2009/10/21 - 2009/10/21
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frau.himmelさん
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フランクフルト近郊にはステキな町がたくさんあります。
フランクフルトに何日か滞在してそれらの街々を訪ねるのを楽しみにしています。
今回は、フランクフフルトに3泊してマールブルクに行くことにしました。
マールブルク。実は2006年に一度訪れているのです。
その時は夫の知人のドイツ人の方に車で案内していただきました。方伯城、大学、旧市街など連れて行っていただきましたが、エリーザベト教会は時間の都合で断念した経緯があります。
マールブルクに行ってエリーザベト教会を見ないとは…、心残りだったので今回訪問することにしたものです。
ところが、どうしたことか、電車に乗り間違えてしまったのです。絶対、そんなはずはないのですが…!
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ドイツのちょっとした駅には、その駅から出発する各方面行きの1枚のぺらぺらの時刻表が備え付けてあります。
フランクフルト駅でマールブルク行きの時刻表をゲットして、さあ出発です。
今日はヘッセンチケットを使います。
時刻表によると9時52分発、マールブルク着は11:05、14番ホーム、乗り換えなし、REです。
1時間10分で着くのね、割と近いじゃない…。
これで絶対間違いはないはずでした。 -
ふむふむ、ここがギーセンなんだ。
ギーセンって聞いたことがあるわね。 -
「バウハウス」って大きな工場、ドイツのアチコチで見かけるけど、ヴァイマールにあった世界遺産のバウハウスと何か関係があるのだろうか?
などと考えたり…。 -
あら、ヴェッツラーだわ。
ここは前に来たことがあるわね?
なんて、車窓の景色を見ているだけで飽きない私は一人ではしゃいでいます。
Asslar, Katzenfurt…などの駅名が次々と出てきますが、到着時間が過ぎているのにマールブルクという名前は出てきません。
おかしいなー? -
車掌さんに聞いたら、この電車はマールブルクには行かないと…。
で、この駅Dillenburgで降ろされました。
この時点で、11時22分。 -
11時33分発のフランクフルト行きでギーセンまで引き返して、乗り変えてマールブルクに行くんだと…。
不思議でたまりません。どうして間違ったのだろう? -
しかたがない、ギーセンまでやって来ました。
ギーセンは大きな駅です。
また、ギーセン大学などがあり、学生の割合が多い町だとか…。 -
ギーセン駅で25分の待ち時間があります。
とりあえず、電車の中で昼食をとるために売店でパンを購入しました。
私はカボチャの種やヒマワリの種がびっしりの固いドイツパンにチーズやハム、野菜が挟んであるサンドを。
これ大好きなんです。噛み応えがあって、味わいがあって。 -
駅舎に使ってある柱。すごく立派です。
で、マールブルクに向けて出発!
電車の中で昼食のパンを…。
ボロボロくずが落ちるので、膝にはハンカチを敷いていただきました。
後で、本当に信じられないような不思議な出来事が起きたのです。
それはマールブルク②編で。 -
マールブルクにやっと着きました。13時5分。
1時間10分で着くところ、3時間以上かかってしまいました。
どうも不思議で仕方がないので、今日(2010年7月)DBの時刻表で調べました。
フランクフルトから、同じ時刻に同じホームから、マールブルク行きも、Dillenburg行きも、両方ありました。
でも、ギーセンで車両が別れるという記述は見つけられませんでした。
ますます謎は深まるばかり…。 -
さあ、2006年に見ることが出来なかったエリーザベト教会に向かいます。
駅前のバーンホフ通りをまっすぐ行って、川面に深い緑を映す橋を通り過ぎて…。 -
突き当たると、このエリーザベト通りに出ます。
ここを左折して…。 -
エリーザベト通りにはステキな日本の骨董品などを並べてあるお店もありました。
よそ見をしないで教会に急ぎます。 -
教会の全体像の写真がないので、絵葉書からとりました。
ここは聖女エリーザベトのために作られた教会です。
エリーザベトはハンガリーの王女でしたが、14歳でチューリンゲンのルートヴィッヒ伯爵と結婚、アイゼナハのヴァルトブルク城で過ごしました。
(*2007年にヴァルトブルク城に行きましたが、黄金のエリーザベトの間は素晴らしかったです。) -
教会の入口です。
彼女は王族としては珍しく、若い頃から貧民救済に打ち込む優しい人柄でした。
ところが伯爵の死後、それが原因でヴァルトブルク城を追い出されます。
そしてこのマールブルクにやってきました。 -
教会を上から見た図面です。
十字架の形をしております。
エリーザベトはマールブルクで貧民救済に努め、24歳の若さで亡くなります。
この教会はエリーザベトの死後、聖女となった彼女を称えて、ドイツ騎士団修道会により1235年〜1283年に建てられました。
以後、この図面の番号を基に場所の説明を致します。 -
入口左手には、一門の祭壇があります。
上の写真の図面の番号をつけておきますので、位置関係がお分かりいただければと思います。
図面(21)の場所です。 -
中に進みましょう。
柱の聖母マリアがあります。
図面② -
説教壇。
図面③ -
説教壇上部。
図面③ -
エリーザベトの像です。
フランスの作家によるものだそうです。
図面⑤ -
右手に説教壇。正面に本祭壇が見えます。
図面④ -
本祭壇に近づいたところ。
正面のキリスト十字架像は、エルンスト・バルラッハ作(1918年)
図面④ -
本祭壇です。
図面⑭。 -
本祭壇後方、中央内陣のステンドグラス。
13~14世紀のものでロマネスクからゴシックへの転換期のもの。
聖女エリーザベトの善行が描かれているそうですが、この写真ではどうも…(笑)。
図面⑭ 上部 -
絵葉書より、ステンドグラスの一部をコピーしました。
聖女エリーザベトが善行を施している場面です。 -
いよいよ本祭壇の左手にある小部屋に入ります。
ここには聖エリーザベトの黄金の聖遺骨箱が安置されています。1240年ごろ作。
ただし、宗教改革などの宗教上の理由で今はこの箱にエリーザベトの遺骨はありません。
図面⑮ -
上記が安置されている部屋の入口。
上部の彫金細工が素晴らしい。
図面⑮の入口 -
床のモザイク
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右手の内陣には歴代ヘッセン方伯の墓所があります。
図面⑱ -
方辺伯の墓所にあるヨハネの祭壇。
図面⑯ -
方辺伯の墓所を出て、出口方向に進みます。
エリザベートの祭壇。
図面⑳ -
パイプオルガン
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この彼女、ずーっとここでお祈りをしていました。
深い悩みがあるのでしょうね。
教会に来ると、気持が優しくなって、「どうしたの?、何かあったの、頑張ってね…。」って声をかけたくなります。 -
さっきずーっと若い女性がお祈りをしていた場所です。
静かに誰にも邪魔されることなくお祈りが出来てよかったわね。 -
静かな教会にお別れして外に出ます。
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エリーザベト教会の外観①
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エリーザベト教会の外観②
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エリーザベトが建てた救貧院の跡地。
これから旧市街を少し散策します。
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