到着しました。その夜、梼原の勤王の志士である那須俊平、那須信吾父子の家に宿泊、26日に俊平、信吾の道案内により、宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土県境の韮ヶ峠を越え、伊予の国(愛媛県)に脱藩しました。信吾は、韮ヶ峠より引き返しましたが、俊平は同行し、小屋村(西予市:旧野村町)、水ヶ峠(大洲市:旧河辺村)を経て泉ヶ峠(内子町:旧五十崎町)に宿泊。27日、宿間村(内子町:旧五十崎町)に着きました。 俊平はここから引き返し、龍馬、惣之丞は船便にて長浜町へ、その夜冨屋金兵衛宅に泊まり、28日船で2日を要して三田尻(山口県)へ到着しました。(資料参照)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- バイク
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朝5:20に自宅を出発し、安芸灘大橋を渡る頃、瀬戸内海に朝日が!
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この辺りから朝霧が島を覆うように成ってます。
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蒲刈大橋から振り返ると、安芸灘大橋が朝霧で消えそうです。
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豊島大橋を通過する頃はこんな状態。
200m先は何にも見えません。 -
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岡村島港6:50発の頃は一瞬晴れました。
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岡村島を出航してすぐまたもや海上は一面の霧。
今度は数十メートル先が何にも見えません。
フェリーも超スロー運転。 -
ほんのすぐ先に島が見えます。
梅雨に入って5回位フェリーが運航中止に成ったそうです。 -
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来島海峡大橋が見えてきました。
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来島海峡は潮の流れが大変早く好い魚場ですが小さな船はこの葉状態!
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真下を通過です。
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8:20分 今治港に到着。
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湯の浦ICから高速に乗り、桜三里PEで休憩です。
桜三里(さくらさんり)は、愛媛県東温市(旧温泉郡川内町)から西条市(旧周桑郡丹原町)に至る金毘羅街道(讃岐街道)の峠道の通称である。
名前の由来は、およそ700年以上前に源氏に追われた平家の残党、樫原源太季秋が辿りついた後、隠れ住み、平家の再興を願って毎年のように桜を植えていった説と、江戸時代、当時の松山藩士、矢野五郎右衛門源太が、吉野山のような名所にしようと囚人を使い、街道の三里(メートル法に換算すると約12キロ)の間に桜の木を植えさせたという説がある。 -
伊予ICで高速を降り、国道56号線上の中山町にある屋根付き橋
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その名は鳥居本橋。
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チョット分かりにくいですが橋の向こうは道もありません山だけです。
て!・・・・・事は、何の橋?
生活橋ではなさそうだし?
その訳を聞こうにも、人影はありません。 -
橋からの風景
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内子を通り抜け、国道197号線上の五十崎町に龍馬脱藩の道の看板が、この辺りを龍馬も通ったのかな?
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国道197号線上・道の駅 ひじかわ
国道197号線は高知県・須崎市から愛媛県・八幡浜市間をを結ぶ国道ですが、龍馬脱藩の道には重要な国道です。 -
道の駅 ひじかわ
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11:10高知県梼原町に到着です。
只今走行距離217kです。 -
土佐であい博・梼原会場
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大河ドラマ館
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大河ドラマ・龍馬役、福山雅治さんが着用してた衣装
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案内役は皆さん龍馬姿
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この旅行記へのコメント (1)
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- ちゃおさん 2010/08/06 08:23:16
- 三田尻
- 三田尻は今の防府市。当時は賑やかな港だったでしょうね。防府もこの前の大雨で大変でしたね。
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